第二章 激震

戻る

十、遠江国経営

 直政は朝比奈家滅亡を機に名を改めた。父から一字をもらっていたが今度は完全にそれを払い退けた。これは今までの受け継げられてきたものではなく、全てを一新することで天下に覇を唱えるという直政だけではない家臣一同の意を汲み取ったものだった。名は『金子玄十郎宗康』となり、宴が催された。父・照政の念願の1つである遠州統一を祝ってのことであった。表向きは主家より遠江守護代に任じられたことによる。
 先の掛川決戦で得た掛川城を新たな居城と定め、金子城は徳村家継に与えた。また、朝比奈家から寝返った勢田一族は嫡流を長子・伴定が家督を継ぎ、西遠州南部に城を築く許しを与え、追放となっていた藤代総正にも帰国を許して三河に続く街道の整地や宿場を築く街道奉行に任じた。移封は二俣城に柴浦城から松平清之が入り、属城は只来城・宮の口砦が高崎定長、笹掘城が松山景成、柴浦城が矢野義綱となった。家臣団の配置は次の通りである。

 肥嶋城(遠州と信州の国境近く)・肥嶋種盛
 犬居城(肥嶋城の南西)・松山景成
 笹堀城(犬居城の東)・松山家属城
 鱶橋城(笹堀城の北東)・森長元
 宮の口砦(犬居城の南東)・高崎家属城
 先崎城(鱶橋城の南)・先崎十左衛門
 大絹内城(宮の口砦の南東)・大絹内信貞
 只来城(宮の口砦の南西)・高崎家属城
 永山城(大絹内城の南東)・永山政綱
 高崎城(只来城の南東)・高崎定長
 二俣城(高崎城の南西)・松平清之
 小石山城(永山城の南東)・亀井左馬介
 矢野城(二俣城の南東)・矢野義綱
 柴浦城(矢野城の正面の出城)・矢野家属城
 金子城(矢野城の南東)・徳村家継
 朱鷺田城(金子城の東北東)・朱鷺田忠勝
 慶照寺城(朱鷺田城の南)・金子右近
 掛川城(金子城の南南東)・金子宗康(主城)
 泊城(掛川城の南南西)・泊貴房
 曳馬城(泊城の南西)・長居弘政
 肥代城(慶照寺の南東)・吉岡直忠
 高天神城(掛川の南東)・寺坂美作守
 勢田城(天竜川以西)・勢田伴定

この面々の上に立った宗康は本格的に遠江国の経営に乗り出した。もはや、金子家は一国人ではなく、一大名に成長したのである。
 まず、商業面だが宗康は掛川決戦の際、吉岡水軍がいち早く占領した漁村を宿場町として整備させ、広大な港を築くよう奉行の藤代総正に命じた。総正は直ちに国中の人夫を集めて工事に取り掛かった。また、貿易を行うために必要な商人との交渉を諸国に精通している葉祇宗通に任せ、京そして堺の町に行かせた。京は国の都であり、堺は南蛮からの貿易拠点である。宗康はその間にも諸城の巡回や検分を行い、各城主も農地を広げ、治水や開発を行った。
 軍事面は馬を揃え、武器の開発に力を入れた。これを主に行っているのは亀井左馬介や先崎十左衛門らである。馬の調達は駿府や信州の商人から行い、武器の開発は小石山城で行われた。脅威なる武器・火縄に勝る武器や港を海賊から守る防御壁、盾などの研究が進められている。この計画は宗康を含めてごくわずかの者しか知らない極秘のものであった。この武器が完成する時が天下に覇を唱える日になるのだろうか…。

