無迷の剣
竹林を縫うようにして延々と続く道、道には土が敷き詰められ、その上に落ち葉が舞い降りていた。一陣の風も吹くことなく静かな道が続いていた。一面に覆われた竹のおかげで空もロクに見ることができない。そんな場所に1人の旅路を急ぐ若者が歩いてきた。
「夜までにこの森を抜けたいなぁ」
ボソっと呟いたとき竹林を駆け巡るかのように声が響いた。響いたというより大音響となって叫ぶ声が耳に飛び込んできた。
「ワアアアアァァァァァァ――――――――!!!!!」
まるで戦が始まったかのように…。刀と刀が交わる音が響く。よく見ると竹林の中で1人の侍が複数の者たちに襲われているのが見えた。若者は侍を救うべく囲んでいた覆面をしている侍の背中を叩っ斬った。
「多勢に無勢とは卑怯な真似を…」
「何奴!?」
「ただの通りすがりの旅人に過ぎぬが御身らを許せるほど耄碌はしておらん」
「何だと!?、こいつも殺れ!」
若者の右斜めにいた男が振りかぶりながら襲ってくる。若者はその腹を一閃した。一閃すると同時に後方から襲ってきた男を振り向きながら一刀両断にした。それを見た長らしき男は不利と判断したのか、
「退け!」
一言叫ぶと囲んでいた男たちが消えるようにして去って行った。
「大丈夫か?」
若者が駆けつける。
「かたじけない…」
一言言うと竹を背にして腰を落とした。腕から血が流れている。若者は手ぬぐいを引きちぎると侍の腕にきつく縛った。
「くっ…」
「町まで行って手当てしなければ…」
そう言って若者は周辺に警戒しながら近くの村まで侍を運んだ。村には侍の素性を多く知っている人たちがいた。
「こ、これは曾我様ではありませんかっ!」
村人たちが駆けつける。
「誰ぞ、医者を呼んで参れ」
若者が言うと村人たちが走っていく。若者は近くの民家に侍を運んだ。
「御身の知人が多くおるようだな」
「ええ…、ここは我が育ちの故郷にて…」
「育ちの故郷?」
「生まれはこの地ではございませぬ」
「なるほど…」
若者は曾我と呼ばれた男の顔を見た。まだ幼さが残る顔をしていたが聡明な感じがした。しばらくして医者が走り込んで早々に手当てを始めた。村人たちが見守る中、若者は民家の外に出た。遠くのほうから駆けつけてくる一団の気配がしたからだ。
「おい、お前!」
一団の中の侍が若者に向かって言う。
「曾我が運ばれたのはここか?」
「如何にも、今、医者に診てもらっておる」
その言葉の全てが耳に届いたのか届いてなかったのか一団は村人を退けて中に入っていく。
「おおお、伊賀守様」
「忠親、大事ないか?」
「はっ、あそこにおる御仁に助けていただきました」
「あの者に………?」
「はい」
伊賀守と呼ばれた男が若者に近づく。
「忠親を助けて頂いて感謝致す」
「たまたま通りすぎたまで」
「これも運のつきでござる。名をお聞かせ願わぬか?」
「名乗ることよりもこの地にて何が起きておられる?」
「察しがよろしいようで」
伊賀守は苦笑した。
「公儀がおれば御家断絶は必死なのだが」
「安心めされい、我は公儀の者ではない。一介の浪人に過ぎぬ」
「それを聞いて安心致した。実は御家騒動が起きておりましてな。我らは前藩主、金子宗康様の三子・義康様の配下の者、相手は現藩主・宗昭の配下の者たちにござる」
「なるほど…」
若者は合点した。
「宗昭は藩主の地位に就くや実の父である宗康様を追放し、妾の子に産ませた嫡子・宗長と共に藩を牛耳り、無理な政策を次々と民に押し付けておるのでござる」
「それを御身たちが反対しているのですな?」
「如何にも、我らは義康様を当主に添えようと隠密に動いているのですが…」
