六、金剛流槍術

 左肘を砕かれた真十郎と全盲の龍崎は屋敷の奥にある武道館から真っ直ぐ正面の門に向かっていた。最初、裏門のほうに回ったがすでに手を打たれていたのである。万全の真十郎であればすぐに突破できるのだが今回はそういうわけにもいかなかった。ただ、幸いだったのがやられたのが左肘だったのである。抜刀を得意とする真十郎にとっては何の支障もなかったのだが力強い抜刀をするためには態勢を均等にしなければならなかった。
 万が一のことを考えて玄十郎は退くことを選んだのである。
「龍崎、正面にも敵がいよう。我の後ろは頼むぞ」
「はい」
真十郎は龍崎に刀を渡していた。木刀以外手にしたことのない龍崎にとっては初めての体験であった。
「重いか?」
「え、ええ」
「それも直に慣れる。幾天流の基礎は真剣から始まる。慣れれば重さなんてものはなくなる」
真十郎は幾天流を金剛流相手に教えることにしたのである。実際、龍崎は師匠の弟子、つまり、真十郎の弟弟子になるのだがいきなり覚えろと言ったらかなりの時間を要することは真十郎自身がよく知っていた。そこで真十郎は敢えて龍崎に技を教えることにしたのである。その相手となるのが、
「やはりいるな」
正面の門に大勢の剣士が集まっていた。正確には剣士ではなかった。皆、槍を持っていた。
「あれは…」
「槍術の者たちです」
「ならば政利の門弟だな」
「そうです」
龍崎の技の犠牲となるのは金剛流槍術・金剛政利率いる者たちであった。
「当主、来ました」
「ああ、分かっている」
政利は座っていた大きな岩からゆっくりと腰をあげた。
「金子真十郎は左肘を政光にやられたと聞いている。できれば万全の形でやりたかったがここまで金剛流の名を汚されたんだ。容赦はしない」
そうは言うものの実際、政利にとって金剛流の威厳なんてものはどうでもよかった。いっそのこと地に落ちてくれたほうが都合が良かった。ただ、今は謎の流派と言われる幾天流と一戦交えてみたいという気持ちのほうが強かったのである。
 政利は左脇に槍を抱えるように刃は地面スレスレの位置にあった。
「敵は手負いとは言え、油断するな」
政利は門弟たちに言った。勢揃いする門弟たちの中には油断している顔も明らかにあったためである。その油断が痛手になることは知る由もなかった。
「龍崎、手負いであっても試合に勝てるということをよーく感じ取れ」
「は、はい」
「お前は相手の気配を感じることに長けている。我の動きをしっかり読みとるんだ。行くぞ」
真十郎は脇に差してあった刀を抜いた。左肘が動かないため、だら〜んとした状態になっていた。しかし、右腕もまた同じようにだら〜んとして刃は地面スレスレにあった。
「こ、これは…」
龍崎が驚くのも無理はない。今、真十郎は刀を構えていないのだ。ただ立っているだけだった。自然体である。
「金剛流槍術の者たちだな、悪いが突破させてもらうぞ」
そう言うと槍術の門弟の1人が叫んだ。
「突破?、そいつは無理だな。お前たちに待っているものは死だ」
そう言って何人かの門弟が真十郎の前に固まった。
「愚かな」
真十郎が呟くと同時に体がわずかに揺れた。その直後、真十郎の体は龍崎の前から消え、次に現れたときには8人の門弟を倒した後であった。
「幾天神段流抜刀術、流牙散布八連(りゅうがざんぷはちれん)
真十郎は技の名を呟いた。それは龍崎に技の名を覚えてもらうことも忘れていなかった。
「す、すごい…」
真十郎の気配を感じ取っていた龍崎がうなった。
 流牙散布八連はまず自然体の態勢から刀を左方向に持っていって1人目の腹を斬り、そのまま刀を頭の右横に持ってきて2人目の左肩から右脇腹に向かって斬る(袈裟斬り)。続けて、3人目の外側をくるっと回り、柄の頭で相手の背骨を折る。それから、1人目にやった斬り方を5人目に行い、右方向から6人目の腹を斬る。そして、刀の柄の先で7人目のこめかみに一撃を与えた後、その隙を狙って左脇腹を斬る。最後は上段構えからの一刀両断で終わるという瞬殺技である。
