二、宗家

 100人以上の刺客との戦いを終えた真十郎はぼーっと中庭の池を見つめていた。そこへ弟弟子にあたる龍崎がやって来た。
「ただいま戻りました」
「おう、久しぶりだな」
龍崎は玄十郎の使いで剣友・藤山全斎(ぜんさい)の許へ行っていたのだ。
「その傷…、何かあったので?」
「よくわかるな」
真十郎は苦笑した。龍崎は目が見えないのだ。
「ええ、匂いで」
「匂いか…、なるほどな。この傷は藤堂とやったときにできた傷だ」
「藤堂っていうと…あの?」
「そうだ、薩州幾天流当代の藤堂だ」
「で、勝ちましたので?」
「負ければ死んでいるところだ。ただ、勝ってもいない」
「へ?」
「引き分けたんだよ」
「なるほど…」
「で、どうした?、それは」
真十郎は龍崎が手にしていた風呂敷を目にした。
「土産です」
龍崎は笑いながら玄十郎の許へ廊下を突き進んで行った。真十郎は目許を細めながら龍崎の後姿を見ていた。
「土産か…」
たしかに土産だろうがただの土産じゃないことを悟った。
 翌朝、真十郎は師匠に呼ばれた。場所は血染めの荒野である。
(来るときが来たようだ)
待つ玄十郎の心が意を決した。まだ明朝なので荒野は霧で覆われていた。真十郎はゆっくりとその姿を現した。黒の羽織袴を着込んで。
「よく来たな」
「金子真十郎、只今推参致しました」
「覚悟は決めておるか?」
真十郎はそれには答えずに、
「もう引退されるので?」
「引退はせぬ。一剣士として修行を続けるまで」
「欲が大きい御人だ」
真十郎は笑った。
「ふん、これでも昔は名を馳せたしな」
「もう過去の人だろ?」
「おいおい。ま、それはそれとして覚悟はいいか?」
「でなければ来ないさ」
「負ければ死ぬぞ」
「構わぬ。死ねばそれまでのこと」
「よく言うた」
玄十郎は愛刀の龍虎を抜き放った。
「参る」
真十郎は抜刀の姿勢になった。左足を後方に退いて迎え撃つ。
「おう」
双方とも腰の低い態勢で一気に間合いを詰める。そしてほぼ同時に左脇腹を狙う。丁度2人の中心で刀は止まりギリギリと鈍い音を立てながら震えている。互いの力が交錯しているのだ。しばらくして真十郎が力を弱め、峰を腕に沿ってたたむと一気に間合いを詰めた。「無合」である。無合とは間合いがないことを言うのだ。真十郎は肘を師匠の鳩尾に入れようとした瞬間、首に気配を感じた。それを左手を首の後ろに回して受け止める。態勢が不利と踏んだ真十郎は後方に下がる。肉弾戦では師匠のほうが強かった。伊達に最強の名は受け継いでいない。
 玄十郎は突然刀を納めた。真十郎は自然体の態勢になる。先ほどとは逆の立場だ。しばらくの間、動きが止まる。霧が少しずつだが晴れてきたが2人の他には人影も気配も感じられない。そこへ涼しげな風が2人の前を通り過ぎて霧を流していく。その瞬間、2人は動いた。玄十郎は「無双乱撃」を放った。無数の刃が真十郎に襲いかかる。刃は真十郎の衣類を切り刻んでいくが致命的なものはない。真十郎の間合いの詰め方に度肝を抜かれたのは玄十郎のほうだった。真十郎の体がそのままの姿勢で迫ってくるのだ。そして、詰め終わるとそこには真十郎の残像だけが残った。肝心の刃は真十郎の背中から現れたのである。玄十郎の視界には自然体のままでいる真十郎だけが見えた。玄十郎は冷静な動きで刀を横一線に頭上で構えた直後、火花を散らして交差する。真十郎は地面を蹴って宙に浮き上がると玄十郎の後方に降り立った。それと同時に「回殺」を放つが玄十郎は柄頭でこれを受け止める。そしてまた間合いが開いた。
(こいつは驚いた。いつの間に浮雲を覚えたのか…。あれは一真流奥義だぞ。それに続いてきたあの技…、一体…。あれはたしか藤堂に放った技…。奴の新技か?)
玄十郎は直弟子の成長ぶりに驚いていた。一方の真十郎は舌打ちをしていた。
(あれをかわすとは思わなかった。困った…)
困った挙句に取った行動は刀を納めることだった。そして目を瞑った。それを見た玄十郎は、
(ほう…、心眼か…、おもしろい)
ニヤッと笑うと左腕を前に回して自らの刀を真十郎に向けながら置いた。真十郎の体にある一点を向けながら。玄十郎の奇妙な動きは真十郎の知るところだった。
(なんだあの構えは…)
神経を集中した真十郎にとって手に取るようにわかった。
(しかし、あれはどう見ても防御の構え…、どういうことだ?)
真十郎は疑問に感じていたが攻撃を仕掛けなければ戦いは終わらないと感じた。左足をゆっくりと後方に下げると抜刀の姿勢を取った。
(こちらの意図がわかったらしいな。それでこそ我が馬鹿弟子よ)
しかし、お互いいつ動くか計りかねていた。動くに動けない状態が続いた。そんな緊迫した状況であるにも関わらず真十郎の視界には別の記憶や想いが浮かび上がっていた。

