三国志登場人物解説

戻る

【お】

王異【オウイ】
?〜?
【魏】

益州刺史・趙昂の妻。知勇と節義を兼ね備えた賢妻で知られる。馬超との戦いで子の趙月が馬超に属していたため、夫が苦悩しているのを見るや激を飛ばし、共に励まし合いながら撃退に成功した。しかし、趙月は帰って来なかったという。


王威【オウイ】
?〜?
【劉表】

劉表・劉ソウに仕えた古参の武将で、劉ソウが降伏し、青州刺史に任じられたのを機に随従するが途中で曹操の命を受けた刺客によって殺された。


王允【オウイン】
137〜192
【後漢】

司徒。洛陽炎上後、皇帝を蔑ろにし、実権を牛耳る董卓に対して一計を案じる。養女・貂蝉を使って「連環の計」で呂布に董卓を殺させることに成功する。しかし、董卓の旧臣に攻撃されて呂布は敗走し、自身は殺された。


王エン【オウエン】
?〜?
【後漢】

都尉。高幹が曹操に敗れて劉表のもとへ逃れようとした際、これを討って首級を曹操に献じて列侯に封じられた。


王楷【オウカイ】
?〜?
【魏→呂布】

はじめ従事中郎として曹操に仕えていたが呂布に寝返って参謀となる。呂布が曹操に城を包囲されると救援を請うために許シと共に袁術のもとへ向かった。


王観【オウカン】
?〜?
【魏】

字はイ台。魏三代皇帝・曹芳の時に太僕となる。249年、司馬懿が曹爽に対して反乱を起こすとこれに加わり、曹羲の営所を押さえた。


王カン【オウカン】
?〜260
【魏】

トウ艾に仕える。姜維の7回目の北伐の際、司馬昭に処された王基の甥だと偽って降伏するがそれを逆手に取られて魏軍の大敗を招き、漢中に逃れようとしたが蜀軍に追いつかれて黒龍江に身を投じた。


王含【オウガン】
?〜?
【蜀→魏】

258年冬、姜維の北伐に従って出陣するが祁山でトウ艾に敗れる。魏の蜀侵攻戦では楽城を守っていたが漢中が落ちたことを知ると降伏した。


王基【オウキ】
190〜261
【魏】

字は伯輿。安平太守・荊州刺史を歴任し、易学に通じていた。カン丘倹の乱を鎮圧し、鎮南将軍に封じられた。諸葛誕の乱では先鋒として戦い、朱異・唐咨軍を破り、于詮を殺したという。


王キ【オウキ】
?〜192
【後漢】

越騎校尉。李カク・郭シが長安を攻めた際に混乱の中で殺された。


王キ【オウキ】
?〜?
【魏】

天水太守。トウ艾の命で蜀侵攻軍に参加し、綿竹関で諸葛瞻を破る功を見せた。蜀滅亡後は天水に戻ったという。


王匡【オウキョウ】
150〜?
【後漢】

字は公節。河内太守。反董卓連合軍に参加し、呂布軍相手に戦うが配下の将が討たれるなど手痛い打撃を受けた。その後、曹操と争って殺された。


王業【オウギョウ】
220〜?
【魏】

散騎常侍。王沈・王経らと共に曹ボウの司馬昭誅殺の相談を受けるが後難を危惧し、王沈と2人で司馬昭に密告した。


王金虎【オウキンコ】
?〜251
【魏】

正史のみの登場。王凌の三子。金虎は字。名は不明。武勇に優れ、才覚は王凌を凌ぐとも言われた。王凌の反乱の際、連座したとして司馬懿に殺された。


王経【オウケイ】
206〜260
【魏】

字は彦緯。雍州刺史。姜維の北伐軍に敗れるがトウ艾、陳泰に救われる。後に尚書となるが曹ボウの司馬昭誅殺計画に加担したため、母親と共に殺されてしまった。


王建【オウケン】
?〜238
【公孫淵】

公孫淵が燕王を称して魏から独立すると相国に任じられる。翌年、司馬懿が襄平を包囲すると柳甫と共に降伏を申し入れたが殺された。


王元姫【オウゲンキ】
217〜268
【魏→晋】

王粛の娘。司馬昭の妻となり、司馬炎・司馬攸を産んだ。


王伉【オウコウ】
?〜?
【蜀】

永昌太守。孟獲の反乱に雍ガイ・高定らが呼応する中で唯一同調しなかったため、攻撃を受けるが呂凱と共にこれを防ぎ、諸葛亮率いる蜀軍到着まで凌いで城を守ることに成功する。


