九、師弟対決

 1週間後、真十郎の負傷した左肘に奇跡が起きた。痛みが完全にひいてしまったのである。
「言っただろ?、完治するってな」
「1ヶ月かかるって言ったじゃねぇか」
「予定はそうだった。まあ、いいじゃないか。薬がよく効いたんだろうよ」
「変な呪文でもかけたんじゃないだろうな?」
「わっはははは、そこまでしてまでお前に勝ちたいとは思わないよ」
「………」
「さあて、やるか…。立会人は金剛政光と龍崎護の2人、獲物は真剣だ」
「ああ、いいぜ」
「余裕だな」
「そうでもないよ。この肘は一度も使ってないからな」
左肘を見せながら言った。
 それからすぐに勝負の舞台は整った。羽織袴に身をまとった2人が1階道場に現れた。一方は当主・金子玄十郎、もう片方が門弟・金子真十郎である。この2人、姓は同じなれど親子に非ず。共に本名を知らず、他の者も知らない。真十郎の弟子である直子も知らなかった。謎が多いこの2人が突然、勝負するのである。政光と龍崎は勝負の立会人をすることを聞かされたのは前日のことだった。驚いたのは言うまでもなかった。
「えっ?、立会ですか?」
政光は稽古の途中で真十郎の口から伝えられた。
「ああ、頼めるか?」
「それはもう…。しかし、なぜ勝負など…」
「いつものことだ。お前もこの道場にいる限りはいずれ勝負を申し渡されるであろう」
「あはははは、それは有り難い」
政光は突然笑い出した。
「有り難いとな?」
「ええ、力量がどこまで当代殿に通じるか試してみたい」
「なるほどな、化け物相手だぞ」
「化け物?」
「ああ、剣技の凄まじさはお前の父親と互角だ」
政光の父は金剛流宗主・金剛政兼である。
「へえ、父とやり合ったことがあるんですか?」
「あるそうだ。で、立会人の件、引き受けてくれるか?」
「ああ、それは構わない」
「じゃあ、頼むぞ」
そう言って真十郎は道場から裏手に回った。裏手には裏庭があった。正面には中庭がある。中庭が道場に面していれば裏庭は本邸に面していた。この道場はなかなか広さがあった。金剛流とは比較できないにしても並の道場よりは大きかった。
 裏手では龍崎が素振りをしていた。政光と龍崎は稽古のときはあまり顔を合わさない。どうしてだかはわからないが因縁というものがあるらしい。
「龍崎」
盲目の顔が真十郎のほうに向く。
「どうしたんです?」
「明日、我と師匠が勝負を致す。立会人を頼めるか?」
「えっ?、勝負ですか?」
「ああ、頼めるか?」
「それは当然のこと」
「すまぬな」
「いいえいいえ、構いませんよ」
龍崎は笑いながら言った。真十郎は少し稽古に口を出した。
「素振りだけをするのもいいがもう少し自然界に身を投じたほうがいいぞ」
「自然界に身を投じる?」
「ああ、つまりな、相手の気配だけを感じるだけでなく周りの動植物の気配も感じ取るのだ」
「難しいですね」
「ああ、たしかに難しい。そこまでできるようになれば真の心眼と呼べるだろう。見ぬものは耳で聴けと言う者が多いが耳だけでは掴めぬ情報もある。それを気配として感じることができればどんな場所においてもどんな敵に対しても対処できるだろう」
「どんな敵に対してでもですか?」
「ああ、やってみるか?」
「もちろんです」
「では、最初の修行と思って聴いて欲しい。この裏庭の自然と同化するのだ。時間はどれだけかかってもいい。無理しない程度でな」
「わかりました」
「ほう」
龍崎の挑戦したいという欲に真十郎は感服した。龍崎はその場で腰を下ろすと座禅を組み、心を落ち着かせたのである。

