第二章 激震

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十一、破竹の勢い

 1568年、甲斐と信濃を支配する武田信玄が「風林火山」の旗の下、遠州へ侵攻した。信濃飯田から南下し、遠州の国境を越えた武田勢は高々と士気を高揚させながら、国境付近の砦を次々と落とす。対する金子勢は堅城である犬居で迎え撃つことにし、松山景成を総大将に森長元・肥嶋種盛に高崎家より望月武元らを加え、8千余の兵をもって対峙した。また、宗康も武田勢の進撃を止めるため、犬居の南に備える二俣城に兵を集結させる伝達を行った。しかし、一部の領主が不祥事を起こしてしまった。
 その不祥事の原因は「武田動く」の報せに大絹内信貞と永山政綱が臆してしまったのだ。彼らは以前、今川家臣として武田勢と戦った経験があり、宗康からの度重なる使者も2人に会うこと敵わず、その役目を果たさぬまま、戻ってきた。
「やはり、家名を惜しむか…。愚かなり」
2勢力からの出兵を断念した宗康は一足先に二俣城に達する。そこで次々に情報が舞い込んでくる。戦況は当初より武田勢優勢で城前面に敷いた陣は瞬く間に蹴散らされたという。さらに補給路を断って完全に包囲し、金子勢も火縄や弓で応戦するも巧みな戦略と経験の差が大きく出たようで犬居城は陥落した。守っていた景成らは敗走を余儀なくされ、景成は長元と共に只来城へ逃れ、望月武元は宮の口へ退いた。しかし、宮の口には宗康が集めた2万5千余の兵が集結していたのである。宗康は犬居陥落必死の報せを受けて犬居からここまで来ていたのだ。
「ここで守りに入っては到底勝てぬ。南に陣を敷いて迎え撃つことにする」
一旦入った砦を出て高崎の西、二俣の北東の場所に陣を敷いた。空になった宮の口には武田勢が入城する。この間に肥嶋種盛が降伏し、大絹内・永山の両名も武田に寝返ったという。これにより、武田勢の兵力は大きく膨れ上がり、金子勢との戦いで失った部隊の補充に成功した。その上で別働隊が信濃を発し、西遠江に進出していた徳川家の諸城を落として三河野田城を包囲したとの報せが入る。信玄ならではの出際の良さに誰もが感服せざる得なかった。

