三、突然の訪問者

 真十郎改め玄十郎はすがすがしい朝を迎えた。表門の前でゆっくりと体を動かした。痛みはなかった。先代との戦いから2週間が経っていたが脅威の回復力である。だが回復するまで何もしていなかったわけじゃなかった。秀勝が金剛流に対する情報活動を行っている間、玄十郎は毎日新たな技を編み出そうとしていた。そして、それはケガの回復と同時に完成したのである。
「直子」
いつの間にか後ろにいた直子に声をかけた。
「はい」
「昨晩、誰か来ていたようだが…」
「母屋のほうにいらしてますよ」
ここのところ玄十郎は母屋ではなく道場のほうで寝泊まりをしていた。
「誰だ?」
「東城寺という方です」
その名前を聞くと同時に振りかえった。
「金剛流のか?」
「はい」
玄十郎はゆっくりと母屋のほうへ向かった。母屋の渡り廊下で滅多に見かけることのできない老人を見つけた。
「これはこれは…」
「久しいな」
「東城寺と共に来たんで?」
「うむ。奴には感謝せねばなるまい」
「随分と荒れているようですね。あそこは…」
「ああ、かなりな」
「しかし…、よく脱出できましたね。あそこから」
「まことじゃ、このことに関してはまた後ほど」
「ええ、積もる話しもありますし。父上」
「父か…、懐かしい響きよぉ」
玄十郎は微笑しながら父と呼んだ老人の脇を通って行った。

 母屋の客間の障子を背にして東城寺が座って中庭を眺めていた。
「東城寺」
呼びかけるとゆっくりと顔をあげた。凛とした表情が持ち味だったが今は憔悴しきっていた。その表情を見た玄十郎の表情もかわった。
「世話をかける」
「いや、世話どころか感謝せねばなるまい」
「感謝?」
「い、いや、なんでもない。忘れてくれ」
父の存在を知る者はごくわずかである。今は伏せておこうと思ったのだ。
「それよりも何があった?。政信はどうした?」
その言葉を聞いてか知らずか東城寺が語り始めた。

