五、準決勝
金剛流主催による金剛杯も決勝トーナメント準決勝まで来た。しかし、今までと違う出来事があった。それは他流派の参加である。ただ、参加するならまだしも決勝トーナメントの準決勝まで登りつめられたとなれば上に立つ者にとって威厳を揺らしかねない状況だった。
金剛流の長老たちが政信を囲んで話をしていた。
「このまま幾天流が金剛杯を取ったとなれば我が金剛流の威厳は地に落ちることになる。万が一、そうなった場合、分かっているだろうな?」
「もちろんです。その時はこの当主の座を下ります」
政信には負けないという強い自信があった。
準決勝には4人の剣士が残っていたが前回優勝者の村上の棄権という波乱もあった。
「奴め、一体何を考えているんだ…」
東城寺が呟いた。真十郎には違うことを言ったが実は村上の独断だった。
「どちらにしろ、今は村上のことよりも幾天流の快進撃を止めなければならない。皆、心して挑むように」
政信は決勝トーナメントに残った金剛政光、東城寺慎司、前川実に強い言葉で言った。
そして、夕方、舞台の周りには多くの剣士がひしめき合っていた。大半が金剛流である。この決勝トーナメントを勝ち残った者は当主の政信と戦うことになる。毎回、当主と戦うことだけを求めて何百という数の剣士が金剛杯に参戦してくる。その剣士たちが4人の強者たちを見つめていた。審判が口を開く。
「これより準決勝戦を始めます。一試合目は幾天流金子真十郎 と 金剛流金剛政光、両者舞台上へ」
2人の剣士が顔を見合わせるようにして舞台にあがった。双方とも木刀を手にしていた。
「始め!」
審判が声を高々に言い放った。
2人はゆっくりと抜刀の構えになった。左足をひき、腰を低くした態勢である。その場でどちらかが抜刀したとしても切っ先(刃の先端)すら届かなかった。しかし、2人にはそんなことは関係なかった。しばらく動くことはなかったが一時(いっとき)が経って、双方が抜刀した。その手の動きは見えなかったことも周囲の反響が大きかったが次に起きたことがもっと驚かせることになった。抜刀した木刀は体の端の位置スレスレのところにあった。高さは腹の高さぐらいである。右手は腰のほうにあった。鞘があれば力強く振れているところだった。
2人の体に異変があった。ほとんどの者が何が起きたのかわからない状態だったのである。政光の腹がパックリと斬りつけられ羽織の下から血が滴り落ちていた。真十郎も下袈裟(脇腹あたり)から斜めに斬りつけられていた。
続けざまに真十郎が動く。痛みなんてものはもろともしない。木刀の刃を右肩のほうから回すと頭上の斜め上から政光の左肩を狙った。しかし、政光の木刀がそれを受け止めた。真十郎は力強く押しながら刃を少しずつ柄のほうへずらしていく。政光は真十郎の狙いがわかり、下から持ち上げるようにして間合いをあけた。真そこに真十郎が下から、政光は上から攻撃をしかける。またしても、木刀が交差する。下からの動きが不利と判断した真十郎はわざと木刀に入れる力を弱めて木刀をひいた。力で押していた政光の一瞬の隙を突いてケガを負っていた腹に突いたのである。政光は木刀で防ぐことはできなかった。なぜなら、真十郎の足が木刀を踏んでいたからである。それでも、政光は木刀を捨てて後方にさがった。
舞台脇で見守っていた政信は呟いた。
「政光にあれを使わせる気か?、やるな、金子真十郎」
真十郎は足で踏んでいた政光の木刀を後方に蹴った。嫌な予感がしたからである。そして、大鎌の構えを取った。大鎌の構えとは抜刀の構えとは全然違い、頭の右方向より斜め下に刃を向け、体は左足が前に出て防御主体の構えであった。けれども、真十郎はこの構えから攻撃に転じることができた。
幾天神段流の極意は『技は教えてもらうのではなく、自らの力であみ出せ』というものだった。真十郎はこの構えからの攻撃技に力を注いでいた。他の者なら防御に徹することが多かった。弱点をなくすことも幾天流の極意に含まれていた。とはいっても技は一つだけしかなかった。真十郎はこれに賭けた。
一方、政光は自然体になった。背筋を伸ばして両手をブラ〜ンとした態勢になった。
「参る!」
