三国志登場人物解説

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【か】

桓範【カンハン】
?〜?
【魏】

字は元則。大司農。曹爽の信任が厚く、「知嚢」の異名を持った。司馬懿の内乱後、宮城を奪われた曹爽は降伏を決意したが桓範は反対するも、聞き入れられなかった。


韓馥【カンフク】
?〜?
【後漢→張バク】

字は文節。冀州牧として反董卓連合に参加する。しかし、袁紹により冀州を奪われる(正史では譲る)と妻子を捨てて張バクのもとへ身を寄せたが後に袁紹に遣わされた使者が張バクに何かしら耳打ちするのを見て暗殺されると思い込み、最後は自殺してしまったという。


韓福【カンフク】
?〜200
【魏】

洛陽太守。曹操から去り、関羽が劉備のもとへ向かうのを阻止しようとして斬り殺された。


関平【カンペイ】
?〜219
【蜀】

河北の名士・関定の次子で関羽の養子(正史で実子)。劉備と再会するため、単身河北に来た関羽は関定の歓迎を受ける。その礼にと関羽は関平を養子に迎える。以後、劉備が蜀入りをするまで遊撃的な役割を果たし、数々の戦に参戦した。後、父と共に荊州を守り、魏呉と争う。しかし、盲点を突かれて荊州を失い、麦城で孤立。敵中突破を試みるが関羽と共に捕らえられ、討たれてしまった。


韓猛【カンモウ】
?〜?
【袁紹】

官渡の戦いで兵糧を輸送中に徐晃・史渙軍に攻められて物資を焼き払われた。


韓融【カンユウ】
?〜?
【後漢】

字は元長。太僕。195年、洛陽に向かう献帝に従い、追撃してきた李カク・郭シ軍に対して兵を収めるよう説いて官吏や女官たちを解放させた。


簡雍【カンヨウ】
?〜?
【蜀】

字は憲和。劉備とは同郷で義勇軍旗揚げから行動を共にする。主に参謀や外交面で能力を発揮し、劉備の蜀入り後は諸葛亮よりも上の昭徳将軍の地位を与えられた。無頓着な性格をしていたという。


韓瑤【カンヨウ】
?〜227
【魏】

韓徳の次子。長刀の使い手。諸葛亮率いる蜀軍を迎え討つため、父や兄弟と共に夏侯楙らの軍に加わる。兄の韓瑛が討ち取られると激昂して趙雲に斬りかかるが叶わず、兄弟で再度襲うが叶わず捕らえられた。


顔良【ガンリョウ】
160〜200
【袁紹】

文醜と並んで袁紹軍の先鋒を務めた。白馬の戦いでは曹操軍の宋憲・魏続を討ち取り、援軍の徐晃をも敗走させたが当時曹操の配下になっていた関羽に一合で討たれた。


管輅【カンロ】
?〜?
【民衆→魏】

占卜・易に通じ、こと寿命に関しては外れることはなかったという。仙人ですら一目置いたという管輅の噂は当時魏の大将軍を務めていた司馬昭にも届き、召し抱えたいとの申し出があったが耳を貸さず、弟の管辰に「天は我に優れた才能を与えてくれたが寿命は与えてくれなかった」と言い、翌年48歳の若さでこの世を去った。演義では魏の曹操に仕えて数々の予言を行い、後に何晏らと『易経』を論じて運勢を占った。


【き】に続く

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