三国志登場人物解説

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【か】

何晏【カアン】
190〜249
【魏】

字は平叔。正史では後漢の大将軍・何進の孫で清談に長け、老荘思想を好んだ。また、自己愛に強かったという。曹爽の腹心で曹叡の死後、尚書となるが司馬懿の謀反により殺された。


カイ越【カイエツ】
?〜?
【劉表→魏】

字は異度。カイ良の弟で共に智謀に優れ劉表に仕えた。劉表の死後、曹操が攻めてくると後継者の劉ソウに降伏を勧め、荊州を蹂躙されるのを防いだ。降伏後は曹操に重く用いられ、ハン城侯・江陵太守となった。


カイ良【カイリョウ】
?〜?
【劉表】

字は子柔。劉表の側近として多岐に渡って名を馳せた。孫堅の荊州攻めでは呂公と共に伏兵と挟撃でこれを撃破し、孫堅を討った。


夏ウン【カウン】
?〜189
【後漢】

宦官で十常侍の1人。霊帝に取り入って張譲、趙忠らと共に宮中で権力を奮った。後に列侯になるが大将軍の何進と対立し、殺害したことで袁紹らの怒りを買って西宮翠花門で趙忠らと共に殺された。


花永【カエイ】
?〜?
【魏】

王経に仕える。姜維の3度目の北伐の際、張明・朱芳らと共に防戦した。


賈華【カカ】
?〜?
【呉】

孫権に仕え、赤壁後の合肥攻めに参戦する。劉備が孫権の妹を妻に迎えるにあたり、甘露寺で呉国太と謁見する際に孫権の命で劉備を討たんとするが発覚し、呉国太より叱責されたという。


餓何【ガカ】
?〜253
【羌】

正史のみの登場。迷当大王の配下。姜維の北伐に協力し、焼戈と共に南安を攻め、陳泰の降伏を信じて魏軍へ夜襲を行うが落とし穴に誘導されて羌軍は全滅、自害した。


華覈【カカク】
?〜?
【呉】

字は永先。中書丞。積極的な政策を推し進めようとする孫コウに対して慎重策を進言するが怒りを買って追放された。呉の将来を憂いつつ隠遁した。


俄何焼戈【ガカショウカ】
?〜253
【羌】

蜀に協力した迷当大王の命により5万の兵で魏に侵攻。南安を攻めるが陳泰の策に誘き出されて自害した。


賈逵【カキ】
?〜?
【魏】

字は梁道。曹彰が曹丕と後継者の座を巡って争うとするのを諫めた。対呉戦では曹休の参謀として参戦し、周魴の偽降伏を見抜くが曹休が信じてしまったため、敗北したが計略により敵の追撃を防いだ。


何儀【カギ】
?〜?
【黄巾賊】

黄巾の頭目で張角の死後、残党を率いて汝南を占拠していたが義勇軍を率いて彼らに抵抗していた許チョに捕らえられ、曹操によって処された。


何ギョウ【カギョウ】
?〜?
【民衆】

字は伯求。若き頃の曹操を評して、「漢室が危殆に瀕している今、天下を安ずるのはこの者だけだ」と言ったという。


華キン【カキン】
157〜231
【後漢→呉→魏】

字は子魚。予章太守の時に孫策に降る。後に孫権の使者として魏に赴くがそのまま帰らずに曹操に仕えた。かなりの才知がありながら非情な人物としても知られ、献帝を脅して譲位を迫ったこともあった。曹叡の時に太尉となり、司馬懿の兵権を剥奪するよう進言した。


賈ク【カク】
147〜223
【董卓→李カク→張繍→魏】

字は文和。参謀として群雄たちを転仕する。張繍に仕えた際、曹操の侵攻を受けて一度は降伏をするも張繍の叔父・張済の未亡人であった鄒氏に手を出した曹操に怒った張繍の意を受けて宛城内で挙兵、曹操を追い詰めて典韋を討ち取った。その後も曹操の侵攻を退けていたが時の流れには逆らえず、張繍と共に降伏。曹操は張繍よりも賈クのほうを重用した。曹丕の即位後は太尉となるが222年の呉征伐には反対した。


郭永【カクエイ】
?〜?
【魏】

曹丕の妻・郭氏の父。外戚。自分の娘を「女の中の王」と評したという。


郭奕【カクエキ】
?〜?
【魏】

字は伯益。郭嘉の子で父の死後、曹操に引き取られた。後に太子文学となる。博学だったが相手によっては態度が異なったという。


郭恩【カクオン】
?〜?
【民衆】

兄弟3人が揃って歩行が不自由になってしまったため、管輅に頼んで原因を占わせた。


郭嘉【カクカ】
170〜207
【魏】

字は奉孝。曹操の軍師として際立った知略と判断力をもって呂布討伐や官渡の戦い等で貢献するが北方平定の際、病にかかって急死した。後に曹操が赤壁で敗れた時に「郭嘉が生きていたならば」と嘆いたという。


ガク煥【ガクカン】
?〜?
【孟獲→蜀】

高定配下の猛将として雍ガイらの謀反に主と共に参加して永昌を攻める。援軍として駆け付けてきた諸葛亮率いる蜀の主力と戦うが離間の計により雍ガイと高定が対立し、高定の命を受けたガク煥が雍ガイを斬った後、降伏した。後に牙将となった。


郭キン【カクキン】
?〜?
【公孫淵】

正史のみの登場。公孫淵が独立すると魏は策略を用いて反乱軍の将兵を混乱させようとしたため、柳甫らと共に独立を確固たるものにしようと上奏文の作成に尽力した。


郭シ【カクシ】
?〜198
【董卓→後漢】

董卓に仕えて牛輔の校尉となる。董卓の死後、長安を急襲し、王允を殺して李カクと共に実権を握った。しかし、李カクと争いを続け、献帝に去られた後は山賊となり、最後は配下の伍習に殺された。


