第一章 継承

二 忍びの村

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 景成は露丸の命を受けて翌朝には天竜川中域の二股に入り、さらに夕暮れには北の犬居に入った。ここで宿を取り、馬を休めた。ここより身なりを旅姿に変えて徒歩で天竜川沿いを北に歩く。5日程歩き続け、街道を離れて間道の探索を行った。間道を探索したのは後々の戦いのためでもあったのだが探せば探すほど亀井左馬介がいると思われる村は見つからなかった。景成は天にすがる思いで金印を空に向けて照らした。太陽の光で反射した輝きは素晴らしいものであった。この黄金色の光におびき出されたように数人の者たちが出てきた。景成は山賊と思い、隠してあった刀に手をかける。
「お待ちを。金子家の方にございますかな?」
「如何にも」
「我らは亀井左馬介に従い者、金印に導かれて参上致しました。これより先、我らが護衛致す」
景成は唖然としながらもほっとした気持ちになった。そして、この者たちに守られながら道無き道を抜けて山間の小さな村に入った。ざっと見渡したところ、50人程の住人の姿が見え、女子もかなりいる。景成は導かれるまま、長らしき館に連れて行かれた。館といっても低い格子の柵に弦のようなものが巻いている。屋敷もこじんまりとしており、見た目には普通の農家と見栄えはしない。屋敷の居間には数人の老人と若者がいた。まず、老人が口を開く。
「お主は忍びではないな」
「如何にも、某は…」
「金子家の家臣で露丸の守役であろう」
と、景成の言葉を制して老人が言う。景成は驚きの表情を隠せない。
「何も警戒などしなくてもよい。ここに来た用件を伺おうか?」
「露丸様の命により亀井左馬介殿にお会いしたく参上致した」
「残念だが…」
若者が口を開く。
「棟梁はここにはいない。すでに村を出られた後だ」
「ならば参られるまでここで待たせていただきましょう。このまま帰れば金子家士の名折れです」
景成は主命を守り通す意志を見せた。
「名折れか…、ここにいても良いがお主の持っている金印を露丸が持っていなければ当主になれぬのではないのか?」
「金印ぐらいで当主になれぬようでは当主の器に非ず」
老人の質問に景成は即答した。
「では、金子家当主の証である金印を見せてもらおうか?」
若者が言うと断固拒否しつつ、
「左馬介殿を出して頂きたい。これは先代より露丸様が預かりし物、無闇に他人に渡すわけにはいきませぬ」
そう言い放つと若者は微笑しながら立ちあがり、後ろの障子を開いた。7畳程の和室が見え、上座に1人の若者がいた。若者の前には銀の印が見える。どうやら金印と対になっているらしい。若者と老人たちは和室にいる若者に平伏した。
「さあ、行かれよ。棟梁はあちらにおられる」
促されるかのように景成は和室に入る。景成は棟梁である亀井左馬介と対峙した。
「先代が亡くなられたことは知っている。惜しい御方をなくした」
左馬介は照政の死を残念がった。景成も頷く。そして、言う。
「御協力を願いたくここに参上致しました。先代のためにも露丸様を当主に添えたいまでございます」
「矢野一派の暗躍ですね」
「はい、矢野義康をはじめとする勢力は鶴丸君を主とし、露丸様を廃そうしています。勢力の乏しい我らにとって滅びと存続が背中合わせの状況にあります」
「言わずともわかっております。いつでも協力できる態勢は整っている。景成殿と申されたな」
「はっ」
「露丸様は今、姿を消しておられる」
「矢野義康の手の者から逃れるためでしょう」
「そうです。矢野にも子飼いの忍びがいます。彼らが今川領内全域に網を張っているため、無闇に動かぬほうが懸命です。ただ…」
「ただ?」
「今、現時点において危険に晒されている者がおります」
「だ、誰ですか?」
景成は左馬介の言葉に焦りを覚えた。犠牲を払いたくないためだ。
「駿府に走った者がいるでしょう?。矢野の忍びが狙っています」
「なっ!?」
景成はしまったと思いつつも左馬介の次の言葉を待った。それを知ってか、左馬介は微笑しながら、
「すでにその者には護衛をつけています。安心なされよ」
この言葉に景成は緊張感を緩めた。ほっとしたのだ。
「露丸様は家継殿と共に犬居の城下の外れに居を構える上原兵左衛門の屋敷におられる。しかし、矢野一派だけならまだしも、以前、不祥事から家を断絶となった葉祇家の旧臣たちが命を狙っている様子」
「何と!?」
敵は増えるばかりだ。
「それも我の手の内にある故、御安心を」
