4月7日   フィレンツエピサ

今日もいい天気になりました、心配していた雨が降ったのはミラノ1日だけ、後はいいお天気が続きます、イタリアって朝晩冷えるのですが、いったん日が射すととっても暖かいです、カラッとして気持ちがいい陽気になります

今日のホテルはフィレンツエから14K離れたカレンツアと言う所でした、全般にホテル室内は狭いです、アメリカやアジア系はもっとベットも大きかったように思う

もうひとつホテルでの注意

イタリアのホテルのお風呂にはひもがついています、これは換気扇のひもではありません、
どうも日本人はよく間違えて引っ張ってしまうようです、これは緊急時用のひもでして、あまり引っ張ってばかりいるといざという時来てもらえない事になるかも知れませんね、ご注意を!

今日の予定はドゥオモ・ウフィツエ美術館・ミケランジェロ広場・スペイン広場です

40分ほどバスに揺られてミケランジェロ広場へ
所が今日は日曜日、マラソン大会が開催されるとか、もしかしたらミケランジェロ広場は寄れないかもしれませんと○田さん
なんという事、小高い丘のミケランジェロ広場からみる素晴らしい街並みが見れないなんて!!

「フィレンツエのバラ色の街並みとドゥオモのクーポラ,フィレンツエのすべてがこの風景の中にある」
と本にも説明されている、是非とも一目見たいものだ

願いがかなったのか、バスは順調にミケランジェロ広場に着いた、
フィレンツエにふさわしいさわやかな青空に映えてフィレンツエの街並みは素晴らしい、まさにTVや雑誌で見た景色が目前に、丘にはミケランジェロの「ダビデ像」コピーが立っている
あまりの感動に思わず広場で描いていた水彩画を買ってしまった、15ユーロと言う所を10ユーロにまけてもらって満足して買いました。

 古都つながりで、京都とは姉妹都市だそうである。

 もともとエトルリア人によって創設されたフィレンツェは、ローマ殖民都市や神聖ローマ帝国皇帝支配の時代を経、徐々に中小貴族や商人からなる支配体制が発展。12世紀には事実上の自治都市となり、以後近郊の農産物の出荷地となって金融業も発展した。

 14世紀、フィレンツェを支配したメディチ家のコジモ・デ・メディチ(コジモ・イル・ヴェッキオ)およびその孫のロレンツォは学術・芸術を手厚く振興し、ルネッサンスに大きく貢献。メディチ家の紋章である6つの球の印を、現在でもフィレンツェのあちこちで目にすることができるのはそのためだ。
 
  
ミケランジェロ広場    アルノ川にかかる最古の橋ヴェッキオ橋       ダヴィデ像、ここで絵を買ったのです。

広場で写真を取り終えると市内へ

  
サンタ・クローチェ教会  マラソンのスタート地点らしく大勢のランナーが、それにスイス兵を思わせるカラフルな衣装を着た大会を盛り上げるための方たち

サンタ・クローチェ広場に面して建つサンタ・クローチェ教会。13世紀のゴシック様式で、白と黒緑の大理石を組み合わせている、美しい教会だ
ここにはミケランジェロ・マキヤヴェリロッシーニ・など多くの偉人が眠っています。
    
皮に金を施す職人さん               シニョーリア広場、馬車が似合う広場です         ベッキオ宮殿
  
レプリカのダビデ像                                            ネプチューンの噴水

シニョーリア広場は、メディチ家の住居だったヴェッキオ宮殿の前に広がる広場で、13〜14世紀には政治・商業の中心地だったところ。広場にはコジモ1世の騎馬像、レプリカのダヴィデ像、ネプチューンの噴水等々、多数の彫刻が並び、野外美術館とも言われている。

    
花の聖母教会ドゥオーモ     横から                  洗礼堂の東の扉「天国の扉」
ウフィツィ美術館

メディチ家の財力を結集したルネサンス美術のすべてがここに集まる。ヨーロッパ最古の美術館の1つ。メディチ家のコレクション、古代ギリシア・ローマ時代の彫刻、ボッティチェッリ、レオナルド・ダ・ヴィンチ、ミケランジェロ、ラファエロらルネッサンス巨匠の絵画等々2500点にのぼる収蔵品の質と量を誇る、イタリア最大の美術館だ。