「攻めるにも無理があろう、相手は城の中であれば…」
伊賀守は肝心なところを言われて若者を睨みつけた。
「失敬」
若者は陳謝した。
「いえ、これも我が藩の問題なれば…」
「事情をお伺いした以上、このまま去るのは士魂の名折れです。助太刀致したい」
「それは感謝するが我らにも意地がある。他の者の手は借りぬ」
「そうですか…」
「勝手を言って申し訳ない」
伊賀守はゆっくりとまた民家へと足を向けた。若者は伊賀守の後ろ姿を見ながら民家へ戻ることなく、村を後にした。
金子城、遠州掛川の北西に位置する10万石の外様大名である。城の規模こそ小さいものの堅固さでは全国有数だった。破却しようと企んだ本多正信を先の藩主・宗康は策を用いてこれを一蹴した。それ以来、一目置かれる存在になったが我が子に隙を見せてしまった。そのため、追放されるという事態になってしまったのだ。城下もその影響なのか静まり返っていた。にぎわいというものがそこにはなかった。若者は城下に入るところで番兵に止められた。
「この地に入ることまかりならぬ」
背丈の半分はあろうかと思われる棒を若者に近づけた。
「何故?」
「この地では一揆が度々起こり、落ち武者どもが一揆に加担しているのだ。お前が落ち武者でないという保証はどこにもない」
「内応されないためか?」
「そうだ」
番兵は頷いた。
「ならやむえんな」
そう言って来た道を帰ろうとしたとき、正面の街道から走ってくる早馬に出くわした。早馬は番兵に一言も告げることなく突破して行った。唖然としている番兵の隙を突いて若者は城下へと入り込んだのである。
「何とも警戒なことよのぉ、公儀から城を守るためか」
そう決め付けて若者は当初の目的通り、ある場所に向かった。その場所とは神社であった。行くとすでに誰かが若者が来るのを知っていたかのように待ち受けていた。
「久しいな」
そこにいたのは老人だった。
「ご無沙汰しております」
若者は頭を下げた。
「兄上殿は健在かな?、尾張の地で一度会ったきりじゃが」
「ええ、相変わらず剣一筋の御方ですよ」
「それはそれは…」
「ところでこの様は一体…」
「この地は混乱しておる。その一言に尽きる。宗昭を倒さねばいずれ藩は潰されよう」
「倒すと申されましても」
宗昭は城の中にいるのだ。あの堅固な城の中に…。
「安心致せ、もう手は打ってある。終わった後も含めてな」
そう老人は言いながら微笑を浮かべた。
「それよりもこんなところにいて大事ないのですか?」
「大事ないこともないのだが…」
老人は苦笑した。腰に刀が見えていた。
「こいつが我を護ってくれる」
「名刀・成松ですか」
老人は頷いた。しばらくすると無数の気配がこちらに向かっていることに気づいた。
「誰かが知らせたんでしょうな」
「わしの首には百万両の懸賞がかかっているらしいからのぉ」
「百万両とは…」
「そんな金がこの藩のどこにある!?。あの戯けが…」
老人は怒りに満ちていることに若者はすぐに気づいた。
「逃げられませんので?」
「どこに逃げる?、ここは我が土地ぞ!。それに策は今より始まる」
この言葉の意味が若者に脳裏に焼き付けられた。
「なるほど…、あなたの御人が悪い」
若者は苦笑した。左手はすでに柄にかかっていた。
「腕のほうは?」
「見てのお楽しみってことでしょうか」
「ならば見せてもらおうか」
老人の左手も柄に伸びていた。
「来たぞ」
足音が神社の鳥居の前で止まった。
「ほう、御身が来るとは予期せぬことだったわ」
老人は鋭い睨みを兵を率いてきた男に投げかけた。
「宗康公、神妙に縛について頂きたい」
宗康はせせら笑った。
「できるか?、お前に…。忠綱」