 宗康は本陣を定めると泊貴房と吉岡直忠を呼ぶ。
「よいか、我が軍の勝利はお前たちの働きにかかっている。頼むぞ」
「ははっ」
2人はそれぞれ一軍を率いて闇に紛れた。
 翌日、夜明けと共に両軍が動く。金子勢の陣形は防御と反撃を両有した「偃月の陣」、武田勢の陣形は攻撃を主体とする「錐行の陣」で対峙する。
「ふん、数だけは立派だが我が疾風に敵う者はいまい。かかれ!!」
信玄の号令で全武将が怒涛の響きを起こしながら、真っ直ぐ金子勢に襲いかかろうとする。
「来たな、引きつけよ。弓鉄砲隊、構え」
宗康の言葉に鉄砲隊が柵の後ろより、弓隊がその後ろから構える。鉄砲の数が少ないため、弓隊がこれを補う部隊を形成したのだ。
 ドドドドドドドドドドドドドドドドドドォォォォォォォォォォォォォォォォォ…
地響きしか聞こえない馬の脚にかき消されてわずかに動く鳥の声すら聞こえない。広々とした平原は戦いのためにあるのだと言わんばかりだ。
 武田勢の先鋒は中央に小山田信有、左翼が馬場信房、右翼が原昌胤を務めているようだ。どれも武勇で優れた猛者たちで幾多の戦場を渡り歩いている。武田勢屈指の猛将を前に鉄砲が火縄が今かと言わんばかりに待ち構えている。
「放てえええぇぇぇぇぇ――――――!!!!!」
鉄砲頭久保田久成が叫ぶ。一斉に放たれる火縄と弓矢は騎馬隊の出鼻を挫く。攻撃を受けて倒れていく騎馬隊だが武田勢の数はそれを上回った。倒れる味方を後ろ目に飛び越えて突き進んでいく。火縄は準備から発射まで時間がかかる代物であるため、引き続き、数で上回る弓隊が攻撃を仕掛けるが効果がないように思われた。しかし、宗康の仕掛はこれけだけではない。突如、響きが止まる出来事が起きた。2米近く掘られた落とし穴が騎馬隊を呑み込んだのだ。昨晩、泊貴房と吉岡直忠に命じて行わせた工作が功を奏した形だ。先鋒隊は不意の攻撃に動きを弱めた。それを見て取った宗康が全軍に号令をかける。その間に鉄砲隊も弾込めを終了させて援護射撃を行う。朱鷺田忠勝が秋山信友、葉祇宗通が土屋昌次、長居弘政が山縣昌景、先崎十左衛門が内藤昌豊にそれぞれ攻撃を仕掛けて混戦となった。武田も屈指の武将なら金子も屈指の武将をぶつけたのだ。共に退くことを知らない連中が共に家を守るために戦っていた。それを見守る本陣では次の策が講じられた。信玄は真田信輝に命じて後方で待機している味方を呼び寄せ、宗康は松平清之と高崎定長に命じて、間道より補給路を断たせると同時に松山景成には大絹内城の近くに陣を敷くように命じた。平原への援軍を行かせさせないための処置である。しかし、寝返った三家とも城から出てこようとはせず、じっと城の守りを固めているようだとの報せが入る。
「所詮はその程度の器量しかなかったか…」
そう呟くと亀井左馬介に命じて本陣を急襲させた。これを迎え撃ったのが武田義信と信勝の兄弟だ。忍者軍団を本陣に近づけさせない勇猛ぶりを発揮する一方で信玄も密かに行動させていた仁科盛政と武田信豊に背後から金子本陣を急襲してきたのだ。突如の敵軍の出現に誰もが驚いたが金子右近の機転でこれを防ぐと共に矢野城から援軍として駆けつけてきた矢野義綱の軍勢と戦いを繰り広げる。勝敗はどちらに転んでも地利で優勢な宗康にあった。日暮れと同時に戦いは小康状態に陥る。一進一退の攻防は翌朝に持ち込まれるかと思われたが宗康は攻撃の手を緩めようとは思わなかった。夜襲の準備をしていたのだ。それでも、信玄のほうもすでに一軍が闇に紛れて西より攻撃を仕掛けようとする。そこにまた軍勢が現れた。武田方は驚いた様子だったが相手のほうも驚いた。まさか、敵に出くわすとは思っていなかったようでそこでまた戦いになる。その騒ぎを聞きつけた双方の軍勢が駆けつけて混戦となり、休む間を惜しむ程の激戦となった。それから一刻程戦い続けて双方が退き、ある男が宗康の前に現れた。徳川家康に仕える渡辺勘兵衛守綱だった。
「援軍を頼んだ覚えはないが…」
困惑する宗康に守綱が言う。
「いえ、これは主君のご好意というものでして…」
恩を売るつもりなのか?と思える程だった。
「好意か…。援軍は有り難いが翌朝には決着も着こう。しかし、三河も攻められたと聞いたが…」
「はっ、武田本軍が窮地に瀕しているとの噂が飛び交いまして野田を包囲していた軍勢はこちらに向かった由」
「そうか、それは御苦労でござった。我らはこれより夜襲を仕掛ける」
「夜襲を?、なれど先程の合戦で警戒を強めたのでは?」
「だから、裏をかくのだよ」
「なるほど…」
「貴殿も来られるか?」
「承知」
宗康は敵軍を引きつけるために本隊を動かした。この報せは当然、信玄のもとに入る。すぐに軍馬は正面の敵陣の動きに集中した。
「どう動くか…」
信玄は宗康と自分はよく似た性格だと思っていた。一つ一つの行動がよく似ていると。しかし、先陣を切ることができていればこの戦いは武田勢の勝ちは見えていた。さらに、悪いことは重なることで三河を優勢に攻略していた味方が流言に惑わされて退却するという失態を犯してしまった。おかげでこちらの合戦で敗れれば甲斐に戻らなければならない状況になっていたのだ。それだけ、越後の上杉、相模の北条と共に動きが活発になってきている証拠だった。
「申し上げます」
「如何した?、昌信」
高坂昌信が本陣に入った。
「補給路を断たれた由」
「ほう、夜襲と見せかけて退路を断つか」
「如何なされまするか?」
「口惜しいがやむ得ぬ。犬居まで退く」
「御意」
昌信が本陣を出る。信玄は冷静を保ったままだ。
「やってくれるわい。だが、退路を断ったぐらいでは我が軍の士気は落ちぬ」
信玄はすぐに昌信と仁科盛政に補給路を確保するよう命じた。全軍退却が信玄の願いだ。しかし、その動きは宗康には筒抜けだった。
「動いたか?」
「はっ」
「よし、清之と定長に退くよう伝えよ。無駄に兵を減らす必要はない。2人には迂回して笹堀の攻略を命じよ」
「ははっ」
兵が下がると援軍として寺坂美作守の到着が知らされた。寺坂には主家へ援軍の要請を頼んでいた。
「どうであった?」
「残念ながら…」
「そうか…、殿の許までは届かなかったか…」
「何者かの手によって消された由」
「反対勢力の動きか?」
「それはわかりかねまする」
「相解った。美作、すぐにこのまま迂回して景成の軍勢と合流してくれ」
「と言いますと?」
「笹堀を抑える命を出した。犬居に退いたところで笹堀が落ちていれば大絹内に向かうはず。あそこから北上されれば信玄を逃してしまうことになる」
「しかし、まだ勝敗は決まっておらぬようですが…」
「もう決まるさ。西から援軍も来たことだしな」
「西から?、徳川ですか?」
「そうだ。頼んだ覚えはなかったのだがここは利用しない手はない」
「なるほど…、承知致しました」
寺坂が去ると宗康は攻撃を仕掛けた。法螺貝を吹く。信玄の本陣は退却の準備に入っていたのだが背後からの怒声にも驚きもしない。
「申し上げます!、背後より敵襲!!。旗印は金子本隊!」
「何!?、では、正面のは…」
「偽装かと思われます」
「わっはははははは」
信玄は笑った。本当によく似ていると思ったのだ。
「よし!、殿は誰が持つ?」
「拙者がやりましょう」
「おう、信有、死ぬでないぞ」
「御意」
小山田信有が自陣に戻ると信玄は退却を命じた…。