王コウ【オウコウ】
?〜198
【魏】

曹操に仕える。兵糧の管理を担当する管糧官の下で倉官を務める。曹操が袁術を包囲したときに兵糧が不足したため、曹操の命を受けて一回り小さい升で配給を行う。しかし、不満はすぐに現われ、これを収拾させるために王コウに罪を着せて処刑したという。


王広【オウコウ】
?〜251
【魏】

正史のみの登場。王凌の長子。王凌らが曹芳を廃して曹彪を擁立することを諫めるが聞き入れられなかった。王凌の計画は楊康によって発覚し、王凌の乱の際は尚書として洛陽に留まっていたため、司馬懿の命を受けて降伏の使者となった。


王渾【オウコン】
223〜297
【晋】

字は玄沖。侍中。王昶の子。王濬から呉討伐の上奏文を受け取った司馬炎に一年間待つよう諫め、呉討伐が決まると安東大将軍として軍を率いた。


王粲【オウサン】
177〜217
【後漢→劉表→魏】

字は仲宣。関内侯。名文家で『建安の七子』。若くして才能を発揮し、蔡ヨウに重用される。その後、戦乱を避けて荊州に逃れて劉表に仕える。劉表の死後、曹操が荊州に侵攻してくると劉表の後を継いだ劉ソウに降伏を勧めた。代表作に『七哀詩』『登楼賦』等がある。


王賛【オウサン】
?〜?
【公孫淵】

正史のみの登場。玄弼太守。呉の使者が公孫淵の許に向かう途中で通り道の玄弼で使者と会う。その際、玄弼は200戸、成人男子が400人を超えない小規模の城という記録が残っている。


王嗣【オウシ】
?〜?
【蜀】

正史のみの登場。安遠将軍・西安囲督となり、情に篤く、領内の羌族の信頼を得ていたため、姜維が北伐の軍を起こすと羌族からの物質が多く集まった。北伐で流れ矢に当たってその傷が原因で死んだという。


王氏【オウシ】
?〜?
【呉】

孫権の妻となり、孫和を産む。孫和が皇太子になると王氏を皇后にしようとしたが全公主の讒言により、退けられ、心痛により死した。


王修【オウシュウ】
168〜?
【袁紹→魏】

字は叔治。袁紹の長子・袁譚に仕えて青州の別駕となる。袁譚の死後、その首をさらされると袁譚の首のもとで泣いたという。その忠義を認められて司金中郎将に任じられた。


王戒【オウジュウ】
234〜305
【晋】

建威将軍。『竹林の七賢』の一人。清談を好み、恵帝の時に司徒になった。呉討伐に参加し、一軍を率いて武昌に侵攻する。石頭城で王濬と合流し、戦功をあげた。


王粛【オウシュク】
195〜256
【魏】

字は子雍。王朗の子で司馬昭の岳父。魏に仕えて黄門侍朗・散騎常侍になる。魏軍が諸葛亮の北伐と対峙した際、長雨で立ち往生してしまい、撤退を主張する。カン丘倹の謀反の際は反乱軍の家族を厚遇して士気を低下させるよう進言する。司馬師の死後、司馬昭に実権を与えるよう上奏した。また、経学家でも知られ、経典類の注釈を行って『孔子家語』の偽作を作ったという。


王濬【オウシュン】
206〜286
【魏→晋】

字は士治。益州刺史を務めて呉討伐を上奏。龍驤将軍として益州から長江を下って呉に侵攻し、石頭城で呉皇帝・孫コウを降伏させた。呉滅亡後は輔国大将軍に任じられたという。


王昌【オウショウ】
?〜?
【李カク】

虎賁。195年、李カク軍の士気を低下させて西涼に逃れようとする皇甫レキを追撃して殺すよう命じられたが彼の忠義の姿勢を知っていたため、深追いせずに撤退した。


王祥【オウショウ】
184〜268
【魏→晋】

字は休徴。曹奐の時に太尉となる。263年、蜀討伐に赴くさんケ艾・鐘会を百官と共に見送る。265年、司馬昭が世子を決める際に長幼の序を乱さぬよう進言した。後に晋にも仕えて太保となり、雎陵侯に封じられた。


王劭【オウショウ】
?〜?
【後漢→魏】

字は仲遠。泰山太守。学者として『漢官儀』『風俗通義』等を著す。曹操の命で曹嵩を迎えに行く。途中、陶謙の招きを受けるが曹嵩が張ガイに殺されてしまったため、曹操のもとには戻れずに袁紹を頼った。


