浄福寺
(探索日 25/4/23)

☆ 解 説 ☆

天台宗の寺院、山号は向陽山、院号は花王院
西国和歌山三十三箇所番外札所

1612年(慶長17年)、正覚祐俊の開基で創建
当初は浄土真宗(一向宗)で別の場所にあった
1666年(寛文6年)、祐俊の三子恵空上人の時に改宗し、
和歌浦にある雲蓋院末寺として、1671年(寛文11年)に現在地に移築

紀ノ川の水害により、城下町を再整備する際、
従来からあった寺町を堀止に移したことから、元寺町の地名が残る
近くの法林寺と共に大手門防衛のために真田堀沿いに移築されたと伝わる

1889年(明治22年)、和歌山大水害の折に本堂を含む全ての御堂が流されるも、
本尊阿弥陀如来(鎌倉時代)や秘仏とされる厄除観音(14世紀頃)は無事であったという
昭和初期に本堂は再建されて戦災も免れて現在に至る

寺の北側にはJR紀勢本線紀和駅(旧中津城跡)や春泉堂(旧紀州藩嘉家作御成屋敷)等が点在している

 





国道24号の紀の国大橋南側にある真田堀川東側の路地にある


 

山門を入って左側に行者堂がある




山門を入って右側に高倉稲荷があります




本堂(再建)

山門を入ると真正面に見えてきます




本堂に隣接するようにして本坊(普通の一軒家ですが・・・笑)があります

寺域は小規模で山門から全てを見渡せます

藩のためとはいえ、本来の場所から移転させられる程の当時の上下関係が垣間見えた気がします


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