四、伝説への始まり

 近畿地方にある無名の寺。すでに主を失った寺の中は雑草が長く伸び、本堂は天井から崩れていた。そんな荒れ寺に2人の男の姿があった。すでに夜ではあったが気配は十分感じ取れた。
「やはり晝柳斎は幾天神段流を頼ったか…」
「ええ、強敵ですね」
「御館様は何と?」
「任せるとのお言葉です」
「わかった。お前は引き続き探索致せ」
「承知致しました。ところで…」
「分かっておる。皆まで言わなくてもよい」
「ではこれにて」
1人の男の姿が消え去った。その直後、殺気が寺内に広がった。
(しまった…、ばれたか…)
秀勝が放った影の者は確信できる情報をもとにこの荒れ寺を見張っていたのだ。
「勝てねば死するのみ…」
そう言って門の影に隠れていた男が姿を現した。
「ほう、死ぬ覚悟ができたと見た」
「宗家が断じた通りの結果になったようだ」
「金子玄十郎か…。いずれ決着をつけねばならぬと思っていたところ。お前の首を奴のところへ届けてやろう」
「できるかな」
「できるさ、瞬殺でな」
その言葉が終わるか終わらないうちに本当に瞬殺されてしまったのだ。
「ぐは………、な、なにが………」
秀勝の手足として動いていた名も無き影は相手の素性を知らせることもできぬままこの世から立ち去ったのである。
「ふん、所詮は雑魚よ」
「雑魚は御身かもしれぬぞ」
声が荒れ寺に響いた。
「誰だ?」
「誰ということはないだろう。渡會」
「そ、その声はまさか…」
渡會の絶叫に似た声に応じて姿を現した。
「久しいな、今の技、金剛流剣術秘技・覇透閃(はとうせん)だな。忍びのお前がなぜ使える?」
「くっ…」
「お前には聞きたいことが山ほどある。覚悟はできているんだろうな」
声の主・金剛政信が強い意思のような冷徹な表現を持った声で言い放った。

 夜半、玄十郎は表門にいた。篝火は夜になれば毎日灯されるがこの日はいつもより異様に見えた。玄十郎の気配が感じられないのである。姿はあるのに…、それを見届けた秀勝は息を吐いた。それは嘆息ではない。感服の礼である。
「玄十郎、行く気か?」
「無論、たとえ相手が奴らじゃないとしてもこのままおとなしくしている気はない」
「死ぬぞ」
「それでも構わない。先代が手を出せないなら我が行こう」
「お前はその真実を知っているのか?」
「いいえ」
「ならばなぜそんなに肩入れをする?」
「肩入れなんてするつもりはありません。ただ自分の力量を試したいのです」
「力量か…」
「そうです。本当に我が宗家でいいのかというのを試したいのです」
「試す必要はないと思うがな」
「そういう気持ちこそ油断につながるのです」
「たしかにな。先程、報せが入った」
「………」
「わしが放った者が殺された。かなりの手練だったが抵抗する間もなく…」
玄十郎が気配を現した。
「切り口は?」
「縦一文字」
「一刀両断か…」
「そうじゃ、刀は抜いていなかった。つまり…」
「瞬殺でしょうか」
「おそらくな、金剛流において瞬殺の技はいくつもあるが縦一文字で斬る技は1つしかない」
「覇透閃」
その言葉が出たのは玄十郎でも秀勝でもなかった。後ろにいた東城寺である。
「いつからそこにいた?」
玄十郎の言葉には返事せず続けた。
「覇透閃は鞘を斜めに向けた状態で刀を放ち頭上より両断する金剛流随一の秘技。これを使えるのは剣術の者では一握りしかない」
「お前は使えるのか?」
「使える」
「が…、使わないな」
「瞬殺は剣術に非ず」
「速さを求めることが剣術ではないと言うのか?」
「そうは言わない。自分の流儀に反するだけだ」
「流儀か…」
玄十郎は東城寺を見つめた。見つめた瞬間、門の外から幾つかの気配を感じた。左手はすでに柄を握っている。
「毎度毎度後手に回るのは何故かなぁ」
「さあな」
秀勝は笑いながら言った。
「東城寺は父を守れ。秀勝殿は直子と共に裏手へ」
「御身は?」
「ここを引き受けよう」
「任せる」
玄十郎は閉じている表門を見つめながら外にいる刺客たちの動きを探っていた。