 …ある日のこと、城内のある場所で噂話をする家士たちが話しをしていた。
「殿は何故、天竜川の対岸を治められないのだろうか」
「さあ、殿に考えがあってのことではないのか?」
「しかし、あの広い領地を治めることができればさらに力も増えるのになぁ…」
「殿はあの噂を気にしておられるのではないか?」
「まさか…。殿は朝比奈をも滅ぼしたのだぞ。若いとは申せ、我らにとっては良き主君、あのような噂如きに左右される御方ではないわ」
「されど、人の心とはわからぬと申すではないか」
「戯けが、殿が聞けば笑い話しにされるだけだ。さあ、仕事するぞ」
という似たような会話が各所で囁かれたのであるが…、
「わはははは…ははは…そんな…ははは…噂をしていたのか?。ははは…」
宗康は笑いを堪えながら言った。この会話を持ってきたのは宗康付き忍びのお耀であった。側には興房もいる。
「殿、笑いすぎですぞ。噂が流れていたのは知っていたが殿が本当に笑いで一掃したと知ったら、家臣たちも驚くであろうな」
今、金子家で広まっている噂とは天竜川以西に妖怪が住む村があり、その妖怪は村に迷い込んだ人間を食らうらしい。噂を耳にした宗康の命を受けて左馬介が根源を探すべく、噂の村を探したが見つからなかった。この時も宗康は笑いで吹き飛ばしたのだが、
「だが、これで西遠州のただ広い領地をどうしようか考えて暇がなくなってしまったわけだが、どうせなら噂の根源も絶ってしまうか?」
と、左馬介すら知り得なかった根源を宗康が探そうと言うのである。
「しかし…、絶つと申されましても…、どこから流れているのかもわからないのに」
興房は宗康の言葉に反するように言う。
「なぁに、向こうから出てくるだろうよ。おそらく、噂の根源は妖怪ではなく、人間と推察したほうが良いではないか」
「人間ですと!?」
「そうだ、人間であればこのような噂を流すは容易い。だが、このような奇策誰も思い浮かばせる者はいるまい」
「だったら…」
「現にいると思い込ませて臆病にさせて士気を下げたほうが有利になると考える奴がいたとしたら?」
「武田忍びの仕業?」
「武田や北条家に今はそんな余裕はないさ。こちらには左馬介がいることだし、まだ、今川主家も存命している。織田家も視線が斎藤に向かっている以上、誰かが裏で暗躍するしか方法はない」
「では一体、誰が…」
興房とお耀はまだわかっていないようだ。
「黒雲の幻斎」
「あっ!」
「く、黒雲ですと!?」
2人はほぼ同時に叫ぶ。
「何も驚くことはないだろう?、奴はまだ死んではいないのだ。だが、いずれは姿を現すと思っていた。左馬介も同じことを考えているはずだ」
「しかし、その噂が黒雲だと言う根源は何もありませぬ」
興房が反論する。
「たしかにない。だが、西遠州の各所を見ればその理由も容易に頷ける」
「理由ですか?」
「そう、今、西遠州には20箇所ほどの村が点在している。その大半が徳川家と通じているという事実」
松平元康は今川家と決別するために、姓名を徳川家康と改めていた。
「家康の目的は私とよく似ている。この遠江と駿河の2国をもって織田家を背後から守る形で武田・北条と構えようとしている。しかし、その目的は金子という領主によって破られた。祖もわからない、由緒正しき家柄でもない一大名によってな」
宗康は家康の本当の目的を2人に話した。家康はこの時すでに今川家を離れて三河を完全に我が物とし、織田家と同盟を結んでいたのである。
「なるほど、そういうことか。しかし、その理由と黒雲とどういう関わりがあるというのですか?」
「関わりはまだわからぬ。なれど、この遠江が窮地になる日も遅くはない」
「なれば、事を急がねばなりますまい」
「いや、そう急ぐこともあるまい。三河を制したと言っても皆が家康に忠誠を誓っているわけではない。それに、こちらも朝比奈を制した直後ということもある。今はまだ様子を見ているしかない。お耀」
「はっ」
「この根源、お前なら絶てるか?」
唐突な質問にお耀は困惑する。
「ははは…、気にすることはない。黒雲の存在はあまりにも大きい。なれど、避けては通れぬ道、今は臆したと思われたとしても、内に力を強めるしか方法はない」
あまりにも消極的と思われる発言にお耀は不満さえ覚えた。