 話しは数日前に遡る。玄十郎が破強巡りを行っている間、政信と東城寺は京都に新たな金剛流道場を開いていた。現に玄十郎もそこで世話になっていたのだが京都最強だった三条が勢力を衰退させてしまってから飛躍してきたのが政信だった。できて間もないとは思えないほどの門下を抱えることができたのはある老人が訪れたことにある。その老人の顔を見た政信は驚愕の声をあげた。
「爺様!」
「元気そうだな、政信」
老人は微笑しながら言った。
「いつこちらへ…、いや、どうやってあそこから…」
「ふん、あれぐらいの囲みなど所詮子供騙し。わしにかかればどうってことはない。すまんが上がらせてもらうぞ」
「え、ああ、どうぞ」
面食らった政信はあわてて戸口から客間に老人を通した。熱い茶で一服した老人はゆっくりと口を開いた。
「おっ、爺様ではありませんかっ!」
「おう、政光か、元気そうじゃな」
「はい、それは」
政光は笑いながら言った。
「ここはなかなか良い道場よ」
周りを見ながら言う。
「じゃがまだまだよのぉ」
「まだまだと言われまするか?」
政信は苦笑しながら言った。
「うむ、剣とは何ぞや?」
「心にございます」
「うむ、それが抜刀術をする者にとって真の極意。それを忘れたる者にその資格はなし」
「爺様、父上に何かあったのでございますか?」
「失踪した」
「えっ!?」
老人を囲むようにしていた政信、政光、東城寺がそれぞれ驚きの声をあげた。
「失踪したとは一体…」
「わからぬ、ただ幽閉されたとは違うらしい。消えてしまったというほうがいいじゃろう」
「消えた…」
政信は絶句した。東城寺が言葉を引き継ぐ。
「それで周りの者は気づかなかったのでしょうか?」
「うむ、誰も気づかなかったらしい。姿が見えなくなる1時間程前に見た者がいたらしいのだが…」
そこで言葉が止まる。
「如何なされました?」
「何か考え事をしていたらしい」
「考え事ならば誰でもしましょうに」
「いや、普通ならばそうだろうが政兼は刀を見ていたというのじゃ」
政信がはっとした表情になった。
「ま、まさか…」
「そのまさかじゃろうな。おそらく政兼は誰かと一戦交えに行ったとしか思えん」
政兼は誰かと相まみえる際、刀に決意の言葉を述べるのを癖にしている。
「では一体誰が…」
「そこじゃ、政兼ほどの男を動かすのじゃ。余程のことでなければ…」
「となると…、私が心当たりあるのは無敗神話を討ち破られた幾天神段流だけしか思い浮かびません」
「うむ…、今年の金剛杯は波乱じゃったみたいだしな」
「ええ、上から下へ大変なものでした」
「お主もな」
老人の指摘に政信は苦笑した。
「で、今は…、金剛流はどうなっているのでございまするか?」
東城寺が言う。
「うむ、主が失踪したということは公にされてない。とりあえずは病気という形になっておるがその隙を突いて政利が力を強めつつある」
「政利ですか…」
政信が呟く。政信と政利は仲が悪い。
「政利は大半の武門(道場)を掌握した。次期当代が決まるのも時間の問題じゃろうな」
「それを伝えに爺様はここに?」
「それもある。だがもう1つ頼みがある」
「何でしょうか?」
「わしを幾天神段流の許へ連れて行って欲しい」
「何故?」
「宗家に用があるのだ」
このときここにいる面々がまだ当代が交代したということを知る由もない。用があると聞いても誰も驚こうとはしない。
「御知り合いで?」
「うむ、昔からのな」
「ならば爺様も化け物の類に入りますな」
「ふっははははは、面白いことを言う。確かに化け物かもしれぬな。で、頼めるか?」
「それは構いませぬ。東城寺」
「はい」
「同行してやってくれ」
「承知致しました」
東城寺はゆっくりと平伏したのである。
 その日の夜、周りの民家も寝静まった頃に事件が起きた。屋敷のあちこちから火の手があがったのである。
「何事か!?」
まだ眠っていなかった政光が煙を見つけて声をあげた。すぐに寝泊まりしている門弟が走ってくる・。
「何者かが侵入した由」
「何だと!?、すぐに皆を起こして火を消すことだけに専念致せ」
「敵はよろしいので?」
「敵の狙いはわかっている」
「承知」
門弟がきびすを返して走っていく。政光も自室から政信の部屋へ向かった。部屋にはすでに東城寺と老人が座っていた。
「おう来たか」
「門弟たちには消火に専念するよう命じました」
「うむ、そうでいい。来るとすればここだからな」
「狙いはやはり…」
「私か爺様だろうな」
煙の匂いが母屋のほうへ広がってきた。それに混じっていくつかの気配も姿を現した。
「来たようだな」
政信がゆっくりと立ち上がった瞬間、月の光に照らされた影がすごい勢いで伸びてきた。
「小賢しいっ!」
一番中庭の近くにいた政光が刀を抜いて影に突き刺すと、
「ぐわあああああぁぁぁぁぁ!!!」
雄叫びをあげて屋根の上から落ちてきた。
「散れぃ!、来るぞ!」
老人が叫んだ。それを見た影たちが老人に殺到する。
「東城寺、爺様を頼む!」
「おう」
東城寺は老人と影の間に立ちふさがると刀を抜き放った。月に照らされて輝きを増した刀から血飛沫が生まれた。その血は襲いかかってきた影から飛び出してきたものだ。まるで東城寺の手の中で踊らされているかのように…。
 四方から襲われているにも関わらず東城寺には手傷すら負っていなかった。その身に浴びた返り血だけが大きく浮き上がっていたのである。
「正に神鬼よ」
そのあまりの強さに老人は感服した。しかし、その退く過程で政信、政光とは離ればなれになってしまったのだ。東城寺は無二の親友のことを考えながらも老人の身を優先し、当初の目的地である幾天神段流宗家の許へと逃れたのだった。

