第六章 交州統一
蒼梧の城では幾度となく協議が行われていた。この緊迫した状況を打開するためだったが何の変化も見られなかった。その協議に業を煮やしたのか一人の兵が政務の間に入ってきた。
「申し上げます」
「おう、如何した」
「朱崖が陥落致しました」
それに声をあげたのは呉巨ではなく、朱崖太守の舞然だった。
「そ、それは真か!?」
「はっ、海より侵入され、瞬く間に城を奪われた由」
「海だと!?、玄忠には水軍がないはず…」
舞然は考え込んだ。そこに呉巨が兵に問う。
「水軍の総大将は誰か?」
「はっ、李充にございます」
その名を聞いた瞬間、呉巨を除く全ての諸将が驚きの声をあげた。
「ば、馬鹿な…、李充が特定の武将に仕えるなんて…」
「信じられん、あの李充が…」
「公玄忠とは一体何者か…」
それぞれの声が政務の間に響き渡った。その中でも盟主の呉巨だけは冷静だった。
「諸君、静まられよ。して、李充の動きは?」
「今のところ、朱崖より動いておりませぬ」
「ふむ…、舞然殿」
「おう」
「朱崖への出陣を許す。海の者は陸からの攻撃に弱いと聞く。奪還して参れ」
「有り難い!」
そう言って舞然は颯爽と政務の間より走り出た。ようやく、協議は一歩ずつ進展していこうとしていた。。
「これを機に玄忠を攻める他なし!。兵力は我らが勝っているのだから。韓統殿」
「おう!」
合浦太守・韓統は声をあげた。四万の兵を率いてこの蒼梧に来ていた。
「韓統殿は裏切ったケ武を攻めてくだされ。あそこが落ちれば番禺までの南の街道を落としたのも同然にござる」
「相分かった」
そう言って韓統もまた舞然に続いてこの場から去った。
「残りの者は全軍をもって前哨・高要を攻める」
「おおぅ!」
このとき呉巨は勝利を確信した。
呉巨出陣の報せはすぐに玄忠の許に届いた。場所は番禺より西にある前哨・四会県。
「とうとう動いたかっ!、王循、頼む」
「はっ」
王循は前に進み出た。軍師としての初陣である。
「今、こちらに向かっておるのは連合軍の本軍です。これに勝つことができれば交州は殿のものになったと同じことにございまする。宗極殿」
「おう!」
「お主には正面より暴れて頂きたい」
「かしこまった」
「ただし、深追いはいたさぬよう。ほどほどの戦いを展開した後、一度兵を退かれよ。そして、火の手があがったら一気に攻勢されよ」
「承知」
宗極はそう命じられて政務の間より出た。
「次に劉彭殿」
「おう」
臨充の守備を任されている劉彭が進み出る。
「急ぎ居城に戻り、東の川をせきとめよ」
「せきとめてどうなさる?」
「敵を分断する。先の軍には退路を、後の軍には進路を封じる。遠方において火の手が見えたら堰をきって落とせ」
「しかし、問題がある」
「何でござりましょう?」
「最近は雨も降っておらず水かさが少ない」
「安心めされい。雨は夜までには降ってこよう」
「夜までに?」
「うむ」
王循はこちらを見た。玄忠も頷く。
「劉彭殿、敵の戦力は我が軍勢の五倍。賭けてみようではないか」
「殿がそうおっしゃられるのであれば…」
不本意ながら劉彭は王循に平伏すると政務の間を辞した。
「では次に管越殿」
「おう!」
若き武者が進み出る。進み出たところで耳打ちした。そして、声をかける。
「よいな」
「ははっ!」
管越もまた政務の間を辞した。
「楊丁殿」
「はっ」
副軍師として活躍が期待される楊丁が進み出る。
「敵はおそらく全軍で攻めてくるだろう。そうすれば何が出てくる?」
「それは…、敵の居城…」
