第一章 継承

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一 父、死す

 西暦1547年、すなわち、戦国時代と呼ばれた時代。どの国も争いが絶えず、国同士が争えば兄弟・君臣の間でも争う。
 下剋上が絶えなかったがこれから物語る国も同じであった。
「若さまぁー、若ぁー」
下人平吉の声が屋敷の中に響き渡る。
「何だ、騒動しい」
平吉が若殿を囲む4人の者を見て唖然とした。
 身軽な格好をした5人の手には刀はもちろんのこと、槍・弓などが整っていたがこれから狩りにでも行こうかという格好でもあった。
「ここは囲まれているのであろう。お前も準備いたせ」
「は、ははっー」
屋敷で露丸の身の世話をしていた平吉は急ぎ、身の回りの物を整えた。そして、屋敷の門に向かうと城からの使者に出会った。門は開いている。そして、使者は軍勢を率いていた。率いているのは侍大将で父の後妻義姫の弟に当たる矢野義康である。
「久しい顔に出会うたと思いきや、この騒ぎは何たることか!」
「義姫様の命より露丸様の御生命頂戴致す!」
と叫ぶや多数の槍が露丸と呼ばれた少年に向けられた。そのとき三本の矢が屋敷内から放たれて兵の額、胸を貫いた。
「殿、早く中へ」
背後から声が聞こえ、門が閉じられる。
「負け惜しみが…、やれ!」
一声とともに兵が門よりも塀を乗り越えて屋敷に乱入した。しかし、塀が中に入り込んだときには猫の子一匹屋敷にはいなかったのである。まるで神隠しにあったかのように…。これにはさすがの義康も驚きを隠せずにいた。
「ば、馬鹿な!、どこに行ったというのだっ!。門を閉じて兵どもが中に入るわずかな間にどこへ逃げた!?。ええいっ!、屋敷中を隈なく捜せ!」
義康は兵に探索を命じたがそれもかなわなかった。義康はその場で立ち尽くすしかにかったのである。
 その頃、金子城本丸にある金子家本屋敷では当主照政の遺体の前で家臣たちが続々と集まっていた。皆はそれぞれ嘆き悲しんでいたがそんなことをやっていられない問題があった。照政の後継者の問題である。別室では家老である朱鷺田忠政と奥山邦継、それに目付衆支配の徳村家継が談義を行っていた。
「お世継ぎはやはり露丸様しかおらぬ。そうであろう、御二方」
と忠政が答えると邦継が反論する。
「いや、お世継ぎには義姫様のお子・鶴丸様がなるのが一番でござる」
「何を言われるか!、長子が君主になるのが自然の道理」
「されどその長子殿は父上の死に際にさえ現れなかった。このような者に当主になる資格などどこにもなしっ!」
「何だと!?」
すぐに口論が始まった。家継は呆れたように部屋を出て二の丸に向かった。二の丸は本丸から照光門を抜けると広がっている。米蔵を横目に照政の三子・九郎丸の屋敷の門を潜った。ここには九郎丸の守役として家継の子・家義がいた。
「父上、どうでした?」
家義が父を見つけて言う。屋敷に入ると長い廊下を歩いた。廊下の左側には中庭が見えていた。涼しげな風がゆっくりと屋敷の中を満たしていった。
「正に2つに割れていたわ。ところで殿は?」
「すでに参られております」
家義が父を奥の間に案内すると消えたはずの露丸と4人の守役、1人の下人がいた。それにまだ7歳の九郎丸が加わり笑い声が聞こえていた。
「殿、よくお出で下さいました」
と家継が答えた。露丸は、
「家継、久しいな。ここ1年は会っていなかったが大事ないか?」
「無論にござりまする。体が資本ですから」
「そうか、無理なさらぬよう」
「御意」
家継が露丸を”殿”と呼ぶのはもうすでに主は露丸をおいて他にはいないという意志の表れだったのかもしれない。
「それにしても義康の奴、驚いているだろうな」
と笑いながら言った。守役の松山景成が言う。
「門を閉じた途端、いなくなった訳ですからな」
と言うと同じ守役の長居弘政も、
「まさか、あそこに抜け穴があるとは思いませんでした。いつの間に造られたのですか?」