強い殺気を浴びて朱鷺田忠綱は一瞬怯んだ。彼の父・忠勝は関ヶ原の戦いで主君をかばって壮絶な死を迎えていた。父の血を受け継いでいるはずの忠綱も戦国の世を生き抜いてきた武者には勝てなかった。
「な、何をしている!、殺せ!」
忠綱の命を受けた兵が階段を駆け登る。宗康が刀を抜き放つと同時に宗康の背後から黒い影が飛び出した。そして、それは兵たちの死を意味していた。瞬く間に斬り捨てられていく。
「さすがは鬼の子よ」
宗康は感服した。あまりの速さに狙い目を失った兵たちの武器が空を切る。宗康はゆっくりと忠綱に近づいて刀を向けた。
「忠綱、この世はまだまだ乱れる。徳川の世が安泰となるのはあと20年はかかるであろう。豊臣もまだ健在だしな」
宗康は静かに言った。
「先に向こうに行って父君に詫びてこい」
恐怖で冷静さを失った忠綱は正面から斬り込んできた。宗康は頭を狙ってきた刀に自分の刀を合わせた。その瞬間、忠綱の刀は不思議なことに粉々に砕け散った。
「冥土の土産とするがいい」
そう言い捨てて忠綱を脳天から斬り捨てた。
「これが砕撃ですか」
若者は感服した。宗康は魂の抜けた忠綱の体を見ながら手を合わせた。
「こやつらも哀れなものよのぉ」
そう言うと若者を見つめた。その視線は若者の心を射ぬいた。何とも言えない感触が若者の心を動かした。若者は思った。宗康こそ誠の武士だと…。宗康の素性を知らぬ者はこの藩にはいまいが剣技は誰よりも劣ると言われていた。それがこの様である。見ている者がいれば驚きを隠せずにはいられなかっただろうか。
「刻はここより始まる」
遠州直伝幾天神段流の正統伝承者、金子宗安入道宗康はゆっくりとした動作で言い放った。
金子城本丸では評議が開かれていた。そこに集まったのは全員が宗昭に忠誠を誓った者たちばかりだった。藩主・宗昭は関ヶ原の戦い直後から豹変した。家康より10万石の沙汰を得た頃より乱心したのだ。心の乱心が彼の全ての思考を一変させた。まずは父の追放、弟・義康の流刑、領民に対する熾烈な政策等々…、そのおかげで彼に対する恨みは絶頂に達していた。反対派は領民を攪乱し、一揆を起こさせると同時に義康を当主に打ちたてるという噂が流れていたが今回のことで真実味が帯びてきていた。
「先ほど、報せが入った」
宗昭が口を開いた。
「忠綱が何者かに殺されたらしい」
その言葉に重臣たちがざわついた。
「それも一刀両断されてだ。あの忠綱を一刀両断にできるのはごくわずかな人間だけしかおらん」
「それは何者………はっ!、まさか…」
重臣の1人、蒲原義張が口を開いた。父・義綱は義康方についていた。
「刀は粉々に砕け散っていたという。この技ができるのはたった2人…、父上と右近様しかおらぬ」
「しかし、右近様は今、江戸に…ということは…」
「城下に父上が舞い戻ってきているということだな」
宗昭が真剣な眼差しで言い放った。
「殿、一刻の猶予もありませぬ。ただちに城下に兵を配らねば」
次に言い放ったのは松山茂成だった。兄・景義を追放して家督を己のものとしていた。
「戯けが、闇に隠れた一匹の虎を探すのに何人もの蟻を殺さねばならぬのだ」
「あ、蟻ですと!?」
「違うか?、現に忠綱程の猛者が瞬殺されているのだ。誰が行ったところでただでは済むまい」
「ならば如何なされます?」
「頭を使え、頭を…。この城を用いるのだ。我が藩最大の城を…」
宗昭は笑みを浮かべながら懐かしき父の顔を浮かべていた。
宗康と若者は金子城下にある民家にいた。そこには2人の侍がいた。若者の顔見知りの者もそこにいたのだ。
「まさか大殿のお知り合いだったとは…」
