第二章 董卓の横暴

 洛陽より逃れた曹操は董卓を倒すため各地に散らばる武将たちに檄文を送った。この檄文に意を決した各地の群雄たちが陳留に集まった。
「よくぞ、参られた」
曹操が名高い武将たちを前にして声を発した。
「我らの目的は董卓の首級だた一つである。しかし、これを成功させるためには皆をまとめる者が必要だ。そこで袁紹殿を総大将に迎えたいのだがよろしいか?」
袁紹は一度は断ったものの、群雄たちの強い希望により了承せざる得なくなった。遠紹は急遽、造り上げた祭壇へとのぼった。
「我らの心もまた一つとし、董卓の首級を取り、皇帝を救い出し、漢王朝を復興させることだ。我に力を貸したまえ」
「おおおおおおおおぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉ!!!!!」
群雄たちに仕える兵たちが一つになったのである…。

 それより少し前の話し、黄巾の乱が平定され、予州刺史として孔由が派遣されてきた。統治が始まったものの予州は元々黄巾党が拠点としていた地域でもあるのでそう簡単にはまとめることができなかった。また孔由は董卓によって遣わされた武将でもあったが本人は全然気にしていなかった。戦いよりも詩を読んでいるほうが良かったという。そんな性格だからか、黄巾党の残党が多くこの地に住み着いてしまった。そんな折、太平道の復活というよりも暴れたいから暴れる、盗みたいから民を襲う集団が現れた。孔由は早速、配下に命じて鎮圧に向かわせたものの、見事に敗れてしまったのである。こうなってくると刺史の権威は地に墜ちたも当然であった。失意にあった孔由の許に一人の人物が訪れた。その人物に会った孔由は、
「御身、どこかで会ったことはなかったかの?」
「ありまする。以前、洛陽にて」
「やはりのお、確か討匪将軍・公伯錦のご子息ではないか?」
「如何にも。孔由殿を手助け致そうと思い推参致しました」
「助けとな?」
「はっ」
玄忠は膝をついて礼の姿勢を取った。
「連中に本当に勝てるのか?」
「勝てまする」
孔由その言葉を信じてみることにした。
「よしっ、お主に二千の兵を与える。見事、討ち果たしてみよ」
「兵はいりませぬ」
「いらぬと申すか?」
「ただ、少々、協力してもらいたいのですが…」
「わかった。何なりと言うがいい」
その声を聞くと玄忠は体を反転させて安城城の政庁にある政務の間より出て行った。手勢はわずか一千であった。だが、玄忠にはこれで十分だった。夜盗は安城周辺に拠を持っている黄巾党らしかった。かつて共に戦った仲間だが張角がいない今、黄巾党として戦うより正規軍として生き延びる策を選んだのである。
 物見の情報によると敵の兵力は五千という。
「やはり孔由殿に兵を借りたほうが良かったのではないのか?」
周愛は玄忠が手勢で行くと豪語したことに一抹の不安を感じていた。
「いや、我らは正規軍ではない。孔由殿に恩を与えなければこれに参加する意味がない」
「しかし、敵は我らの倍ぞ」
「我らは以前、陶謙と戦ったことを覚えておるか?」
「ああ」
「そのときと比べれば今回のほうが楽なほうだ」
「うむ」
「戦というものは正面から突っ込んでばかりでは勝てぬ。兵力の差などすぐに埋まるさ」
玄忠は城壁の上から遠くに見える砂煙を見据えていた。

 張角の死後、黄巾党の孫仲は趙忠の呼びかけに応じて宛城に集結したが朱儁・劉備軍に敗れた。官軍の援軍として駆けつけた孫堅の猛追を何とか振り切り、命からがら予州の地に帰り着いた。残党を少しずつ集めながら州都・安城周辺に勢力を築いた孫仲は新たに赴任してきた孔由の足元を揺らがしていた。そんな孫仲の許に報せが飛び込んできた。
「ほう、孔由に援軍とな!?」
「はっ」
「して、数は?」
「一千ほどとのこと」
「ふん、それだけの兵で何ができる。早速、滅ぼして孔由にその首を送りつけてやれ」
そう言うと孫仲は五千の兵に下知した。その姿は小勢力の太守たちの軍勢よりも立派に見えた。
 孫仲の軍勢は安城の城がわずかに見えるところまで来た。孫仲は周辺の村落を荒らし回るだけでなく、城も攻めていたのだが孔由は防御的な戦略が得意なようでなかなか落ちなかった。そのため、孫仲もここまで軍勢を率いて来たのだがどうやって攻めるか悩んでいた。そんな孫仲の表情を見た側近が、
「夜になって攻めては如何でしょう?」
「うむ、それもよかろう」
孫仲はこの地に陣を張ることを命じた。

 孫仲が陣を張っている頃、玄忠は圓範ら百名の精鋭と共にある場所にいた。そこは安城より南西にある慎陽という県城の近くに来ていた。県城といってもすでに黄巾の乱の際に内部を徹底的に破壊つくされた廃城であるが城壁は生きていた。しかし、廃城の割には近くの川から水を引き込んで堀を造っていた。この城こそが孫仲の拠点なのだ。無人の城のように見えた。
「敵の大半は安城にいる。今ならここを攻め落とすことはたやすい。かかれっ!」