 この技を見た政利は感服した。
「すごい、すごいぞ。手負いとは言え、そこまですばらしいとは…。これだからこそやりがいがあるというもの」
政利は門弟たちに門だけを固めるように伝えた。その時、背後から異変に気づいた剣術の剣士たちが走って集まってきたのである。政利としては一騎打ちをしたいため、邪魔をして欲しくはなかった。
「ここは俺に任せよ」
そう大声で怒鳴るが剣士たちはうんとは言わなかった。
「いや、ここは我らに任せてもらおう。たとえ、政利殿と言えどもこちらにも剣術としての意地がある」
「ちっ、ややこしい奴らめ。いいから退けと言っているのがわからんのか」
剣士の集団を率いていたのが真十郎に肩の骨を折られた永山だと知ると、
「永山、いい加減にしろ。己自身では勝てぬから次は集団で来たか?」
「黙れ、これは俺の意地だ。邪魔をするならあんたでも容赦はせぬ」
「ほう、俺に勝てるというのか、おもしろい、やれるものならやってみろ」
政利は真十郎よりも永山のほうに視線を合わせていた。今にも永山とぶつかる気配があった。そして、永山率いる剣士の集団と政利率いる槍術の集団が正面の門の前で小競り合いを始めたのである。以前から仲が悪かったらしいがここに来て爆発したのであろうが政利の強さは凄まじいものがあった。瞬く間に剣士たちをなぎ倒していく。最初から力の差は歴然としていた。永山の集団は数こそ勝っていたものの強さでは政利1人にも及ばなかった。唯一、互角に渡り合えると思っていた永山も真十郎に肩を折られてどうしようもない状態だった。
「永山、お前の力はそんなものだな」
「くっ!?」
「さて…、こちらのケリもついたことだし…、早速………?」
政利が気づいた頃には真十郎と龍崎の姿はどこにもなかったのである。
「し、しまった!?」
そう思い、後ろを振り返ったものの突破された跡はなかった。20人もの門弟が守っていたのである。しかも、その後ろには村上と前川の2人が控えていた。突破するのはまず不可能だったのである。そうなると2人はまた中に戻ったということになる。
「くそっ、お前のせいで逃げられてしまったではないか!?」
肩を痛めてうずくまっている永山を蹴り飛ばした。門弟が駆け寄る。
「どうします?、探しますか?」
「いや、我らはここを守るよう宗主より言われている。動くことは許さぬ。けれども、剣術の者どもだけはここを通すな」
「わかりました」
門弟たちは正面の門を守るようにして配置につき、政利もまた先程の石の上に腰を下ろした。結局、真十郎と政利の戦いは後日に持ち越させることになったのだ。
「また、いずれ相手するとするか…」
政利もまた武人であった。

 その頃、真十郎と龍崎は駆けつけてきた東城寺に助けられていた。場所は忍術の道場である。
「いいのか?、我らを助けたりして」
「本来なら政利殿と一緒にお前と戦わなければならないのだがこれも当主の命なり」
「政信の?」
「そうだ。ここは忍術の道場だがもとは私の家なのだ」
「へ?」
「ほとんど知っている者はいない。親父の代までここに剣術道場を置いていたんだ」
真十郎は咄嗟に何かあるなと感じ取った。東城寺と宗主との間に。そこに忍術道場の持ち主が現れた。
「これはどういうことだ?」
「よう、渡會、久しいな」
「久しいではないだろう?、その者らは幾天流の者たちではないのか?」
「ああ、その通りだ」
「お前、自分が何をしているかわかっているのか?」
「無論」
忍者姿でいる渡會の素顔は見えない。
「そんな馬鹿な真似をすればお前も命がなくなるぞ」
「できるかな?」