「そう堅固とは申せ、今の広信は無人に近いはず」
「まさか…」
「そう、そのまさかにござる。広信を攻めとってもらいたい」
「なるほど、それはおもしろいかもしれぬ」
王循の言葉に楊丁が頷いた。
「攻め取った後、敵が舞い戻ってこよう。御身には二万の軍勢を与える故、全軍をもって死守せよ」
「承知」
そう言うと平伏して政務の間より去った。
「王翼」
「はい」
童子として玄忠の近くにいた王翼が呼ばれた。
「朱崖に行き、舞然を迎え撃つよう李充に伝えよ。そして、その足で思平(高涼の郡都)に走り、韓統はケ武殿に任せると伝えてくれ」
「はい」
そう言うと疾風の速さで走り去った。その速さには政務の間にいた文武官は感心してしまっていた。
「殿」
「何かな?」
「殿にも一軍を率いていただきたい」
「うむ」
玄忠は頷いた。
「御車蘭殿」
「はっ」
「宗極殿が退いたとき援軍とみせかけて北の間道を通って中軍のみ攻めよ。目指すは呉巨の首のみ」
「承知仕った」
そう言うと御車蘭もまた出陣していった。
「我は何をすればいい?」
「殿には高要に入っていただきたい。そして、火の手が見えましたなら討って出て宗極殿に加勢してくだされ」
「おう」
「そして…」
王循は向き直り、越伯の顔を見た。越伯もまた武官である。じっとしているのが嫌いな女性であった。
「越伯殿には弓隊三千を率いて高要と端渓との間に丘がある。丘の前には大川が流れている故、劉彭殿が堰を切ったときはそのまま見逃せ。第二の退却兵を確認したならば一気に矢を放て」
「承知致しました」
銀色の鎧に身を包んだ女武将はゆっくりと政務の間より出て行った。
「では殿、参りましょうか」
そう言って王循は玄忠と共に四会県より出陣したのである。玄忠の軍勢の大半は越族である。前軍に蒼梧越族より玄忠に従った玉蒙である。独自の勢力を築いていたが越昭の懸命の説得によりこれに従ったのである。そして後軍は昭王が自らこれを率いた。
越族は南方を中心に広がる部族である。漢民族とは長年対立状態というより従属関係にあった。無論、越族が下である。その関係を覆そうとしたのが他ならぬ伯錦の存在だった。伯錦は漢民族である。本来なら越族の優位の立場にあってもおかしくなかった。それが越族と同等という考えを示したことで交州内における越族の地位は遥かに上昇した。それに対し、呉巨らの軍勢は漢民族である。交州は滅多に戦乱に巻き込まれない平穏な土地だった。その平穏な間に漢民族は堕落した。その強さを失った。いや、失ったというよりも越族の強さが上に行ってしまっていた。故に士塋はその力を侮ってしまったのだ。呉巨もまた士塋の二の舞となるべくゆっくりと死地に向かって歩いているのである…。
呉巨軍の先陣は合浦太守・申廉である。その申廉の軍勢の先頭に立っているのが毛道範なる武将だった。毛道範は父の代から申廉に仕えている譜代の武将である。片手には斧龍槍(ふりゅうそう)を持っていた。槍の柄は龍をかたどっており、先は鋭く細い槍の刃、その刃の手前に斧が取り付けられていた。突いても振りまわしても敵を倒せる代物だった。
端渓を通りすぎ、川沿いの道を進んできたとき宗極の軍勢の姿を認めた。
「ふん、あれで我が軍と戦うと申すか!?」
毛道範はあまりの敵の少なさに笑みをこぼした。しかし、すでに王循が仕掛けた策の中に入っているとは誰も気づくことはなかった。
「かかれぇぇぇ!!!」
毛道範は全軍に下知した。宗極もこれに応じる。
ワアアアアアァァァァァァァァァァーーーーー!!!!!