と露丸の顔を見た。守役なら弘政にも声がかかるはずであるがそれも無かった。それではどうやってやってのけたのか、それが疑問だった。それで心当たりと思うのは家継か露丸ただ1人であった。しかし、家継に聞いたところで話す訳がないと思ったため、露丸に聞いたのである。
「あの抜け穴は3ヶ月も前から掘り続けていたのだよ。この家の古井戸からね。できたのはまだ10日ほど前だ。皆には黙っていたが義母殿に漏れぬように万全の対策を張ったのだ」
と言い放った。憮然とする面々に家継が露丸を庇うように、
「敵を騙すのはまず味方からというではないか。殿はその通りなされただけ。何もそのような顔をすることもないだろう。それにこれを教えたのは景成、お主だろうに」
と言った。景成は苦笑しながら、
(そうであったな…、これを教えたのはこの私だ。家継殿の言うとおりだ)
と思い、降参したかのように露丸に平伏しながら言った。
「恐れ入りました」
他の4人も景成同様、平伏した。
 宗康の守役は松山景成を筆頭に長居弘政、泊貴房、真概利康で景成は文学や教養、戦術などを担当し、弘政と貴房は剣術、槍術や馬術などを担当、利康は主に屋敷の警備を担当していた。景成の父・元景と弘政の父・信政は遠州の国人衆で家老を務め、利康の父利政も目付衆の一角を担う城目付の重職にあった。
(わしの一言があったとはいえ守役を平伏させるとは…)
家継は感心していた。しかし、義姫がこのまま黙ってはいないとつくづく思い露丸に、
「殿、これからどうします?」
「ふむ、あの御方はおそらく激怒するであろうな。弟がかわいいからな。家継殿は興房殿と共に義姫と鶴丸、それとあわせて鶴丸方の筆頭、奥山邦継を監視してくだされ。それと同時に弘政には利康と共に家継殿の補佐に回れ。利康は家義と共に九郎丸を連れて遠州松平家の清忠殿のもとへ逃れよ」
この策に一番感心したのは景成で驚いたのが貴房であった。
「若、九郎丸様を外に連れ出せば義母殿は激怒どころか家臣を悉く殺しかねませんぞ」
それを聞いた景成は微笑しながら言う。
「いや、九郎丸様は母君に嫌われておる。寵愛している鶴丸様であれば激怒どころか誰にも止められんだろうがな」
貴房は納得すると私にも何か役目をくれと言わんばかりに露丸に迫った。
「貴房には主君である義元公のもとへ走ってもらいたい。正当な当主として認めてももらわねばならない」
「なるほど…、義姫がどんなに騒いでも最後に決めるのは今川義元ただ1人ですからな」
と貴房がそう言い放つと出て行こうとした。冷静を保っていた真概利康が制したからだ。
「ここは城中にござる。行くなら夜がよろしかろうと存ずる」
と説得して思い留まらせた。家継は、
「弘政以上だな」
と一言言うと皆は笑った。そして、小さな宴を開いて後のことを祝った。夜半、露丸は酔い覚ましに景成と外に出て以前より手薄だと言われていた大外丸と呼ばれる土塁で囲まれた区域にいた。兵は主君の遺体の警護と主要な場所の警護のため、この場所には誰1人いなかった。
「これではせっかくの物見櫓も無駄になる。攻めるとしたらここですな」
「そうだな、父上も前に奥山に改善をしろと言っておられたが結局、義姫の野望の前に闇に葬られた。義姫は敵についても味方となっても全てを破滅にさせる気だな」
「矢野一族の当主義康は知勇に優れた武将だが野望が大きすぎる。あれでは父・義綱殿も苦労なさるであろう」
「うむ、このままではすまぬだろうな。ところで景成、頼みがある」
「なんなりと」
「犬居の地よりさらに天竜川を遡った山奥に村がある。そこに父に仕えた旧臣がいるという。名は亀井左馬介という。会ってきてくれぬか?」
「何者ですか?」
「忍びだ」
「忍び…」
「一昨年の夏、私が城下で襲われたことは知っているだろう?」
露丸が守役である4人の目を盗んで城を抜け出し、城下に向かったときの話しだ。
「たしか…、数人の者に囲まれて護衛の者が倒したと聞きましたが…」