「父上、おられますか?」
「ああ、お前か、どうした?」
小石山城内で父は娘と会っていた。娘の沈んだ表情を見て父は娘に近づく。
「殿は…、殿のやろうとしていることは一体何なのですか?」
「どうしたんだ?、いきなり…」
「私にはわからなくなったのです」
「冷静なお前にしては珍しく弱音を吐くなぁ」
「父上、私は真剣に聞いているのです」
「ふむ…」
左馬介はしばらく考え込むように腕を組む。
「殿の真意は殿しかわからぬ。しかし、織田信長のような残虐さ、武田信玄や上杉謙信のような天下への欲望、徳川家康や松永弾正のような裏切り行為、それら全て殿に当てはまるものではない。それは承知しているな?」
「はい」
「うむ、殿はひたすら御家を第一に考え、常に安泰を願っている。それでいて、勢力を広めたいという気持ちも秘めておられるようだがいつも誰かに阻まれる。自らの保身に走ろうとする者は相手が主君であっても変わりはない。下剋上なとど言う言葉は主君にとっては辛いものだ。それでも、全てを平等に天秤にかけて諸国の情勢を見ておられる。以前、殿と2人になったとき、愚痴をこぼされておってな。『奴らさえ、奴らさえいなければ…』とな。だから、殿は旧臣を退かせ、若い者を起用なさるのだ。お前にもわからぬことではなかろう。万が一、殿に反する者が謀反を成功させたら、我らもまた闇に潜まねばならぬ。それは我らにとっては得策ではない。それをさせないがために殿は私に城を与えてくださったのだよ。そうでなくては里の者はまだ闇に隠れたままになっていたかもしれない。殿は我らにとっては恩人に等しい。その恩は生涯をもって託すつもりだ。お前には迷惑をかけるつもりはないが黒雲との戦いも近い。今なら、まだ間に合うかもしれない。空を舞う鳥の如く、自由を求めても良い。これから始まる戦いはお前にとっては辛く厳しいものになるやもしれぬ」
言葉を切った左馬介の言葉こそ真実であった。お耀の双眼からは涙が流れている。
「そ、そのような事……おっしゃらないでください。わ、私に…とって……父上は…ただ1人しかない…肉親なの……です……から…」
お耀は左馬介の胸に飛び込む。
「お耀…」
(この子に辛い思いをさせてはならぬ)
温かく見つめる左馬介の心は新たな決意が芽生えていた…。

 島田興房は悩んでいた。居城の移転に伴い、金子城から掛川城に移り、地位はそのまま城下町奉行の要職を務め、悩みなど無いように思われたのだが根深い問題が別のところから発生していた。島田家は代々、金子家に仕えてきた。照政が遠州に来る前のことは家臣の中でも興房ぐらいしかもう知っている者はいない。照政はかつて大和国の南方に領地を持っており、島田家もまたこの地より生まれ、祖父の代より金子家に仕えていた。しかし、隣国の紀伊守護の地位にあった畠山氏との対立からこの地を攻められ、主君共々流浪の旅に出た。わずかな家臣の中には泊貴房の父貴政の姿もあった。泊家は紀伊泊郷の出身で貴政の代に同じ敵である畠山氏に攻められて城を失った経験を2度に渡って甘んじていた。しかし、照政をはじめとする家臣たちは諦めることなく、残った家臣たちも照政のためについていく覚悟を決めたという。それは宗康の代に変わっても同じことだった。貴政は遠州についてまもなく病死したが家督は次子貴房に受け継がられ、今に至っている。
 さて、興房の悩みとは子ができないことである。父興信も47歳という高齢でやっと興房を生んでいる。この一族は常に子に恵まれないようで興房もまた妻を娶っていたが子供は娘のお篠だけしかいなかった。興房も今年で55歳を迎える。もはや、子作りは断念せざる得ない年齢まで来ていた。残る手段はお篠に頼るしかなかった。そこで興房は恥を忍んで親友である長居信政を訪ねた。
「お主が訪ねてくるとは珍しいこともあるものだ」
信政は笑いながら親友を迎えた。
「実は相談があってな」
「相談?、深刻そうだな。まあ、ここでは何だから酒でも呑みながら話そう」
信政は興房を客間に通した。酒と肴が用意される。
「で?」
「うむ、実はな、今年で子を宿すことを断念しようと思う」
「お主の一族はいつもそうだな。当主は相当気がもまれる状態だろうな」
「そこでな、お篠に婿を迎えて島田家を継いでもらおうと思うのだが…」
「ほう、お主にしてはなかなか勇気のあることをするな。しかし、婿となると…、お篠殿は誰を好んでいる?」
「さ、さあ…」
「そういうところは無頓着な奴だな。年頃の娘を放っておくとは…」
興房は頭をかいている。
「だが、婿養子という手段は悪くない。誰でも考えるものだ。なれど、お篠殿の見解もある。一度、殿に相談してはどうかな?。しかし、その殿もそろそろ身を固めてもらわなければならぬな…」
「うむ…、この件は今しばらく考えてみることにする」
「そうだな、ここで話しを決めてしまっても仕方がない。とりあえず、家の者でじっくり話し合ってみるのもいいかもしれぬ」
結局、答えは見つからず、久々に会った親友同士は小さな宴を楽しんだという。しかし…。