という喚声が地面に響き渡った。刀と刀、槍と槍が火花を散らし、頭の上を矢が飛び交う乱戦になった。少数とはいえ5000の兵を率いているのである。そう簡単には蹴散らすことができない。その上、毛道範は1人の武将の勇猛さに目を見張った。近づく兵はことごとく切り倒され辺りは血の池と化していた。
「ほう、なかなかやりおる」
毛道範は斧龍槍を獲物に宗極に近づいた。
「我が名は毛道範、主は何者か!?」
この叫び声に宗極が応じる。
「宗極と申す、敵大将と見受けるが?」
「如何にも、参る」
「おう」
宗極、毛道範の馬が一気に駆け寄り間合いを詰める。詰めた瞬間、火花が散った。一合、二合、三合…、刃と刃がぶつかり合っても引き下がることはなかった。どちらも深手となる傷は負っていなかった。その様子を見ていた兵は唾を飲んだ。
(そろそろ頃合だな…)
宗極は一騎討ちをしながらも王循の策を忘れない余裕を見せていた。毛道範が繰り出した槍を弾くとくるっと反転して馬を走らせたのである。
「退けぇぇぇーーー!!!」
「宗極!、逃げるかっ!?」
毛道範は宗極を負って馬を走らせた。
「申し上げます、宗極軍が退きます」
「うむ、始めよ」
「はっ」
兵は管越の前より辞した。北の間道を進軍し、宗極軍の行方を見守っていた管越は宗極退却に微笑していた。兵たちの手には頭の大きさ程度の壷があった。この壷こそ玄忠が考案し、東治の戦いで使われた火薬壷である。毛道範が行き過ぎ、申廉の姿が見えたとき、
「放てぇぇぇーーー!!!」
管越の声が全軍に響き渡った。兵は縄を回しながら勢いをつけると一気に壷を敵兵へ投げ入れた。無数の壷は兵に当たったり、地面に当たるかして割れ、火薬と共に爆発を起こした。いきなりの攻撃に申廉の軍勢は混乱を機してしまった。
その様子を退きながら見ていた宗極は再び、軍勢を返して毛道範の軍勢に攻撃を仕掛けた。高要の城でこの様子を見ていた玄忠は玉蒙を呼んだ。
「すぐさま、一軍を率いて宗極を加勢せよ」
「はっ」
玉蒙は越族を率いて城より討って出た。玉蒙の軍勢は瞬く間に敵を蹴散らしていく。それに負けじと宗極も攻勢をかける。宗極、玉蒙の攻撃を受け、さらに管越の火計を受けた申廉軍は総崩れとなった。
「くそっ!、これまでか…」
毛道範は周りの兵の動揺を元に戻すことができずにいた。そして、戦うことを諦め、血路を開いて囲みを突破したのである。幾重にも囲まれた兵を蹴散らしていくのである。城壁の上から見ていた玄忠は毛道範の武勇に感服した。
「すごい猛将だな」
「まことに」
「味方であればどれほど良かったか…」
「また会えるでしょう」
「ああ」
玄忠は王循の言葉に頷いた。天文を見て毛道範の星の動きが玄忠のほうに傾いていたからである。
一方、中軍を率いていた呉巨は前方から響いてくる爆発音で浮き足立っていた。
「何事か!?」
呉巨の声に武将が走ってくる。
「申し上げます、申廉軍、敵の火計に合い、総崩れとなっております」
「ぬぬぬ…、玄忠め…」
呉巨は怒りを隠さなかった。
「すぐに申廉を助け出せ」
「はっ」
そのときまた地響きが起きた。爆発音ではない。
「な、なんだ…」
地震のような響きでもなかった…。
遠くのほうに煙があがっているのが見えた。劉彭は溜まっている水を見た。王循に命じられてここに来たときにはまだ半信半疑だったが堰が完成したときに長時間の豪雨が降り注いだ。そのため、瞬く間に水位があがり、もう満杯というところまで来ていた。
「こんなに的中するとは…」
劉彭は感心していた。
「よしっ、切って落とせ」
劉彭の声を聞いた兵は斧で堰を止めてあった太い板につながる縄を切った。その直後、大量の水が下流に向かって怒涛の如く、流れ落ちていった。
その大量の水が呉巨軍の後方に流れ込み、数千の兵を一気に飲み込んだ。さらに岩場に当たった反動で大きな波を作った水は近くにあった端渓の県城に続く道を遮断してしまったのである。ただ、当たっただけなら何もないが土砂崩れを起こし、完全に道は閉ざされてしまった。