「そう聞いたか、お主に伝えた者は左馬介の配下の者であろう。護衛の仲に義康方の兵がいてな、所詮、多勢に無勢、私には為す術がなかった。その時、左馬介が現れて私を救ってくれたのだ。父に隠密として仕えていた左馬介にな」
「隠密ですか…」
景成は呆然としている。
「そうだ、死する前に教えてくれたよ。左馬介は父がここに来る前に雇っていた伊賀者だということを。そして、影で私を護っていてくれたことをな」
露丸の言葉に景成は衝撃を受けた。一の側近でありながらその事実すら知らなかったのである。愕然とした顔を見た露丸は、
「事実を言えばお主たちは腹を斬っていただろう。私は家臣に無駄死をさせたくない、そう思っただけだ」
と言った。景成はその言葉を聞いてすぐに持ちなおした。
「行きましょう、左馬介のもとへ」
「すまぬ、動けぬ私にかわって危険に晒してしまうかもしれん」
「私は殿より若の守役に任じられたときからその覚悟を持っております」
景成は酔いが飛んでしまったようで真顔で言い放った。
「これを持っていくがよい」
露丸は懐から小さな金印を取り出した。表面は金で作られ、底の部分に「金」と記された文字が彫られていた。
「これを左馬介に見せれば必ず協力してくれるそうだ」
「心得ました」
景成は金印を受け取った。2人が戻ると宴は終わっており、貴房は警備の手薄な場所より城を抜け出して主君である今川義元のところへ向かった。実はこの金子城の規模は中規模ぐらいだが手薄な場所が多い。警備を固めているのは本丸と二の丸、そして、金蔵がある南口ぐらいなものである。先程、露丸と景成がいた大外丸を含めて八ヶ所は櫓がポツンと建っている形だけの城だった。攻められれば脆すぎるといっても過言ではないだろう。
「そうか、貴房が発ったか…。さて…、私も父上のもとへ行くとしよう。家継殿、参ろうか」
露丸が家継を促すと、
「若、景成は行かぬので?」
「ああ、景成には父上の旧臣のところへ行ってもらった」
「旧臣?、誰で?」
と家継が聞くが露丸は少し微笑しただけであった。しばらく歩いていくと本丸に続く照光(しょうこう)門が見えてきた。この門の名称は照政が名づけたものである。そんな由緒ある門は数人の足軽が篝火を焚きながら守っていた。2人が通ろうとすると行く手を塞いでくる。
「ここより先、奥方様の命により通れませぬ」
足軽の1人が言う。家継が何か言おうとしたが露丸がこれを制して、
「そうか、ここには私の居場所は無いということか…。家継、戻ろうか…。義母殿によろしく伝えて下され」
と言い残して城を出た。足軽の1人が照光門を守備する先崎十左衛門に報告した。十左衛門は足軽大将を務めている。話しを聞くや怒りに満ちた表情をしながら、
「何!?、そのまま帰したのか!?」
と足軽を一喝し、露丸を追いかけて行った。しばらくして2人の姿が見えた。家継が馬音に気づく。
「若、敵でしょうか?」
「いや、おそらく十左であろう」
馬音が徐々に近づいて行き、叫び声も聞こえてきた。
「若様、お待ち下さいませ!」
露丸は微笑しながら振り向く。
「十左、私の気持ちを察して来てくれたと思うが…」
「はっ、このまま帰らせてしまっては金子家士の名折れでございます」
膝を突きながら言う。これを見た家継は、
「まだ忠臣がいたか…」
と十左衛門の露丸に対する忠誠心に感動した。
「どうせ、このまま城に行っても同じことであろう」
「何の!、某が居り申す」
十左衛門ははりきって言うが露丸は首を横に振る。
「その心意気には感謝したいが義母がいる限り、同じことだろう。ここは一度、退いて策を練り直す」
「左様にござりまするか…。しかし、某は門を守る役目があるため、このまま御供することはできませぬ」
律儀な十左衛門である。公私混同はしない。
「わかった、すまぬな」
「とんでもございませぬ。では御免!」
十左衛門は再び馬に跨ると来た道を戻って行った。
