八、母定村からの刺客

 真十郎たちは翌日、幾天流道場があるさる街に戻った。東城寺は門弟たちを1つに纏めるのは危険だと思い、情報収集のために全国に散らせた。残ったのは龍崎と政信と東城寺、そしてもう1人…。そこにいたのは金剛政光だった。真十郎から受けたと思われる傷はすっかり消え去っていた。
「おいおい、どんな方法を使ったんだ?」
真十郎は無傷になっている政光を見て驚いた。
「気孔を使ったのですよ」
「ほう」
気孔とは中国医学で使う術のことだ。
「あっという間だな」
「覚えるとけっこう便利ですよ」
「そのようだな。機会があったら教えてもらおうかな」
「いつでもいいですよ」
「まあ、今回はこいつで治すかな」
左肘を見せながら言った。
「その薬草…、効くんですか?」
「さあな、あのおっさん、いろんな知識を持っているからな」
真十郎が笑いながら言った。

 真十郎はここに帰って来た直後、すぐに左肘の治療が始まった。始まったというよりも玄十郎が屋敷の奥からいくつかの壺を持ってきてそれを調合し始めたのだ。
「まあ、1ヶ月もすれば完治するだろう」
玄十郎が呑気に言った。
「本当に治るのかねぇ」
「俺を信じろ」
玄十郎が真顔で言った。
「しばらくは左が使えん、あまり無理はするな」
「了解」
「さて、君らはこれからどうする?。行くあてはあるのか?」
玄十郎は政信、東城寺、そして政光に向かって言った。
「ないこともない」
「ほう、ないこともないか…。もし、ここに腰を下ろすなら自由にするがいい。2階にも道場がある」
「いや、これ以上、やっかいになることは我らの恥となる」
「そうか…、ならば無理に引き留めはしない」
「では、行くぞ。政光」
「はい」
政信は弟の政光のほうを向いた。
「今日より師弟の間柄はなくなった。お前は自由だ、何も束縛されるものはない」
「兄貴…」
「行くがいい、我が弟よ」
「私には兄貴をおいて他に宿敵と呼べる者はいない。そして、私の目標でもあります。どこまででもついていきます」
「後悔するなよ」
政信は苦笑しながら言った。
「だが…」
「えっ?」
「今回だけは来ることはならない。お前は真十郎の容態を見てやっていてくれ」
「ど、どうして?」
「何も連れて行かないと言っているわけじゃない。私の力量を試したいだけだ」
「力量?」
「そうだ、残ってくれるか?。最初で最後のわがままだと思って…」
「わかりました」
「玄十郎殿、政光を頼みます」
政信は玄十郎に頭を下げた。
「ああ、安心して行って来い。真十郎もこの様だ、龍崎と政光にはちと動いてもらわなければなるまい」
「すみませんがお願いします」
「うむ」
政信と東城寺はゆっくりと屋敷の門をくぐって歩いて行ったのである…。