そう言われるがやはり気が気でない。それを見透かしたかのように、
「景成殿、村の者に案内させる故、先に戻られた待たれよ。最後に金印を見せてくれるか?」
景成は金印を入れた木箱の蓋を開けた。金印の輝きは左馬介の館を飲み込む。左馬介は丁寧な手つきでそれを受け取ると自分の持っていた銀印と合わせた。すると、2つの印は合わさり、カチッという音がした。その直後、金銀それぞれから鍵らしき小さなものが現れた。鍵は上座の畳の一角にある穴と連結していた。左馬介はこれを開く。中には紙らしきものが出てきた。内容は次のようなことが記されていた。
『我が死するとき、この金印を持って来る者が現れよう。その金印を持つ者こそ我の後継者である。その者に仕え金子の守護を頼む。但し、御身が死することがあったとしても我が御身の一族を生涯を通じて仕えさせよう。この誓いは金銀の印を持つ我らの誓いである』
「この誓いがある限り、金子の家は絶対滅びることはない」
左馬介は固い決意を示した。これを見た景成もまた主君である露丸に改めて忠誠を誓うと共に金子の家の復活を願ったのである。
 景成は左馬介のもとを辞すると急ぎ露丸のもとへ向かった。周りには左馬介が遣わした忍びに守られており、犬居に至るまで数人の矢野の忍びが葬られた。犬居に着くと城下には入らず、農道を歩いて古びた屋敷に入った。土塀がひび割れて門の瓦はところどころ失っているが当主上原兵左衛門は質素倹約を自らに課す男でもあったため、これぐらいのことでは動じることはない。兵左衛門は先代の小姓として仕えた後、小姓頭、奥居頭(本丸屋敷の護衛)を歴任した豪農でもある。
「御免!、誰かおられるか?」
入り口で叫ぶと奥から兵左衛門が出てきた。景成は兵左衛門のことをよく知っている。
「おお、景成ではないか。さあ、入られよ。お待ちになっておられる」
景成を労わると兵左衛門は景成を伴って露丸と家継がいる居間に案内した。居間にいた2人は景成の姿を見て喜びを隠せない。景成が腰を下ろすと、
「若、これをお返しします」
と金印の入った木箱を露丸に手渡した。初めて見る家継は、
「これは?」
「これは父より預かりし金子家当主の証なのだ」
露丸が説明して木箱の蓋を開くと凄まじい輝きを誇る金印が姿を現した。家継は初めて見る黄金色の美しさに息を飲んだ。
「何たる美しさか…」
露丸が呟いた。この金印は純度の高い金で造られたというがその事実は誰にもわからなかった。
「ところで…、景成、これをどこへ持って行った?」
「若の命により、天竜川上流のはずれにある村に行っておりました」
景成が丁寧に説明し、露丸が続ける。
「その村にかつて父に仕えていた亀井左馬介と申す者がいてな。その者に会うために動けぬ私に代わり、景成に行ってもらったのだ」
話しを聞いた家継は少し考えたがそのような名に覚えがなかった。
「何者ですか?、私の知るところでは彼のような名に覚えはわりませぬが…」
「知らなくて当然だ。父が遠州に来る前に仕えていた忍びだ。事実上、父と2人で金子の基礎を築き上げたというべきであろう。この家を去るまで左馬介は命がけで父と家を守ったと聞いている」
「ならば、何故、この地を去ったのですか?」
「さあな、それは死した父に聞いてくれ」
露丸はそこで話しを切った。家継はそんな主君の姿を見つめながら、
(我らに言えぬ何かがあるのであろう)
と思い、それ以上何も言わなかった。続いて景成が言う。
「左馬介殿はまもなくここに来ると思われます」
「そうか、しかし、よくここがわかったな」
「はっ、左馬介殿が教えてくれまして…」
「やはりな」
露丸は何かを知っているかのように呟いた。
 そういう会話から離れて兵左衛門が年老いた薬売りと交渉をしていた。部屋に兵左衛門がいないことに気づいた露丸が立ち上がって部屋を出た。2人もそれに続いて部屋から出た。露丸は廊下を歩いているときに気配を消している数人の忍びがいることには気づかなかったがどこかにいるとも思っていた。そして、入り口で薬売りと交渉をしている兵左衛門の姿があった。露丸に気づいた兵左衛門はあわてて、
「若!、このような場所に出られては!」
「いや、構わぬ。左馬介、やはり生きていたようだな」
薬売りに言葉をかける。
「はっ、お久しく存じます」
若若しい声が響くと3人は驚いた。先程の会話に出てきた左馬介が目の前にいたのだが、会っているはずの景成も区別ができずに呆然としていた。薬売りに扮した左馬介は、
「早速ですがお伝えしたい儀がございます」
「わかった、中に入るがよい」