 2人は一礼すると顔を見合わせた。無言である。しかし、2人からは殺気が放たれていた。立ち会っている政光と龍崎がこの勝負がただの師弟対決でないことを窺わせた。
「いざぁぁぁぁぁ!!!」
玄十郎が声を発した。
「参るっ!!!」
続いて真十郎が発すると同時に共に抜刀の構えになった。一時の間隔の後、共に動いた。ほぼ同時に抜刀し二人の間で刀がキンッという音を立てて交差する。そして、続けて共に左方向から刀を振り上げ交差した。そこで真十郎が動いた。刀を玄十郎の手首目がけて刀をすり下ろす。玄十郎は真十郎の右肘に蹴りを入れて動きを鈍らすと右脇腹に一撃を加えようとした。真十郎はこれを刀を真下に落とすことによって凌ぐと一気に間合いを詰めた。玄十郎の懐に踏み込んだ。しかし、わずかに一瞬早く玄十郎の体が後方に下がった。真十郎、玄十郎ともに自然体の構えでにらみ合う。殺気はまだおさまっていない。
「腕をあげたな」
玄十郎が静かに言う。
「だがそれも我にはかなわぬこと」
「果たしてそうかな」
真十郎がニヤッと口を歪ませた。
「参る」
真十郎が自然体のまま動いた。玄十郎も一緒の動きをする。瞬間、2人の体がすり抜けた感覚に立会人の政光と龍崎は襲われた。
「み、見えなかった…」
政光はポツリと呟いた。結果は相殺したようで双方ともケガなどは負っていなかった。けれども、もっと政光たちを驚かせたのは真十郎の動きだった。左肘にケガを負ってから剣を握っていなかったにも関わらず、剣技に対する速さは以前よりも速くなっていたからである。
「さすがよのぉ」
玄十郎は笑いながら言った。
「この分だとますます速くなるであろう。そろそろ頃合いかもしれんな」
「頃合い?」
「ああ」
この時、2人からは殺気がすっかり消えてしまっていた。玄十郎は真十郎に座るよう促すと、
「お前には明日より破強(はごう)巡りをやってもらおうと思う」
「破強巡りか…。あの荒行をやれってこと?」
「その通りだ。やってみるか?」
「無論」
2人の姿を眺めていた龍崎が口を開いた。
「質問してもよろしいでしょうか?」
「ああ、構わんよ」
玄十郎がゆっくりとした口調で言う。
「破強巡りとは何ですか?」
「破強巡りとは幾天流の荒行の一つでな、全国にある幾天流道場や分家を回り、各当主をうち破ることにある。まあ、一種の道場破りみたいなものだ」
「全国にあるのですか?」
「ああ、何も幾天流は一子相伝ではない。かと言って金剛流のように47都道府県に道場を構えているわけでもない。今のところあるのは先代の門弟たち、つまり、我の弟弟子たちが道場を構えているのだ。それぞれ京都の三条、名古屋の亀石、徳島の守山、鹿児島の藤堂の四名。地元の者でもほとんど知られていないだろうがな」
「へええ」
「それを果たすことができたのは今まで当代になった者のみ」
「当代になった者のみってことは…」
「我の後継者になれるかどうかの試練ってことだな」
玄十郎は真顔で言った。政光と龍崎は真十郎のほうを向いた。
「連中は手の内を大半知っている。お前の技がどこまで通用するか試すのもいいだろう」
「試す?、倒すの間違いじゃないのか?」
真十郎も真顔で言った。
「倒すか、あの4人を…」
「ああ。倒さねば宗家の威信にも関わることだしな」
「ならば行くがいい。行って見事に倒して来い」
玄十郎は強い意志が真十郎にあることを感じ取ったのである。
「承知」
「ところで肘はどうだった?」
「痛みはない」
「そうか…、さすがと言うべきかもしれんな。右腕だけの修行で一段と抜刀の動きが速くなったか…」
「抜刀だけではない」
「ああ、その通りだな」
真十郎は師匠より刀や木刀を握ることを禁止されていたが修行に関しては禁止されていなかった。それに修行は何も刀を握らなくてはできないということでもない。周りにある石などでもできるからである。
「さて…、明日よりまた忙しくなるぞ。龍崎」
「はい」
「真十郎がいない間はお前が我の相手だ。楽しませてくれよ」
玄十郎は笑いながら言った。真十郎は苦笑しながら、
「直子も鍛えてやってくれよ」
「そんなこと知るか、お前の弟子であろう。お前が何とかしろ」
「はいはい、ならば連れて行くぞ。ここにいてても腕はあがらないらしいからな」
「好きにしろ」
「そうさせてもらうさ」
真十郎は今度の荒行に直子も連れていくことを決意していた。

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