 武田勢の退却は立派なものだった。迅速な動きで平原から宮の口を突破して犬居まで退却したのだ。この間に小山田勢が完璧な壁となって金子本隊の追撃を防ぎきった。しかし、笹堀と大絹内攻略の報せを受けて信玄は退却は陸路ではなく、河川を選んだ。宗康は陸路を選ぶと考えていたので焦りを隠せなかった。陸路を選ぶとすれば永山領内から北へ伸びて鱶橋に入ると思っていたからだ。その手際の良さに金子勢の誰もが呆然とした。挙句に独断で追撃を行った渡辺守綱率いる徳川勢を打ち破る功績を上げて、見事信濃へと退いて行ったのである。この戦いで金子方が受けた被害は大きく、しばらくは動けないと思われた。それを見越してか、勢田城近くまで徳川家康が来ているとの報せを受けた。宗康は勢田伴定に出迎えを命じて、自身は急いで勢田城に向かった。
 数日後、勢田城には2人の姿があった。
「初めてかな?、貴殿と会うのは」
「そうですな、桶狭間の折は先鋒と後方でしたからな」
宗康の発言を受けて家康が頷く。
「あれから10年…、共に一国を治めて天下に名を馳せた」
「まだまだこれからです」
「ほう、もはや今川家を上回る勢力を持っていように」
家康が牽制してくる。
「今川家は主家である故、兵を動かすことはないでしょう」
「しかし、その勢力は衰退の道を歩んでおる」
「そのときはそのときです。それまでは自国を豊かにせねば先はなくなる」
「確かに…、なれど消極的な行動では戦国の世を生き残れぬ」
「それまでには時も変わっておりましょう。それに主家とてまだまだ侮れぬ」
「うむ、それが今の世の怖さ。どうであろう?、我らで手を組みませぬか?」
「同盟を組むということですか?」
「左様」
「御身にはすでに後ろ盾がおるではないか?、あの恐ろしい男が…」
「お会いしたことはありませんか?」
「残念ながら、ここから尾張までは距離があります故」
「なるほど…、なれど同盟を結ぶのは我ら、あの御方は関係ありませぬ」
関係ないと言うが本当のところは解る由もない。
「ははは…、そうでしたな。では、一献」
共に酒を酌み交わす。そして、同盟は成った。これが吉と出るか、凶と出るかはわからないが今は遠州の復旧が急務となるため、宗康にとっては有り難い話しでもあった。しかも、今度の戦いで活躍するはずだった「火縄筒」は次なる戦いへの強い戦力になるのは間違いなかった。その相手が誰になるのかは天のみが知るというところだ。翌日には家康は三河に引き揚げ、宗康も三河へと引き揚げたのである…。


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