三国志登場人物解説

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【え】

衛演【エイエン】
?〜?
【公孫淵】

公孫淵が燕王を称すると侍中に任じられる。翌年、司馬懿が襄平を包囲すると降伏の使者となった。


衛カン【エイカン】
220〜291
【魏】

字は伯玉。鐘会の蜀侵攻軍に監軍として参加。蜀滅亡後、鐘会が反乱を起こすと鐘会・姜維を討ち、田続にトウ艾父子を殺させた。


衛凱【エイキ】
?〜?
【魏】

字は伯儒。侍中。杜襲・和洽らと共に曹操を魏王にしようと画策するが荀攸の反対にあって実現しなかった。


衛仲道【エイチュウドウ】
?〜?
【民衆】

蔡文姫の前夫。蔡文姫との間には子がなく、衛仲道が死ぬと蔡文姫は実家に戻った。


越吉【エツキツ】
?〜227
【羌】

元帥。諸葛亮が祁山に侵攻した際、曹丕の要請を受けた国王徹里吉の命により、鉄車兵を率いて蜀軍と戦うが関興に討ち取られた。


閻晏【エンアン】
?〜?
【蜀】

建義将軍。諸葛亮が北伐のため、漢中に入ると行参謀に任じられる。翌年以降の北伐に参加する。


袁遺【エンイ】
?〜?
【後漢】

字は伯業。山陽太守。正史では袁紹の従兄とされる。反董卓討伐軍に第八鎮として参加し、虎牢関の戦いに加わり、呂布の猛攻に敗走した王匡を救った。


袁胤【エンイン】
?〜199
【袁術】

袁術の甥。袁術が劉備軍や旧臣らに襲われて敗死すると棺と妻子を守って廬江に逃れる途中、曹操配下の徐バクに捕らえられて殺された。この時、持っていた玉璽は曹操のもとへ渡った。


閻宇【エンウ】
?〜?
【蜀】

字は文平。皇帝・劉禅の寵愛を受けていた黄コウに取り入って右将軍として姜維に代わって軍馬の実権を握る。しかし、魏軍が攻めてきた際、トウ艾が手強いと知るや、雲隠れしてしまったという。成都陥落後は魏に降伏した。


袁隗【エンカイ】
?〜190
【後漢】

太傅。袁紹の叔父。袁紹が反董卓連合軍の総大将となると董卓により捕えられて殺された。


袁カン【エンカン】
?〜?
【袁術→魏】

袁ボウの子。豫州刺史となった劉備に推挙されて袁術に仕える。袁術が呂布に敗れて捕らえられると劉備を脅す文章を書くよう脅されるが拒否する。後に曹操に仕えて屯田の開発に加わる。一時、病で官を離れるが復帰すると諫議大夫等を歴任。劉備が死んだという誤報が伝わった時、魏臣はこぞって慶賀したが自身は恩義もあり、それには加わらなかった。


袁煕【エンキ】
?〜207
【袁紹】

字は顕奕。袁紹の次子で幽州刺史。父が官渡の戦い後に没すると袁譚と袁尚の後継者争いが激化し、その隙を狙う曹操の侵攻に耐え切れなくなった袁尚が頼ってくるとこれを助ける。しかし、配下に裏切られて烏丸、ついで公孫康を頼るが最後は捕えられて首を曹操のもとへ送られた。


閻行【エンコウ】
?〜?
【韓遂】

字は彦明。韓遂の娘婿で剛勇で知られる。韓遂と馬騰が戦った際、馬超と一騎打ちを行い、殺す寸前まで追い込んだという。


閻芝【エンシ】
?〜228
【蜀】

巴西太守。夷陵の戦いの後、各地から徴兵を募って5千名を軍に補充した。『後出師表』によると諸葛亮が1年以内に死去した70余年の武将の中に名を連ねる。


閻柔【エンジュウ】
?〜?
【烏丸→魏】

幼少の頃に烏丸に捕らえられた。後に烏丸校尉の座を奪取し、曹操に帰順。烏丸討伐に従った。正史のみに登場する。


袁術【エンジュツ】
?〜199
【後漢】

字は公路。袁紹の異母弟で南陽太守。荊州から淮南(揚州北部)までの広大な勢力を築いた。客将として身を寄せていた孫策が玉璽を使って兵の借り入れを申し入れた際には了承し、三千の兵を与えた。そして、その玉璽で皇帝を名乗って「成」を建国するが人民を無視した暴政を敷いたために臣民は離れ、袁紹を頼ろうと北に軍を進めたところで劉備軍の猛攻により敗死した。


爰邵【エンショウ】
?〜?
【魏】

テン虜将軍。蜀討伐の命を受けたケ艾のために夢占いを行った。後に衛尉となった。


閻象【エンショウ】
?〜?
【袁術】

袁術に仕えて主簿となる。袁術が即位しようした際に周の文王が殷に臣従した故事を用いて諫めたという。


袁紹【エンショウ】
?〜202
【後漢】

字は本初。袁家は四代に渡って漢の重臣を務めた家柄で渤海太守の時に曹操より激文を得て反董卓連合軍の総大将となるも洛陽炎上後に解散。居城に戻る途中に兵糧が乏しくなったのを理由に冀州を奪取し、ついで公孫サンを討ったことで幽・冀・青・并の四州を治めた。しかし、官渡の戦いで曹操に敗れると再起を計る前に心痛から急死した。


爰セイ【エンセイ】
?〜?
【魏】

トウ艾と共に蜀討伐の命を受けた鐘会の参軍として蜀を攻めた。


袁譚【エンタン】
?〜205
【袁紹】

字は顕思。袁紹の長子で青州刺史。父の死後、後継者を巡って弟・袁尚と対立し敗れたため、曹操の支援を得て勝利する。しかし、次は曹操と対立して討たれてしまった。


閻忠【エンチュウ】
?〜?
【民衆】

正史のみの登場。賈クに「張良、陳平に匹敵する策士だ」と評した。


閻圃【エンホ】
?〜?
【張魯→魏】

張魯に仕え、参謀として適切な意見をもって内外に張魯の威厳を保たせる。張魯が曹操に降伏するとこれに従い、曹操により功曹に封じられた。


袁ボウ【エンボウ】
?〜?
【後漢】

司徒。詳細は不明。


袁耀【エンヨウ】
?〜199
【袁術→劉勲→呉】

袁術の子。袁術が皇帝を名乗ると皇太子となり、一時は呂布の娘との縁談話もあった。父の死後、劉勲を頼り、その死後は孫策の庇護を受け、郎中となった。


袁リン【エンリン】
?〜?
【蜀】

都亭侯。諸葛亮が北伐のため、漢中に入ると前将軍に任じられた。


【お】に続く

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