一、鬼神

 真十郎と藤堂は血染めの荒野にいた。玄十郎の意向だ。2人から少し離れて玄十郎たちが見守っていた。
「覚悟はいいな?」
「おう!」
2人はほぼ同時に腰に帯びた刀の柄に手をかけた。そして同時に叫ぶ。
「いざあああぁぁぁぁぁ!!!」
「尋常にいいいぃぃぃぃぃ!!!」
「勝負っ!!!」
の声と共に一気に抜刀した。真十郎が先手を打つ。低い態勢から藤堂の右脇を狙った。藤堂は刀の柄頭で刃を受け止める。そこへ真十郎の蹴りが入った。受け止められた瞬間、空を飛んで「転蹴(てんしゅう)」の技を放った。しかし、放った蹴りは藤堂の首をわずかにそれただけだった。それでも一定の間合いが開く。藤堂は上段構え、真十郎は自然体になった。なったのも一瞬ですぐさま技を放ちにかかる。藤堂は「流牙散布八連」を放った。自由自在の8つの刃が飛びかかる。真十郎はこれを軽い傷だけを受けただけで難なく避けていく。間合いをつめながら。そして、凄まじい殺気がぶつかり合っているにも関わらず真十郎は動かなかった…ように藤堂の目には映った。自然体のままでいるのに剣圧は藤堂に覆い被さっているのである。藤堂は真十郎の背後から何か細い糸のようなものが飛んでくるのが一瞬だが見えた。そのため、後方に足をずらすが糸は藤堂の頭上まで届いていた。伸縮自在のようにも見えた。それは藤堂だけにしかわからない代物だった。見守る玄十郎たちはそれが何であるかすぐに理解できた。もちろん、皆一様に初めて見る技である。藤堂は幻像に惑わされていたことに気づいた。そして、一気に前に出ると真十郎の鳩尾に一撃を与えようとした。真十郎は藤堂の肩をもってそれを支えにして反転して藤堂の背中を蹴った。蹴られた藤堂はそのまま前へ、蹴った真十郎は受身をとりつつ藤堂の後ろへと攻撃の位置をかえた。そして、再び両者は対峙する。殺気は消えていない。藤堂は自然体のまま攻撃を仕掛ける。宙に飛びあがった。その高さは軽く5メートルを越えていた。真十郎は相手の肩を支えにして飛べばそこまで行けるだろうが自分の跳躍だけで飛ぶのは藤堂ぐらいなものだ。
「行くぞっ!、薩州幾天流風巻斬(ふうかんざん)!」
その名の通り、剣圧で竜巻のようなものを作り一気に真十郎に斬りかかる。竜巻にぶつかればいとも簡単に弾かれてしまうだろう。真十郎はいつの間にか大鎌の構えになっていた。実際、防御の構えとして使われるのだが真十郎の場合は攻めの構えである。刀を逆に持っていた。切っ先が上を向いているのである。
「陰陽真空塵(おんみょうしんくうじん)!」
陰陽塵が竜巻を受け止め、その竜巻を真空が切り裂いていくのだ。最後には藤堂を捕らえた。藤堂は全身全霊の力を込めて真十郎に迫る。真十郎は陰陽塵から出た強力な真空で藤堂を狙う。空中で両者が重なりあったとき血しぶきがあがった。そして、双方ともグラッと後方に倒れる。地面に着地したときそれはどちらの傷とも言えなかった。藤堂は顎や頬、首から血が流れており、真十郎は右肩をやられていた。けれども、傷の深さから言えば真十郎のほうが大きかった。それでも殺気は消えなかった。そのとき、玄十郎は呟いた。
「どちらかが死ぬまで終わらぬ」
そう実感した。それだけこの戦いは凄まじいものがあった。藤堂は血を拭うとゆっくりと立ちあがった。
「さすがは宗家の弟子、ここまでやりおるとは恐れ入る。しかし、それもここまで」
そう言うと屈んでいる真十郎を見つめながら刀を鞘に納めた。真十郎は動けなかった。いや、動こうとすれば激痛が右肩を襲った。それだけ傷は深かったのだ。それでもこのまま動かなかったらやられると実感した。真十郎も肩をおさえながらゆっくりと立ちあがると震える利き腕で刀を納めることができた。右腕はほとんど動かなかった。
(それでもやるしかない…)
真十郎の決断は大きかった。左足を後方に下げると腰の位置を低くした。抜刀術の極意、それに賭けることにしたのだ。
「その決意、我が心に痛み入るがこれも運命。最後の技を以ってお前を制す」
そう言うと一気に抜刀した。抜刀した刃には炎が帯びていたのだ。鞘で得たの摩擦で火花を散らし、それが刃についた脂が呼応して炎を起こさせたのだ。
「行くぞっ!」
藤堂は炎の帯びた刃を見て笑ったように見えた。しかし、その笑いが一瞬のうちに消えた。
「薩州幾天流奥義・炎爆無双乱撃(えんばくむそうらんげき)
無限に近い炎の刃が真十郎を襲った。真十郎は心眼になっていた。見ても勝てぬと踏んでいたからだ。集中させた神経がある一点を捕らえた。その間にも真十郎の体には無数の刀傷と火傷ができていく。もはや、真十郎の全身は赤い血に染まっていたにも関わらずそれでも真十郎の心眼は死んでいなかった。しばらくして真十郎の心眼が開かれた。間合いは目と鼻の先でしかなかった。目では見ることのできない速さで真十郎の刀は鞘から滑るようにして抜き放ったのだ。藤堂はその動きが見えなかった。そして、表情も…。
(速いっ!)