 時間は遡り、荒れ寺、政信と渡會は対峙していた。もうすぐ日は暮れる頃合だろうが2人の間には懐かしむものはなかった。
「なぜ、私を襲った?」
「これも政利様のため」
「ふん、政利か…。私から見れば所詮小者に過ぎぬ」
「小者だと?」
「そうだ。たかが政利ごときについたからって金剛流の衰退は変わらぬ」
「それを影で操っているのは御身であろう」
「さあな」
政信はニヤッと唇を歪めた。渡會は背筋が凍る想いをした。
「どうした?、震えているぞ」
渡會の心を見透かすように言い放った。もう蛇に睨まれた蛙である。勝負は決まったようなものだった。それでも恐怖に泳がされるようにして渡會が動いた。一定の間合いを開けつつ政信の周りを忍び足で歩く。
「随分と用心深いんだな。忍びの長ともあろう者が」
その言葉にも耳を傾けることなく警戒する。しばらくして渡會の影が伸びた。紅い日の力を得た影の動きが政信と重なり合った瞬間、刀を抜き放った。
「死するがいい」
切っ先を下方に向けると一気に下から空に向けて斬りつけた。影は見せかけで本体は空中にあったのだ。渡會は避けることなく顎から頭上を縦に斬り裂かれた。
「ぐわぁ………こ…この……」
言葉を全て言いきる前に絶命してしまった。恐怖を帯びて自尊心を失った渡會は政信にとって小者にしか過ぎないということだが…。
「政信よ」
斬った渡會を見つめていた政信は背後から来る気配に振りかえった。
「久しいな、兄よ」
「渡會を失ったのは我らにとって痛くないのか?」
「案ずるな、渡會など所詮小者に過ぎぬ。幻蔵」
呼ばれた幻蔵が姿を現した。
「渡會にかわり本日より忍術の長となれ」
「御意」
政信は渡會より副長の幻蔵のほうが実力・技術が勝っていることを知っていた。幻蔵は黒装束に身を包んで素顔はわからなかった。
「政信」
「ん?」
「渡會を斬ったこの技…、幾天流の技ではないのか?」
「そうだ」
「何故放ったのだ?」
それには答えずに政信は幻蔵に向かって、
「約定は成立した。すぐに奴らにこのことを知らせよ」
「承知致しました」
幻蔵は一礼すると一瞬のうちに消え去った。
「ふん、なるほどな」
政利は笑っていた。約定とは政信・政利兄弟とある一族と交わしたもので金剛流が幾天神段流を含む他流派から攻撃を受けた場合、流派発展援助を条件にかわりに攻撃にしてもらうという密約のことだった。
「それで幾天流の技を」
「その通りだ。それに奴らは幾天流の者たちを敵視している。足止めしてもらうには都合がいい」
「確かにな」
「どちらも潰れてくれれば一石二鳥だ。それまでに我らの地盤を確立してしまえばそれでいい。ところで父はどうしてる?」
「そちらのほうも順調よく動いてくれている」
「帰ってきたら見物だな」
次は政信が笑った。その笑い方に政利は目を細めた。
「問題は…」
「ん、ああ、晝柳斎のことだな?」
「そうだ」
「宗家以外に奥義を持っているのは晝柳斎だけだ。奴をどうするかだ…」
「うむ、奴もなかなか味な真似をしおる」
「何故、京都にいたときに捕まえなかったのだ?」
「予想以上のことが起きた」
「どういうことだ?」
「東城寺が予想以上に腕をあげていたのだ」
「ほう」
「まあいい、奴もいずれ我の手の内に入る。それまで晝柳斎は生かしておく」
そう言いながら荒れ寺をぐるっと見回した。
「これからが大変だな」
政信の言葉に、
「まあな」
頷きながら返したが次の言葉に驚きを隠せなかった。
「ところで知っているか?、幾天神段流の宗家が代わったことを」
「なにっ!?、誰にかわった?」
「我ら金剛流の無敗神話を討ち破った男にだ」
「それはまことか!?」
「ああ、数日前、先代宗家を討ち破って十三代目金子玄十郎を襲名したそうだ」
「…いかん…」
政信は絶句した。
「どうした?」
「足止めすらできぬかもしれぬ」
「ん?、奴らが負けるというのか?」
「そうだ、数で勝っていようとも力で負けるであろう。兄よ、事は急がねばならぬぞ」
そう言って奴らこと母定一刀流の早期滅亡を示唆していた。そんな政信の胸の内とは裏腹に政利は違うことを考えていた。
(こやつの豹変ぶりは一体…、あの不気味な笑いは…)
嫌な予感を危惧しつつ政信と肩を並べて歩いて行った。