玄忠の号令と共に圓範が先陣を切る。馬に跨る猛将は槍を片手に城に攻めかかった。城は無人でこそなかったもののあっという間に陥落した。堅固を誇示している孫仲軍も少数では守れるという自信を持っていた。それを損なわせることこそが玄忠の慎陽陥落への道だった。
 孫仲軍が出陣するの報せを受ける前から玄忠は行動に移していた。孔由は敵の拠点すら特定するに至っていなかったため、足の速い者を十人程度選ぶとすぐに探させた。そして、慎陽が敵城だと確信すると内部より呼応させるため、忍び込ませていた。
 その際、玄忠は孔由に面会し、
「これより敵城を落としますがそれには敵を外へ出さなければなりませぬ。敵の許にはすでに援軍来るの情報が流れていると思います」
「なぜ、そのようにわかる?」
「はっ、孫仲の身近なところに味方を忍び込ませております」
「ほう、手の打ち方が早いことだな」
「戦というものは先手先手を打っていけば勝ちを拾うことができます」
「うむ、それで?」
「はっ、孫仲は野望高き男という周辺の評判です。ならば、この情報を耳にすれば孫仲は城より出陣致すでしょう。ただし、孫仲は以前よりこの城を攻めあぐねています。必ずや、迷いが生じるでしょう」
「つまり…」
「そうです、夜の攻撃を選ぶでしょうから孔由殿は城の守りに徹して頂きたい。これには我が手勢も加わります」
「そうなるとお主の周りには兵がいなくなるのではないのか?」
「御安心を」
「今回はお主に託している。任せる」
「ははっ」
玄忠は孔由に礼の姿勢を取るとすぐに配下の許に行き、圓範に選ばせていた精鋭を連れて敵城に乗り込んだのである…。

 慎陽陥落の報せは孫仲を驚かせた。
「そ、それは真か?」
「はっ」
「殿、まだ兵たちには動揺が広がっておりませぬ。直ぐさま、引き返して慎陽を奪い取るのが先決かと存じまする」
「うむ、すぐに慎陽に引き返せ」
側近の言葉に孫仲は動揺しながらも頷いた。それを止める者が現れた。
「お待ち下さい。引き上げるのは早ようございます」
「周倉、なぜだ?」
周倉は元張宝麾下の武将で主君の死後は孫仲の許で光を見る機会を狙っていた。
「今、引き上げると背後を突かれる恐れがあります。まずはそれがしが一千の兵を率いて慎陽の様子を見て参りましょう」
「ふむ…、よし、行け」
「はっ」
周倉は被っていた帽子を被り直すと槍を片手に颯爽と去って行った。
 周倉の行動は玄忠を唸らせた。慎陽を陥落させた後、北の城壁に兵を集中させて孫仲の帰りを待っていたのだが周倉の機敏な動きには驚いていた。しかし、驚くというよりも、
「黄巾党にもまだまだ勇の者はいたか」
と、新たな仲間を求めるためにも周倉は打ってつけであった。この報せを聞くや、圓範を呼び、
「お主、周倉なる者を知っておるか?」
「はっ、無論にございまする」
「何者か?」
「張宝様に仕えていた猛将にございます。水練にも達者で孫仲など足元にも及ばないかと」
「ほう、一騎打ちして勝てるか?」
「捕らえろと申されるので?」
「うむ」
「それは無論のこと」
「よし、行くがいい。城門の前に篝火を焚かせておけ」
「はっ」
圓範が政務の間より出ていくと玄忠も後に続いた。そして、孔由に使いを出した。
「孔由殿にこう申せ。物見を出して敵の動きを確認せよ。敵が退く動きを見せたら夜陰に乗じて背後より突くようにと」
「はっ」
「それと周愛には間道を通り抜けて慎陽まで来てくれと伝えてくれ」
「承知致した」
兵はすぐさま、走って安城に向かって行った。
 城門の外では篝火が焚かれ、圓範がその真ん中で馬に跨って槍を構えていた。城壁の上では100人の兵が五十人ずつ弓を構えて敵の攻撃に備えていたのである。櫓跡に玄忠が着いたとき、周倉軍も到着したところであった。周倉が兵と離れて一騎でやってきた。獲物には槍をもっている。
「待っていたぞ、周倉」
その声に聞き覚えがあった周倉は顔をあげた。
「む、お主は圓範ではないか!?」
「久しいな」
「何故、こんなところにおる?」
「それはこちらが聞きたいこと。何故、孫仲などに関わっておる?」
「ふん、慎陽を落とされたのは意外だったがお主が相手となれば動作もない」
「ほう、昔の我とは違うぞ」
圓範は槍を構えた。
「待て」
その二人の一騎打ちを制するかのように玄忠が城壁から割って入った。
「何奴!?」
周倉から玄忠の姿は見えない。
「お主、董卓と戦いたくないか?」
「董卓だと!?」
董卓は洛陽に巣くい、皇帝をないがしろにする亡者だった。
「ああ、我と共に来ぬか?」
「名を名乗れ」
「我が名は公玄忠なり」
「公玄忠…」
周倉は呟いた。そして、思い出した。
「張梁殿に知略の実力を認められた男か!?」
「おうよ」
玄忠は城壁から篝火が焚かれているところに飛び降りた。その身軽さは配下の兵たちに引けを取らない。
「お初にお目にかかる。元張梁軍都督公玄忠なり」
「お主が…、あの…」
