近づいて来た一人の警官に声を掛けられたが、彼は座り込んで放心したまま、さらに何人もの警官が声を掛けたが、やはり何の反応も見せなかった。
 平和だった住居は、大量の人間がなだれ込んできて、すぐに騒々しくなった。
 さらに十分ほど経った頃、奥の部屋を見に行った警官から声が上がった。

「おいっ! ここに生存者がいるぞ!」

 どかどかと他の警官や刑事が走っていく。
 駆け込んで行った先は長女の部屋だった。
 その部屋にある、あの刀傷が刻まれていたタンスの中に生存者がいた。
 男の長女、響(ひびき)だった。
 動揺していた父親に発見され損なっていた長女は、タンスの中で気を失っていたらしい。
 彼女の顔の半分は血まみれで、その両手には、居間に置いてあった父親の太刀が大事そうに抱えられていた。警官の一人が掴んで引っ張ってみたが、意識が無い筈なのに、娘は手放そうとしなかった。
 駆け付けた救急隊員が怪我を確認すると、何かの刃物たぶん刀であろう、で斬られ、それは左目の眼球まで達していた。すぐに大急ぎでタンカに乗せられた少女は、すぐにマンションの外に連れ出された。
 十台近くのパトカーがマンションの周囲に集まって、辺りは大騒ぎになっていた。
 野次馬の中には制服を着た響と同い年くらいの少女の姿もあった。その少女は運ばれて行く響の姿をじっと見つめていた。
 他にはマスコミ関係者らしき人々も忙しく右往左往していた。
 襲われていたのは越刃(こしば)家だけではなかった。
 隣室の住人、水月の両親も殺害され、さらに同じ階の住人が皆殺しになっていた。しかし住人が手ひどい乱暴を受けていたのは、越刃の家族だけで、他は一刀のもとに斬り捨てられていた。
 その後行われた、捜査の初期段階では越刃自身も犯人として名前が挙がったのだが、会社での残業という確実なアリバイがあったのと、もともと動機が見当たらなかった為に、すぐに可哀想な遺族として扱われるようになった。
 ただ本人に話を聴くことが出来なかった為、発見時の詳しい状況は分からなかった。彼は事件のショックで言葉を失うほど、精神を崩壊させていた。翌日には入院して、警察の管理下に置かれ、手厚く治療される事になった。
 多くのマスコミはこぞって、彼を悲しき被害者としてその心痛を勝手に推し量り、ワイドショーでは自分のことのように怒り涙ぐむ出演者さえ居た。
 また当然のようにインターネットの中でも異常な盛り上がりをみせた。世の中の物騒さを訴えたり、政府のせいだとか、治安の悪化は暮察の怠慢だとか言う決まった意見に、中には、どこから仕入れたのか、事件の詳細な内容を知って興奮した上に、意味不明な書き込みを繰り返す輩もいた。
 助け出された越刃家の長女は、顔の包帯も痛々しく大量の出血もあったが、幸い命に別状はなかった。
 動けるようになってからは、毎日のように事情聴取のために警察署へ通い、そして看護師たちが注意するのも聞かず、同じ病院に入院している、父親の病室に泊り込んで献身的に看病を続けた。
 彼女が大事に抱えていた刀、刀身に文様が影り込まれている珍しいもの、からは血痕など何も検出されず、警察は犯人の顔を見た可能性から、幾度も話を聞いたが何の情報も得られなかった。
 事件からしばらくして警察の会見によると、実は越刃親子以外に死を免れた者が、他にも居たと明らかにされた。
 その一人が前日より越刃家に泊まっていた親戚筋の女性で、だが事件当時に現場に彼女の姿、残されたモノは無く、懸命に行方が探されたが、いまだに発見には至っていない。

 そして事件発生から一ヶ月ほどが経過した頃。
 響は自分の傷が完治する前に、病院に父親を残したまま姿を消してしまった。
 ほぼ同時期に証拠品の中から、あの太刀も消失し、不手際がおもて沙汰になるのを恐れ、一時期、警察内部を騒然とさせた。しかし結局、刀は見つからず、警察は特にマスコミから非難されてしまった。
 世間での、この事件の風化は警察が考えるよりもずっと早く、捜査に関係ありそうな情報もすぐに途絶え、物的証拠が数多く残されていたにも関わらず、それからは事件の究明は遅々として進まなかった。
 やがて警察署内にも諦め顔が増え、マンションで起きた大量殺人事件の真相は、まさに迷宮の中に埋没して、あとは、ひたすら時間だけが流転していった。


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