そう心の中で思いつつ刀を前に出すがその刀はあっという間に一閃され、真十郎の刀は藤堂の胴を切り裂いたのだ。そのまま真十郎は気を失って倒れてしまったのである。
「くっ…」
裂かれて大量の血を流した藤堂が腹を支えて真十郎を見た。そこへ玄十郎が近づく。
「どうであった?」
「この者、宗家以上の力量を秘めております」
「だが…」
「はい、余裕がないようにも思えます」
「うむ、だがそれも時間の問題かと………っつ…」
「痛むか?」
「いや、大丈夫です」
藤堂はゆっくりと立ちあがった。
「この勝負、彼の勝ちですよ」
「みたいだな」
2人の視線には真十郎の姿が映っていたのである。

 闇の中から声が聞こえてきた。2人の男が話しをしている。低い声だがたしかに闇の向こうからヒソヒソ聞こえてきた。誰の声かはわからなかった。
「…てい………の…ち………え…わか………ど…うこ…か…」
しっかりと聞き取れない。
「…に………した…か………う…が…を………た…よ……す…」
「…う……ひ………き……さ………よ…」
「………」
会話は終わった。どんな会話だったのか知りたかったが再び睡魔に襲われてゆっくりと眠りについた…。
 次は明るい光が闇の中に現れた。
(眩しい…)
真十郎はたまらず目をゆっくりと開いた。開くと周りを見た。そこは母屋にある真十郎の部屋だった。真中に布団を敷かれている他は何もない。家具などの生活用品もなかった。障子が閉じられている。光はここから漏れた光のようだった。真十郎はゆっくりと起きあがった。
「…っつ…」
体中から痛みが走った。その痛みが眠気を吹き飛ばすと同時に藤堂との戦いを思い起こさせた。胸のあたりをおさえてゆっくりと立ちあがると障子を開いた。そこからまた眩しい太陽の光が視界に飛び込んできて少しクラクラする。すぐに持ちなおすと目の前に鯉が優雅に泳いでいる池が見えた。池には石でできた橋がかかっている。その橋の上に師匠である金子玄十郎が餌をやっていた。
「おう、起きたか」
振り向きもせずに言った。
「どれぐらい眠ってた?」
「そうよな、10日ぐらいか」
「そうか…」
「それよりも起きたのなら顔ぐらい洗って来い。そんな顔をしてたんじゃ道場に行ってもまた叩きのめされるだけだぞ」
「ん?、道場?」
真十郎はきょとんとした。
「行けばわかる」
玄十郎は一言だけ言った。
 真十郎は訳がわからないまま洗面所に行ってそのままの足で道場に向かった。道場と母屋は渡り廊下でつながっている。そこを通りぬけると道場の戸を開いた。2人の男女が対峙し、3人の男女がこれを見守っていた。対峙している男女は藤堂と蜜月だ。どちらも幾天流の当代として君臨している強者だ。見守っている者たちも各々それ相応の実力を持っていた。直子、亀石秀勝、守山元長だった。真十郎もまたそれに続いてゆっくりと腰を下ろした。
 蜜月は汗をびっしょり流していた。足腰も震えている。精魂尽き果てたという感じのようだ。それに対して藤堂は冷静沈着なようで汗1つ流すことなく目まで閉じていた。蜜月が放つ一刀一刀を軽いさばきでかわしていき、時折、適当な剣撃を加えるにとどまっている。真十郎は思った。
(強い…)
と。最後には蜜月の腰が砕けて前かがみに崩れてしまっていた。それと同時に藤堂はゆっくりと開眼した。
「どうやら真十郎殿が参られたようだ。蜜月殿、これぐらいにしておきましょう」
「はぁはぁはぁ…」
蜜月にはそれを問い返す言葉はなかった。
「秀勝殿」
「うむ」
秀勝は真十郎のほうを向いた。
「傷のほうはどうじゃ?」
「大丈夫です。それにしても…」
真十郎は藤堂を見ながら苦笑した。同等の傷を負いながらも余裕で蜜月をあしらっていたのだから。
「まだ余裕がありそうですね」