「若、このままでは殺されますぞ」
「うむ…」
2人の心配は的中した。十左衛門が門に到着すると矢野義康の弟義政が待ち構えていた。
「十左!、逆賊に寝返るとは何たることか!。この恩知らずめが!」
「黙れ!、我が恩あるのは殿ただ1人。よそ者ではあるお主らにそのようなことを言われる筋合いはないわ!」
「むむむ…、言わせておけば…、者共!、彼奴を射ち殺せ!」
と、弓隊に命を下した。弓隊は一斉に矢を放つが十左衛門は槍でこれを払い落としながら、
「矢野の軍勢はこの程度か!。この程度では我は倒せぬぞ!」
と言い残して笑いながら馬で走り去った。十左衛門は傷らしい傷をまったく負っておらず、そのまま城の大手門である南重門(なみかさもん)まで引き上げて来た。この門には兵の姿はなかった。大半の兵が城の中枢を守っているようで無人化していた。いや、心ある兵たちが行かせてくれたのかもしれない。それでも、逃げるには易しの場所だった。
「さすがは家中随一の猛将だな」
来るのがわかっていたかのように露丸と家継が現れた。
「若の言った通りであっただろう」
家継が言うと十左衛門は申し訳なさそうに、
「面目次第もございませぬ」
と言った。家継は返事を返すかわりに、
「十左、これを馬に乗せて違う方向に走らせよ」
どこからか藁人形を持ってきていた。
「ああ、なるほど」
十左衛門は合点いき、藁人形を馬に乗せると馬の尻を叩いた。馬はものすごい勢いで塀に沿って疾走する。
「では、行くか…」
3人は悠々と南重門を潜った。十左衛門が跨っていた馬は城内を走りまわり、これを偶然見つけた足軽が案の定追いかけ続けたという。

 一方、諏訪原城主で人質として今川家にやって来た松平竹千代の縁戚に当たる松平清忠はこの事実を駿府に伝えると同時に、露丸を城内に導き入れる手配を整わせていた。この城は遠江と駿河の国境にあるため、矢野勢の勢力圏から遠く離れていた。その諏訪原城に貴房が立ち寄っていた。
「若は無事か!?」
「はっ、今のところは…。我はこれより駿府へ向かいます」
そう言うと馬を乗り換えて駿府城へ向かった。その後姿を見守る清忠は弟元忠に金子城の情勢を探るように命じたが清忠は鶴丸派による露丸派一掃を危惧していた。また、この城には一足早く露丸の弟である九郎丸が守役の徳村家義を伴って諏訪原に来ていた。家義は家継の嫡男である。
「兄上は大丈夫であろうか…」
「ご安心めされよ。先程、貴房殿がここを通られました。今川様が動かれば矢野一族は確実に滅びまする」
家義はそう言ったものの、己の言葉に自信がなかった。なぜなら、矢野一門の長老矢野義綱はこの戦乱の世にも関わらず、島田興房、徳村家継と並ぶ文学者でもある。また智謀にも長けており、九郎丸や家義ら若い家士たちの学問の師として家中の影響力は遥かに強い。義綱が鶴丸の後ろ盾になれば今川義元の援軍があったとしても苦戦することは目に見えていた。家義はそのことが気がかりだった。

 ――金子城下の外れにある小屋に露丸ら3人が隠れていた。
「若、明日になれば状況はさらに悪くなりましょう」
家継が言う。この言葉を受けて十左衛門が提案した。
「北の豪農を訪ねてみては如何でしょうか?」
「たしか…、桶野良左衛門と言ったか」
露丸が言うと十左衛門が頷く。
「彼の者であればきっと協力してくれるはずです」
「しかし、良左衛門の子は義康の側近らしいではないか」
家継がこの提案に反論する。反論を受けて十左衛門はしばらく考え込んでいたが何かを思い出したかのように、
「興房殿は如何でしょうか?」
「あれは駄目だな。頑固過ぎる」
と露丸が一掃する。だが、再度提案を試みる。
「ならば誰かを引き入れては?」
「その手も良いな。誰がいる?」
「義康の側近の原田盛信はどうでしょうか?」
「ふむ…」
露丸は黙るが家継が賛同する。
「よろしいですな。盛信はかなりの野心家であると聞きますし、賄賂にも脆いとの噂もあります。奴を抱き込んで内から内応することができれば…」