「兄貴は帰ってくるかなぁ…」
「彼奴は約束は守る奴だ。きっと帰ってくるさ」
真十郎は中庭を眺めながらそう言ったのである。
 その日の夜半、ある事件が起こったのである。本宅には玄十郎とその養女の直子、2階道場には政光、中庭を眺められる1階道場には龍崎と真十郎が休んでいた。一番、早くある気配に気づいたのが真十郎だった。
「気づいたか?」
龍崎に声をかけた。
「ええ、かなりの殺気です」
 真十郎は近くに置いていた雌雄一対の名刀の片割れ「成松」を手にすると布団から這い出た。ゆっくりと目を閉じて相手の気配を感じ取った。
「表に8人、裏に5人か…。龍崎、お前は裏へ回れ」
「わかりました。そのケガで大丈夫ですか?」
「安心しろ。大丈夫だ」
そう言うと真十郎は表のほうに出た。玄関口の戸をわずかに開くと正面の門の屋根から何人かの姿が見えた。そのとき、後ろに気配を感じた。真十郎は気にする様子もなく、
「政光、気づいたか?」
「ああ、当然だ。8人か?」
「半分頼めるか?」
「ああ」
「行くぞ」
真十郎が一気に戸を開いた。政光が塀を越えて侵入してきた2人にかかっていく。真十郎は正面の敵を相手にした。
「ここを幾天流の道場としっての狼藉か!?」
真十郎の呼びかけに相手は答えようとしない。そのままかかってくる。1人が走って、1人が上から、1人が右から、1人が左から攻めてくる。四方を固めているのだ。
「おもしろい」
真十郎は左肘のケガを悪化させることを覚悟してある技を使った。上段構えになると、
「参る」
一気に刀をうちつけた。上から下へ、左から右へ、右上から左下へ、左上から右下へ、そして正面への突き、5つの方向より真空を放ったのである。あっという間に4人の刺客の姿が消えた。
「幾天神段流抜刀術、流牙散布五ノ型」
これを見ていた政光は驚きの表情をした。
「すごい…、すごすぎる…、手負いとは思えない…」
正に感服したという感じだった。真十郎はそんな政光の表情をよそに刺客に対する警戒を怠っていなかった。
「お前ら、母定流の者だな」
刺客は何も語ろうとしない。
「こっちも傷を負っていたからな、そんなにダメージは受けていないはずだ」
「ぐっ…」
一人の刺客がわずかに口を開いた。
「お前さえ…、くだらない行動をしなければ…」
「どういうことだ?」
「お前が政信と戦っていればこんな手の込んだことにはならなかった…」
「ふん、こっちもお前らの動きは分かっていたからな。裏にも何人か侵入しただろ?。向こうはとっくに始末している頃だと思うがな」
「くっ…」
「母定流の狙いは何だ?」
その直後、飛来した何本かの矢が刺客たちを襲った。
「ぐええええええ…」
矢が刺さった瞬間、刺客たちは泡を吹きながら倒れてしまったのである。
「おい、しっかりしろ」
「な、なぜ…」
刺客たちは息絶えてしまった。8人全員である。
「口封じか…」
「一体、何が狙いだったんでしょうね?」
政光が真十郎に言う。
「おそらく…、政信の命だな」
いつの間にか後ろにいた玄十郎が言った。
「えっ?、どうして?」
政光が驚く。
「政信は長老たちを再起不能にしているだろ?。その長老衆の中に母定流の者がいたことは知っているか?」
「長居以外にか?」
「そうだ、そいつの名は遠柴(とおしば)という男だが本名は母定喜一郎という」
「母定一門か?」
真十郎が玄十郎に向かって言う。
「そうだ、当主・義孝の叔父にあたる」
「一門でも泥棒みたいなことはするのか?」
「さあな、そこまではわからんがそれの恨みもあるのだろう」
「ふうん、本当に恨みだけなのかなぁ…」
真十郎の脳裏には恨みだけではないという確信を得ていた。
「ところで裏手の刺客は?」
「全員、死んだよ。矢が降ってきてな」
「やっぱり…」
「まあ、ここを襲うとはいい度胸しているが襲った相手を間違えたな。この幾天流も甘く見られたものだな」
「ああ」
「早く、そのケガを治して反撃しなければならんな」
「そのためには政光と龍崎の力量をあげなければ…」
「うむ」
玄十郎は真十郎と政光を交互に見ながらゆっくりと刺客たちの顔を見て回った。

 それからしばらくの間、真十郎は剣を持たなかった。刀を持つとついつい振るってしまうことを見抜いた玄十郎は刀や木刀を持つことを許さなかった。落ちている棒も含めて。
「まあ、仕方ないな」
三度の飯より剣を振るっているほうが好きな真十郎にとって酷な話だと思いきや、本人は至ってケロッとしていた。
「治るまでは文句は言えないしな、後は頼むよ」
襲撃されても自分は出ないという意味だった。それだけ、政光の力量を信じてのことだったが母定流の襲撃はあのとき以来、途絶えてしまった。それに政信たちもどこかに行ったきり帰って来なかった。
 真十郎は刀を手放してから毎朝、壺の中入れてあるに調合した薬草に左肘をつけるのだがこれがもの凄い匂いを発した。
「くせぇ〜、何とかならないのかよ」
真十郎は苦笑しながら言うと玄十郎が笑いながら言う。
「文句言うな、こればっかりはどうにもならん」
「ほんとかよ」
「傷にはよく効くから安心しろ」
「治ったら、この壺を頭からかけてやるよ」
「おう、いつでもやってみろ」
「ちっ」
真十郎は舌打ちした。今まで成功したことがなかったからだ。
 仕方なく薬草漬けが終わると何をするということもなく、中庭を眺めたり、政光と龍崎の稽古に口を出したり、昼間は誰もいない2階の道場で寝ているのである。
「あ、ここにいた!」
寝ていた真十郎は直子の声に起こされた。
「なんだ、直子か…」
直子は玄十郎の養女だが真十郎の内弟子でもある。辛い過去を背負っている直子を剣術の道に導いたのは真十郎だった。以前は直子の弟もいたのだがすでにここから去っている。真十郎には直子を養う能力がないので玄十郎の養女にしてもらったのだ。ただし、役所への届けはしていない。
 直子も幾天流の使い手でいつも長い黒髪を後ろで束ねている。
「当代からの伝言ですよ」
当代とは玄十郎のことである。直子は「義父」と呼んだことはなく、ほとんどが「当代」と呼んでいる。
「伝言?」
「1週間後、我と勝負せよとのお言葉です」
「勝負?、この肘でか?」
「そのようですよ」
「ったく…、わかったと伝えてくれ」
「本当にいいんですか?」
「構わない」
「わかりました、そのように伝えておきます」
「頼む」
直子は道場から出て行った。
「さて…、寝るか…」
真十郎はまた眠りについたのである。

続きを読む(第九話)

戻る


.