政光が一言を言うや、真っ直ぐ真十郎に突進してきた。無謀である。しかし、真十郎は突進してくる政光に攻撃を仕掛けた。刃を股の下から顎に突き上げる「陰陽塵(おんみょうじん)」を放った。技は見事に成功したが政光の捨て身の攻撃が決まってしまった。それは両肘を砕くというものである。左は見事に平手打ちにより砕かれてしまったものの、右肘は寸前のところで鍔で何とか凌ぐことができたのである。
「ぐわぁぁぁぁぁ!!!」
顎を斬りつけられた政光は顔を押さえてうなった。真十郎も左肘を押さえて痛みに耐えていた。政光はあきらめていなかった。真十郎の手から木刀をが離れた一瞬を見逃さなかった。またしても突進してきたのである。今度は頭の骨を砕く…、つまり、息の根を止めることにあったのだ。そして、一撃が真十郎の頭に差し掛かった途端、ゆっくりと政光の体が真十郎のほうに倒れ込んだのである…。
政光の首にはくっきりとした跡が残っていたのである。「首討」の跡が…。かつて、初めて真十郎が師匠に挑んだときにやられた技である。それをここで真十郎はやってのけたのである。
審判は政光の状態を確かめてから、
「勝者、金子真十郎!」
と高々に宣言した。真十郎は右腕で政光の体を抱え上げると舞台下まで連れていった。目の前には政光の兄の政信がいた。
「こいつを頼む」
「ああ」
ゆっくりと政光の体を政信に託すと右肘を押さえながらゆっくりと呟いた。
「捨て身の攻撃、痛み入る。また再戦しよう」
そう言うとゆっくりと仲間たちがいる場所に戻ろうとした。
「真十郎殿、治療はしないのか?」
「構わん」
そう一言言うと振り返ることなく歩いていった。
「次の試合、お前の勝ちだな」
政信は東城寺に言った。
「どうしてです?」
「おそらく、奴は棄権するだろう。仲間を逃がすために」
「えっ?」
「単身、敵地に来ているんだ。自分が負傷してしまった以上、満足に戦うことはできるまい」
「戦う?、ここにいる者たちにはそんな無礼はさせませんよ」
「お前がそう言ったとしても全員がそれを飲むとは限らない。金剛流の名を傷つけた者は許さないという者たちが出てくるはずだ」
「………」
「東城寺」
「はい」
「お前も奴が万全の状態のときに戦いたいであろう」
「それは当然のことですが…」
「お前の意に反していることはわかる。私としては今、奴を失うことは惜しい。できれば逃がしてやりたい」
「当主…」
東城寺は少し考えた後、ゆっくりと頷いた。
「分かりました。当主の意に添いましょう」
「すまぬ」
政信は頭を下げたのである。
「逃げるぞ」
真十郎は龍崎に向かって言った。
「えっ?」
「もう囲まれていようがここから立ち去るぞ」
「ちょ、ちょっとどういうことなんですか?」
「わからないのか?、この肘をどう感じる?」
龍崎は真十郎の左肘を触った。
「これは…、内氣(うちき)」
「知っているのか?」
「ええ、金剛流体術の技の一つです」
「政光は両手で放ってきおったわ」
「えっ?、両手ですって?」
龍崎は驚いていた。
「ああ」
「しかし…」
「それだけが理由じゃないぞ。もう一つある。お前がまだ金剛流の立場で他流の者が師範代クラスを次々と倒していったらお前はどう感じる?」
「憤ります。あっ…」
龍崎はあることに思い至った。それは金剛流剣士たちの襲撃である。
「分かったなら行くぞ。勝負は東城寺の試合が終わるまでだ。師匠はどこに行った?」
「さあ、用事があるとか言って…」
「そうか…、師匠ならほうっておいても大丈夫だな」
「なぜ分かるんです?」
「化け物だからさ、行くぞ」
真十郎と龍崎は真っ直ぐ屋敷の門に向かったのである…。
金剛邸のはずれにある離れ、周りを何人かの剣士が囲んでいた。しかし、それも一瞬のうちにして倒されてしまったのである。顔を確認することもなく。
この異様な気配を察した中の住人がゆっくりと障子を開けた。
「誰かおるのか?」
白髪の老人が剣士たちを倒したと思われる人物と顔を合わした。
「おおお、久しいな」
「本当に」
男はニヤッと笑った。
「わしは見ての通り、ただの隠居だが何か用かな?」
「今、お前さんの孫を預かっている」
「ほう」