馬奉行の地位にある曾我忠親が言った。馬奉行はたいてい戦のときは騎馬隊を率いる重職だった。とはいえ禄は200石に満たない。
「ケガのほうは大事ないか?」
「ええ、おかげで助かりました」
忠親はまた陳謝した。着物についた血の跡が痛々しかった。
「忠親」
「はっ」
「皆、各所に伏せておるな」
「はっ、すでに合図を待っているところにござります」
「よしっ!、宗昭を城から出してはこの戦いは負ける。良いな!」
「はっ」
忠親が去ると入れ替わるように上野伊賀守時康が言った。
「まさかあれを使うとは思いませんでしたな」
「うむ、本来なら敵が城を攻め取ったときにやる崩し術じゃがまさか我が子に使うことになろうとはな」
「宗昭殿はこの世で最強の男を敵を回したご様子で…」
それを聞いて宗康は苦笑した。
「まぁ、それはともかくとしていくさ人の恐ろしさを教えてやらねばならぬ」
そう言いきった。
「勝負は一夜で終わる。一夜で済まねば我が藩は潰れよう」
「御意」
若者はじっと2人の会話を聞いていた。そして、2つの気配も同時に感じ取っていた。若者は刀を抜いた。
「ここは狙われております」
「わかっておる。奉行所を手薄にするにはおびき出すのが一番」
この行動も宗康の策だった。
「頼めるか?」
「しばしお待ちを」
そう言って若者は民家の外へ出た。すると50人規模の番兵が民家を囲むようにして出てきた。
「ここで何をしておる?」
長らしき者が言う。
「少し休んでおりました」
「休んでおるだと!?、今、この地は浪人は出入りできぬはず。我らと共に来ていただこうか?」
「嫌だと申せば?」
「死するのみ」
「できますかな?」
そう言って大小2本の刀を抜いて構えた。長らしき男はそれを見て驚きを隠せずにいた。
「そ、その構えは…」
若者が構えたのはまったくの自然体だった。民家の中から見ていた時康も驚いていた。
「彼の者、一体何者なのですか?」
「名は柳生新十郎利勝、尾張柳生・柳生兵庫助の末弟だ」
「え?、しかし…」
「そうだ、兵庫助殿の弟君は権右衛門殿だけしかおらぬ。それは表向きのことで本当はもう1人いたのだ。幼き頃に尾張藩の重臣・村上家へ養子に出されていたのだが養父・義勝殿の死後、家督を継ぐことも柳生の家にも戻ることもなく、自らの剣技を鍛えるために旅に出たのだ」
「なるほど…、そのようなことが…」
「とはいえ剣技の凄さは父以上だろうな。何せ見えないのだから」
「見えない?」
「早過ぎるんだ、あやつの剣技は」
そう言って外にいる利勝の姿を見た。
率いているのは新たに城下町奉行となった葛原春昭だった。葛原も利勝を見て公儀隠密と誤解していた。
「おのれ…、やはり来たか…」
「ふん、我が公儀と思っているようだな」
「違うか?」
「違うと言っても逃がしてはくれまい」
「当然だ」
葛原は主君・宗昭から拝領した背丈が3m以上もある長刀を抜いた。一度に3人斬れる優れものらしい。
「行くぞ!」
「おう!」
一騎討ちの情景になりそうだった。葛原と利勝はゆっくりと右回りに回りながら間合いを取っていく。周りにいる番兵は身動き一つさせない。固唾を飲んで見守っている。
先に動いたのは葛原だった。右から左へ長刀を振り回すようにして横一線に斬りに来た。利勝は自然体となっていた『無形の位』を崩すことなく上に飛んだ。そして、長刀の上に乗った。そのまま前に歩き出して葛原の背後に回ると一気に斬り裂いたのである。それでも直前に葛原が体をねじったことで深手とはならなかったものの、利勝の第二刀は葛原の脳天を捉えていた。それと同時に葛原の体は地面に叩きつけられた。一瞬のうちに番兵は完全に沈黙した。そこへ宗康と時康が外に出る。番兵たちがそちらに視線を映す。