「うむ、多少やせ我慢をしているようじゃが正に鬼神よ」
「鬼神…ですか?」
鬼神とは藤堂のことを指している。
「そうじゃ、けれども御身はその鬼神を最後の最後まで追い込んだ。正に死力を尽くした一戦だった」
「しかし、勝てませなんだ」
「いや、皆はそう思っておらぬ」
「えっ?」
「ここにおる者で藤堂に勝てる者は1人もおらぬ。蜜月も元長も敗れ去った。圧勝という形でそれは現れた。しかし、お前は違った。この藤堂を死の淵まで追い込んだのだ。それができる者はそれほど多くない」
「………」
真十郎は秀勝が何を言いたいのかよくわかった。
「これにより覇行は成就した」
それぞれが頷いた。
「さあ行かれよ、御身にはその資格がある。見事、宗家を打ち破ってみせよ」
秀勝は大声で言った。真十郎は覇行が成就したとは思っていなかった。しかし、今ここにある雰囲気には逆らえない気がしていたのも事実だった。真十郎はゆっくり立ちあがると道場を後にした。

「正気か?」
真十郎は師匠を前にして言った。
「狂ってるとでも?」
「そうとしか考えられん。もし違うと言うのであればそれは余裕がないと見た」
「だろうな、彼らは恐れているのだよ」
「何に対して?」
「これから起きる恐怖に対してだ」
「起きるとは?」
「いずれわかる。で、やるのか?」
「やらない」
「ほう」
「やる前にやることができた。それからでも遅くはない」
「何をやる気だ?」
真十郎はその問いかけに答えず、ゆっくりときびすを返した。向かった先は道場だった。羽織袴に着替えた後、腰に名刀・成松を帯びてきちんと正座していた。そして、待ちつづけた。誰もその真意がわからなかった。ただ座って食事も口にしないまま目を閉じて座りつづけていたのである。
 それから2週間が経った。12日目の夜を迎えたときゆっくりと真十郎の目は開眼した。覚醒したかのように。真十郎からそう遠くないところに無数の殺気を感じた。気配を消しているが殺気は隠そうとする様子がなかった。道場の戸を開くと各々の顔があった。皆、緊張した表情をしていたが藤堂だけは冷静だった。
「敵は?」
「ざっと50」
「正面だけでか?」
「そうだ」
藤堂が答える。
「相手も運が悪いときに来たな」
「まあな」
「裏にも誰か回しておいたほうがいい」
「そうだな…」
藤堂は迷った。差し向けるのはいいが数が違い過ぎた。
「なら俺が行こう」
「傷はいいのか?」
「もう癒えたよ」
本当は重傷だったがそんなことは言ってる場合ではなかった。
「なら任せる」
藤堂は頷きながら言った。真十郎は颯爽とした足取りで道場の裏へ回ると母屋の中庭を通り抜けて裏に出た。裏口も表門同様の造りになっているが内側に人気はなかった。しかし、裏口の外から感じる殺気には敏感に察知した。
「多いな…」
予想よりも多かった。表よりも。
「こちらから仕掛けたほうが良いか…」
100人は超えていると確信した。真十郎は裏口近くにある木に登ると塀から裏口の屋根に飛び移った。屋根の陰に隠れて改めて外をうかがうとかなりの敵が囲んでいた。住宅街であるにも関わらず誰も警察に通報しないころを見ると怖くて出てこれないか、電話線をあらかじめ遮断したかのどちらかだろうと踏んだ。
「勝てるか…、いや、勝たねば死ぬだけだ」
そう負けは死を意味していた。
「しかし、どこの者たちなんだ…」
敵がどこの道場か流派かはわかりかねた。
「ま、それは後々のことにして…」
真十郎は周りを見渡したが人影が見えるだけで表情はわからなかった。
「行くかっ!」
そう意気込むと屋根の上に立ちあがり、
「御身ら何人か!?、ここを幾天神段流の道場と知っての狼藉かっ!」
その直後、強い殺気が生まれ始めた。腰に帯びている成松に手をかけると一気に無数の敵がいる地面を舞い降りたのである。