その報せを聞いた呉巨はまたまた怒りをあらわにしたものの、逃げ道を探すのが先だと一目散に南を目指した。水位が増したとはいえ、それは一時的なものであるから北から受ける火計から逃れるにはそれしか手がなかったのである。呉巨軍の左手は小さな森である。ここにも管越の軍勢が身を潜めていた。火薬壷での攻撃が終わると次は敵陣に向かって火矢を浴びせたのである。徹底した攻撃に呉巨の数万の軍勢はもはや混乱と恐怖が入り混じった状況になっていた。負けたことよりも逃げることを優先した呉巨軍は背水の陣を取った。攻める宗極、玉蒙、管越軍の攻撃を凌いでいく。しばらくすると水位が下がり始め、完全に渡れるところまで来た。
「よし、今のうちに渡れ」
呉巨はそう呼びかけて川の中に入った。ちょうど真中辺りまで来たとき伏せていた越伯軍が姿を見せた。
「敵が来たぞっ!、討てぇぇぇーーー!!!」
越伯の凛とした声が響き渡った。三千の兵から一斉に矢が放たれる。少し勾配になっているからすぐに攻められる心配もない。不意を食らった呉巨軍は持ちなおした士気も完全にトドメを刺されその場からの撤退を余儀なくされてしまったのである。
「この借りは必ずや…」
呉巨は悔しさを隠さなかった。よく顔に出る男である。
楊丁は二万の兵を率いて広信の城を落としていた。落とすのは簡単だった。楊丁の軍勢を見て城を守る兵たちが味方が負けたのだと誤解してしまったのだ。そのため、楊丁の軍勢は何の攻撃を受けることもなく城の中へ入ることができた。さらに、楊丁は呉巨の圧政を知っていたのですぐに米蔵を開いて民たちに開放したのである。この開放に大喜びした民より志願兵を受け入れて兵の数はさらに増した。堅固な守りの城ということはすぐに理解できた。高い城壁、四方の城門や隅に櫓を配し、政庁の周りも城壁で囲まれていた。万が一、外壁が落とされても内壁で敵勢を防ぐことができるようになっていた。
「なんという堅固な城だ。すぐに守りを固めよ」
楊丁の言葉が城内に響き、命じられた兵たちはすぐに城の守りについた。
城の外はすでに夜になり、静かだった。どの生物も眠っているかのようだった。誰もが緊張感を失わずにゆっくりとそれを見守っていた。そこへヒタヒタという音がわずかに城門の櫓にいた楊丁の耳に入った。
「やっと来たか…」
楊丁は櫓を出ると一万の兵を待機させている城門の前に現れた。槍を構えて馬に跨った。傷ついた兵が外で叫んだ。
「開門、開門!」
「何者か!?」
城壁の上にいた兵が叫ぶ。
「呉巨様がお戻りになられた。開門しませい!」
呉遂は呉巨の従弟で後軍を率いていた。楊丁は目の前にいる兵に門を開くよう命じた。兵はゆっくりとした動作で閉じている門を開いた。開いた直後、楊丁を先頭に一気に外にやどり出た。
「我が名は楊丁。主君・公玄忠の命によりこの城を頂いた」
「なっ!?」
絶句したのは呉遂だった。
「かかれぇぇぇーーー!!!」
楊丁の号令の下、一万の兵馬が呉遂軍に襲いかかった。士気の下がった呉遂軍は兵力で勝っていてもこれに勝てることがなかった。瞬く間に真っ二つにされていく。
「くそっ!、退けぇぇぇ!!!」
呉遂は何もできない兵たちに退却を命じた。戦意を失った兵たちは命じる前からすでに退却していたが…。楊丁軍は今までの鬱憤を晴らすかのように次々に敵兵を倒していく。呉遂は広信から郁林の軍都・布山に向かう途中で追ってきた楊丁軍によって討たれてしまったのである。楊丁は降ってきた呉遂の兵を使って蒼梧の各地の県を次々と落としていき、残るは北部にある建陵という城だけだった。ここでも呉遂の兵を使った降伏策を用いようとしたが守っている兵には通じなかった。ここを治めるのは毛道範だった。死地を抜け出した毛道範は城に戻っていた。まるで疾風の速さで全身は返り血でまみれていたという。城を落とせないと判断した楊丁は近くの茘浦(れいほ)に陣を構えた。楊丁は毛道範のことを知っていた。武勇に優れているという噂を耳にしていた。参軍校尉として楊丁に従っていた公凛が声を発した。