「降るか、死するか、どちらが良い?」
3人の殺気が50もの番兵の度肝を抜いた。もはや、戦いにならないことは一目瞭然だった。時康に策を授けると宗康は利勝と共にまたどこかに消えたのである。
この直後、金子城下は宗康の手の内のものとなった。城下町奉行所は宗康の策を受けた時康が降伏した番兵に内応させてこれを陥落させ、それと同時に指揮官を失った各番所は次々と白旗をあげた。城下を制圧した宗康は公儀には見えぬ形で金子城を包囲した。
「利勝殿、これが済めば如何致す?」
宗康が言う。
「また旅に出るまで」
利勝が応じる。
「ならば、尾張には戻られぬのか?」
「私には落ち着く場所がござりませぬ」
「江戸か?」
「ええ、但馬守は私の存在を狙っているのです」
但馬守とは江戸柳生・柳生但馬守宗矩を指す。
「存在か…、その裏には兵庫助殿を潰そうとする企みがあるな」
「ええ、故に私は一つの場所に腰を下ろせないのです」
「うむ、また会えるかのぉ」
「会えますとも」
利勝は笑った。宗康も笑った。その直後だった。目の前にある城が凄まじい音を立てて崩れていくのだ。城の中にある一点を突けば城はあっという間に崩れ去ることができるのだ。これも最初に城を築城した宗康の父・照政によるものだ。その事実は家督を継承する者に口伝えで伝えられるのだが宗康は宗昭に言っていなかった。故に宗昭はこの事実を知ることなく、無残な姿で後に発見されることになる。重臣たちの姿もちらほら見えたが1人だけ見えぬ姿があった。
「逃げられたか…」
宗康は口惜しかった。この内乱を引き起こした張本人を取り逃がしたのだから。
「申し上げます、城が崩れる寸前に城から脱出したものと思われます」
兵の1人が言う。
「うむ、ただちに追手を差し向けい!。国境を越えられてはならぬ」
「はっ」
すぐにとってかえした。そして、宗康は側にいるはずの男もいないことに気づいた。
「行ったか…」
この呟きは誰にも聞こえなかった。
この後、金子城は幕府の許しを得て再建された。家督も義康が引き継ぐことになるが城崩しは地震による崩壊として処理された。
金子城の北、矢野の町の近くにある丘陵で馬に跨った男が後ろを見ていた。
「ここまで来れば大丈夫だろう」
男は一息ついた。
「内乱の全てを正信様に伝えれば金子の家も終わりだな」
「それはそこまで行ければの話だろう?、公儀隠密よ」
後を追いかけ続けた柳生利勝の姿がそこにあった。
「何者か?」
「柳生厳勝の末子にて新十郎利勝」
「柳生!?」
「お前を探していたぞ、我が父の仇、ここにて討つ」
柳生厳勝は二度の戦のケガがもとで病死したと言われていた。しかし、それは宗矩が仕組んだもので砒素を食事に混ぜられ、弱りきった体では毒を見抜けることができずに殺されてしまったのだ。父の最後を看取った利勝は毒を盛った宗矩の側近である立花権吾を探すために家を出たのだ。出たところで何の情報を得ることができなければ無意味だった。そんなところに出会ったのが宗康だった。関ヶ原では我が子を東軍に属させて自身は義理のため西軍についた。それもわずか30に満たない軍勢である。それでも裏切り行為をした小早川秀秋の軍勢を大谷刑部らと共に何度も押し返して名を馳せた。そのおかげで名は全国に広まった。家康でさえ一目置く武将の1人だった男に利勝は修行と称して勝負を挑んだのだ。結果は引き分け、宗矩に追われる立場だった利勝は宗康と共にこれを制したのだ。このことを機会に親交を持つようになり今に至っている。宗康は利勝の旅の真相を聞いて協力することを約束し、立花の所在を探らせた。すると、運が良かったのか悪かったのかその男は金子藩にいたのだ。しかも、偽名を使い顔を変えて宗康の孫に当たる宗長として宗昭を裏から操っていたのだ。つまり、宗長を殺して当人になりきっている事実を知った宗康は今回の宗昭失脚を画策したのだ。結局のところ、宗昭は死してしまったのだが金子という家は保つことができたのだ。