「なに!?」
「私はお前が思っているような人間ではないということだ」
「………」
渡會は黙っていた。
「惜しいな」
「何がだ?」
「お前ともあろう男がこの地を去ることがだ」
「これも運命」
「そうか…、おい、小僧」
真十郎のほうに顔を向けた。
「何だ?」
「お前、本当に強いのか?」
「なら、一戦やるかい?」
真十郎は笑いながら言ったが目は笑っていなかった。
「おもしろい」
渡會はゆっくりと後方に下がった。
「お、おい」
東城寺は真十郎を止めようとした。しかし、真十郎は耳を貸さなかった。
「まあ、見ていろ」
ゆっくりと立ち上がると渡會のほうへ歩いて行った。
「勝負は一瞬で終わる」
「できるかな?」
「忍術の力、見せてもらおう」
ゆっくりと印を胸の前で結んだ。
「忍法、無幻身の術」
簡単に言えば分身の術である。しかし、それは何人にも膨れ上がった。形はそれぞれバラバラである。大きいものもあれば小さいものもあった。道場の隅々にまで男の姿があった。
「我に勝てるか?」
「おもしろい術だな」
真十郎は目を瞑っていた。刀は鞘に差したまま腰に添えられていた。
「目を瞑って勝てるわけがない」
「ならば来い」
「行くぞ」
徐々に分身は真十郎との間合いを詰めていく。それでも真十郎は仁王立ちのまま動こうとしなかった。
「恐怖におじけついたか」
渡會の姿が間合いに入った一瞬を真十郎は見逃さなかった。抜刀をして腹を斬り捨てた。が、効果はなかった。
「ちっ、鎖帷子か…」
真十郎は刀を鞘の中には納めず、右側に回した。渡會は1つにまとまると背中の刀を抜いた。
「あれを破るとは恐れ入る。お前で2人目だ」
「1人目はそこにいる男か?」
「その通りだ。参る」
渡會は斬りかかってきた。動きは早い。そして、真十郎の間合いに入った瞬間、上に飛んだ。渾身の力で斬り捨てるつもりらしい。真十郎は狙いを男ではなく、刀に定めた。上から攻める渡會の刀と下から攻める真十郎の刀が交じり合った瞬間、驚くべきことが起きた。渡會の刀が粉々に砕け散ったのである。そして二の攻撃が渡會の右脇を襲った。かわす余裕もなく脱臼してしまったのである。折れなかったのは鎖帷子のおかげであった。
「ぐぅ…」
肩を押さえて渡會はうなった。
「お前は相手が手負いだというところに油断があったんだよ。腹に一撃を加えられたときに効果がほとんどなかったはずだ。そのときに我を斬り捨てていれば勝負が終わっていたものを」
「くっ…」
「自身過剰だな、渡會」
東城寺がそう吐き捨てた。
「お前は以前から私に再戦を持ちかけていたがその程度では私にも勝てぬ。そろそろ、行くかな」
「ああ」
真十郎は刀をゆっくりと鞘に納めた。
「ま、待て。お前の名は?」
渡會が問いかける。
「金子真十郎」
「その名、覚えておくぞ。東城寺、お前もな」
「ああ、さらばだ」
東城寺はわずかに頷くと門弟たちを連れて忍術道場の中庭にある空井戸から外へと逃れたのであった。

「行ったか…」
「そのようです」
「奴の強さはまだまだこんなものではないだろう。今回は政利と永山の混乱が連中を逃したということにしておけ」
「承知しました。ところで…」
「わかっておる。奴の処分も考えなくてはならない」
「それは私めに」
「ならぬ、お前は手負いの奴にも勝てなかったのだ。東城寺に勝てるはずがなかろう。ここは政信に任せておけ」
「承知致しました」
そう呟くと宗主こと金剛政兼は静かに灯りのついていない部屋に入って行った。話をしていた男はいつの間にか姿を消してしまっていた。消した人物こそ、真十郎に倒された渡會その人だったのである。外では雨がポツリポツリと舞い落ちてきていた。

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