「武勇に優れているが知略には劣ります。城の三方は高い山に囲まれています。この事実が毛道範の穴だと考えています」
「うむ、つまり絶対に攻められないと思わせておいてそこから攻めるということだな?」
「はい」
公凛は頷いた。公凛は玄忠の異母妹で玄忠が諸国を漫遊しているときに楊丁と婚姻し、ずっと楊丁の参軍として行動している。
「ところで…」
「はい?」
「兄に会ったか?」
「いいえ」
「何故?」
「国を捨てた者には会いたくありませぬ」
「捨てた者か…」
確かに玄忠は一度、国を捨てている。諸国を漫遊するという口実のもとに。
「しかし、今は主君としてその座にいる。何れ、会わなくてはならぬぞ」
「そのときはどちらかが死んでいるときでございます」
公凛はきっぱりとした言葉で言った。
(玄忠よ…、どうする…)
この二人の不和に楊丁の心は揺らいでいた。
建陵城の政庁では毛道範と弟・毛道栄は楊丁をどうやって攻めるか協議していた。
「あの城は背後が川だ。だがその川を除けばどこからでも攻められる」
毛道栄が言う。
「うむ、兵力は向こうのほうが多いが呉遂の兵が多く混じっている。これを使えば難なく倒せよう」
「ただ、問題がある」
「何だ?」
「楊丁は知略にも優れている。我らの考えていることが読まれてはいまいか?」
「読まれていたとしても我らには武がある。二つの武が合わされば楊丁の知などどうってことはない」
「そうですな」
二人は笑いながら杯を持ち上げていた。そのときである。地響きとも取れる揺らぎが政庁を襲った。毛道範はすぐに何であるか理解した。
「敵襲か!」
そう気づいたときには背後から騎馬隊が急襲していた。
ワアアアアアァァァァァーーーーー!!!!!
喚声が城の中に響き渡った。城の背後は傾斜になっていた。馬術の達者な者であれば下りることはどうってことはなかった。しかし、この城の背後は城壁がなかった。その油断が毛道範の穴としてぽっかり生まれたのだ。
「くっ…、迎え討てぇぇぇーーー!!!」
毛道範は政庁よりやどり出ると展開していた楊丁軍を次々と倒していった。敵の中を走る背後は毛道栄が守った。そのおかげで二人の周りには兵の死体が数十も転がったのである。その風景を見た楊丁は単身、やどり出た。
「敵将・毛道範、我が名は楊丁。一騎討ちを所望致す」
「おう!」
毛道範はゆっくりと死体を横切って楊丁のほうへ向かった。毛道範の手には交州随一の名槍・斧龍槍が握られていた。馬と馬が一定の間合いをとって主の足となる。楊丁と毛道範の一騎討ちが開始された。一合、二合、三合…、火花が散る回数が増えるにつれて楊丁の動きが多くなる。毛道範の振るう槍術は独特なものだった。それが楊丁を戸惑わせた。槍というのは「突き」「払う」が本分である。しかし、毛道範はこの2つの他に「振る」というものがあった。ただ振るわけではない。囲んだ相手を避けるときに振ることはあっても相手に深手を負わすために振り回すのである。それが斧の役割だった。そこで楊丁は作戦を変えた。突いてきた毛道範の攻撃をかわすと足である馬を攻撃したのである。攻撃された馬は首もとを突かれて大きくバランスを崩した。それと同時に毛道範は落馬したのである。そうなると形勢逆転である。落馬した毛道範は斧龍槍を手放していることに気づいた。槍は少し離れたところに落ちていた。そこで腰に帯びていた剣を抜き放った。楊丁はすかさず追い討ちをかけた。槍と剣では優劣の差がはっきり現れた。それを見守っていた毛道栄が駆けつけようとしたところに公凛が前を塞ぐ。
「お前の相手は私がする」
「どけっ!、女ぁ!」