部屋の障子を開き、皆が一同に腰を下ろしたが左馬介は廊下に控えていた。そして、隣室にはいつの間にか彼らを護衛する徳村家々臣が数人待機していた。景成が村を出た後、すでに家継の命で行方を晦ましていた家臣たちにつなぎを取って上原家に呼び寄せたのだ。左馬介は金子城の図面を取り出し、
「まず、義姫をはじめ義康らが金子城の改築を始めました。しかし、実際、守りを固めたのは…、こことこことここの3箇所、それ以外は手薄と思われますが配下の者に見張らせています。さらに、同時に軍の編成も行い、数からして3千から4千当たりかと…。それから、背後にはどうやら織田家がついている様子」
と言うと家継が応じる。
「背後に誰かがいると思っていたがまさか織田とはな。今川とは犬猿の仲にあるしな」
「義姫はおそらく若を誅殺した後、金子家当主に自分の思うがまま操れる鶴丸を置き、今川と織田の戦いの際は内部より混乱させるつもりのようです」
「無理だな。たとえ、内部より呼応したとしても兵が違いすぎる。滅びの道を歩むだけだ」
露丸の言葉に皆も納得した。
「若、これよりどう致しまするか?」
家継が聞く。
「まず、左馬介には矢野に仕える忍びどもを封じると共に諏訪原と朱鷺田へのつなぎを取って欲しい。その間に私と景成は矢野義綱を説得する。家継は掛川の朝比奈様のもとへ行って援軍を要請してくれ」
「御意」
家継と景成がほぼ同時に頷く。そして、露丸は視線を兵左衛門に向けた。
「兵左衛門はできるだけ兵をかき集めてくれ」
「承知致しましたが某1人では限界があります。そこで徳村様の家臣の方をお借りしたい」
「よかろう」
家継は頷くと隣室にいる家臣たちに声をかける。家臣たちはそれに応じて居間に集まる。
「伝八郎はわしと共に掛川へ赴く。後の者は兵左衛門に従え」
「ははっ」
奥田伝八郎は徳村家に仕えて3年になるがまだ28前後ということもあり、家継の嫡男家義とは親交の仲であった。彼は後に島田興房に乞われてその養子となる。
 策が整い、動くことができれば皆の行動は素早い。命を下すと日も暮れぬうちにほぼ全員が屋敷を発ち、それぞれの任務を果たすために遠州各地に散った。この行動は矢野義康には知られずに事が運ばれた。それも左馬介が影で暗躍していたおかげでもある。

 一方、景成がまだ左馬介の村にいる頃まで時が遡るが駿府城に向かった貴房は街道を馬で走り、駿河の西にある花沢城近くまで来ていた。花沢城士の遠田千十郎の案内で近くの村に宿を取り、体を休めていた。しかし、矢野の忍びが近づいていることに気づいている様子はまったくなかった。
 …夜半過ぎ、近くの草むらに隠されるようにして横たわる1体の死体があった。暗闇に覆われた死体は見るも無惨な状態で眠っていた。しばらくすると雲からその姿を脱した月が闇の中の唯一の光を発する。その光は死体の顔を照らし出した。そして、光から見出されたのは貴房を警備しているはずの遠田の姿だったのである。少し腐乱もしており、衣類の下からは骨が剥き出しになっていた。そう、彼はすでに矢野の忍びによって殺されていたのである。今、貴房を守っているのは矢野の忍びで棟梁上野伊賀の命で花沢城に潜伏していたのだ。偽者の遠田は確実に貴房の命を狙っていた。しかし、あまりの物々しさに不審を抱いた宿屋の主人天龍屋伍兵衛はかねてより戦いに巻き込まれるのを恐れて、あらかじめ造っておいた抜け穴から外に出て、その足で花沢城にいる我が子の篠田信十郎に知らせたのである。信十郎は侍大将として花沢城士の筆頭の立場にあった。そのため、話しを聞くや直ちにこの事実を確認すると自ら足軽20人ばかりを率いて村に入ると共に手の者に遠田のことを調べさせた。この突然の来訪に遠田は驚いた。まさか、侍大将とはいえ留守を預かる者が自ら出張ってくるとは思いもしなかったのだ。
「この厳重さは何事か!?、一体、何のつもりでこんなことをしている?」
「はっ、金子家の騒乱で露丸様の御家中の方が駿府に行かれる途中で立ち寄られた由。万が一のことを考え、こうして警備している訳にございます」
「ならば、何故、我に知らせなかった?」
「知らせましたがどうやら手違いがあったようです。申し訳ございませぬ」
「手違いか…、まあいい。中にいる者の名は?」
「長居弘政と名乗っております」
「その者に会えるか?」
「はっ、ではどうぞこちらへ」
遠田は信十郎を宿の中へ導いた。伍兵衛が奥から出てくるが遠田は相手にせず、信十郎を2階の廊下の中間程にある3畳程の部屋に導いた。中に弘政がいるのがわかると信十郎は遠田を帰した。弘政は信十郎の姿を見るや一礼して尋ねる。