「如何にも。どうだ、我と来ぬか?」
玄忠は周倉の武勇を知っていた。かの劉備率いる義勇軍に包囲された際、敗走する配下の兵をまとめて血路を開いたという。
「いや、それでは義に反することになる」
「ならば次に会うときに致そう」
「いや、何度頼まれても同じ事でござる」
「そうか…」
周倉は丁重に断ると強い殺気を放った。
「我が名は周倉、我に仇となす者を討つためにやって来た!、参るっ!」
馬上にて槍を構えた。圓範は玄忠を護るかのように一歩前に出る。周倉の言葉を聞いた麾下の兵たちの士気も盛んになってきた。こうなると玄忠にとってはかなり劣勢である。士気も兵力も差がありすぎた。それでも玄忠は動かなかった。
(まだ来ぬか…)
玄忠は待っていたのである。劣勢を優勢に変えるカードを隠していた。
「かかれぇっ!」
周倉は前線にいて号令をかけた。兵は疾風の如く慎陽城に攻めかかってくる。
 一方、周倉と圓範は一騎打ちを始めていた。槍と槍が交わるごとに火花が散る。一合、二合、三合…、交わるたびに火花が弾け、篝火の炎が闇と光を交互に映し出す。周倉軍が城壁に近づこうとした瞬間、
「放てっ!」
玄忠の声が闇夜に響いた。城壁に潜んでいた百人の兵が一斉攻撃をかける。不意を突かれた兵たちは次々に倒されていく。それでも数が違い過ぎた。約十倍の差である。到底、抑えきれるものではない。それでも堀が唯一、防御の役割を果たしていた。騎馬兵は堀には近づけず、歩兵のみが攻撃を仕掛ける。城門に続く場所では周倉と圓範の一騎打ちが続いたため、兵たちも避けるようにして城攻めをしていた。それを見た玄忠は勝利を確信した。確信した直後、周倉軍の背後で戦いが起きてきた。
「援軍が来たぞ!」
玄忠の隠しカードが今、オープンになった。
「おおおおおおおぉぉぉぉぉぉぉぉぅぅぅぅぅ!!!!!」
兵の士気が一気に上昇した。
 周愛は慎陽に展開している周倉軍を見るや、一気に攻撃を仕掛けたのである。これにより一気に戦況の決着がついた。
「もはや、これまでか…」
周倉は敗北を認めた。
「全軍、退けい!、血路を開いて逃げ延びるのだ!」
周倉は圓範に、
「また後日」
そう言い捨てて颯爽と去って行った。玄忠は深追いは危険と察し、孫仲軍の背後を突くことにしたのである。
 安城の城外にて繰り広げられていた孫仲と孔由の攻防は孫仲が討死した時点で決着がついた。弓の達者な者が隙を見て孫仲めがけて放ったのである。これが見事に命中し、孫仲の額を貫いた。これにより孫仲軍は総崩れとなり、さらに背後から玄忠の軍勢が襲いかかり勝敗は決した。
 赴任以来初めての大勝に孔由は酔い知れた。玄忠は孔由の宴に招かれた。
「此度の勝利、お主のおかげだ。感謝致す」
「いやいや、これも孔由殿の強い意志があってのこと」
「そこでな、お主を軍師に登用したい」
「しかし、それがしは…」
「過去のことなどもはや関係ない。よろしいかの?」
「有り難き幸せに存じまする」
玄忠は同時に汝南太守に任命されてしまったのである。玄忠にとってはよかったが孔由の側近たちにとっては脅威と感じたのである。
「黄巾の残党を軍師に迎えるなどもってのほか」
と何人もの官吏・武官が孔由に直訴する事態になってしまったが孔由は玄忠の器量を信じていたため、首を縦に振ることはなかった。
 それと時同じくして曹操からの使者がやってきた。
「ほう、董卓を討つべく兵を挙げろと申されるのか?」
「はっ、すでに袁紹様、孫堅様、馬騰様らが陳留に集結しつつあります」
「ふむ、どう思う?、玄忠」
孔由は玄忠に助言を乞うた。
「引き受けるべきにございます。董卓は皇帝をないがしろにする逆賊にございます。今、これを討たねば漢王朝は完全に滅びの道を歩むことになりましょう」
「うむ、他の者はどう思う?」
「断るべきにございます。今、予州は黄巾党の巣窟と化しています。孫仲などはまだ小兵に過ぎませぬ。無闇に国力を消耗しては我らのほうが先に滅びてしまいます」
「うむ、それも一理あるが玄忠如何に?」
「たしかに予州は黄巾党の拠として未だに平定の道は遠いです。しかし、孫仲を討ったことで残党どもに少なからず動揺を与えたはず。現に降伏を申し出てくる者は多々に及びまする。今、挙兵に応じたところで国力を減らす原因にはならませぬ。それにもう一つ、御使者殿、この檄文は陛下の勅命と申されたな?」
玄忠は曹操の使者に言う。使者は頷きながら、
「はっ、曹操様のもとへ陛下の使者が到着し、自らの血によって認(したた)められた密命が届きました」
この言葉を聞いて玄忠は孔由のほうを向いて、
「殿、陛下の密命であればこれに反することは董卓同様逆賊と見なされます。それに今後のことを考えると今、各地の群雄たちと肩を並べておくことが良きものと思われます」
この言葉に孔由も頷いた。
「曹操殿に挙兵の意志があると伝えてくだされ」
「承知仕りました」
使者を謁見の間より去って行った。
