また、いつもの奴だ。良く半年も続くものだ。このCMを見るたびに彼は、正直言ってうんざりしていた。
画面に映る女性が知り合いでなければ、うんざりだけではすまなかっただろう。
『……帰るべきです。変わったことに気付くべきです。元の生活に戻りたいとは思いませんか、皆さん! 間違っているという事に気付いて、我々は帰りましょう!』
彼は無言でテレビのチャンネルを変えた。すると、いきなり露出度の高い女性が現れ、思わず彼の目が釘付けになった。
『自由にカスタマイズすることも可能になった新型! おしゃれアイテムとしての機能を進化させた、新しい "キラ出し"が登場! あなたをより演出する、これが美、麗、剣!』
可愛らしいポーズをとる彼女は、最近良く見るアイドルだった。ファンの熱狂振りが番組で紹介されているのを数日前に見たが、彼は顔をしかめながら見たものである。その割には、このCMの彼女は可愛いと思う。
ふと壁掛け時計へ目をやると、甲高い少女の声が聞こえてきた。
「ねぇ、お父さん!」
慌てて走ってきた娘を見て、ため息をついた。どうして毎朝こんなに慌てているんだろう。
味噌汁を口にしている父親は、短いスカートの裾を気にしている娘を、視線がばれないようにしながら見やった。そんなに先になるなら、もう少し長いスカートにすればいいだろう。だいたい校則に引っかからないのか。
「どうした?」
最近巷では親子の関係がギクシャクなんて言われるが、娘に『ウザい』なんて言われたことは無いし、こうやって朝から話しかけてくる。遊びに行っても、きちんと遅くならず帰宅する。
「お父さんっ、お母さんに言ってよ!」
「何が?」
「最悪っ! 昨日の夜、あのワンピースを買ってくれるって言ったじゃない!」
「ホントにそんな事言ったの、あなた?」
居間に入って来た妻の顔を見ると、朝っぱらから長女と言い合っていたのが分かった。
鋭い視線で夫に詰め寄ってくる妻の横を、下の娘が駆け抜けた。
「お姉ちゃん、先に行くよっ。お父さん、行ってきます!」
「ああ、いってらっしゃい」
次女はショートカットの髪を上下に揺らしながら、二人の女に詰め寄られる父親に、きちんと挨拶して登校して行った。やっぱり親子関係はうまくいっているんだと、納得するように心の中で頷いた。
「ちゃんと約束守ってね、お父さん! 百合ぃ、待ちなさいよお!」
「あ、ちょっと、ひびきっ! あんた今日は早く帰って来なさいよ」
「わかってるっ。行ってきまーす!」
玄関のドアが開け閉めされ、家の中の空気が動くのを感じながら、父は漬物をロにした。これは妻が漬けたものだ。
この福岡には二年前に引っ越してきた。今では妻も娘達もすっかり生活に慣れたようだ。
「ホントに、あんな約束したの、あなた?」
ジーンズにTシャツという格好の妻が、向かいに座りながら小皿から漬物を取って、小気味良い音を立てて食べた。
「高校生になったばかりなのに、ブランド物なんて」
「なったばかりたって、もう二学期だろ? 友達が、そのブランドのを持ってるとかで」
「ちゃんと覚えてるじゃない、もうっ。あなたのお小遣いで買ってあげなさいよ」
「おじさん大変な約束しちゃいましたね。あ、おはようございます」
「あら、おはよう。よく眠れた? ごめんね、騒々しくて」
にこやかな笑顔を見せる彼女は、夫の速い親戚にあたる女性で、百歌景(ももか けい)といった。彼女がCMで『どこか』への回帰を訴えていた女性である。
夫はテレビヘ視線を逸らしながら顔をしかめた。生活のバランスの皺寄せは必ず家の主にくる。
「何? 何かの事件? あ、けいちゃん! タオルはそこにあるのどれでもいいから」