「どちら様で?」
「申し遅れました。某、岡部元信が家臣にて侍大将を務める篠田信十郎と申します。金子家の騒乱はすでに我らの耳にも聞き及んでおります」
「左様ですか…、されば今川様にも迷惑をお掛けしてるのでは…」
「それよりも今起きている状況は把握しておられますので?」
「いや、何も知らぬ」
信十郎はあらかじめ調べておいた事実を弘政に伝えた。弘政は少し黙りこんだ。
「如何なされた?」
「遠田千十郎が死んでいるとなればここにいる遠田は矢野の手の者ということも考えられる。ここにいることは死につながると承知してもよろしいのでございましょうか?」
「当然、そうなるでしょう。ここにいては命はない」
信十郎は父を呼んで事情を話し、戦いになることを告げた。伍兵衛は以前より隠してあった武器や具足がなくなっていることに気づいた。矢野の忍びによって持ち出されていたのである。しかし、かつては武士として今川家に仕えていた伍兵衛は宿屋の主人となった後も二差しだけは手放すことはなかった。二差しを手にするとすぐに弘政の部屋に戻る。一方の遠田は隠密裏に信十郎に従ってきていた足軽たちを殺し、その死体をわからぬように村のどこかに葬った。けれども、昼間動くことは困難と判断した遠田は夜になるまで待つことを決めた。宿の入り口と裏口を含めた宿屋の周辺は蟻の這い出る隙間もないぐらい固く封じられていることを把握した岡部元信の右腕は、
「私も殺す気ですな」
漂ってくる殺気に武者震いをした。
「だが、このまま行けば無駄死になりますよ」
「ええ、それも承知しているつもりです。夜まで待てば…」
信十郎は父の顔を見ながら遠田の動きを警戒した。
 夜半、明かりを消し、静まり返った宿屋は遠田にとってこの上ない好機だった。3人を嬲り殺そうと決意し、遠巻きに宿屋を固めていた遠田は月が雲に隠れた瞬間、配下に号令を下した。忍び発ちは一斉に宿屋へ飛び込んだ。…が、3人の姿はすでに消えていた。
「ば、馬鹿な!」
遠田は突然のことに叫んだ。
「どこに行ったというのだ!?」
3人は日が沈むと同時に宿から抜け出していたのだ。忍びの1人が遠田に知らせる。
「何!?、抜け穴があると申すか!?」
遠田が駆けつけると1階と2階をつなぐ階段の裏に体を屈めば入り込める通路が目の前にあったのだ。通路は地面の下を潜る仕掛になっており、遠く離れた田畑近くの小屋につながっていた。伍兵衛が信十郎に知らせに行ったときにもここを使ったのである。
「く、くそっ!」
遠田は生きた心地をしなかった。忍びにとって失敗は死を意味するからだ。すぐに辺りを探させたが3人の姿はどこにもなかったのである…。

 …この頃、3人は花沢城下にある木津屋にいた。信十郎は花沢城で知らせを受けたとき、同時に主君のもとへ伝書鳩を飛ばしていた。このとき、岡部元信は丁度帰城の途についていた最中だった。書状を受け取ると居城へ疾走し、木津屋に到着した信十郎の知らせを受けてここに参上していた。また元信は今川家屈指の猛将としても名高い。
「そうか、そのようなことがあったのか…。信十郎、よくぞ守り通してくれた。殿には早馬を走らせて許しを乞うとしよう。それまで、信十郎は弘政殿を守れ」
「はっ、承知致しました」
「何から何まで有難き幸せにございます」
弘政は2人に感謝した。元信が去った後、弘政のもとに初老の老人が面会を乞うていた。齢60前後でありながら、がっちりとした体格をしていたのである。名を中野忠直と名乗った。武士ではなく亀井左馬介の忍びという。矢野の忍びから弘政を守るために遣わされた者だったのだ。
「そうか…、若は忍びまでも味方につけたか…」
内心はほっとしながらもこれから起きる不安も忘れていなかった。
「で、今、若はどちらに?」
「はっ、矢野城におられます。矢野義綱様を味方につけた由」
「そうか、矢野の長老を味方にしたか…。矢野城は堅固で名高い城、これで勝機は見えてくるはず」
「だが油断はなりませぬ。すでに小競り合いが起きています」
「そうか…、私もこちらが済み次第、参戦致す」
「心得ました。直ちに長を通じて露丸様に伝えます」
「ところで私たちを襲った遠田千十郎は如何した?」
「遠田は逃れたようですが配下の忍びは悉く討ち取りました」
この言葉に弘政と信十郎は戦いが近いことを予感した。遠田の失敗は上野伊賀の失敗に等しく、上野伊賀の失敗は本隊が動くことを示唆していたのである…。


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