 第一刀は真下に人影を頭上から一閃した。そして、そのまま右にいる人影を横一線に切り裂き、さらに左脇の下を通して左手にいた人影を貫いた。それは一瞬の出来事だった。敵が躊躇する間もなく「流牙散布八連」を放って敵の間をすーっとかきわけると同時に8人が一蹴された。8人目が倒れる瞬間に上に飛び立ち真後ろにいた人影を刀越しに頭上から一閃した。そのとき後ろから刀が飛び込んできて真十郎の頬をかすめたが反転しながら背中を斬った。それを反動として勢いをつけて正面の人影を斬った。それでも敵は圧倒的に多い。
(多いな…、傷も疼く…)
完治していない傷から赤い血が包帯ににじんでいるのがわかった。
(一か八か…、あの技で…)
真十郎は敵に囲まれているにも関わらず突然目を瞑った。神経を短時間で集中させたのだ。心眼とも呼べる居合の真髄に相手の動きが止まった。いや、止まったように見えた。実際は動いているが真十郎にはその動きが止まっているように見えたのである。背後から斬り込んでいる人影を「回殺」で右肩から斬り落とし、その左斜め後ろにいた人影を右袈裟斬りで倒した。そのとき倒れていた敵の1人が真十郎の両足を掴んだ。それでも真十郎は動じない。チャンスとばかりに迫ってくる敵に対して一気に氣を放出した。開眼したのだ。その直後、全ての敵が自由を奪われて動けなくなってしまった。何が起きたかわからない敵に対して屋敷の塀の向こうから懐中電灯を持って蜜月と直子が走ってきた。
「大丈夫ですか?」
蜜月が声をかける。
「見てのとおり」
「これは………心撃」
「如何にも」
蜜月は一度心撃を見ていた。三条を倒した真十郎の技を…。
「で、向こうは?」
「すでに終わってます」
「だろうな」
真十郎は苦笑した。
「さて、こいつらをどうするか…」
動けないとはいえ時間が経てば徐々に体の自由も効いてくる。
「それはわしがやっておこう」
すうっと玄十郎が姿を現した。
「どこにいてたんだ?、高見の見物をしていたのか?」
「まあな」
玄十郎は笑っていた。
「それよりもさっさとやせ我慢はやめてその傷を何とかしてこい」
「傷?」
蜜月と直子が真十郎を見つめた。玄十郎がやれやれといった表情で直弟子に近づくと着ていた羽織を脱がせた。すると、包帯のあちこちから赤い血がにじみ出ていた。
「この通りだ。こいつの傷は完治していない。早いとこ止血してこい」
「ちっ…、余計な真似を…」
「ふん、足手まといは御免だからな」
「んじゃ、任せる」
そう言ってきびすを返した。真十郎は直子のほうを向いて、
「ちと手伝ってくれ」
「は、はい」
ぽかんと見ていた直子は我に返って真十郎のほうへ走って行った。それを見届けた玄十郎はゆっくりと1人の男のほうへ歩み寄る。蜜月も続いた。
「もろに食らったようだな」
男の前で止まるとそう言い放った。
「………」
「心撃という技だ。一時的だが体の自由を奪い取る精神攻撃の1つだ。帰って主に伝えよ、いずれ会いに行くとな」
玄十郎は一言そう言うとまた来た道を戻った。
「蜜月よ」
「は、はい」
「何も倒すだけが暗殺剣ではない。逃げ道を作っておくことも暗殺剣を持つ者の心得と知れい」
「それは無論のこと」
「さて、ひとっ風呂浴びるかな」
「この者たちは攻撃をして来ないのですか?」
「来ればまた同じこと、それにこの技を二度食らいたい者はいないだろう。次は命を賭してもらわねばならないこともわかっているだろうし」
そう言ってゆっくりと裏口から屋敷の中に消えた。
 その玄十郎の言葉通りに無数の気配は真十郎に倒された味方の死体と共に消え去った。

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