 時が進んで幾天神段流道場。表門の内外は静かだけど足取りは慌ただしい。玄十郎は珍しく二差しを腰に帯びていた。愛刀である成松と脇差である。滅多に二差しを帯びることがないのだがいずれはという思いから帯びてみたのだ。もっとも、それに対応できる技は先代からいくつか受け継がれているのだが…。表門の外側からうかがえる気配は無数にあった。
「ざっと…、30か…」
殺気を隠そうともせずに襲ってくるのである。相手はよっぽどの素人か、自分の力に自信を持っている強者ぐらいであろう。それでなければただの馬鹿ということになる。玄十郎は相手の出方を探った。
「どう動くか…」
玄関の板間に腰を落として目を瞑っていた。全神経を集中させているのだ。目で見るより心で見たほうがより効率良く見えるからだ。すると、敵の何人かは右手に何かを持っていた。武器には違いなかったが刀ではないように見えた。通常、刀を帯びるならば左側だと思っていた。弓かとも思ったがそうではないらしい。
「何だあれは…」
玄十郎は一瞬の迷いを生じたがすぐに危険と判断した。敵が塀や門の屋根瓦にのぼっている様子が見て取れたからだ。玄十郎はゆっくりと腰をあげると刀を抜き放った。夜の空には大きな満月が輝いていた。その満月に照らされて玄十郎がゆっくりとした動作で開眼した。屋根瓦に無数の敵を見つけた。両手に連発式のトカレフらしき物を持っていた。
(せめて火縄を持ってこいよ。そのほうがおもしろかったものの…)
と苦笑したものの玄十郎の表情には余裕があった。敵との目と目があった瞬間、パァーンという乾いた音が周辺に響いた。1回響くと後は何回響いても同じだった。敵から一斉射撃が行われる。しかし、弾丸は玄十郎に当たることはなかった。凄まじい動きで刀を動かして弾丸を弾き飛ばしていく。弾は四方八方に飛び散り地面や草木、道場にも銃創を残すほどの威力だったが玄十郎の刀には傷一つついていなかった。正に名刀といわれる所以である。幾度もの攻撃をかわすと相手の攻撃が止まった。弾切れになったのだ。玄十郎はその隙を見逃すことはなかった。
 真空を地面に向かって放つとその反動で表門の屋根まで飛びあがった。飛び上がると同時に目の前にいた敵を横一線に斬りつけ、その延長の動きで左袈裟斬りで1人を倒した。飛び道具での攻撃を諦めた敵は腰に帯びていた刀を抜き放った。そして、2人が玄十郎の前後に回り込む。玄十郎は足止めされまいと先代がよく使っていた逆刃の状態から下から上へと斬りつける「裏陰陽」で相手の顎を斬り裂き、その延長で弧を描くように背後にいた敵の頭上から顔面を真っ二つにした。「回殺・双刃」である。斬られた2人は屋根瓦から滑り落ちるように下の地面に叩きつけられた。玄十郎はそれを見届けることなく、塀を飛び越えて中に侵入していた数人の背後に回り、後ろから攻撃を加える。それでも何人かは中へ侵入を許してしまった。しかし、中には晝柳斎と東城寺が控えていることもあり、あまり気にすることもなかった。