「ふっはははははは、お前が兵庫助の幻の弟か!」
「如何にも」
「これはおもしろい、厳勝でも討てなかった我にお前が勝てるか!?」
「父は情に流された故にお前を斬れなかったのだ。しかし、我が剣に迷いは無し!、参る!」
利勝は刀を抜き放った。柳生新陰流極意と呼ばれる無形の位、見かけは剣を下ろして戦意なきを見せるだけだがその裏を返せばその事実は必殺の構えである。新陰流においてこれに勝るものなし。
「せやぁ!」
立花は馬を見事に操りながら利勝に突進していくと同時に伸縮自在の槍を手にした。矛先には鋭い光を放つ刃があった。利勝は一定の間合いに入るまで動かなかった。迫り来る立花には鬼気を感じたが利勝には一陣の風のようだった。繰り出された槍を軽くかわして馬の脚を切断した。馬は大きく前かがみに転倒して立花が投げ出される形となったがそこは柳生の者である。フワっと体を浮かして地面に着地した。すでに大小の刀を抜いていた。構えも利勝と同じ無形の位である。
「さすがは宗家の血を受け継ぐ者、だが我も柳生の者、ただでは済まさぬ」
「よくしゃべる奴だ、来い」
利勝は一気に間合いを詰めた。立花はその動きについていけずに体を後方に飛ばすが間合いはあっという間に縮められる。そうなってしまっては利勝の手の内だった。脳天を狙った利勝の一刀は十字受けで払い、左右から横に斬ろうとしたが大小の刀で受け止められた。その直後に腹に蹴りを食らった立花は後方に飛ばされた。
「どうした、そんなものか?、お前の剣は…」
「くっ…」
立花から見た利勝は大きく見えた。巨大な利勝に恐れおののく立花の姿がそこにあった。立花は低い態勢から居合いの形になった。利勝はそのまま無形の位となる。
「我もまだまだということか…」
立花の呟きは利勝の耳には届いていないようだった。立花は一気に間合いを詰めると一つの目標である腹を狙った。獲った!という勝利の言葉に満たされた一瞬のうちに利勝の一刀は立花の脳天から真っ二つに斬り裂いていた。血飛沫が周りに飛び散る。
「あの世に行っても柳生の名は絶やすな」
先ほどの立花の呟きは利勝の耳に届いていたのだ。立花はゆっくりと前屈みに倒れた。両の眼には涙が流れていたという。立花もまた柳生という一族に翻弄され続けた1人なのかもしれなかった…。
利勝は立花を斬った後、静かに金子の地を去った。宗康は宗昭と宗長を丁重に葬った後に金子より弟・右近がいる犬居に移った。
「彼の者、また来るでしょうか?」
時康が言う。時康も家督を嫡子・盛時に譲り、宗康と共に犬居に移っていた。
「さあな、あやつの仇敵は但馬守だ。あれを討つまで死ねぬであろう」
「家康殿も酷なことをされたものだ」
「酷?、家康はべつに何もしておらん。全てを仕組んだのは石舟斎だ。あれが全てを分かち、江戸と尾張に2つの柳生を築くよう導いたのだ。己の死後もその名を絶やさないようにな」
「なるほど…、どちらかが潰れても柳生の名は残すということでございますな」
「うむ、家なれば但馬、剣なれば兵庫というところだろうか」
「ならば殿は如何なされます?」
「わしか?、そうだのぉ…。家なれば義康、剣なれば…」
そこで言葉を止めた。
「わからぬな」
そう言って中庭の池で優雅に泳ぐ鯉の姿を見つめていたのである。
続きを読む(無常の剣)
戻る
.