「皆の者、早速、準備にかかれ」
そう言うと文武官たちは主君の命に従い、続々と己の任務にあたった。

 陳留には各地から駆けつけた兵たちによって埋め尽くされていた。群雄たちは本陣において董卓麾下・華雄が護る水関を攻めるための協議が行われていた。
 その頃、玄忠はある男と会っていた。孔由軍陣営より少し離れた川の畔である。
「久しぶりですな」
「うむ、お前が孔由殿の軍師になっていたとは思わなかったわい」
「成り行きでここまで来てしまいました」
「成り行きか…。そろそろ戻って来ぬか?」
「さあ…、今の主は孔由殿です。軍師としての立場を全うしたいのです」
「そうか…、それならば無理にとは言わぬ。いつでも帰ってくるがいい。いや、お前はきっと我が許へ帰ってくると確信している」
白髭を生やした男はそう言った。言われた玄忠は苦笑している。
「しかし、本陣のほうに行かなくてもよろしいので?」
「構わぬ、朝廷より将軍位を拝命しているものの、太守殿から見れば所詮、わしはただの一県令に過ぎない」
「彼の地は南方でも訳ありの地。あそこを制することができれば他の群雄たちにも退けを取らないでしょう」
「うむ、そのためにはお前に戻ってきてもらわなくてはならぬのだ。玄忠」
「父上、他者を頼ってばかりでは光が見えませぬぞ。己の力を信じて周りを見極めて動きなされ」
玄忠は自分の父で朝廷より討匪将軍を拝命している公伯錦の姿を見ていた。
「そろそろ行かねばならぬ。また会おうぞ」
そう言って伯錦は去って行った。
 玄忠もゆっくりとした足取りで自らの陣営に戻った。戻ると孔由が帰ってきていた。
「おう、来たか」
「はっ、今、各陣営を見て参りました。士気は高いようです。これならば董卓も倒せましょうが水関攻めは誰が担うのですか?」
「うむ、孫堅殿に決まった」
「ほう、江東の虎ですな」
孫堅は黄巾党討伐の功により長沙太守となっていた。
「して我らは?」
「今のところ、待機となった」
そう言って孔由は奥の座に引きこもった。疲れているのだろう。玄忠も外へ出た。日がちょうど西に傾いている頃だった…。

 翌朝、孫堅軍は騎馬隊を先頭に軍勢を引き連れて颯爽と敵が待つ水関に向かった。水関では華雄を筆頭に李粛、趙岑、胡軫らが護っていた。水関は陳留より河水に沿って西に行ったところにある官渡の近くにある。水関の向こうには要害虎牢関、洛陽と続いている。この地を護りきることは董卓にとって生命線でもあった。
 水関の城壁の上に華雄が立っていた。遠くに見える砂埃が華雄の目に映っていたからだ。
「胡軫」
「はっ」
脇に控えている胡軫を呼んだ。
「敵将は誰か?」
「孫堅にございます」
「見事、討って参れ」
「はっ」
胡軫はすぐに兵を引き連れて孫堅軍の許へ出陣していった。華雄には胡軫が孫堅が討てるとは思っていなかった。案の定、胡軫は一刻も経たずに討たれ、味方は総崩れになっていた。孫堅軍はそのまま水関に猛攻をかける。

 ワアアアアアアァァァァァァァァァァァーーーーー!!!!!

兵の激しい怒号が士気の高さを示していた。
「ありったけの矢を打って打って打ちまくれ」
華雄は攻めも得意としていたが守りにも長けていた。兵たちは城壁の上から孫堅軍に向けて矢を放ち続けた。あまりの矢の多さに攻め手は次々と兵を失っていた。その戦況を見ていた孫堅は分が悪いと見てとるや、
「退けぇ!」
全軍に退却を命じた。四方を囲めばあっという間に落とせる水関なのだが高い崖に囲まれているため廻りこめる余地がなかった。ここを攻め落とすには同じ箇所を繰り返し攻める他手はなかったのである。
 その後も孫堅は間をおかずに水関を攻めたが落とせずにいた。しかも、兵糧のほうが尽きてきたのである。早速、孫堅は連合軍本陣に兵糧輸送の要請をしたのだがいつになっても兵糧は送られて来なかった。
「一体、総大将は何を考えておられるのだ」
孫堅は苛立ちを隠せなかった。側にいた祖茂も頷きながら、
「おそらく…、袁紹は最初から兵糧を送る気がなかったのではありますまいか?」
「何故?」
「殿の存在を脅威と感じたのでは?」
「脅威…」
「はい、このまま水関を落とされてしまっては総大将の地位が危うくなると考えたのではないでしょうか?」
「そんなことを考える総大将ではないわっ!。今は兵糧の確保、それだけに力を注げ」
「はっ」
祖茂は陣幕から外に出た。その直後、馬の走る音が陣内に響き渡った。物見が声をあげる。
「敵襲!、敵襲!」
その声は放たれた矢によって途切れた。高くそびえていた物見櫓から兵が落ちてくる。
「ええい、全軍討って出よ」
しかし、準備する時間もないまま陣内に華雄軍がなだれ込んで来たのである。兵たちは次々と華雄の餌食にかかっていった。孫堅は退却する他、方法がなかった。しかし、それは無数の大軍によって包囲されていた。
「くっ…、袁紹め…」
孫堅は敗走する足で華雄よりも袁紹を恨んだ。
 華雄の補佐として水関に入っていた李粛が異変に気づいた。