見逃してはいけない作品
● 「春」  「ビーナスの誕生」 サンドロ・ボッティチェッリ作
● 「受胎告知」          レオナルド・ダビンチ作
● 「ひわの聖母」         ラファエロ

ウフィツィ美術館内は撮影禁止だったので、収蔵品は現地にて各自ご覧下さい。「あの有名なものが」というのが目白押しなのです。
  
ベッキオ橋へ        ベッキオ橋の左右は貴金属店がズラリと並んでいる

  
ベッキオ橋へ向かう道       広場に開かれていた市場ではサラミやオリーブ・チーズが売られていました 

本日のランチと夕食は各自で食べる事になっている

レストランに入るとだいたい終わるまで2時間は見ておかないといけないらしい、ここでは「急いで」は禁句だ
それにチップだテーブル料だと、ややこしい事になる、時間ももったいない、 で○田さんのお勧めもあって、ウインドウに並べてあるものをセレクトして代金を支払いテーブルで食べると言う、セルフのお店に入った、これは簡単! このお店ドゥオモ近くにあります、名前は忘れチャイました。
中へ入ったら、何組かの人たちもここで食事していました。 やっぱ考える事は一緒、安心なんだね!! 



午後からは完全な自由行動、私たちはピサの斜塔のオプション(60ユーロ)を申し込みました

ピサの斜塔
フィレンツエからバスで1時間30分、みんなお疲れか、ガイドさんのお話も右から左へと抜けて行く、ちょうどいい子守唄になってしまった

さて、ピサはフィレンツェから約80km西にあるのだが、ピサとフィレンツェは仲が悪いそうだ。ピサはかつてフィレンツェに征服された過去があるためらしい。

ちなみにフィレンツェは、ローマともヴェネツィアとも仲が悪いという話もあった。イタリアは都市国家の集まりなので、北と南それぞれの都市でも文化が違う、だから都市名を負ったサッカーの試合が盛り上がるのも分かるような気がする。

フイレンツエ発13時30分、ピサ着15時 駐車場から斜塔までは15分ほど歩きます、シャトルバスもあるようですが、私たちは歩いたほうが早いと言う事で住宅街を歩いて行きました。 
  
ローマの水道橋              斜塔前の広場とお土産店

ここにはスリがとても多い、ガイドさんがバスを降りたとたん何度もカバンを前にと注意された、ジプシが何気に列に紛れ込んでくる、スル時は2秒だ、すられた事にも気が付かないようだ、クワバラ・クワバラ、それに黒人の物売りがとても多い、みなアフリカからの出稼ぎだそうだ、思えばアフリカも近い地中海を渡ればすくにアフリカ大陸だ、納得がいく
イタリア政府はある程度目をつぶっているらしい、仕事が無くなると手荒い仕事に行きかねないと言う事らしい。

  
全景 手前から洗礼堂、大聖堂、墓所、鐘楼               一様やってみました これじゃ支えてるって感じじゃないね

  
大聖堂


洗礼堂
 
現在の傾斜角は約5.5度、中心から約4m南に向かって倒れており、あと300年は倒れないと言われている。
ちなみに正面から見るより裏から見た方がより傾きがよく分かるそうだ。(これは裏から)

フィレンツエに着いたのが7時前頃サンタ・マリア・ノヴェツラ駅脇にバスは到着、19時30分に駅構内の薬局に集合しホテル行きのワンコインバスに乗ります、これに遅れるとタクシーでホテルまで帰る事になる、駅からほど近い所にスパーがあると聞いて、そこで今日の夕食をゲット、(果物、サンドイッチ、ビール、ヨーグルト、チキンの丸焼き(半分)、この日はホテルで食べました。駅前にもマクドナルドがありましたが超満員でしたよ。

私たちはピサへ行ったのでしたが、もうひとつOPでアウトレットに行ったグループも、全身ブランドおばさんがいて、年の頃70代、この方なかなか個性的、ユニークな洋服をお召だ。情報によると買い物中転んで頭を強打、大きなこぶができていた、○田さんに医者に行きましょうと言われていたが、かたくなに遠慮していた、これだから海外は何が起こるか分からない、保険は身を守る最低手段、ここはケチらないで、万全の態勢で旅行を楽しみたい。



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