毛道栄は槍を構え、公凛も同じように槍を構える。先手を打ったのは毛道栄だった。一気に勝負をつけようと突進してくる。これを公凛は馬をうまく操ってかわすと毛道栄の頭に狙いを定めた。背後に回った公凛はいとも簡単に頭を攻撃したとき鳩尾に強い激痛を受け、悶絶しながら落馬した。毛道栄は計算していのだ。突進すればかわすだけで済むという考えを逆手に取って槍の頭(刃の部分と逆のところ)で公凛の鳩尾に一撃加えたのだ。
「ぐう…」
もろに食らった公凛は地面に叩きつけられ、動けなくなっていた。
「女ぁ!、虚仮にしやがって…」
「ふ、不覚…」
毛道栄は槍を構えた。
「死ねぇぇぇーーー!!!」
毛道栄は力の限り、槍を公凛に向けて突いたのである。楊丁は公凛が落馬したことに気を取られて毛道範の攻撃を受けていた。毛道範の馬と同じく楊丁が跨っていた馬もすでに首を切断されて絶命していた。楊丁から見れば二人の強敵を飛び越えていかなければならなかった。毛道範と毛道栄である。楊丁は死を覚悟した。自らの妻を救うために。毛道範の頭上に向かって飛びあがると一気に振り下ろした。毛道範は左に避けて筋肉の塊のような拳を楊丁の顔面に見舞う。その勢いで楊丁は壁に激突して気を失ってしまった。毛道範は楊丁を、毛道栄は公凛を仕留めにかかろうとしたそのとき一陣の矢が疾風の如く、毛道栄の肩を貫いた。それと同時に一個の体が楊丁の前に現れ、毛道範の攻撃を阻止したのである。
「ぬっ!?、お前は…」
「やっと見つけたぞ。毛道範」
その声の主は宗極だったのである。
「あのときの決着をつけようぞ」
宗極も剣を抜き放った。
一方、毛道栄は肩を貫かれて蹲った。
「いかんなぁ、女に手を出したら」
土煙の向こうから人影が現れた。
「き、貴様は…」
「公玄忠推参」
そう静かに答えた。
「こ、公玄忠だと!?」
「如何にも」
公凛は玄忠の姿を遠のく意識の中で見つめていた。
「に、に…い………さ……ま………」
「動くでない」
子供に言い聞かせるように言うと公凛の前に立ちふさがった。玄忠の背中が大きく視界に入ると公凛の意識は完全に途絶えてしまったのである…。
毛道範と宗極の一騎討ちはこの後も続けられた。横では肩を貫かれて動けなくなった毛道栄が敵に捕らえられた後もである。剣と剣が交じり合う数は数十合にも及んだ。双方の体には深手となるような傷はなかったものの無数の小さな傷からは血が流れていた。それでも勝負がつくことがなかった。
「双方、退けい」
玄忠が二人の勝負を止めた。
「何者か?」
毛道範が言う。
「公玄忠と申す者、毛道範よ、その武勇を我に貸してはもらえぬだろうか?」
「貸すだと!?」
「そうだ」
「断る。二君に仕える気はない」
「ならば聞くが…、御身はまことに申廉を主と認めていたのか?」
「何と申すか!」
「御身はあの囲みを突破したのに何故、そのまま交祉に戻らなかった?」
「………」
「そればかりではない、この城は呉遂の領地。何かの目的がなければこの地に足を止める理由にはならぬであろう」
「ふん」
「まことに申廉が主と言うならば早々に交祉に戻られよ」
玄忠の厳しい言葉が毛道範を射た。
「くっ…」
「御身が答えられぬのならばはっきりと申そう。この城はかつて祖父である毛道轍の領地であった場所。呉巨がこの地に独立した際、毛道轍は滅ぼされている。それと関わりがあるであろう?。御身はそれを取り返すべくこの地に舞い戻ったのではないのか?」
「………」
毛道範の心が揺れた。
「…わかった。我の負けだ。たしかにこの地は祖父が朝廷より命じられて治めていた場所。呉巨によって攻められて祖父は殺された。我は病床に伏せていた父を守りながら交祉の龍編へ落ち延びた。その父も先日急死したのだ」
「ならば呉巨を討つ気はないか?」
「呉巨を?」
「ああ、呉巨はあの囲みを突破して布山の城に入っている。行く気があるならこの地は御身にそのまま与えよう」
