第二章 激震

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二、吉岡党

 遠州南東部に吉岡という国人衆がいる。一般には吉岡党と呼ばれ、遠州では最強の一族と呼ばれている。組織力は主家である今川家をも凌ぐと言われるほどだが反乱は起こさずにおとなしく臣従している。その理由は内部分裂にあった。
 吉岡党もともと海賊であるため、血の気が多い者が多く、祖先は今川範国の御国入りに強く反対の立場を示し、範国の次子了俊の仲介により、臣従の意思を示したのだが不安は数多く見てとれた。その不安の中でも街道を抑えられている難点があった。当時、吉岡党の中でも親今川派と反今川派の分裂があり、了俊の策略で上下の吉岡党が家を興すことで弱体化を計った。その策略は成功し、街道も何とか確保されるに至ったのである。しかし、事あるごとに妨害となってきた吉岡党は義元の死去で一気に暴走する構えにあった。分家である下吉岡家が本家である上吉岡家を併呑しようと企んでいたのだ。上吉岡家の居城は諏訪原城の南西に位置する小城だった。危機を感じ取った当主吉岡通忠は家臣の直見国嗣に密書を託して金子家に走らせた。吉岡党の異変は直政が家督を継いだときより、左馬介らの探索で知っていたのだが介入は避けていた。それが通忠の使いが到着したことで静は動と化す。金子城本丸屋敷で直政は国嗣と会っていた。傍らには高崎より戻ってきていた家継と腹心の興房がいた。
「お初にお目にかかります。吉岡家々臣直見国嗣と申します。まずは主君通忠より預かって参りました書状を御覧ください」
国嗣より書状を受けとって開いた。内容は助けが欲しいことが記されていた。しかし、文章は傲慢な内容のようにも見え、少し利用されている感じがした直政は苦笑する。
「…ふむ、吉岡党には分家があったな」
「はっ、上下の家があり、上が我らで下が分家にござりまする。主家の力が弱くなったのを機に挙兵を企んでいる様子」
「なるほど…、あわよくば遠州の支配も考えていると見てよいな?」
「はっ」
国嗣の心は読めないが援軍が欲しいことには変わりはないようだ。直政は戸の向こうに控えている左馬介を呼ぶ。
「お呼びで…」
「うむ、ただちに横山城にいる篠田殿の許へ走ってもらいたい。援軍を上吉岡に出すよう頼んでくれ。そして、下吉岡に隙があれば前衛の小山城にも兵を進めてもらいたいと伝えてくれ」
「承知致しました」
左馬介が気配を断つと国嗣のほうを向いて、
「すぐには兵を動かすことはできぬが急ぎ準備する故、しばし待たれよ」
「はっ、有り難き幸せに存じます」
国嗣も頭を深々と下げて退がる。その気配が消え去ったのを確認すると直政は家継に言う。
「勝手なものだな」
「ですが、これを勢力を広げる機会と致せばよろしいではありませんか?」
「うむ、利用されようとしている者が逆に利用してしまうということだな」
「御意」
家継は頷いた。続いて、興房に指示を与える。
「すぐに高崎と柴浦に使いを出して引き続き森の警戒に当たるよう伝えよ。その上で小石山と朱鷺田より上吉岡へ兵を出すよう伝達致せ」
「はっ」
興房が退がると家継に言う。
「城兵3百程連れて行く。留守を頼むぞ」
「承知致しました」
直政は自ら一軍を率いることで己の権威を示す機会だと悟ったのである。

 翌日、直政の命を受けた朱鷺田忠勝は2千5百の兵を率いて吉岡城に入った。聞けばここを守るのはわずか2百の兵と船百艘に満たないもので城の規模も小さい。だから、金子の援軍はあり難いものであった。
「殿は3日後、この城に入られる由」
「それは有り難いが3日とは遅いものですな。あの城からなら我らの足であれば半日で来れましょうぞ。わははは…」
通忠は大声で笑う。まるで援軍をよこすのは当然のことだと言わんばかりに傲慢な態度を取る。血の気の多い忠勝は爆発しそうになったが何とか気持ちを落ち着かせる。
「殿は森・朝比奈の勢力と互角に渡り合っておられる。そのためには準備が必要なのです」
「ふん、森など滅ぼしてしまえばよいではないか。朝比奈など愚将は遠州にはいらぬわ」
忠勝は殺してしまいたいと本気で思いかけているところへ若者が通忠に声をかける。
「父上、初見の者に彼のような態度はお控えくださいまし。それに主家に対する批判など間者などの耳に入ったら何とされますか?」
「黙れ、直忠。今川など恐れるに足りぬわ。海の男たる者、戦知らず如き、どうってことはない」
と、通忠は我が子を怒鳴りつけた。直忠と忠勝は諌めるのを諦めてとりあえず辞することにした。すると、引き揚げる忠勝に家老の粟森国盛が声をかけた。
「申し訳ござらぬ」
「いや、構わぬ。しかし、殿が来られたら会うことよりも下吉岡に付くかも知れぬ事態になる可能性がある。今日のところはこれで退がるが今後の対応は直忠殿にお願い致したい」
「ははっ、承知致しました」
国盛に一応の約束を取りつけると忠勝は一度城に入れた軍勢を城外に出して近くの丘に陣を張った。丘の上からは吉岡城の城全体が見渡され、あまりの無防備さに苦笑せざる得なかったという。