「殿、孫堅軍の様子がおかしいようです」
「おかしい?」
「はっ」
華雄は李粛をともなって城壁に立った。高い城壁の上から孫堅軍の陣が見えた。
「どこがおかしいのだ?」
「ごらんあれ、そろそろ飯時に関わらず炊飯の煙があがっておりませぬ」
「ぬう」
華雄はもう一度、孫堅の陣を見た。そして、頷いた。
「たしかに」
「これは敵に兵糧が送られていない証拠かと」
「つまり、味方に裏切られたと?」
「そのようで。今なら簡単に孫堅を討てます」
「よし、夜になったら全軍出陣致す」
華雄は孫堅の首を討てることに喜んでいたのである…。

「もはやこれまでか…」
孫堅は死を覚悟した。自害も覚悟したとき祖茂がそれを止めた。
「殿、なりませぬ」
「これの他に道はない」
「道ならありまする。兜をお渡し下さい」
「兜を?、お主、死ぬ気か?」
「殿が生き残ることができれば本望にございます。御免」
祖茂は孫堅の兜を奪い取るかのようにそれを被ると孫堅の愛馬の後方に蹴りを入れた。馬は驚いて孫堅を乗せたまま一目散にその場から去っていった。
「さあ来い、華雄よ」
祖茂は攻めてくる華雄に向かって馬を走らせた。華雄は孫堅を逃がさまいと追尾していたが周りは完全な闇であった。そこに声が響いた。
「華雄、その首もらい受ける」
「何人(なんびと)か?」
「孫堅ここにあり」
華雄は目をこらすと確かに孫堅の兜が月に照らされて輝いていた。
「おう、孫堅参る」
孫堅に化けた祖茂は死を覚悟した。槍を振りかざして華雄に攻撃を仕掛けた。華雄も槍を持ってこれと火花を散らす。しかし、三合ほど交わったところで祖茂の槍が弾き飛ばされたのである。華雄は祖茂の心の臓を狙って槍を繰り出したが背後から飛来した矢によって身がよろけ、祖茂の右肩をえぐっただけであった。それだけでも十分、祖茂を落馬に追い込むことはできた。飛来した矢は華雄の頬をかすめたに過ぎなかった。
「孔由軍ここにあり」
その声が闇夜に響いた。
「孔由とな…」
落馬した祖茂は驚いた。孔由は戦より詩を読むほうを好むと聞かされていたからだった。
「ちっ、孫堅、その首はいずれ」
周りに味方がいないことを見て取った華雄は闇の中へと身を消し去った。それを追いかけて孔由軍が追尾していった。落馬した祖茂は何とか立ち上がったものの、右肩が全然動こうとはしなかったため少しよろけた。そこへ馬に乗った衣を着た男が駆けつけた。
「大丈夫か?、華雄に単身向かっていくとは無茶なことをなさる」
「これも主君を護るため。貴君は?」
「孔由軍軍師にて公玄忠と申す者。孫堅軍への兵糧が輸送されていないことに気づきましてな、こうして駆けつけた次第」
「やはり袁紹が…」
祖茂は兵糧輸送を止めたのは袁紹だと思っている。
「いや、袁紹に何者かが讒言したらしい。そのために兵糧が群雄たちに気づかれないように隠されてしまった」
「そやつは一体…」
「分からぬ。だが、おそらく袁紹陣営の者であろう」
それを聞くと祖茂の怒りは頂点に達した。それと同時に激痛が走り、気を失ってしまった…。
 孫堅軍敗走の報せはすぐさま連合軍本陣に伝わり、群雄たちに緊張が走った。
「して、孫堅殿は?」
参謀として加わっている曹操が声を発した。
「分かりませぬ。もう討死なさっている可能性もありますれば…」
「なんということだ…。して、華雄は?」
「孫堅軍を破った勢いでこちらに向かって来ております」
「袁紹殿、ここは一刻も早く華雄を倒さねばなりませぬ」
曹操は袁紹に向いて言った。
「うむ、皆の者も聞いたであろう。孫堅殿が敗れたのは惜しいが今はそれを言っている場合ではない。まずは華雄を迎え討たなくては全軍の士気に関わる。誰ぞ迎え討つ者はいまいか?」
「それがしが迎え討ちましょう」
名を挙げたのは冀州刺史韓馥だった。
「それがしの配下に潘鳳と申す猛将がおりまする。彼の者ならば華雄を討てましょうぞ」
「よし、任せる」
そう言うと韓復は本陣の陣幕から出て行った。
 しばらくして本陣の怒濤のような騎馬の足音が激突の喚声に変わった。韓馥軍と華雄軍が本陣を前にして激突したのだ。しかし、勝敗は見えていた。勢いに乗った華雄軍を止めることなど不可能なのだ。すぐに遠紹の許に韓馥軍敗走、潘鳳討死の報せが飛んできた。
「誰か他におらぬのか?」
袁紹はつい叫びたくなったがここで取り乱しては全軍に動揺が広がると思い、何とか冷静さを取り戻した。
「ならばそれがしが行きましょう」
「何者か?」
「劉備玄徳の臣にて関羽と申します」
長髭が印象的な巨人だった。
「うむ、位は何ぞや?」
袁紹はどうも官位に興味が注がられるらしい。
「このような事態に官位など必要ありましょうや?」
「………」
痛いところを突かれた袁紹は沈黙し、かわりに曹操が口を開いた。
「勝算は?」
「十中十にございます」
「ほう、勝てると申されるか?」
「如何にも」
「お主はたしか大興山において程遠志を討ち取った猛将であったな」
