一、幾天神段流

 ひっそりとした住宅街、朝のラッシュ時だと言うのに歩いている人はまばらで静かな街に等しい。この土地はバブル期こそは多くの住民でにぎわっていたが崩壊後は交通などの不便さや地上げ屋などの土地売却が目立ち、住宅としての機能は失いつつあった。その勢いは街の一角にある大層大きな和風建築にもやってきた。
 しかし、誰一人として家の門をくぐることはできなかった。ずっしりとした門構えは鍵などなく、昔で言うなら門の裏に大木一本まるまるの閂をしてあった。通常、この門の扉は開くことはない。用事のある人は横にある小さな窓から入るようになっていた。また、門の端には大きな札板が掲げられていた。そこには剣術道場の名前が記していた。
 で、何としても地上げを成功させたい暴力団の組員は夜半、放火を仕掛けようと門にガソリンをまいたまではよかったが次の行動に移すことはできなかった。
 この家の当主が日本刀を持って羽織袴の姿で立っていたのだ。
「お主らが来るのは最初からわかっていたことだ」
「ふん、たった1人で何ができる!?」
5、6人の組員がドスを手に当主に目がけて襲ってきた。
「そのようなもので私が倒せるか」
抜刀の態勢には入らず、普通に立ったままであった。けれども、当主に手傷すら負わせることができなかった。一瞬のうちに襲った組員は倒されてしまったのである。
「その程度か」
何をされたのかもわからず、組員たちは捕らえられてしまったのである。それだけなら指示した暴力団には何の痛手もなかっただろうが当主はすでに次の行動に出ていた。
 その日のうちに住民の1人から暴力団の組事務所を教えられた当主は直ぐさま、そこに向かった。組事務所は繁華街などのにぎやかな場所ではなく、静かな住宅街に溶け込むような形で事務所を構えていた。事務所はビルではなく、普通の一戸建ての家だったがポストのところに小さく組の名前が書かれてあった。暴力団規制法により公にはその存在を記すことはできないからだ。
「全滅だとぅ!!??」
組長が組員に怒鳴った。
「は、はい」
組員は怖々した様子で組長に答えた。組長は舌打ちしながら、
「ちっ、で、襲った奴らは?」
「全員、捕まえられたようで…」
「警察が来たら、シラをきっておけ」
「わかりました」
ほっと組員が胸をなで下ろしたときに鳴り鈴が家中に響いた。鳴り鈴は何回も連続して鳴らされた。
「誰か見て来い!」
「へいっ」
下っ端が玄関に向かっていく。
「どこのどいつだか知らんがこんなのときにムカツクことをしやがって!!!」
組長は完全に血が上った状態になっていた。
 下っ端が中から、
「誰だ!?」
叫ぶがそれでも音は止まない。
「ちっ、誰だと聞いているのがわか…」
玄関のドアを開けながら叫んだとき、みぞおちに一撃食らって下っ端はその場で倒れてしまった。
 当主は玄関から真っ直ぐ居間のほうへ入って行った。そこから何が起きたのかは誰も知る由はないが見た住民の話によると中からは叫び声と銃声が響いたという。30分もしないうちに当主が無傷で出てきた。
「もう安心するがいい」
と、一言だけ残して家に戻って行った。
 この当主と暴力団の事件は住民が知らぬ存ぜぬと口を告ぐんだのと被害者である暴力団のほうも何も語ろうとしなかったため、結局、警察としては何もできなかったという。
 この事件により住民の間で胡散臭がられていた当主の存在は一躍、時の人となった。それでも噂を聞きつけて弟子入りを志願してくる若者を門前払いし続けていた。
 そんなある雨の日のこと、たまたま門弟たちが本家に集まる会合があったため、門は約10年ぶりに開かれていた。昼になっても雨は止むことはなく、門弟たちが帰る頃になっても降り続けていた。
「まだ止まないのか…。今日は鬱陶しい日だな…」
そう思っていた当主は門を閉めようと戸に手をかけたときに、
「うん、そこにいるのは誰だ?」
門の近くに誰かがいるのがわかり、声をかけた。すると、そこにいたのはまだ12、3にも満たない少年だった。当主の姿を見た少年が口を開いた。
「あんた、強いんだろ?」
手には長い木刀を持っていた。
「何だ小僧、俺とやる気なのか?」
「ああ」
「ふっははははは、おもしろいことを言う小僧だな。ケガをしないうちに帰んな」
しかし、少年は帰らない。当主は少年の目には強い意志があると見た。これ以上、何を言っても無駄だと悟ると、
「何のために俺とやるんだ?」
「あんたが強いと聞いたからだ」
「それだけか?」
少年にはそれだけではないと感じていた。
「それだけだ」
ゆっくりと木刀を身構えた。
「おいおい、素手の者と本当にやる気だとは恐れ入る。いいだろう、一手勝負してやろう」
当主は自然体になった。少年は戸惑う姿勢を見せない。
「うむ…、隙がないな…」
そう呟いたとき、少年が木刀を一直線に突いてきた。当主はすっと木刀をかわして抜刀の態勢から手刀で首に一撃与えた。
「幾天神段流無刀術、首討(しゅとう)
少年が倒れると同時にそう技の名を呟いた。倒れた少年の首には赤く腫れあがっていた。
「手加減したつもりだったが…、まったく世話の焼ける奴だ。だが、こいつには素質がある。おもしろいおもしろいぞ!」
そう笑いながら、少年をかついで家の中に入って行った。入ると同時に門は閉じられたのは言うまでもなかった。
 この少年を弟子として迎えた男の名は「幾天神段流宗家・第十二代目金子玄十郎」である。この男こそが後に最強の「金子玄十郎」の師匠に当たった…。