「今日から居候することになった小僧だ。よろしくやってくれ」
今よりも5つか6つは若く見える玄十郎が俺の頭をおさえながら少女を前にして話している少女は警戒しながらわずかに頷いただけだった。好意なんて感じることもなかったし、少女に対してもそんなものは微塵にもなかった。
(懐かしいな…。直子との出会いか…)
記憶が飛ぶ。
 次に浮かんだのは雨が降る音だった。丁度、台風が来たらしく廊下側の戸板を補強しているところだ。
「もう台風来てるじゃねえか」
「うるさいっ!、飛ばされるよりはマシだ」
「だからあのときやってりゃ良かったんだよ」
「そんなもん知るかっ!。あんときは人生で一番大事なときだったんだ」
「一番大事って…、いくつあるんだよっ!」
「口を動かすなら手を動かせっ!」
2人の手には金槌と釘がトントンと打ち込まれていた…。
 また記憶が飛んだ。次に出てきた記憶は鮮明に覚えている。直子はほとんど両親に対する想いを知らない。気づいたときには玄十郎に養われていたらしいがある日のこと玄十郎を訪ねてきた男がいた。その2人の会話を聞いていた直子は真っ青な表情になって廊下を走って行った。あのときは騒がしい奴だなぁって思ったが次に舞い戻ってきた直子の手には刀が握られていた。それを握って会話している2人の部屋に入る。俺も後を追った。直子の真剣な眼差しの先には訪問してきた男の心臓を貫いていた。即死だった。
「ば、馬鹿っ!、なんてことをしてくれたんだ!」
しかし直子が呟いたとき玄十郎は驚いていた。
「親の仇…」
「お前…、覚えていたのか?」
わずかに直子が頷いた。わずかに残った直子の悪夢が払いのけられた瞬間だった。この男は謝罪のために玄十郎の許を訪れたらしいのだが直子にとってはそんなこと知ったことではなかった。幼いときに心に刻まれた記憶だけが頼りだった。親の仇を討った直子の目からは涙が流れていた。刀を握り締めた血まみれの手は震えて止まらなくなっていた。俺はそんな直子を自然と抱きしめていた。孤独だった小さな命を守ってやらなければという想いだけがそこにあった。ずうっとそうしていたかったが記憶は急に現実の世界に引き戻された。それと同時に足が自然と動いていた。師匠という壁、そして直子という大切な人のことを思い浮かべながら…。

 真十郎には抜刀したという記憶がなかった。何が起きたかわからなかった。ただ抜刀して勝負をつけたかったのか、それとも、まだ夢の続きをしていたのかそれは定かではなかった。そこにあったのは師弟で対峙しているということだけだった。勝つ負けるなんてどうでもいいと思っていた。ただ早く終わりたい、それだけだった。
 玄十郎は真十郎が動いたとき緊張感が走った。
(来るか………!?)
動いたのは確認できた。しかし、その続きがわからなかった。真十郎の動きが見えなかった。抜刀の速さが神速とも呼べるものだった。玄十郎は我を忘れた。気づいたときには自らが放つ技のことも忘れていた。腹部から血を流していたのである。
「…み、見事……そ…れ………こ…そが………奥…義……」
そう言うとゆっくりと倒れたのである。そして、真十郎も精魂尽き果てたのかほぼ同時に倒れてしまっていた…。