 3日後、直政は興房・左馬介ら8百の軍勢を率いて忠勝の陣に入った。忠勝から話しを聞いた直政は笑いながら言う。
「ははは…、よく我慢したな。お主ならば暴れてもおかしくなかったものを」
「今度、同じ態度を見たら殺るかもしれませぬ」
「おいおい…、まあ、よく堪えた。うん?、そちらの方は?」
「はっ、吉岡殿のご子息の直忠殿にござる」
忠勝は直忠を紹介する。直政の目からは聡明そうに見えた。
「吉岡直忠にございまする。父の無礼、お許しくださいますよう」
「いや、それは構わぬ」
「父は主家を甘く見ております。義元公が亡くなられたのを機に下吉岡と手を組む画策したのですが…」
「家臣の反対にあったのですね?」
「はい、一気に挙兵して遠州に覇を唱えようと企んだようです。さいわい、家臣たちの反対が功を奏して踏み留まりましたが」
「まあ、当然のことだろうな。それに下吉岡にも意地というものがある。今更、本家に出てこられても鬱陶しいだけだ。それならば攻めて本家を併呑してしまったほうが良いと考えたのであろう」
「真にその通りにござりまする」
「ふむ…、通忠殿がどこまで自重するかが問題ですな。時に直忠殿」
「はっ」
「お主は文学は好まれまするか?」
「はい、剣術は嗜む程度で一向に…。ですが、文学は奥深いものが多く、某の勉学ではまだまだ覚えることが多きものでございます。まあ、それで父には嫌われていますが…」
「御子はお主だけなのか?」
「いいえ、兄が2人おります。長兄通長は水軍兵法に長け、次兄忠信は武を好みます」
「なるほど…、通忠殿の影響を強く受けておられますな」
「はい」
「ところでお主に私的に頼みたいことがあるのだが…」
「何でしょうか?」
「私の弟に元服を控えた16になる九郎丸と申す者がいるのだが私が見る限り、なかなか聡明にも思える。そこで今以上に文学を学ばせてみたいと思うのだがお主に教授してもらえぬだろうか?」
「えっ!?、私に…ですか?」
突然の申し出に直忠は驚きを隠せない。
「今すぐに返事をくれと言っているわけではない。今、剣術と馬術は上達の一途を辿っているのだが文学のほうはいまいちでな。時折、家老職を務める松山景成に任せていたのだが政治のほうが多忙の状態となったため、滞っている次第。そこでお主ならば思ったのだがどうであろう?」
「し、しかし…」
「父上の立場もあろう。時をかけてくれても一向に構わぬ。お主の性格ならば九郎丸もよき武将になれるだろう。私としては兄として数少ない身内の者として見守ってやりたいのだ」
純粋に語る直政の言葉に直忠の心は揺れた。直忠は迷った末に直政の申し出を了承した。父から離れたいという気持ちも後押ししたのだろうか。直政はその日のうちに九郎丸に会わせた。2人の年が近いせいか、すぐに意気投合した様子だった。