妻はニュースの事件の事を言っていた。
「またロケット、失敗したの?」
「らしいね」
大した興味もなく、いい加減に答えながら立ち上がった。
「ホントに、月に行ったり、衛星が飛んだりしてんのかしら」
「俺だって、見た訳じゃないから知らないよ。上着、取ってくれ」
「あ、うん」
ほっとけばずっと話しそうだった為、わざと急かした。彼女は慌てて隣室へと消えた。
結婚して十六年が経過していた。
結婚したのは十九歳の時だ。子供の頃から剣術一筋で生きてきた男が、学校の一年先輩だった彼女と出会って、すぐに恋に落ち、それからの展開は友人たちが唖然とするほど早かった。
もちろん当時はお互いの両親に猛反対され、結局、駆け落ち同然で結婚し、両親とは今も連絡さえ取れない。長女が生まれた時に、彼女の親とは意外とすぐに和解したが、彼の父親は頑固なタイプで決して許してはくれなかった。
手渡された上着の袖に腕を通した。
「美紗。お前、今日はパートだろ。大丈夫なのか?」
妻は置いていたカバンを取って、夫へ手渡した。
「うん。今日は百合の誕生日だからね。店長には先週から言ってあるし」
「百合も、もう来年は受験か」
美紗は、視線を娘たちの部屋の方へ向けた。その横顔が魅惑的なラインを描いていた。今年、三十六になるが彼女の魅力は増すばかりだった。
夫は盛り上がった気持ちを伝えようと、妻に顔を近づけた。
「美紗」
「ダメよ、朝から。けいちゃんもいるでしょ。早く会社に行きなさい。ほら」
笑いながら彼女は夫の尻を叩いた。年を取るというのは、良く見た目の事を言うが、実は言動だなと最近思えてならない。
「あ、ねえ。持っていかないの?」
玄関へ向かおうとした夫は、不意に呼び止められた。振り向いた彼は、部屋の隅に立て掛けてある一振りの刀を一瞬見ただけで、すぐに顔を左右に振った。
「いや、いいよ」
「でも、危ないじゃない」
「持ってる方が危ないよ」
「もう、せっかく免許取ったのに。あれ、先生に貰ったモノなんでしょ?」
「ああ」
「それに最近は物騒じゃない。この前だって、市内でサラリーマンがいきなり斬られたって」
最後まで妻の話を聞かず踵をかえすと、夫はとっとと玄関へ向かった。
「だって若い人はけっこう持ってるじゃない?」
「若い連中が、みんな危ない奴ばっかりじゃないだろ?」
「そうだけど……近所の人たちの話じゃ、隣りの水月(みづき)ちゃんがよく朝帰りしてるんだって。あそこのご両親も最近あまり姿を見かけないし」
「そんな噂話、響の前ではするなよ」
美紗は不満そうに頬を膨らませた。水月というのは長女の先輩で友人だった。
「しないわよ。バカにしないでよ、子供じゃないんだから。ねえ、会社の人達は?」
「さあ、社長とかにはボディガードが付いてるし。まあ、いいんじゃないか」
「あなただって先月、課長になったじゃない」
思わず苦笑した。
実は彼にとっては、あまり嬉しい昇進ではなかった。
「変わらないよ。それに、アレは」
そう言って妻を見ると、僅かに顔を曇らせていた。
「……響に渡すの?」
「うん。そのつもりだって言ったろ」
「でも、あの子、剣道はもう止めたんだし」
妻に自分の感情を悟られないように気を付けながら、靴を履いてゆっくりと体を起こした。
「はい、行ってくる」
「うん、いってらっしゃい」
すると夫は不意に顔を寄せて、彼女にキスをした。
「もうっ」
照れ笑いを浮かべる妻の反応を見て、彼は彼女の頭を撫でた。
やっぱり我が家はうまくいってる家庭だと、夫は実感した。
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