二、門前払い

「御免、誰かおられるか?」
真十郎は屋敷の入り口で大きな声で言った。
「おう!」
中から声が聞こえて何人かの剣士が出てきた。白い羽織袴姿である。
「どちら様かな?」
1人の剣士が言った。口調は静かだが威圧している感じがあった。
「金子真十郎と申す者、遠州直伝幾天流宗家より遣わされました。当主の三条長人(ながひと)殿にお会いしたい」
「あいにくだが当主は不在にしておられる」
「そうですか…、ならば待たしてもらっても構わないかな?」
「いや、ここは出入りが激しく、当主も暇がないこの頃です。宿さえ教えてもらえればいつでも連絡を差し上げることができますが…」
「なるほど、そちらの言い分はよくわかりました。しかし、あなたの言っていることはまるで逃げ腰のように思える」
「なっ!?」
剣士は心外だという表情になった。眉間あたりがピクピク動いている。
「違うと言われますか?」
真十郎はなおも挑発する。
「ち、違うな。本当に当主はおられぬ。早々に帰られよ」
「わかりました、この場は引き上げましょう」
真十郎は直子を促してこの場より去った。剣士は他の剣士に後をつけるように指示すると自分は母屋のほうへ向かった。母屋は当主が住む屋敷でもある。
「失礼します」
中庭に面した廊下より声を響かせた。障子の向こうには部屋がある。
「何事だ?」
剣士が障子をゆっくりと開くと畳の上に男が座っていた。もう30は回ろうかと思われる人物だがけっこう小柄な体型をしていた。温和そうな表情をしているが視線は手元に持っている本に映していた。
「はい、今、金子真十郎なる者が参りました」
「そうか…、やはり来たか…。で、何と答えた?」
「不在だと伝えました」
「うむ、それでいい。宿はどこだと答えた?」
「それが…」
「どうした?」
「警戒しているようで答えませんでしたが他の者に後をつけさせています」
「そうか…、わかり次第、我に知らせろ」
「わかりました」
剣士はゆっくりと障子を閉じた。男は本を閉じると別室に控えていた男を呼んだ。
「加鯨(かげい)、どう思う?」
「ここに来たのはおそらく破強巡りかと」
「うむ、我もそう思う。あの化け物が遣わしたとなれば本格的にここを潰す気でいるらしい」
「私もそう思います」
「どうすればいい?」
「闇討ちにしましょう」
「できるのか?」
「やってみなければわかりません」
「ふむ…。よし、任せる」
「はい」
加鯨はゆっくりと立ち上がって別室より立ち去った。突然、男は肩をかがめてうなった。
「ぐううぅぅぅぅぅ…」
苦悶の表情を見せる。
「奴に…奴にやられたこの傷、思い出すたびに疼くわ。この恨み、未だに忘れてはおらぬ。どこの馬の骨をよこしたかはしらんがこの三条長人、そう簡単にはやられはせぬ」
冷や汗を流しながらゆっくりと立ち上がり、障子を開いた。開くと同時に涼しい風が和室の中に流れ込んできた。
「ふぅ…」
と、一息つくと中庭のほうへ下りていった。中庭には大きな池があった。池の真ん中には石の橋がある。橋の真ん中まで来たとき腰に帯びていた刀を抜いた。その瞬間、池の中で優雅に泳いでいた鯉が真っ二つにされたのである。水しぶきもたてないまま。
「鯉に罪はあるまい」
三条の後ろで声が響いた。
「親父…」
三条が振り向くと父・綱人(つなひと)がいた。
「幾天三条流抜刀術・透真斬(とうしんざん)か…。まことに見事な腕よ」
「まだまだこのようなものではありませぬ」
「その心意気が門弟にも伝わっておる。大事に致すがいい」
「心意気だけでは恨みは消えません」
「恨みか…」
「はい、この恨みだけは消えることができない、そのおかげで門弟たちにも稽古をつけてやれません」
「なーにできるさ、お前は自分の力量を知らない。知っている者は皆、お前の復活を待っている」
「復活…ですか?」
「そうだ、三条流の当主はお前だけしかいないのだ。もっと自信を持て」
「はい」
「で、先程、宗家の者が来たそうだな?」
「ええ」
「どうする?、今のお前では瞬殺されるだけだぞ」
「わかっています。すでに手は打ってあります」
「まあ、好きにするがいい。何なら、殺して宗家に送り届けてやってもいい。警察などいくらでも誤魔化しがきく」
「今回は私がやります。親父の手を汚させることもない」
「わかった。お前がそこまで言うのならゆっくり見守ることにしよう」
綱人はゆっくりと歩いて行った。
 三条家には一条直伝幾天神段流宗家の他にもう1つの名前があった。それは「暗殺」である。多額の金により依頼が持ち込まれれば相手を暗殺してしまうという暗殺業も仕事としていた。三条綱人の名は裏世界では有名な存在でもあったが閑静な道場のおかげで燈台もとくらしをしていた。後に「金子玄十郎」が行うことと同じことをすでに行っていたのである。