「金子真十郎と名のってな」
「なるほどな」
「今、ここに来ているが会うかい?」
「いや、やめておこう。それにそれどころではあるまい」
「ん?、どういうことだ?」
「予想外のことが起こったらしい」
「予想外?、まさか…」
「安心しろ、死んではおらんよ」
「なぜ、分かるんだ?」
老人は笑いながら、
「そいつは教えられんよ。せっかくの楽しみがなくなるんでな」
「お前さんほどの人間がなぜ軟禁されているのかわからんよ」
「それは彼奴がわしを脅威と感じているからだ」
「なるほどな、また機会があったら会おう」
男は立ち去った。
「ふぅ、金子真十郎か…。どのように成長するか楽しみだな」
老人は再び、離れの中へと消え去った。
金剛杯の舞台では東城寺と前川の戦いが行われていた。しかし、それは一瞬にして終わってしまったのである。村上に続いて前川までもが姿を現さず、棄権という形になってしまったのである。この異常事態に政信は嫌な予感を示した。なぜなら、前川と村上は実の兄である金剛政利の側近だからだった。
準決勝、決勝と立て続けに棄権試合という前代未聞の事態にも関わらず、長老たちの顔は平然としていた。そのことも気になった政信は東城寺に近づいて、
「東城寺、嫌な予感がする」
「ええ、前川も棄権したとあればもうぶつかっている頃かもしれませんよ」
「私は長老たちの動きを見張る。お前は連中を頼む」
「承知」
東城寺の動きは素早かった。すぐさま、側近である金剛流東城寺道場の師範代を集め、当主・政信の意志と自分自身の意志、それにこれから起きる予感のことを説明した。
「来る来ないはお前たちの勝手だ。決断して欲しい」
それに対して師範代の柚原が言う。
「我らは金剛流門弟であると同時に東城寺流の門弟です。師の意は絶大です。どこまででもついていきますよ」
「構わないのか?、どちらしてもこの金剛流を去らなければならない事態も起こるやもしれぬ」
「それでも構いません、なあ?」
柚原は共に東城寺のもとで修行してきた面々のほうを向いた。皆、同じ表情をしていた。
「金子真十郎はケガを負っている。龍崎が一緒とは言え、あまりにも多勢に無勢。それに先程の長老たちの表情も気になる」
「それでは長老のほうにも手を回しておかないといけないのでは?」
「それは安心しろ、すでに当主の目が光っている。行くぞ、半数は裏門へ、残りは我と正面に向かう」
東城寺は門弟たちと共に真十郎脱出作戦に加担したのである。
東城寺が金剛流剣術の最高師範代になったのは5年前のことだった。あのときはまだ政信が当主になっていなく、1人の剣士として共に汗を流していたのである。金剛杯では必ず、政信と東城寺が決勝で当たることが多く、他の剣士たちの嫉妬も買ったことがあったが2人の絆はますます強いものとなっていった。ある日のこと、東城寺は政信に呼ばれ屋敷に行った。さすがの東城寺も金剛の本邸には足を踏み入れたことすらなかった。それだけに金剛邸は聖域だったのである。政信は中庭で政光と一緒にいた。政光もようやく師範代としての頭角を現し始めていた頃だった。
「おう、こっちだ」
政信は東城寺に向かって手をあげた。東城寺もそちらに足を運ぶ。
「実はお前に頼みがあるんだ」
「頼み?」
「今度の長老会で剣術の当主に推薦されることになった。そこでお前に最高師範代の座に就いてもらいたい」
「えっ?、俺がか?」
「ああ、実力・明晰共に申し分ない。それに私1人では何百という数の門弟を束ねることができるか不安なんだよ」
東城寺は初めて政信の心を知った。
「お前にしか頼める奴はいない、政光も同意の上だ」
「しかし…」
さすがの東城寺も躊躇した。
「頼む、この通りだ」
政信が東城寺に対して深々と頭を下げたのである。この行為が東城寺の躊躇していた態度を吹き飛ばす結果となったのである。
「我が身があるのも政信のおかげだ」
真十郎を助ける義理はなくても、困っている者をほうっておけない東城寺は政信に対しても絶大の信頼を示していることには違いなかった。
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