三国志登場人物解説

戻る

【さ】

崔禹【サイウ】
?〜221
【呉】

朱然に仕える。劉備が呉を攻めた際、蜀軍が孫桓の陣を夜襲することを知ると朱然に代わって加勢に向かう途中で張苞率いる蜀軍と遭遇し、捕らえられた後、殺された。


崔エン【サイエン】
?〜216
【袁紹→魏】

字は李珪。初め袁紹に仕えて騎都尉になる。袁紹が滅びると曹操に招かれて別駕従事となる。後に曹操が魏公になると尚書となったが曹操を王にしようとする動きに反対して投獄された後に殺された。


蔡和【サイカ】
?〜208
【劉表→劉ソウ→魏】

蔡瑁の弟。劉表の死後、劉ソウが曹操に降ると兄と共にこれに従う。赤壁の戦い前に蔡瑁が偽情報により殺されると曹操の命により、蔡中と共に偽りの降伏をするが周瑜に看破された挙句、逆に利用され、呉の総攻撃前に殺された。


崔毅【サイキ】
?〜?
【後漢→民衆】

崔烈の弟。朝廷の腐敗を嫌って早くに隠棲する。189年、何進の配下であった袁紹らが宦官の討伐を始めると騒ぎから逃れようとする少帝と陳留王を保護した。


蔡勲【サイクン】
?〜?
【劉表→劉ソウ→魏】

蔡瑁の従弟。曹操の荊州侵攻軍に降伏し、蔡瑁の下で水軍を率いる。赤壁の前哨戦で周瑜と戦うが射殺された。


蔡氏【サイシ】
?〜208
【劉表→魏】

蔡瑁の姉で劉表の後妻。婚姻後、劉ソウの妻が姪だったこともあり、溺愛するようになった。劉表の死後、遺言を偽造し、長子の劉キを退けて劉ソウを後継とし、曹操が侵攻してくると劉ソウと共に降伏。新たな任地である青州へ向かう途中、劉ソウと共に暗殺された。


崔氏【サイシ】
?〜263
【蜀】

劉シンの妻。263年、劉禅が魏に降伏することを決めた際、夫に先立って自害した。


崔州平【サイシュウヘイ】
?〜?
【民衆】

崔烈の子。諸葛亮の友人で隆中で劉備に出会い、治乱の理を説いた。


蔡中【サイチュウ】
?〜208
【劉表→魏】

蔡瑁の弟。兄と共に劉ソウの降伏に従う。赤壁の前に蔡瑁が偽計で死ぬと曹操の命で蔡和と共に呉の陣営に潜入する。しかし、看破されて利用された挙げ句、烏林の兵糧庫に案内した後、甘寧に殺された。


蔡文姫【サイブンキ】
?〜?
【後漢→匈奴→魏】

蔡ヨウの娘。本名は蔡エンで文姫は字。衛仲道に嫁いでいたが匈奴にさらわれて王との間に2人の子をもうける。何不自由のない生活を送っていたが曹操が侵攻してきた際、「救出」の名のもとに漢に戻されたが子供とは生き別れになった。後、董紀(魏の屯田都尉)に嫁いだ。また、著名な女流詩人でも知られ、代表作に『悲憤詩』がある。


蔡瑁【サイボウ】
?〜208
【劉表→魏】

字は徳珪。姉が劉表に嫁いだことで信任を得る。劉表を頼ってきた劉備の暗殺を試みたが劉備の機転で失敗している。劉表の死後、劉ソウを後継にすることに成功し、荊州において実権を握る。後、曹操に降伏し、鎮南侯・水軍大都督に任じられ、呉との前哨戦では蔡勲を失う等、大敗を喫している。これを機に水城塞を築く案を出した。しかし、赤壁の戦いの前に周瑜の策略に遭い、副都督の張允と共に殺された。


蔡勇【サイユウ】
?〜195
【董卓→郭】

長安を脱出して弘農に逃れる献帝を追跡するが楊奉に阻まれて、命を受けた徐晃に討たれた。


蔡ヨウ【サイヨウ】
132〜192
【後漢→董卓】

字は伯カイ。博学多才で後漢を代表する文学または書家である。霊帝の時に議郎となるが女子と官宦が政治に関与したことが災害異変の原因となると進言したため、宮中より追放される。後に侍中として復帰し、少帝の廃位に反対した廬植を助けた。董卓の死後、王允と同席した時に董卓の死に触れて嘆息したために罪に問われて獄死したという。


蔡陽【サイヨウ】
?〜201
【魏】

秦キの叔父。袁紹と結んだキョウ都を討つために遣わされたが劉備に殺された。演義では甥の秦キが関羽に斬られたため、劉辟を討つ途上で関羽に戦いを挑んで斬られたという。


蔡諒【サイリョウ】
?〜227
【魏】

安定太守。諸葛亮の北伐の際、計略により降伏した後、南安太守楊陵の説得に遣わされる。しかし、それに反して蜀軍を南安に誘い出す策を出すが看破されて張苞に斬られた。正史では南安・天水・安定の3郡は諸葛亮に呼応したとあり、実際には諸葛亮と夏侯楙は戦っていない。


崔林【サイリン】
?〜?
【袁紹?】

崔エンの従弟。詳細は不明。


蔡林【サイリン】
?〜?
【呉→魏】

都尉。253年、諸葛恪に従って魏を攻め、合肥新城を包囲するが長期戦になってしまい、士気の低下もあり、手勢を率いて魏に降伏した。


蔡烈【サイレツ】
?〜192
【後漢】

霊帝の時に司徒になり、後に城門校尉になる。董卓の死後、李カク・郭が長安に攻め入った際、乱戦の中で殺された。


左咸【サカン】
?〜?
【呉】

主簿。219年、呉軍が関羽が捕らえた際、降伏させようとした孫権に対して、後の災いを防ぐためと称して処するよう主張した。


サク融【サクユウ】
?〜195
【劉ヨウ】

参謀。劉ヨウが孫策に敗れて揚州を追われた際、共に豫章に落ち延びた。豫章に入ると太守朱コウを殺して豫章を手にするが劉ヨウに敗れて山中に逃れて最後は住民に討たれた。


左慈【サジ】
?〜?
【仙人】

字は元放。峨眉山で道術を学び、216年、幻術をもって曹操を弄んだ。


左髭丈八【サジジョウハチ】
?〜?
【黄巾賊】

蜂起した農民兵を黄龍らと共に指揮し、各地で暴れまわった。朝歌の鹿場山で袁紹率いる討伐軍と戦って敗れた。


左豊【サホウ】
?〜?
【後漢】

官宦。黄巾討伐軍を率いる廬植の陣営を視察した際、賄賂を要求して拒否された腹いせに都で廬植の怠慢を讒言して罷免に追い込んだ。


沙摩柯【サマカ】
?〜222
【蜀】

五谿の蛮族の王。221年、劉備に従って呉を攻めて甘寧を討ち取る。彝陵の戦いで敗走する途中で周泰に討たれた。


左霊【サレイ】
?〜?
【李カク】

195年、郭シと争った李カクが献帝を拉致した際、賈クと共にその車駕を見守った。


サン習【サンシュウ】
?〜?
【蜀】

偏将軍。諸葛亮の北伐準備のため、漢中に入るにあたって行参謀となった。


山濤【サントウ】
205〜283
【魏→晋】

字は巨源。『竹林の七賢』の一人。晋王についた司馬師が次子・司馬攸を世子に立てようとするのを諫めた。司馬炎の即位後、吏部尚書に任じられた。


【し】に続く

戻る


.