玄関の前でくるっと反転すると大多数の敵に対して仁王立ちで迎え討つ。前左方斜めから来る敵は右袈裟斬りで斬りつけようとするが左からの横一線で倒され、その背後から姿を隠すようにして迫っていた敵に対しては紙一重でこれをかわすと刀での攻撃に必要な十分な間合いがなかったため、「首討」にて倒した。そして、表門を開けようとしていた敵に走り寄った。それを阻止しようと3人が玄十郎を止めに入る。一定の間合いをとって双方とも動かない。玄十郎は動かなかったわけではなかった。敵の指揮官を見極めたかったのだ。その間に門は杭を抜かれてゆっくりと開かれた。門の外には数名の敵が開門を待っていた、その者たちに守られるように1人の男が前に進み出た。
「まさか弾丸を返すとは恐れ入る。若き宗家よ」
玄十郎は目を細めた。聞き覚えのある声だったからだ。
「お前、いつから母定流の手先になった?。政光よ」
名指しされた指揮官は素顔を満月の下にさらけ出した。そこには久しぶりに会ったという懐かしさはどこにもなかった。
「手先になったわけではない。これも全て金剛流のため」
「政利を煽動したのは誰だ?」
「煽動?、これは我らの意思だ」
嘘だなっと一目で見破った。だがそれを問い返すことはなかった。政光を守っていた剣士が玄十郎に襲いかかってきたからだ。これを軽い足さばきでかわすと後方に飛んだ。間合いを開けたのだ。そこに後ろから晝柳斎と東城寺が駆けつけた。
「こ、これは一体…」
東城寺は政光の顔を凝視して絶句した。
「東城寺、こういうことだ。わかるな?」
晝柳斎が東城寺の肩に手をおいた。晝柳斎は事前に何か語りかけていたようだ。
「ば、馬鹿な…」
政光の出現によって晝柳斎の言葉は肯定されたらしい。おおよその事情を看破していた玄十郎が政光に言う。
「政光よ、帰ったら主にこう伝えよ。お前を信じて戦い、生活してきた者を裏切るのか?とな」
「愚問だな」
「愚問だと!?」
「そうだ、そのような低次元レベルを語っているようでは幾天神段流という流派も終わりだと言ったのだ」
「ふざけたことを言えるようになったじゃないか」
玄十郎は怒っていた。仲間を大切にし、信頼という言葉を踏みにじられたのだ。幾天神段流の地盤はその点にある。それを踏みにじった政光に玄十郎は冷徹な表情をもって応じた。それは瞬殺だった。政光を除く全ての敵が葬られてしまったのだ。政光にも東城寺にも何が起きたかわからなかった。ただ1人、晝柳斎を除いては…。
「覚悟はいいだろうな、政光」
「くっ…」
この時点での力の差は歴然としていた。圧倒的に玄十郎のほうが上だった。分が悪いと見た政光は煙玉数発を地面に叩きつけた。その瞬間、煙が天高く舞いあがり広範囲に広がった。
「逃げたか…」
戦いには勝ったが後味の悪い結末になってしまい、東城寺は立つこともままならないようで地面に向かって泣き崩れてしまっていた。それを見届けるかのように天から雨がポツポツと降り出してきたのである。

続きを読む(第五話)

戻る


.