第一章 継承

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十一、謁見拒否

 直政が金子城に戻った。高崎城主高崎定長が金子家に仕える姿勢を見せ、金子城へは定長をはじめ、望月家ら重臣たちも同行する。人材が自然と増えるということは主となるべき者が彼らの心と同じ方向を進んでいることを理解せねばならない。さて、普請が続いていた金子城はというと規模こそは大きくなっていたが完成には程遠かった。かつて、手薄と言われた大外丸には二重の柵を設け、空掘や土塁も完成させ、物見櫓には兵が配置について警戒に当たっている姿が見え、直政も今までの金子城とは違う感じを受けた。父の後を受けて尚も本城を放置することは許されることではない。家督を継ぐということは金子宗家の継承者となったということになるのだ。それだけは忘れてはならないと心に誓っていた。二の丸に到達すると重臣一同が出迎えた。入るべき屋敷は戦の傷跡をわずかに残しつつも修復は終わりつつあった。大広間に集まった重臣の列に高崎定長と望月武元、そして、葉祇通氏の子である望月信三も加わる。上座に鎮座した直政が一同を前にして口を開いた。
「まずは御苦労と申したい。私の勝手に振る舞いに右往左往するときもあったであろうが無事に任を果たすことができた。高崎定長殿もまた我が心を聞いてくださり、ここに列席なされることはなった旨を皆に申す。その上で褒美は必ずや与える故、もうしばらく頑張って欲しい。さて、もう知っていると思うが情勢が以前より変わってきている。織田家が動くとの報せが飛びかい、義元公も上洛を旨に織田家を滅ぼさんと準備を進めていると聞く。我らもそのときは参戦せざる得ない。だが、その前に主君である義元公に家督相続の挨拶だけは済ませておこうと思う。信十郎殿、貴君は岡部殿の家臣にござる。近日中に謁見したいと岡部殿に申し出てくれぬか?」
新たに今川家金子領守軍役となった篠田信十郎に言う。
「それは承知致しましたが近日は不可能と存じます。せめて、清政公にも連名して頂きたい」
「よかろう。わしも久しぶりに義元公にお会いしたいからのお」
清政は信十郎の願いを難なく了承した。その清政の横には清忠が控えていた。謹慎を許されて登城したのだが痩せ衰えた疲れ果てた姿に変わっていた。直政は清忠に声をかける。
「清忠よ、久しぶりだな。まだ私を殺したいか?、こちらは一向に構わぬぞ。いつでも来るがいい」
「そ、それは…」
戸惑う清忠を横目に清政が苦笑する。
「だが、父を敬う心を忘れるな。そして、汚名は命を賭して消さねば消えることはないぞよいな」
「ははぁ―――っ」
清忠は深々と頭を下げていた。
「さて、これからの事を考えるとしようか」
直政は外交対策に北の森家の存在が不穏と感じた。南の朝比奈とも対立しているがこちらは今川家に忠誠を誓っている家柄なので現時点では脅威とはならないが、北の森家は不本意で今川に仕えているだけで強大な力が今川に無ければいつでも離反する構えにあった。直政はその対策として、高崎定長と矢野義綱に目付として監視を命じ、領内の街道の要衝に関所を設けることで敵の間者の出入りを封じることにした。また、金子城の北、矢野城の北東、朱鷺田城の北西に位置する小高い丘に築城の許可を亀井左馬介に与えることも決めた。森家が南下する脅威があった場合、金子城の北側には何の抵抗もなく通過できるからで、ここに城を築かせることで金子城を守る役割を担うことになる。今まで左馬介の働きを知っている者は直政の案に納得し、知らない者は苦渋の表情を浮かべた。
 その日の夜半、直政の寝所に左馬介がやって来た。
「殿、昼間のお約束、有り難き幸せにござりまする。どんな忍びにも負けぬ、立派な城を築きましょうぞ」
「うむ、足らぬものがあれば言ってくれればいい」
「ははぁ、何から何まで有り難きことですがもう一つお願いがあります」
「もう一つ?」
「はい、城をもう一つ築きたいのでござりまする」
「築いてどうする?」
「黒雲の動きを封じるためでございます。これには高崎忍軍の協力も不可避になります」
「高崎のほうは一向に構わぬが設けるとすればどこに築くつもりか?」
左馬介は懐から図面を取り出した。
「ここがよろしいでしょう」
「なるほど、ここなら…」
直政も左馬介が示した場所に納得し、独断で許しを与えた。後にこの城が遠州にとって重要な要衝になることは2人とも知る由がない。

「甚兵衛が死したか…、愚かな男よ。ククク…、ところで2人はどうした?」
薄暗い部屋で黒雲は不気味な笑みを浮かべながら側にいた男に言う。
「すでに城に戻っております。今日の軍議で岡部元信を通じて謁見を申し込むことが決まりました」
「謁見か…。義元が応じれば駿府に来るということだな。奴の味方は多い遠州では手出しはできにくいが駿府となれば話は別だな。簸紆(ひう)よ、そのまま監視を続けよ。わしは一度戻って御館様に会って来る」
「承知致しました。では御免」
簸紆と呼ばれた男は闇に紛れるように消え失せた。黒雲は独り言のように呟き、
「左馬介め、自らの弟を殺したか…」
黒雲は直政が斬ったとは知らない。
「おもしろくなってきたわ、左馬介に会うのが楽しみだな」
不敵な笑いがこだますると黒雲もまた簸紆の後を追うように闇に消えた。