「直子」
「はい」
「気づいているな?」
「先程から」
「二手に別れるぞ。宿を探り当てるのが目的であろうがそれだけでは済まないような気がする。宿の者に迷惑をかけてはならない。人気が少なくなってきたら迎え撃て。お前なら十分倒せる相手だ」
「はい」
「ただし、油断するなよ」
「ふふふ、真十郎さんもね」
ちょうどY字路に差し掛かった。
「終わったら宿に戻って来い」
「はい」
2人は別々の道を歩きだしたのである。あわてたのは剣士たちであった。つけていたのは5人、あまりにも多すぎる数である。尾行の経験を持っていない者たちばかりだ。
「どちらに行く?」
「よし、俺たちは女を追う」
「ちっ、俺たちにも残しておけよ」
「わかってるって」
完全に油断をしていた。二手に別れると3人は真十郎、2人は直子のほうへ向かったのである…。

 夕方、宿に着いた直子は旅館の3階にある部屋に入った。
「あら?」
「よう、遅かったな」
「もう帰ってたんですか?」
「当たり前だろ?、お前と別れたのは2時だぞ。まさか、手こずっていたわけじゃないだろうな?」
「とっくに片づけてちょっと休憩してただけですよぉ」
「で?」
「えっ?」
「土産は?」
「ありませ〜〜〜んよ」
「ちっ」
真十郎は笑いながら舌打ちした。直子も笑っていた。

 別れた後、真十郎は3人を竹藪が続く道におびき寄せて曲がり角を曲がったところで直ぐさま姿を隠した。
「お、おい、いないぞ。どこに行った?」
剣士たちはあわてた。周囲を見回してもあるのは竹藪だけだった。そこに声が響く。
「どこを見ているっ!」
3人の頭上から竹の反動を得た真十郎が降ってきた。渾身の力を込めた木刀は1人の剣士の肩を折った。ボキッという音が2人の剣士の耳に突き刺さった。1人がやられた直後、間合いを取ろうとする。背中には木刀を背負っていた。しかし、それを抜く暇はなかった。
「遅い!」
真十郎は2人の胴へ左右から攻撃を加えた。2人はほぼ同時に倒れてしまったのである。
「帰ったら伝えておけ、この真十郎、逃げも隠れもせぬ。三条幾天流の力を見せてみるがいい、とな」
そう言い捨てるとゆっくりと竹藪の道を歩いて行った。

 一方、直子は人の多いある寺の境内にいた。2人の男は直子の様子を窺っている。直子はゆっくりと御堂の裏のほうへ足を進めた。2人もそちらのほうへ行く。そこには階段があった。2人は階段を下りていく。その先にあるのは墓地であった。無数に並べられ、きれいに掃除が行き届いていた墓地である。その奥に直子はいた。2人の姿を見つめている。
「私に何か用かしら?」
場所が場所だけに2人の剣士は肝を冷やした。
「躊躇する前に構えなさい」
直子は一瞬のうちに2人との間合いを詰めた。この2人も背中に木刀を背負っていたが1人はみぞおちに一撃与えられて悶絶したがもう1人は抜くことができた。抜刀の構えをする。直子は自然体の構えで対抗した。
「行くぞ!」
剣士は鍔に手をかけ抜こうとした。しかし、直子の動きのほうが早く直子の刀の柄頭が剣士の木刀の柄頭に当たった瞬間、木刀は一瞬のうちに砕け散った。
「な、なにぃ!?」
「幾天神段流抜刀術、点撃。刀を抜かずともそれぐらいのことはできるのよ。刀に頼ってばっかりでは私たちを倒すのに何年かかるでしょうね」
直子は冷笑しながら剣士のみぞおちに一撃を加えて気絶させるとゆっくりと墓地を後にした。

「怖っ!」
真十郎は直子の話を聞いて苦笑していた。
「まさか墓地で敵を迎え撃つとは…、いやはや、恐れ入る」
「あら?、相手の度胸を見ただけですよ」
「それなら、公園あたりでも良かったのに」
「一度やってみたかったんですよ。どんな表情で来るかってことを。真十郎さんもやってみたいと思ったことありません?」
真十郎はまた苦笑した。直子の肝の大きいことに感服するとともに、
(こやつ…、師匠に似てきたな…。親子の血はつながっていなくても所詮は親子だな。勇となるか危となるか、どうなるかはこいつ次第だな)
そう心の中で思ったのは言うまでもなかったのである…。

「やはり、やられたか…」
「はい、面目次第もございません」
加鯨は三条に陳謝した。
「まあ良い。で、やつらの宿はわかったのか?」
「はい、気絶したフリをして女の後をつけることに成功した模様です」
「ふん、女にやられたのか?」
「はい、そのようで…」
加鯨は罰の悪そうな表情をした。
「女の尻にでも欲が及んだのであろう。で、宿の名は?」
「志津屋にございます」
「ほう、志津屋か…、ちょうどいい」
「えっ?」
「いや、気にするな。後はこちらでやる。ごくろうであった」
「では、これにて」
加鯨は三条の前から去った。三条は池の鯉を眺めながら、
「連中は志津屋にいるそうだ」
「志津屋ですか…、あそこは我が道場の保養所。そして、旅館にいる者たちも我が道場の者…」
いつの間にか側にいた男が言った。
「後はお前に任せる」
「承知しました。吉報をお待ちください」
「うむ、それと加鯨も始末しろ」
「加鯨もですか?」
「失敗は許さぬ。よいな」
「はい、肝に命じておきます」
男はゆっくりと立ち上がるとすっと気配を消して去ってしまった。
「ふっ、恐ろしい男よ。だが、これで少しは我の気分も晴れる」
三条は鯉を見つめながら笑い出していた。

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