 翌日、直政は吉岡城に入った。しかし.先日の忠勝との面会で不機嫌になったようで面会を断られたため、仕方なく直見国嗣と水軍目付の重職にある平野親長に会っていた。金子に援軍を頼むよう申し出たのはこの2人であった。まず、親長が口を開く。
「お主が金子直政か…、お初にお目にかかる。お主の噂はこの吉岡にも聞き及んでいる」
「いやいや、それは有り難い事ですが此度の戦は情報があまりにも少ない。下吉岡とはどのような一族かお教え願いたい」
「うむ、御存知とは思うが下吉岡は形上では分家となっているが力は本家をも上回る。未だに主家に抵抗を続けているがなぜか今まで討伐されなかった。生き残っているのが不思議なほどだ」
「それは水軍のおかげでしょうな。陸では主家の比にもならない」
「そうだ、城はまるで海の上に築いた城だな。国嗣、あれはあるか?」
国嗣があるものを出してきた。詳しくは書かれていないものの、下吉岡が居城とする灘城、別名「海龍城」とも呼ばれる城の図面であった。
 城は切り立った崖に面して築かれている。北側のみが陸に面し、2つの門と1つの櫓、3つの物見櫓が死角を封じている。さらに、そこを突破できたとしても続く海龍丸は砂浜のような造りになっており、通常の行動が鈍くなる。櫓も控え、東と南の2つの門から一斉攻撃できる形になっていた。本丸はその海龍丸を越えた先にあった。
「陸からだと隙がないな…。海からだと東は物見櫓が配置してあるから兵を集中させても持久戦になれば向こうが有利か…。ならば、西は砂浜に面している。ここなら…」
「いや、波の荒れが厳しい。しかも、浅瀬と深瀬が交互に入り乱れており、大型の船では乗り入れは困難」
親長が説明する。
「なるほど…、となると…、やはり火か…」
「なるほど…、火か…」
「しかし、その策には殿の協力が必要になるが…」
「おそらく賛成しますまい」
「自らを滅ぼしかねない案には応じる姿勢を見せる御人ではない」
「なれど、今のままだと下吉岡に勢力を削がれるのを待つのみか…」
援軍があったとしても吉岡一族の問題はそれだけでは解決しない。
「たしかに…、しかし、どうすれば…」
国嗣が苦言を呈すると親長が一計を案じた。
「殿を当主の座から離れさせれば…」
「な、何と申される!?、主君を裏切れと申すのか!?」
「そうは言っていない。我らは本来、海の子。嫡子通長様に継いで頂き、殿には隠居して頂こうと思う」
「うむ…、通長様なら…。しかし、忠信様が黙っておらぬぞ」
「それなら、わしが何とか致そう」
「ならば、わしは国盛殿と通長殿を説得致す。どうでござろうか、直政殿」
2人のやりとりを聞いていた直政は神妙な表情で言う。
「よしろかろうと存ずる。善は急げと申されるがこのことは内密に事を運ばねば」
「承知しておる」
親長か言う。
「では、直忠殿の説得は私に任せて頂こう」
「それは有り難い。では、御免」
2人は同時に立ちあがると部屋から辞して行った。

 その日の夜半、親長たちの計画は早くも実行された。水軍の棟梁でもある通長が数十の手勢を率いて港を抑える騒ぎを起こした。当然、通忠は親長が謀反を起こしたと憤慨したものの、国盛、国嗣が相次いで謀反を起こしたため、城内は混乱に陥った。次子忠信は父を救わんと駆けつけたものの、二の丸で捕らえられてしまった。また、事前の工作がうまくいったのか、通忠に付く味方はほとんどおらず、通忠は天守で捕らえられ、即日、2人は二の丸にある櫓に幽閉された。世間的には家督を嫡子通長に譲り、通忠は隠居したとの噂が流れた。この噂は直政が指示したことだった。家臣たちは通長に対して忠誠の誓いをたてた。騒ぎの混乱も収まらない吉岡城に翌日、直政は軍議を兼ねて通長に会うために入った。家督を継いだばかりだというのに落ちつきを払った男だった。
「貴君とは同じ年頃ですな」
通長が言う。
「左様ですな。通長殿はなかなか聡明そうに見える」
「いや、そんな事はない。家臣たちから見れば私などまだまだ…」
そこに国盛が入って来た。2人の挨拶は簡単なもので終わった。
「殿、そろそろ軍議が始まります。直政殿も同席願いたい」
「おう、そうであったな。直政殿、参ろうか」
2人は廊下を並ぶようにして歩いた。共に若武者として広い大地を生き抜かなければならないのだ。後ろから続く国盛がそんな2人を見てどう思ったかは定かではない。大広間にはすでに家臣たちが集まっていた。左に吉岡家の者、右に金子家の者が鎮座している。
「皆、御苦労であった。金子家の方々もひとかたの苦労をかけたと思うが、この通長、家督を継いだからにはこれから起こりうる難題を打開していくつもりだ。よろしく頼むぞ。さて、直政殿、貴殿は海龍城の図面はご覧になられたか?」
「ええ、昨日、拝見致した。某の意見としては東から攻撃を加え、花王櫓を落とせば攻勢に出れると思うのですが…」
花王櫓は東の要になっている。西の要は砂浜に面した石櫓が役目を果たしている。
「たしかに…、西は波が荒い故、こちらから攻めるのは困難を極める。それを見越して築かれた城でもある。逆に東は波の変化が少なく緩やかだが兵の集中が厳しい。なれど、花王櫓さえ抑えてしまえば海龍城の攻略はたやすい。物見櫓が死角を防いでいると申しても所詮は物見のためのもの。櫓としての機能は軟い」
「通長殿、仕掛けは何になさる?」
「おそらく、直政殿と同じ考えと存ずる」
「では、やはり火しかないと?」
「でしょうな。風が強ければもっとその効果が出る。後は油か…。これを成功させるには内部にも潜入する決死の覚悟がいる」
「それは我らが担おう。その分野に得意な者がおる」
「では、潜入は任せましょう。水軍の数と組織力は向こうが勝りますが武器は我らのほうが上です。この戦、必ずや、取りましょうぞ」
通長の言葉は両家臣団の士気を高めた。直政は微笑しながら若武者を見守ったのである。


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