 それから3年の月日が経った。道場は相変わらずど〜んと門を構えて外からは中の様子が窺えないが、中は比較的きれいであり、時折、庭師が出入りしていることもあって庭では何匹かの鯉が優雅に泳いでいた。裏にも勝手口があるがそこは鍵が壊れていて開くことすらできない。家は一戸建ての和風建築、築20年ぐらいだが釘を一本も使っていない。そのため、大きな地震が来てもびくともしなかったそうな。
 さてさて、この少年の師匠の名は先にも述べた通り、この幾天神段流の当主であり、代々続く金子玄十郎の名を襲名しているがここでおかしなことに気づく。室町末期より続いている流派なのに十二代だけしかいないというのはおかしいのではないかと思う人もいるだろうがそこは歌舞伎の流派と同じと思ってくれればいい。
 この流派を築いたのは一条刀斎という若い公家だが最初は「刀斎」の名を受け継いでいたのだが戦国の世に金子玄十郎宗康という小さな勢力の大名がそれを引き継いだことから主君を敬愛して「金子玄十郎」を襲名するようになったわけである。他にも「金子右近」や「館林政綱」などの名がある。
 というわけで金子玄十郎の名は後世に受け継がれることになったのである。
 この金子玄十郎の性格を言うと、外見はお腹の出たただの酒好きのおっちゃんだがいざ勝負となると人が変わる。自分の間合いには相手を入れないすごい剣氣を発して相手を倒してしまうのである。

 1人の少年が1階東側にある道場の板の間で大の字になって寝ていた。片手には木刀が握られたままでどうやら練習を夜遅くまでやっていて眠ってしまったらしい。
「すうすう…」
と寝息がわずかに聞こえてくる。そこに例のおっちゃんが現れた。戸をゆっくり開けて入ってくる。少年が気づいた様子はない。まだ寝ていた。片手には木刀が握られていた。徐々にその距離は狭まっていく。そして、少年の頭の上まで来た。おっちゃんがゆっくりと身構える。そして、何も言わずに木刀を振り下ろした瞬間、カンっという音が響くとともに少年は木刀を顔の前に横一線に持ってきて木刀を防いだ。
「ふわぁぁぁぁ〜。なんだよ、人がいい気持ちで寝ているのに…」
少年があくびしながら言った。
「もう昼だぞ。何時まで寝ているつもりだ」
「師匠も寝てたんでしょ?。寝癖がすごいですよ」
お互い大声で笑った。
「まったく何て奴だ、せっかく気配を消したのに」
「ああ、空気で感じたんですよ」
「ほう」
師匠がゆっくりと頷いた。そして、続けざまに言う。
「お前、金剛杯って知ってるか?」
「金剛杯?、あの金剛流の?」
「そうだ、お前に出てもらおうと思ってな」
「どういう風の吹き回しで?、幾天流は姿を現さない流派のはずでは?」
通常は幾天流と省略することが多い。
「ちょっと強さを見せておこうと思ってな」
「強さ?、それだけじゃないでしょ?」
「まあな」
師匠はそれ以上言わなかった。少年もそれ以上聞かなかった。
「知っての通りと思うがうちの流派は本名を明かさないというのが理になっている。そこでお前は今日より『金子真十郎』と名のるがいい」
「なんだ、金子玄十郎の名をくれると思ったのにぃ」
少年は笑いながら言った。
「馬鹿、この名は俺の名だ。そう簡単にくれてやるわけにはいかん」
「ちぇ」
少年は舌打ちした。
「まあ、真十郎の名もお前で六代目だ。有り難く使ってくれ」
「へいへい」
少年改め金子真十郎がここに誕生したのである…。
「金剛杯は来週から始まるからな、しっかり腕をあげておけよ」
「おう」
と言うとゆっくりと立ち上がった。
「もう1つ言っておこう」
「何です?」
「今回、金剛杯に出る流派は金剛流を除いたら幾天流だけしかないから覚悟しておけよ」
「げ、了解…」
つまりみんな敵だということを覚悟しなければいけないということだった…。

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