「はっ、如何にも」
この言葉に群雄たちは驚いた。彼の要衝のため攻めあぐねた群雄も数多くここにはいたのである。
「袁紹殿」
「何か?」
「この者に華雄を討たせてみては如何かと?」
「わしは構わぬが…」
「関羽よ、華雄を見事討って参れ。一杯の杯を賜るがよい」
「いや、この杯は華雄を討ち取った後に頂くと致しましょう」
そう言って関羽は颯爽と陣幕から出ていった。それからまもなくして騎馬の足音の響きがピタッと止んだのである。陣幕の中にいた曹操と劉備だけが何が起きたか確信した。その確信通り、関羽が華雄の首を持って参上したのだ。
「おおお、よくぞ討って参られた。ささ、これを賜るが良い」
「有り難き幸せ」
関羽は杯を一気に飲み干した。これにより華雄軍は総崩れとなり、連合軍の士気は高まったのである。
 一方、華雄討たれるの報せに業を煮やした董卓は水関に援軍を送ると同時に虎牢関に出撃した。その中には最強の武官・呂布も含まれていた。
 袁紹は水関と虎牢関への同時出陣を命じた。協議の結果、孔由は水関攻めに専念することに決まった。
「ほう、水関ですか」
孔由軍陣営に戻ってきていた玄忠が口を開いた。
「うむ、直ちに出陣の準備を致せ」
「はっ」
孔由は玄忠が孫堅を助けに行ったことなど夢にも思わなかった。内密に動いていたからだった。玄忠は孫堅の許に駆けつける前に偶然にも連合軍本陣の近くの森に兵糧が運び込まれるのを目撃していた。従っていた圓範に命じて見に行かせた。しばらくして戻ってきた圓範は、
「あの兵糧はどうやら孫堅の許に運び込まれる兵糧のようです」
「ならば何故、森の中に運ばれるのだ?」
玄忠は森に近づいてみた。すると、数人の槍兵が向かってきた。
「何者か?」
「それがしは袁紹様に仕える逢紀と申す者。その兵糧はそのまま孫堅殿に譲ることになった。我らが護衛致す」
玄忠はわざと袁紹配下の文官の名を挙げた。
「これはこれは申し訳ありませぬ。それではお願い致し申す」
兵たちは何の疑いも持たずに引き上げた。兵糧を奪い返した玄忠はよからぬ噂が立たぬうちに手勢を率いて夜陰に紛れて孫堅の許に向かった。しかし、孫堅は敗走した後だったのである。それ以後、孫堅の行方は杳として知れなかった。玄忠は負傷して手当を施していた祖茂のところに向かった。祖茂は寝所にて横になっていた。
「傷の具合は如何か?」
「もう動ける。大事ない」
すごい回復力であった。
「我らは水関を引き続き攻めることになった。お主はどうする?」
「恩を預けたままでは我が名が廃る。水関攻めに参戦させて頂こう」
「無理は言わぬぞ」
「構わぬ」
そう言って祖茂は孔由軍として戦うことになったのである…。

 翌朝、連合軍は二手に別れて進軍を始めた。玄忠も孔由軍の一人として水関に向かう。玄忠の後方には圓範と祖茂がいた。
「因果なものだな。まさか、他の軍勢に加わって戦に参加するとは…」
祖茂は呟いた。
「水関は難攻不落と聞いている。落とせるのか?」
「落ちるまい」
玄忠は言った。
「落ちない?」
「ああ、虎牢関が落ちぬ限りな。向こうの士気は高い。それに援軍も到着したと聞く」
「我らの時より状況は厳しいか…」
祖茂はそう呟いた。まもなく、難攻不落と言われる水関がその全容を現した。
「ほう、あれがそうか…」
玄忠は初めて水関をその目で見た。
「正に難攻不落…」
軍勢を率いてきた孔由はそう漏らした。城壁は随分と高い。城壁が小さく映った。左右は高い崖に囲まれ、攻める兵は次々と倒されていく。
「どうする?」
「このまま攻めても落ちぬでしょう。敵が討って出るのを待ちましょう」
「よし、我が軍はこのまま待機」
しかし、他の軍勢は勢いを弱めない。そのまま攻めては倒れていく。その姿を見ていた祖茂は、
「口惜しいな…」
「しばし待て、いずれ決着は着くであろう」
玄忠は水関の陥落は虎牢関の戦い次第だと思っていた。
 しかし、玄忠の思惑とは別に虎牢関の戦いは連合軍劣勢だった。たった一人の武将に大半の軍勢は壊滅に陥っていた。軍勢を指揮する袁紹は困惑と驚愕を隠しきれなかった。
「化け物か、奴は…」
赤き魔物はその姿を戦に変えて現していた。赤兎馬に跨り、颯爽と暴れまくる呂布の姿であった。各群雄に従う猛将たちが挑んでは敗北を繰り返していった。呂布が進む道には自然と道が開けた。開けたというより恐怖におびえて呂布に立ち向かうことを辞めているのだ。そのため、呂布の軍勢は本陣の前を護る公孫讃のところまで達しようとしていた。ただ、一人だけ大半の者が知らぬ恵みがあった。
「兄者、行かせてもらうぞ!」
関羽と同じように髭を靡かせている巨人が義兄弟の契りを結んだ張飛が言い放った。
「待て張飛。やるのは呂布がこの陣営に来たときだ」
「兄者はいつから臆病風に吹かれたのだ!」
「別に臆病風に吹かれたわけではない」
劉備は凛とした表情で言った。
「考えてもみよ、我らの立場は微妙なのだ」