 その話しを聞いた玄十郎は眉をひそめた。
「仕掛けたのはおそらく金剛流忍術の者ども…」
東城寺の呟きに秀勝が応じる。
「ならば何者か?」
「忍術の棟梁と言えば渡會だが…」
その言葉に次は玄十郎が応じる。
「渡會はそんな男ではないことをお前がよく知っているはず。この件はいずれ判明するであろう」
それはここにも刺客がやってくることを示唆していた。
「それよりも政信と政光の行方だ。どこに行ったものか…」
「我らは関西の地に疎い。どこを探して良いものやら…」
東城寺の表情に苦渋の色を匂わせていた。
「ならばわしに任せてもらおう」
秀勝が声をあげた。
「金剛の手の者がすでにこの地に入ったという報せは得ている。向こうも馬鹿ではあるまい。これを迎え討つよりもここにおびき出して迎え討ったほうがいい。ここの地形を利用すれば多勢で押し寄せてきたとしても我らの勝ちが導き出されるでろあろう。のお、忠信殿」
忠信と呼ばれた老人は秀勝を見つめた。
「忠信か…、その名で呼ばれるのも懐かしいわい。今は晝柳斎(ちゅうりゅうさい)と号しておる」
「また難しい漢字を並べて…」
次は玄十郎が苦笑した。晝柳斎は豪快に笑った。状況がよく飲み込めていない直子はきょとんとした表情で皆を見守り、東城寺はここに来て晝柳斎がどんな人物像であるかわかってきていた。
「まずは政信と政光の行方と…、金剛流の動きだな。政利1人では金剛流の年寄どもは動かないはず。どんなに強硬な動きを示しても頑と動かない。だったら政利には圧倒的に不利な立場に立たされることになる。となれば後ろ盾が必要、さすれば今回の動きも頷ける」
「後ろ盾か…」
秀勝が呟く。
「心当たりがないこともないがつながりがない」
玄十郎が言うと一同の表情が引き締まる。
「母定一刀流だ。奴らならやりかねない」
「ふむ…、その可能性もあるが一応探ってみよう」
秀勝はそう言うとゆっくりと立ちあがった。
「楽隠居をしようと思っていたがまだまだできそうにないわい」
「する気などなかったくせに何を言うとる」
晝柳斎が笑いながら言った。秀勝がここに残ったのは自らの力を試したいという欲望があったからだ。
「さすがは『虎狼(ころう)』よのぉ」
「まだ覚えておったのか?」
「忘れいでか」
「ふん、また暴れようか。それにここには化け物が集まっておることだしな」
「わはははははは、それも悪くない」
意気投合した2人は肩を並べて別室へと移って行った。それを見届けてから東城寺が口を開いた。
「玄十郎」
「ん?」
「爺様とはどのような関係なのだ?。まるで昔から知っていたような気もするが…」
「父だ」
「やはりそうであったか」
「知っていたのか?」
「薄々気づいてはいたがはっきりとわからなかった」
「隠すつもりはなかったがな。まさか、ここに来るとは思わなかった」
「それほど緊迫していたというところかな」
「今後、どうなるかはわからんがこのまま政利を放置しておけばいずれ金剛流は崩壊するであろうな」
「それにしても…」
「うん?」
「当代はどこに行かれたのだ…」
「俺が思うに…」
「思うに?」
「当代はこうなることを予測していたのではないだろうか」
「それで失踪したと?」
「失踪というより今後誰が台頭してくるか、誰を側に置いて信用できるか試しているんじゃないかなっていう気がしてならないんだ」
「ふむぅ…、その可能性もある。ただ…」
「誰かに戦いを挑んだ可能性もある…か…」
「その通りだ。刀への決意の表れは誰かと死合をする表れと同じなのだ」
「それもいずれわかってくるだろうが今は政信たちを探さねば…」
「そうだな、よろしく頼む」
神鬼と呼ばれた東城寺と若き宗家となった玄十郎が初めて手を組んだ瞬間であった。

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