「よし、その策でいこう」
露丸が応じた直後、小屋の外でわずかに草が揺れる音がして2つの気配が消えた。十左衛門は気配が完全に消えたのを確認すると口を開いた。
「義康の忍びでしょうか?」
「だろうな。ここがばれるのは承知の上、命を取らなかったのは十左、お前がいたからだ。連中はお前の武勇をよく知っている。それが命取りになるとも知らずにな」
露丸は不敵な笑みを残すと、
「十左、お前は弘政らとつなぎを取ってくれ」
「はっ」
十左衛門は立ち上がると朱鷺田氏城に向かった。朱鷺田城は金子城より西、天竜川近くにあり、城主は筆頭家老を務める朱鷺田忠政で十左衛門と忠政の嫡男忠勝は親交の仲らしい。
弘政と利康は城内での騒動を耳にするや監視を一時中断し、朱鷺田城へ身を寄せていたのである。家継は十左衛門の後姿を見つめながら、
「さすがに早いですな」
と感心していた。十左衛門には「韋駄天の十左」という異名があり、その脚は疾走する馬をも追い越すところからつけられた。
「そろそろ我らも行くとするか」
露丸と家継はどこへとも知れずに金子城下を去った…。

 金子城本丸御殿では一族の喪と称して義姫、義康をはじめとする矢野一門と側近の奥山邦継が集まっていた。まず、義康が口を開く。
「露丸を屋敷から逃したのは失敗だったが長年矢野一族に仕える忍びが探索した結果、城下の外れにいることがわかり、中の様子を探っていたところ思わぬことを聞き出した。連中は原田盛信を味方に引き入れる画策をしていたとの事。原田は確かに野心が大きいところがあり、前々から賄賂を受け取っていた事実も確認できた故、手討ちに致したが…」
「原田を手討ちにしたのは結構ですが少し時期尚早でしたな」
「時期尚早とは?」
「万が一、内通があったとしても原田1人がどんなに騒いでも我らの結束は簡単には揺るがないもの。逆に逆手にとってこれを利用する策もありましたのに…」
「まあ、良いわ。原田1人失ったところで痛くも痒くもない」
自信に満ち溢れている義康に義政が口を挟む。
「兄上、もしかすると殺させることが敵の策だったのではありませんか?」
「例え、そうであったとしてもそれが原因で我らの結束は揺らぐものなのか?」
この言葉に義政も黙るしかなかった。
「しかし、父上は露丸に好意的です。父の城で戦えば不利な情勢になるのは明らか」
義姫が言うと全員が頷いた。
「ではこの城の普請を急がねばなりませぬな。また城の周囲に砦を築き、攻められても万全の態勢で望めば勝ちも見えてくるでしょう」
邦継の策は用いられ、翌日より城の天守、二の丸に続く天照門近くの櫓をはじめ、同じく北の丸に続く乾龍門近くの櫓の修復、城の四方に砦を築城するため、100人規模の人夫を分けて防備計画を開始した。修復の作業の様子を見つめていた義康は、
「必ずや我らが覇を唱える。露丸如きに邪魔はさせん!」
と決意を固めていた。そこに矢野忍軍棟梁上野伊賀が姿を見せた。全身黒装束に身を包んでいる。顔も目以外はその表情を窺うことができない。
「伊賀か、どうした?」
「露丸、徳村家継の姿が消えました」
この言葉に義康は当然のように頷く。
「他の者は?」
「はっ、九郎丸と家継の嫡男家義は諏訪原へ、長居信政・弘政父子と真概利政・利康父子、それに前の家老末席にあった松山元景も諏訪原に移ったとの事。しかし、泊貴房と松山景成の行方は知れませぬ」
義康は露丸の思惑を知るかのように駿府の動向を予測し、
「駿府に手の者はいるか?」
「はっ、無論おりまする」
「おそらく所在がわからぬ2人のうち、どちらかが駿府に向かったのであろう。街道を馬で急いでもかなりの刻が必要とするだろう。見つけ次第、殺せ」
「はっ」
伊賀は命を受けて再び姿を消した。残された義康は不気味な笑みだけを残したのである…。


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