 この日の夜、興房はたまたま屋敷付きの家臣津山松之助を連れてきていた。ほろ酔い気分の興房を見るのは珍しいことだと松之助は思っていた。なぜなら、興房は滅多に酒を口にしなかった。判断力が鈍るという理由で茶を好んでいた。そんな興房の姿を見て、何か悩みでもと思った矢先、3人の浪人らしき男たちが2人を囲む。
「何者か!」
松之助が叫ぶ。主君の前に立つ家臣に対して興房は遅れを取った。酒が入っているためだ。
「主君の仇、まずはお前からだ!」
1人が刀を抜いて斬りつけてきた。松之助はこれを交わして横一文字に倒す。さらに、勢いをもってもう1人を倒した。
「くっ…、強い」
「お前らの腕では俺は倒せん!」
松之助は金子家の御家芸でもある金子幕心流の剣豪でもあり、先崎十左衛門の弟弟子にあたった。残った刺客はかなわじと悟って逃走を図るが興房が投げた匕首(ひしゅ)が刺客の足を貫いて転んだ。そこに松之助が取り押さえて近くの詰所に連行した。突然の奉行登場に緊張した面持ちの同心たちをよそ目に2人は厳しい拷問の末に明け方には口を割らせた。森家の残党だったのだ。すぐに興房は城に登って報告する。
「よし!、すぐに兵を差し向けよ。葛良忠平と松家新之助を向かわせよ」
宗康の決断は早い。すぐさま、足軽2百ほどが残党の拠点に攻撃を仕掛けた。数で勝る金子勢は怒涛の勝利を収めて帰還した。即日敵将が連行されて斬首となった。その報せを奉行所で受けた興房は屋敷に戻った後、改めて松之助に感謝の意を表した。
「私は家臣として当然のことをしたまで。殿に怪我が無かったのが幸いでした」
「いやいや、お主の腕がなければわしの命もなかったところ。ところで、お主に尋ねたいことがあるのだが…」
「何でござりましょうや?」
「今朝、お篠と話しをしたときにな、お前の話題になってな。島田家の婿に入るつもりはないか?」
「えええっっっ!!??」
松之助は驚いたが実はお篠とは兄妹のように育った幼馴染でもあった。共に出歩いてるところを何度も目撃されていた。
「どうであろうか?」
興房の目は真剣である。そのとき、松之助に思い当たることがあった。
「もしや…、昨日酔っておられたのは…」
「やはり、わかったか。お主の言うとおりだ。知っていると思うが我が家は女の血が強く、なかなか男子に恵まれない。かと言って私の代でこの家を潰すわけにもいかぬ。引き受けてもらえようか?」
願いというより懇願だった。興房の強い押しに松之助のほうが折れた。この興房の話題はすぐに金子家全体に広まり、松之助の父文蔵にも伝わった。文蔵は島田家の家老を務め、今は島田家の領地である集落を興房に代わって治めていた。興房は城持ちではないからだ。話しを聞いた文蔵は大喜びし、職務を忘れてすぐに屋敷に駆けつけた程だった。
 この年の秋、津山松之助は正式に婿養子となることを認められ、義父興房の「興」の一字を貰って島田信八郎興永と名を改めた。興房の最大の悩みはこれで終わりを告げつつあった。この日以来、興房はご満悦である。心の安らぎというものが訪れたかのようだった。
 宗康の遠江国経営は何も民だけのためではない。家臣の悩みを解決するのも君主の仕事であると認識している。興房の悩みを解決に導いてくれた興永と謁見した。剣豪とは思えないほどの無頓着な性格らしいが似たような者を知っている宗康にとっては心得たものだった。一刻程、雑談を交えて今の情勢を伝えて、知識を学ぶ術を教えた。