汪昭【オウショウ】
?〜202
【袁紹】

袁譚に仕える。袁譚が曹操を迎え討った際、徐晃と戦って討たれた。


王植【オウショク】
?〜200
【魏】

ケイ陽太守。妻の一族の韓福が関羽に殺されたため、仇を討たんと巧みに騙して客舎もろとも殺そうと計画する。しかし、配下の胡班の裏切りに遭い、逆に斬り殺された。


王真【オウシン】
?〜258
【魏】

司馬望に仕える。姜維の5度目の蜀侵攻の際、李鵬と共に迎え撃つが敵将傅センに捕らえられて殺された。


区星【オウセイ】
?〜187
【君主】

長沙で反乱を起こし、将軍を名乗り、1万余人の兵を率いる。長沙太守として黄巾の乱で功を立て新たに赴任した孫堅により討たれた。


王ソ【オウソ】
?〜?
【呉→魏】

正史のみの登場。魏に反乱を起こした諸葛誕への援軍として孫チンの命により文欽・唐咨らと寿春に入る。文欽が諸葛誕に殺され、全端が魏に降ると味方は総崩れとなり、諸葛誕が司馬昭に討たれると孫チンの怒りを恐れて唐咨と共に魏に降伏した。


王双【オウソウ】
?〜228
【魏】

字は子全。万夫不当の猛将で重量のある武器や強弓などを軽々と扱った。曹叡の信任を得て虎威将軍に任じられて曹真に従って蜀軍と戦う。しかし、諸葛亮の策にはまって敗北した。


王ソウ【オウソウ】
?〜?
【魏】

軍勢を率いて濡須を攻めるが朱桓に捕らえられて武昌に護送された。


王ソウ【オウソウ】
?〜?
【魏】

魏延に殺された魏将の1人。詳細は不明。


王則【オウソク】
?〜?
【魏】

奉車都尉。呂布と劉備が対峙した際、曹操の命により、任官の勅命状と勧告書を呂布に届けて劉備と和睦させた。


王忠【オウチュウ】
?〜?
【魏】

中郎将。劉岱と共に5万の兵を率いて劉備を攻めるが圧倒的な力量の前に完敗し、関羽に捕らえられる。その後、許昌で曹操に処せられそうになるが孔融に助けられた。


王昶【オウチョウ】
?〜?
【魏】

字は文舒。征南大将軍として呉の南郡を攻めるが敵将・丁奉が東興で勝ったため、利がないと判断して撤退した。252年、司馬昭が孫権の死に乗じて呉を攻めた際は江陵に侵攻した。


王沈【オウチン】
?〜?
【魏】

字は処道。曹ボウの時に侍中に任じられる。後に曹ボウから司馬師誅殺の相談を受けるが後難を恐れて王業と共に司馬師に密告した。また、王沈は『魏書』を著しているが時勢を迎合した部分が多く、後世の非難の受けた。


王韜【オウトウ】
210〜?
【魏】

司馬昭に主簿として仕える。253年、司馬昭に従って鉄籠山に出陣したが水不足の事態に後漢のコウ恭の故事に倣って泉に祈るよう進言したという。


王桃【オウトウ】
?〜?
【盗賊→蜀】

王令公の娘で関索の妻。豪傑で知られ、関索が蜀に向かう途中で襲うが敗れるとその強さに惚れて妻となった。その後も関索と共に転戦した。


王惇【オウトン】
?〜?
【呉】

孫憲と共に孫チンの暗殺を図るが発覚して殺されたという。


王買【オウバイ】
?〜?
【魏】

263年、鐘会・トウ艾の蜀侵攻の際、鐘会に従って参戦した。


王飛梟【オウヒキョウ】
?〜251
【魏】

正史のみの登場。王凌の次子。飛梟は字。名は不明。文武両道に優れ、弟の王金虎と並んで、才覚は王凌を凌ぐとも言われた。


王必【オウヒツ】
?〜218
【魏】

長史。217年、御林軍の統率を命じられて許都の東門外に駐屯する。翌年、耿紀・韋晃の反乱で急襲され負傷するが曹休に急報した。後に、その傷が悪化して死んだ。


王服【オウフク】
?〜200
【後漢】

偏将軍。王子服とも言う。董承が献帝の密詔を受けて曹操誅殺を謀った際、劉備・馬騰らと共に計画に加わる。翌年、秦慶童の密告を受けた曹操に捕らえられて一族もろとも殺された。