「だからこそ功を立てる必要があるんだ!、兄者、止めるなよ!」
張飛はもう一人の義兄・関羽に言い放った。
「止めはせぬ」
「ふぅ…、張飛よ、呂布に勝てる勝算はあるのか?」
劉備は張飛を止めることを諦めた。
「無論」
張飛は自信満々で言った。
「よし、行け」
「おう!」
張飛は喜びいさんで陣幕から出て行った。
「関羽、張飛を殺すな」
「承知」
関羽も張飛を追いかけるようにして陣幕より出た。その頃、呂布は公孫讃の陣営を突破しつつあった。
「どけどけどけぇーーーーぃーーーーー!!!!!」
呂布の猛攻に公孫讃軍は敗走することを余儀なくされた。そこへ一騎の武将が呂布の行く手を阻んだ。
「我が相手致す」
「ふん、どこの馬の骨か知らんが我に勝てるか!」
「来い」
張飛は槍を振りかざして呂布に掛かっていった。槍と槍が交じあうたびに火花が散る。一合、二合、三合、回数が増えるにつれ小さな傷が双方に増えていったが致命的な傷はなかった。十合、二十合、三十合…数十合にも交わりは及んだ。その凄まじい戦いに双方の軍勢の動きが止まり、固唾をのんで見守っていた。しかし、張飛には不利な条件が一つだけあった。それは馬である。呂布が乗っている馬は千里を走っても尚も疲れを知らない赤兎馬である。一方、張飛の馬も駿馬とは言っても名馬には勝てない。百合を突破した瞬間、張飛の馬が足を折って横倒しになってしまったのである。張飛は地面に叩きつけられながらも呂布の猛攻を凌いだ。そこへ関羽が駆けつけ、呂布を引きつけた。その間に劉備が新しい馬を持って駆けつけてきた。
「張飛、これを使え」
「おう!」
張飛は新しい馬に飛び乗ると再び、呂布に向かって行った。劉備も雌雄一対剣という宝剣を奮って参戦した。それでも呂布は三人をあしらっていく。これを本陣で見守っていた曹操は、
「すごい猛将たちだ」
と息をのみながら呟いたという。これを良き機会ととらえた曹操は袁紹に、
「呂布を攻めるなら今のうちです」
そう進言した。袁紹も頷くと、
「全軍、総攻撃をかけよ」
そう下知した。連合軍は一気に攻勢を強めた。それに気づいた呂布は分が悪いと判断して、
「この勝負預けた」
そう言い残して馬首をひるがえした。
「逃げるか、呂布」
「今は主君を護るが大事」
そう叫びながら虎牢関に向かう連合軍に攻撃を仕掛けたのである。三人は呂布を追いかけるが追いつけるものではなかった。
「ちっ、逃げられたか…」
張飛は悔しそうに呟いた。それを聞いた関羽は、
「生きている限り、機会はたくさんあるさ」
そう言って慰めたという。
 一方、水関では攻防は続いていた。陥落は遠いものと思われた。そこへ孫堅の軍勢が推参した。本陣を固めていた孔由に会い、
「おう、孫堅殿ではないか。やはり、生きておられたかっ!」
「そう簡単に死ねるか。この恨みは晴れておらぬ」
「どういうことじゃ?」
「わしになぜ兵糧を送らなかったのか?」
「何のことかさっぱりわからぬ」
孫堅は刀の鍔に手をかけていた。玄忠は、何も知らぬ主君の対応が危うしと見て取ると、
「孫堅殿、そのことについてそれがしがお話致そう」
孔由を護るようにして孫堅の前に出た。
「おう、貴君は?」
「公玄忠と申す者、一度、頴川にて刃を交えたことがありまする」
「ほう、あのときの…」
張梁を包囲したときに見事に突破されてしまったのである。
「今は孔由殿に仕えている次第」
そう言って袁紹がなぜ兵糧を送らなかったいきさつを語った。そして、その上で祖茂を救い出したことも伝え、祖茂を陣幕へ呼んだ。
「殿」
「おおお、祖茂、生きておったか!」
「はっ、お会いしとうございました」
感動の再会である。
「玄忠、お主、いつの間に…」
孔由は唖然としながら聞いてきた。
「殿、申し訳ございませぬ。此度のことは私の一存でやってしまったこと。全ての責務は私にあります。どうか、その手で我を討ってくださいまし」
そう言い放ったのである。討てないとことを知っていた玄忠はあえてそう言ったのである。
「孔由殿、お待ちあれ。現に我が臣を救ったのは玄忠殿です。玄忠殿が出陣していなければ祖茂の命はなかったでしょう。ここはこの孫堅にめんじてお退きくださいますよう」
そのように言われてしまうと孔由は何も言えなかった。
「わかった。此度のことは忘れよう」
「はは、有り難き幸せ」
玄忠は二人に一礼したのである。その直後、一人の兵が陣幕に入ってきた。
「申し上げます」
「如何した?」
孔由は平然と装って対応した。
「はっ、虎牢関において呂布軍が敗走し、連合軍の攻勢は有利に進んでおりまする」
「なんと!、あの呂布を制したと申すか!」
孔由ではなく、孫堅が驚きの声をあげた。
「はっ」
「孔由殿、今が好機ぞ。我らも行きましょう」
そう言われれば戦嫌いの孔由とて立ち上がらないわけにはいかなかった。
「お、おう」
孫堅と孔由は相対した動きで陣幕より戦いの場へと身を投じたのである。