 翌日、宗康は新たに年寄衆に加わった長居信政に会った。年寄衆とは申せ、曳馬城の留守居役を務めている重臣でもある。
「興房が婿養子を得たようで本当によかったですなぁ…」
「うむ、すっかり悩みがなくなってしまった感じだな」
「確かに。私の許へ相談に来たと思ったら、その数日後には婿をもらってしまうのですから。ところで…」
「ん?」
「そろそろ、殿も嫁を貰う時期ではございませんか?」
「ははは…、いやいやまだまだ早いですよ。私は女というものにはどうも…」
「まあ、私もそうでしたがいざ貰ってみると良きものですぞ」
「ははは…、信政殿にもそういう時があったのですな」
「そういうことです」
「しかし、私はまだ何も決めておりませぬ。まあ、じっくり考えた上で決めるつもりです」
「そうですか…、それは残念ですが殿もはように」
そう言い残すと信政はその場を辞した。隣室から左馬介が現れる。
「大変ですな」
「うむ、興房の悩みが消えたら、次は私に矛を向けてきよったわ」
「早い時期に嫁をもらって台所を支えてもらわないといけませんな」
「お前までそれを言うか」
宗康は苦笑した。
「いやいや、嫁というものは邪魔にならぬもの。実は先日、お耀に泣きつかれましてな。殿の心うちがわからなくなったようで…」
「ああ…、消極的に取られたのであろう。だが、信念を知ってもらえればそれで良い」
「そのように伝えておきます」
「また、心を覗いて調べるだろうから構わぬ。それよりも…」
「はっ」
左馬介の表情が変わる。
「我が一族に仕えておりました吉野時蔵なる者を御存知でございましょうや?」
「うむ、一度会ったな。あの目は今でも忘れぬ」
猟犬のような目が印象深い。
「実は織田家を探っておりましたのですが…」
歯切れが悪い。
「寝返ったのか?」
「はっ、面目次第もありませぬ」
「織田か?、徳川か?」
「残念ながら私の天敵にございまする」
「黒雲か?」
「はっ」
「やはり…、左馬介の足元を狙ってきたな。常に彼奴に邪魔されるわ」
「察しておられたのですか?」
「ああ、例の噂が流れてからな」
「妖怪村ですか…、あれもやはり黒雲の仕業でしょうな」
「だろうな」
「遠州でそのような村があったのであれば私の耳にすぐ入ります。しかし、突然現れた話しを真に受ける私ではございません。黒雲ないし誰かが画策したと考えれば一目瞭然です」
「吉野時蔵の件はお前に任せる。好きにするがいい」
「すでに追手を差し向けております。抜け忍を許す程、私も馬鹿ではありませぬ」
左馬介は忍びの掟の厳しさを示した。
「ところで、諸国の様子はどうだ?」
「はっ、武田は着々と南征の動きを示しておりますし、徳川もまた戦の準備を整えつつあります」
「そうか、武器の開発を急がねばなるまい」
「大量に製造するのは不可能に近いかと」
「どれほど造れる?」
「百」
「ならば、旗本に装備させるか…、それとも、左馬介たちが装備して奇襲を仕掛ける戦法に出るか…」
「忍びにあの重さは難しゅうございます。ここは旗本に託したほうがよろしかろうと存ずる」
「そうか…、それはおって考えるとしよう。他に何かあるか?」
「吉岡通長は今だ動きはありませぬ」
「ふむ…、相解った」
すでに火縄の調達は葉祇宗通が堺と紀州雑賀党の火縄職人を多数連れて掛川に入り、生産は小石山と慶照寺の両城で行われた。翌月には掛川の宿場も完成し、港には吉岡直忠の家臣で斐川元直が船奉行として漁船のみならず、遠州灘を行き来する船舶の監視を担っていた。さらに、宗康は旅人のために街道に区間ずつ石堤の灯籠塔を築いて夜間の往来を可能にしたが関所は一切設けることがなかった…。

「そうか、金子は火縄も揃えはじめたか」
「はっ、数はおよそ1千5百、かなりの脅威と言えましょう。さらに、北条氏康とも同盟を結んだ様子」
「北条か…、もはや捨てておけぬな。今川を下し、金子を滅ぼして上洛をしようではないか。直ちに諸将を集めい!」
「ははっ」
武田信玄の決意は固まった。上洛の意志は周辺諸国を恐怖に陥れるには十分過ぎた。

 『武田動く』の報せは直ちに掛川城へもたらされた。宗康は諸将を掛川城に集めると緊急の軍議を開いた。年寄衆もこれに加わる。
「忠勝、火縄の扱いには慣れたか?」
「承知、いつでもいけまする」
朱鷺田忠勝は余裕の表情を見せた。その姿を横目に家継が言う。
「殿、戦を行うなら、迎撃か籠城かいずれを選びまするか?」
「無論、迎え討つ。皆、準備にかかれ!」
「ははっ」
諸将は一斉に掛川城を飛び出して各々の居城に戻った。まもなく始まる決戦を前に遠州は激震に揺れたのである…。


続きを読む(第十一話)

戻る


.