王平【オウヘイ】
?〜248
【魏→蜀】

字は子均。初め魏に仕えるが漢中攻防戦で徐晃と対立し、蜀に降り、偏将軍・郷導使に任じられる。その後、南征では稗将軍、北伐では牙門将としての主要な戦地を歴戦する。街亭の戦いでは馬謖の副将として参戦し、諸葛亮の策に反する馬謖に対し、王平が忠実に守りぬいたことで援軍が来るまで全滅を免れたという。その後も北伐に参戦し、諸葛亮の死後は鎮北大将軍として漢中を守った。


王甫【オウホ】
?〜219
【蜀】

字は国山。演義では関羽に仕えて随軍司馬となる。関羽が襄陽を攻めた際、後方に不安を感じて忠告するが退けられた。しかし、それが的中して関羽は大敗、荊州を失い、麦城に籠もるが関羽父子の死を知って自害した。


王方【オウホウ】
?〜192
【董卓→李カク】

部曲将。董卓の死後、李カク・郭シらが長安に攻めた際、城門を開いて迎え入れた。後、馬騰・韓遂が李カクを攻めた際、李蒙と共に馬超と戦うが討たれた。


王謀【オウボウ】
?〜?
【蜀】

字は元泰。曹丕が献帝から禅譲を受けて魏帝となると諸葛亮と共に劉備に皇帝になるよう勧めた。劉備の即位後は関内侯・太常卿となった。


王摩【オウマ】
?〜?
【袁紹→魏】

正史のみの登場。官渡の戦いに勝った曹操を何茂と共に迎え討つが破れて降伏した。


王明山【オウメイサン】
?〜?
【魏】

正史のみの登場。王凌の四子。明山は字。名は不明。書道に優れていた。王凌の乱の際、敵陣を突破し逃亡を図る。すぐに追っ手を差し向けられたが遠くの鳥を即座に射落とす技を見せると追っ手は恐れて軍を退いたという。


王門【オウモン】
?〜?
【公孫サン→袁紹】

正史のみに登場する。公孫サンと袁紹が対立中に袁紹に寝返る。後に1万の軍勢を率いて袁紹を攻めるが田豫に論破されて退却した。


王邑【オウユウ】
?〜?
【後漢】

河東太守。長安から脱出した献帝が安邑に身を寄せた際に駆けつけて絹などを献上した。


王雄【オウユウ】
?〜?
【魏】

曹丕に仕えて護烏桓校尉となる。鮮卑の軻比能が朝貢してきた後も度々領土を犯す行為に業を煮やした曹丕の命を受けて刺客を放って暗殺してしまった。


王立【オウリツ】
?〜?
【後漢】

侍中・太史令。曹操が献帝を洛陽に迎えた時、天文によって「漢滅び、魏晋興る」と劉艾に伝える。さらに、献帝にも伝えるがこれを聞いた曹操に口止めされた。


王凌【オウリョウ】
?〜251
【魏】

字は彦雲。王允の甥で正史のみに登場する。合肥で張遼、曹休に従って呉軍と戦う。251年、謀反を起こすが司馬懿に敗れて自害した。


王林【オウリン】
?〜?
【蜀】

正史のみの登場。曹爽率いる魏軍が蜀に迫ると司馬昭の軍勢に夜襲を仕掛けるが守りが固く崩すことが出来ずに退却した。


王累【オウルイ】
?〜211
【劉璋】

従事。劉璋に仕える。劉璋が劉備を迎え入れるのを反対し、城門に逆さ吊りになって諫めるが聞き入れられず足元の縄を切って自害した。


王令公【オウレイコウ】
?〜?
【盗賊】

盗賊の王。娘の王桃が関索に敗れるとその妻になることを許した。


王連【オウレン】
?〜?
【蜀】

字は文儀。諫議大夫。諸葛亮の南征の際、諸葛亮自身の南征に反対したという。


王朗【オウロウ】
?〜228
【後漢→魏】

字は景興。会稽太守であったが孫策に敗れて曹操を頼る。その後、重用されて曹操の死後、献帝に譲位を迫った。演義では曹真の軍師として諸葛亮に舌戦を挑むが論破されて憤死したとある。


於夫羅【オフラ】
?〜?
【匈奴】

正史のみの登場。南匈奴の単于(君主)。羌渠の子で、劉豹の父。父が内乱で殺されると漢に居座り、黄巾の乱に乗じて白波賊と共に各地を荒らし回る。反董卓連合の時は袁紹に属し、次いで袁術と結んで曹操と戦うが大敗した。


温恢【オンカイ】
178〜?
【後漢→魏】

字は曼恭。後漢末期に地方官として功績を上げ、丞相主簿となる。その後、曹操の目に留まり、揚州刺史などを歴任した。


【か】壱に進む

戻る


,