毛道範はその言葉にゆっくりと頷いた。
十日の後、肩を貫かれたと思われていた毛道栄の傷も浅かったため、毛道範と共に布山の城に出陣したのである。毛道範の行動を見張る目付となる人物は玄忠の命により付き従うことはなかった。軍勢はゆっくりとした足取りで郁林の郡都・布山に向かった。毛道範が率いているのは手勢五千だけだった。それは毛道範の申し出によるものだった。
「栄よ、我らはまことの主を見つけたようだな」
「まことに」
毛道栄は玄忠より射られた矢のことを思い出していた。放たれた場所は城門の辺りだったと後に配下の兵から聞かされた。大陸において弓の達者の者は数知れなかったがその中でも劉表に仕える黄忠(こうちゅう)は随一だった。玄忠の腕はその黄忠に匹敵するのではないかと思ったのである。また、玄忠を慕う猛将、勇将たちが多く集まっていた。それだけに玄忠を敵に回していたことを後悔した。
毛道範、布山迫るの報せを受けても呉巨は動じなかった。なぜならば毛道範が攻めてきたと思ったのではなく、敵の囲みを突破して布山に逃れてきたと解釈していたのだ。だからこそ、毛道範が城門に迫ったとき、「開門!」の声を聞いたときでさえ何の疑いも持たずに城に入城させたのである。毛道範は全軍に命じて政庁まで攻めると呉巨を破竹の勢いで捕らえてしまったのである。
これで連合軍は壊滅の道へ進むことになるのだろうが玄忠の許には二つの報せがまだ届いていなかった。それはケ武と李充の戦況であった。
呉巨の命によりケ武が守る高涼の郡都・思平に進軍していた韓統は陣を構えていた劉泰と激突した。辺りには喚声が響き渡り、怒涛の如く馬の蹄が雑草を踏み潰して行った。刃と刃が火花を散らし、矢と矢が兵たちの頭上を飛び交った。兵力では韓統が勝ったが強さでは劉泰のほうが上だった。次第に韓統軍は押され始め、最後には退却を余儀なくされてしまったのである。それでも劉泰は追尾をやめなかった。退いた兵は半分近くもあり、立てなおされては勝ち目はないと踏んだのだ。劉泰は思平近郊から蒼梧近くまで追い続け、最後は臨充にて役目を終えた父・劉彭と挟み討ちをするように韓統を降伏に追い込んだのである。劉泰は玄忠軍では一、二を争う猛将である。韓統はただの若造だと侮っていたのも敗因となった。
そして、もう1つの戦いである舞然と李充の戦いも混戦になることはなかった。陸では勝てないと評された李充は巧みに主力を朱崖と合浦との国境に配し、幾重の伏兵を置くと同時に少数の水軍を率いて川を遡り、敵の輸送拠点である合浦の城を急襲した。守備兵だけしか残されていなかったため、あっという間に陥落した。そして、援軍として駆けつけた王循の軍勢と合流し、舞然を前後より攻撃すると一気に殲滅したのである…。
最後に残された交祉も毛道範の説得に応じて開門した。ここに交州は完全に玄忠のものとなった。番禺に戻った玄忠は改めて交州刺史の地位に就き、人事の整備を行った。各郡を治める太守も一新された。州都・番禺がある南海太守には王循が就き、呉巨が治めていた蒼梧太守(北部の建陵は毛道栄が与えられた)には楊丁、郁林には劉泰が入った。さらに、高涼にはケ武、朱崖には李充を配し、合浦太守には宗極が抜擢された。宗極が李充の目付も兼任していることは玄忠と王循との間で交わされた密約である。最後に得た交祉には毛道範が入った。
また、玄忠を補佐する者たちもかわり、番禺の治安を守る都尉には御車蘭、主君を護衛する行軍護尉に管越が就いた。越族に対する配慮も忘れていなかった。越族の長である昭王(越昭)には要衝・増城を、子・越翔には龍川を、妻であり昭王の養女でもある越伯には中宿(番禺詰)を与えた。西交州に向かう街道を押さえる四会には玉蒙を配し、番禺の周辺は越族によって守られたのである。
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