「麿があのような童子に会うなどと戯言を申すな!」
駿府城で今川義元が岡部元信に向かって叫んだ。義元の傍らにいた今川家軍師太原雪斎が諌める。
「殿、童子とはいえ虎の子です。一度、会われてみては如何かと?」
「ならぬ、麿の威厳が失うわ」
「しかし、清政殿の推挙もある以上は無碍なことはできませぬ」
「清政の推挙があっても会うのは童子であろうが、麿は会わぬぞ」
そう吐き捨てて義元はその場を辞した。呆れた雪斎が溜め息をつきながら元信に口を開く。
「殿が会わぬと申す以上、謁見は不可能じゃ。なれど、このままにしておくのも不憫に思う。若輩者とは申せ、遠州の知将矢野義綱を追い詰めたと申すではないか。逃がしはしたものの、なかなかのものと感心していたのだ。金子玄十郎に申すが良い、何か要望があれば協力致そうと」
「なれば、一つ伺っておりまするが…」
「うむ、何ぞや?」
「先頃、森家の者と思われる者たちが領内に攻め入った由。そこで森家から領地を守るため、城を築きたいと申し出ておるのですが…」
「城か…、小規模の城なればよろしいがあまり大きいと遠州の基盤が崩れる恐れがある」
「承知致しました。その旨、しかと伝えまする」
「それにしても…、森は北遠州一円を支配する豪将。今川の力が及ばねばさっさと離反もしていように…。皮肉なものじゃ」
「森家は金子の他にも高崎や朱鷺田などの国人衆、諏訪原の松平様、掛川の朝比奈様とも仲が悪いと聞いております」
「そうか…、遠州の事情がそこまで激変していたとは…」
「はっ、直政殿は家督を継いでまもないですが国人衆に対する取りまとめはしっかりしており、安定をはかろうと懸命に励んでおる様子」
「なれど、森長政は強大な勢力を誇り、金子城の普請もまだまだ…。攻められれば一たまりもない状態だな」
「御意」
「ふむ…、朝比奈とも敵対しておるのか?」
「そのようです。矢野義康の反乱の際、朝比奈家にも援軍の要請を出したようですがまったく動くことはなかったとの事」
「なるほど…、元信」
「はっ」
「直政に伝えるが良い。もし、異変が起きたときはわしが自ら援軍に向かうとな」
「ははっ、そのように伝えまする」
元信は深々と頭を下げて雪斎に礼を言った。大役を果たした元信はほっと胸をなぜ下ろし、雪斎は遠州も激化してきたことを悟った。

 今川家では最も野心高き男が姿を現した。名は宮琵疼斎。主を持たぬ忍び黒雲が最初で最後に持った主君である。以前、反乱を起こしたときに直政の父照政に敗れた後、再起を図ることに成功し、義元の側近として表舞台に復活した。光の軍師が雪斎なら宮琵は影の軍師ということになるのだろうか。
「珍しいな、お前がしくじるとは…」
「………」
「まあ良い。童子がここに来ることはなくなったことは知っているな。殿がえらく気に入らないらしい。そんなことはどうでもいいか…、我の目的は金子一族を滅ぼすことだ。必ずや、根絶やしに致せ」
「ははっ…」
黒雲は静かに答えてこの場を去った。黒雲にとって宮琵とは君臣関係にあるが自他共に認める最強の忍びとしては屈辱に他ならない。場を変えた黒雲は大塚彦左という浪人に会っていた。
「よろしいので?」
「捨てておけ、用が無くなったら消すだけだ。で、尾張の動きは?」
「美濃を狙っているようです」
「美濃か…、兵を集めている様子はあるのか?」
「浪人から農民に至るまで」
「そうか、まもなく動くな」
「うむ、あの御方であれば織田を破るであろうな」
「生きている限り、動かぬと申されるか?」
「そういうことだ」
「なるほど…、では引き続き探索を続けます。御免」
彦左は立ちあがって部屋から去った。
 黒雲の仕事は何も金子一族抹殺が全てではない。亀井左馬介が金子を守るように、黒雲もまた今川を敵から守るという大役があった。最初こそは宮琵を一としていたが近頃は雪斎のほうにも近づいている。今川を守れという命は雪斎から受けているのだ。このことは宮琵は知らない。知れば内部分裂になりかねないだろうが宮琵と雪斎が戦っても勝敗は知れている。今川にとって雪斎は大きな柱なのだ。そんな黒雲にも心残りがあった。黒雲には1人娘がいる。名は知らないが死別した妻が産み落としたのだ。しかし、幼きときに黒雲と対立していた忍びの長に連れ去られて以来、行方知れずになっていたのだが駿府にいるとの報せを受けて今川家に近づくことになったのだ。左馬介よりも娘が大事というのは親でなければわからぬ心境なのだろう。駿府に来てからずっと娘を探しているが一向にわからなかった。
「こんなときに左馬介がいてくれたら…」
いつも側に仕えている簸紆に漏らしていたというがそれも敵わぬ事かもしれなかった…。

「そうですか…、駄目でしたか…」
駿府からの使者を迎えた篠田信十郎が直政に伝えた。直政の傍らにいる清政は呆れた表情をしている。
「雪斎が申すのも無理はないじゃろう。童子童子と言っているが義元公は今の世を忘れているのではないのか?」
この言葉に2人は頷く。たしかに貴族暮らしをしている義元にとっての世界は小さいのかもしれないが力量は東海一の存在だ。
「しばらく政治に力を入れる他ないようだな」
「そうですな、それがよろしかろう」
清政が応じる。しかし、一抹の不安を信十郎が言う。
「森家の動きが気になるところですが…」
「信十郎殿、言ったでありましょう。政治に没頭すると」
直政は信十郎の言葉を一蹴した。つまり、直政が言った「政治に没頭」という言葉は遠州から何があっても出ぬ、そのかわりに遠州で何が起こっても我の勝手という強い気持ちを固めていたのである。


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