 水関では虎牢関陥落の噂が広がっていた。指揮を取っていた趙岑も動揺を隠しきれずにいた。
「虎牢関が落ちたというのは真なのか?」
「わかりませぬ」
「虎牢関が落ちればここは完全に孤立する…」
疑心暗鬼に陥った趙岑は錯乱しそうになった。
「殿、兵たちにも動揺が広がっております」
「むむむ…」
これは玄忠が流した流言であった。趙岑は動揺する兵たちを抑えきれずに城門を開いた。真っ先に入城したのは孫堅であった…。
 これと時同じくして虎牢関も陥落していた。しかし、虎牢関に入城した群雄・武将・兵に至るまで全ての者たちが唖然とした。
 洛陽の炎上である…。燃えさかる炎が空まで赤く染めていた。虎牢関の城壁からその模様を眺めた袁紹は洛陽へ急ぐように命じたが曹操はそれに反対した。
「董卓はすでに洛陽より長安に逃れた模様です。すぐに追うべきです」
「それはならぬ。今、動けば董卓の思うつぼ」
「ならば、我らだけで行かせてもらう」
そう言うと曹操は手勢を率いて董卓の後を追ったのである…。

 虎牢関での戦いが不利と判断した董卓と参謀の李儒は文官たちの反対を押し切って長安への遷都を敢行した。もちろん、洛陽に住む民も道連れにしてである。そして、遷都と共に洛陽の至る所に火を放ったのである。それを見て董卓は、
「ふっははははは、爽快よのぉ」
「まことに」
悪党二人は笑いながらそれを見ていた。長蛇の列は延々と続いていたのである。それと同時に悪党たちは悪知恵を働かせて追尾してくる連合軍に備えた。丁度、曹操軍が華山(長安と弘農の間にある山)に差し掛かった。そのとき、伏兵が曹操軍を包囲した。
「しまった!」
董卓麾下の李確・郭軍が左右より舞い出てきたのである。
「ふはははは、曹操よ。かかったな」
華山の山頂に李儒の姿が現れた。
「曹操、董卓様に逆らった罪重いと知れ」
そう言うと曹操軍を包み込むようにして攻撃を仕掛けた。
「ちっ、退けぇ、退けぇーーー!!!」
曹操軍は血路を開いて退却するより手はなかった。しかし、敵の数は無数にあった。到底、突破できるものではなかったのだが二路より分かれた援軍が曹操軍を救出したのである。曹操の後を追いかけてきた劉備と水関より駆けつけてきた玄忠の二人であった。劉備は曹操を救い出し、玄忠は李確軍の背後を突き、総崩れにしたのである。これにより曹操は命からがら董卓の魔の手より抜け出すことができたが深追いした代償は大きかった。
 このまま恥を被るより再起を図ることを決めた曹操は敗走した軍勢をまとめて落ち延びて行った。参謀の地位にあった曹操の敗走と洛陽の荒廃を目にした群雄たちは遠紹の許に集まった。
「もはや連合としての機能は失った。董卓は長安に逃れ、都として栄えてきた洛陽はこの有様だ。皆の者、如何とする?」
「まもなく冬も到来しましょう。それに兵たちには疲労がたまり、郷里を恋しがっている者さえおりまする」
「このあたりが限界かと存じまするが…」
群雄たちはそれぞれ頷いた。
「しばし待たれよ」
「何かな、孫堅殿」
「水関での合戦のことはご承知か?」
袁紹は思い出した。兵糧を輸送しなかったことについてである。
「何故、兵糧を送らなかったのか問いたい」
「うむ、そのことについてはすでに見解が出ておる」
「見解とは?」
「喩渉、奴を連れて参れ」
脇に控えていた喩渉に命じると一人の武官を連れて来た。
「こやつが自らの一存で輸送を止めたことを突き止めた」
「と、殿、それは…」
武官は躊躇した。
「お前がそうかっ!」
孫堅はその続きを言わせる前に武官の首を斬り落としたのである。
「これで気も晴れたであろう」
袁紹はそう言ったが孫堅の気は一向に晴れることはなかった。そして、そのまま孫堅は長沙の地へと引き上げることにしたのである。その時、孫堅はある物を洛陽で手に入れていたことは言うまでもなかった。しかし、孫堅と曹操が共に引き上げたため、連合を結んでいる価値は完全に失われてしまい、残った群雄たちも郷里に戻ることを決断したのである。

 この後も董卓は生き続けた。皇帝の後見人として政権を完全に握り、ありとあらゆる贅沢の限りを尽くしたが漢王朝の行く末を案じた王允は連還の計を用いて呂布に董卓を殺させたのである。董卓は肥えた油に火を放たれたが丸一日火は消えることがなかったという。
 政権を奪い取った呂布はそのまま座り続けることはできなかった。董卓一門を倒したものの、董卓に仕えていた武将たちを侮っていたのだ。李確・郭・張済らは主君の仇を討つべく長安を攻めた。そのため、知略を知らない呂布は退却をする他方法がなかったのである。呂布に肩入れした王允は李確たちの手によって葬られた。しかし、これで戦乱は終わったわけではなかった。ただ、董卓が死んだだけのことであって平穏はまだ訪れるということはなかった…。


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