郭氏【カクシ】
?〜?
【後漢】

夫がしばしば李カクの館に泊まったため、寵愛を失うことを恐れ、2人の仲を引き離そうと企み、嫉妬心から2人の仲を引き裂くことに成功した。


郭氏【カクシ】
?〜235
【魏】

美貌で知られる。郭永の娘。曹丕の側室だったが正妻の甄氏が邪魔だと判断するや、罠にはめて自害に追い込んで殺して正妻の座を奪い取ったとされる。その翌年、皇后となり、曹丕と甄氏との間に産まれた曹叡をわが子として育てた。


郭氏【カクシ】
?〜263
【魏】

曹叡の妻。曹叡が即位すると寵愛を受ける。毛氏の死後、皇后となり、曹叡の死後は皇太后として3代の皇帝を補佐して政治に関与した。司馬一族の反乱・謀反を全て皇太后の名によって行われた。


楽就【ガクシュウ】
157〜197
【袁術】

袁術が呂布討伐軍を出したときに軍同士の連絡役(巡察使?)となる。袁術が曹操に大敗した時に寿春を守っていたが最後は討たれた。


霍峻【カクシュン】
178〜?
【劉表→蜀】

字は仲バク。初め劉表に仕え、劉備が荊州を治めると劉備に仕えた。蜀攻略の際には要衝・カ萌関を守り、張魯の警戒に当たり、劉備が益州を治めた後は梓潼太守に任じられた。


郭勝【カクショウ】
?〜189
【後漢】

宦官で十常侍の1人。霊帝に取り入って張譲・趙忠らと共に宮中で権力を奮った。後に列侯になるが大将軍の何進と対立し、殺害したことで袁紹らの怒りを買って西宮翠花門で趙忠らと共に殺された。


カク昭【カクショウ】
?〜229
【魏】

字は伯道。正史では雑号将軍。若年の頃より各地を転戦し、戦功をあげる。後に司馬懿の推挙で要衝・陳倉を任され、北伐を試みるショク軍を巧みな戦術で幾度も退けるが病に倒れた隙を突かれて陳倉は陥落した。後に列侯に封じられた。


郭常【カクジョウ】
?〜?
【民衆】

臥牛山近くの村に住む老人。曹操のもとを辞した関羽が5関を突破し、汝南に向かう途中で屋敷に泊めて歓待した。その際に郭常の子が赤兎馬を奪おうとするが郭常に免じて許されたという。


楽進【ガクシン】
?〜218
【魏】

字は文謙。曹操の旗揚げ当時からの武将で各地を転戦し、戦功をあげた。後に張遼、于禁らと並んで魏の五将軍として称賛された。赤壁の戦いの後、張遼・李典と共に合肥を守って呉軍と戦った。


郭石【カクセキ】
?〜187
【区星】

正史のみに登場。区星に呼応して周朝と結んで零陵・桂陽で反乱を起こしたが区星を討った孫堅によって討たれた。


郭大賢【カクダイケン】
?〜?
【張角】

黄巾賊。蜂起した農民を指揮して河北一帯を荒らし回った。大軍を擁していたが戦術に劣ったため、袁紹率いる討伐軍に敗れた。


郭図【カクト】
?〜205
【袁紹】

袁紹に仕えて参謀となる。官渡の戦いで曹操の本陣を攻めるよう進言するが敗北してしまい、その罪を張コウらに着せてしまったため、内部分裂を招いた。袁紹の死後は袁紹の子・袁譚に仕えて参謀となるも曹操に討たれてしまった。


郭馬【カクバ】
239〜?
【呉】

合浦太守であった脩允に傭兵隊長として仕える。脩允が死亡したのを機に解散を命じられるがこれに反して反乱を起こした。騒動は交州一帯に広がり、晋の呉討伐を招く一因となった。


郭萌【カクボウ】
?〜196
【呂布】

196年、呂布に背いたとして高順に討たれた。


郭攸之【カクユウシ】
?〜?
【蜀】

字は演長。侍中。諸葛亮が上奏した「出師の表」で董允・費イと並び誠実純忠の人物とされ、宮中での諸件は全て任された。


楽チン【ガクチン】
?〜257
【魏】

楽進の子で揚州刺史。対蜀戦で戦功をあげる。諸葛誕が反乱を起こした際、賈充の密書を受け取ったために諸葛誕の奇襲を受けて斬り殺された。


霍弋【カクヨク】
?〜?
【蜀】

字は紹先。霍峻の子で建寧太守。成都陥落の報せを聞き、喪服を着て泣いたという。建寧で抵抗を続けていたが劉禅の身柄の安全を確認した後、降伏した。


郭淮【カクワイ】
?〜255
【魏】

字は伯済。行軍司馬として曹真・司馬懿に従って一軍を率いる。後に雍州刺史となり、鉄籠山で司馬昭を助けたこともあったが局地的な勝利はあったものの、完全勝利は一度もなかったという。後に蜀軍との戦いで姜維の矢を眉間に受けて絶命した。正史では死後に大将軍に昇進した。


柯吾【カゴ】
?〜?
【羌】

正史のみの登場。姜維の北伐に呼応し、蛾遮塞と共に魏に対して反乱を起こすが魏の反撃されて敗れた。


和洽【カコウ】
?〜?
【魏】

字は陽士。曹操に仕えて侍中となる。214年、王粲・杜襲らと謀って曹操を魏王に就けようと企むが荀攸の反対に遭って失敗した。


【か】弐に続く

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