「…きろ」
(うるさいなぁ…)
「…きろ」
(あっちに行ってくれ)
「起きろっ!」
ガバッと起きるとそこは霧の晴れた血まみれの荒野だった。
「あれ?」
「やっと起きたか…」
「随分と眠っていた気がしたか…」
「なんと呑気な…」
秀勝が苦笑していた。
「あっ!、師匠は!?」
「あそこじゃ」
玄十郎は立ち上がっていた。立ちあがってこちらを見ていた。まだやる気なのか刀を納めていなかった。
「さすが化け物」
真十郎は笑っていた。そして、立ちあがると地面に突き刺さっていた刀を抜いて近づく。近づくと藤堂がどこからともなく現れた。完全に気配を絶っていたらしい。
「本当の化け物はお前かもしれんぞ」
「へ?」
玄十郎には殺気がなかった。刀を納めなかったのではなくただ持っていただけなのだ。
「最後に一龍斬(いちりゅうざん)を放つとは…」
藤堂が言う。
「浮雲に新技に一龍斬か…。あれは凄かったわい」
玄十郎も言う。
「あの新技は何と言う?」
「糸月(いとづき)です」
「ふむ…、なかなか良き技だと思うぞ。あの残像は神速でなければ難しいものじゃ。そして、その神速によって上回ったものが奥義一龍斬を発揮させたのだろう」
「奥義…」
「そうだ、抜刀の極意は最初の一刀にある。どれだけ速く抜けるかで勝負は決まる。一龍斬はそれを最も追求した技なのだ」
「へええ」
「それをお前は極めた。もはや何も言うことはない」
「と、ところで…」
「うん?」
「腹のケガは如何で?」
「案ずるな、止血の体内法で止めている」
止血の体内法とは体内に流れる血の循環を練った氣によって傷口から出る血を止めるのである。幾天流でできる者は玄十郎の他には藤堂と秀勝だけしかいない。
「しかし、これも早めに治療しないと同じこと」
藤堂はそう言って釘を刺した。
「さて…、これからが忙しくなるな…」
玄十郎はそう呟きながらゆっくりと歩き出した。霧はすっかり晴れて荒野の脇にある岩場は太陽の光に照らされて熱を帯びていたのである…。

 数日後、真十郎は幾天神段流宗家第十三代目金子玄十郎を襲名した。先代玄十郎は名代として隠居した…かと思えばそんなことはなかった。さらに剣技を磨くため藤堂の許へ旅立ち、道場は後継した真十郎、直子だけとなった。龍崎は名代のお供として一緒に行ってしまったのである。それでも楽隠居を決め込んでいた秀勝が宗家に残ったことでさらなる波乱が待ち受けていることなど誰も知る由がなかった。それがわかったのは襲名してすぐのことだった。
 真十郎は道場にて精神を集中していた。心眼をしているのだ。それでいてある技のことを脳裏に浮かばせていた。
(あのとき、師匠が放とうとしていた技は一体…)
防御の構えであるにも関わらず、ある一点を狙っていた。そう心臓を…。真十郎にはそれが迷いの元だった。そのときまぶたの裏の世界で誰かが動く気配がした。丁度真上である。真十郎は腰に帯びていた刀を抜き放つよりも懐に隠してあったヒ首を数本投げた。その直後、気配は後方に下がって地に降りた。
「何者か?」
「当代殿とお見受けする」
「如何にも」
「その命、頂戴したい」
「我に勝てるか?。金剛の忍びよ」
後ろには黒装束に身を包んだ忍者がいた。それも金剛流三十六派ある武術の1つ、金剛流忍術の者であるということは見破っていた。刀を抜き放つと刃を逆手にして構えた。忍者刀には峰というのはない。両方とも刃なのである。真十郎はそんな忍者に振り向こうとも刀を抜こうともしなかった。ただ正面向いて座っているだけであった。忍者は動けなかった。目の前にいるはずなのに気配がまったく感じなかったからだ。
「くっ…」
忍者は真十郎のほうに意識を向けすぎて背後から来た秀勝に気づいていなかった。首に当て身を入れられるまで。
「やはり来たか」
「ええ、向こうも焦っているんじゃないかな」
「焦りか…、ないこともないだろうがそれよりも御身の力量を試したというほうが良いだろう」
実を言えば金剛流宗家である金剛政兼が病の床にあり、保守派、穏健派、強硬派が三つ巴の戦いを繰り広げていた。その中で強硬派を率いる金剛政利は金剛流に最も影響を及ぼした真十郎を討つことにした。それは最強無敗を誇示してきた金剛流にとって唯一の痛手であると同時に真十郎を討つことによって金剛流当代の地位を確実のもとにしたいからだった。
「けれどもあの親父が病というのは偽りでしょうね」
「たぶんな、あのくせ者はおそらく本来の金剛流を取り戻そうとしておる」
「そのおかげでこっちが迷惑なだけだ」
「まあ、そう言うな。で、こやつはどうする?」
「任せます」
真十郎こと第十三代金子玄十郎は笑いながらそう言った。
 数日後、この忍者は無事、秀勝の手の者によって東北にある金剛流道場に送り還された。本人も気づかないうちに…。

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