2017/04/16
2017/02/15
2017/01/01
2016/01/01
2017/05/23 
2017/10/24

工事中


項目
  1.初めに2016/1/1
  2.ボケ防止に竹細工2016/1/1
  3.角楢小屋改築後20年2016/1/1
  4.大石小屋の改築 2016/1/1
  5.旅2016/8
  .今年2017/1/1
  .竹細工1:17/02/15
  .竹細工2:17/04/16
  .水虫退治17/10/24


1.初めに

 年が改まり2016年正月。
私も還暦を過ぎてから今年は初めての年男。気が付いてみると今年は72歳となります。
そこで歳についての雑感というか思いを吐露してみたいと思います。時間が有ったらお付き合いください。

むかし歳を重ねた人から聞いた「あと何回花見ができるだろうか?」と。
それ風に考えると10回はどうかなぁ? 
70歳を「古来希なり」と言いますが、希な歳も難なく過ぎて、次なるハードルは喜寿。喜寿までは何とかクリアしたい!!。あと5年だからね。
これは正直な思いです。
今のように程々健康で過ごせて、時間もほとんど自由に使える自由さ。先立つものは年金生活でぎりぎりだけどね。
山に春夏秋冬入り、春の芽吹きや花々を愛でる。夏は大汗を流して登山道の整備。秋はキノコに始まり紅葉を愛でる。冬は深雪をラッセルして角楢小屋で酒を酌む。
これも健康だからできる遊びでしょう。

20年以上続けていた正月の東国三社詣で。
今年はやりませんでした。その代わりというか、2日に茨城県の名峰というか、関東の名峰の筑波山を小5の孫と登りました。
東国三社詣では、始まりのころの10数年はジョギングで。次は自転車で。
昨年秋に自転車で近くの神社仏閣を見て回っていて、もう少しで自宅に着く直前で転倒して怪我をしたのです。
そこで今年は正月早々怪我でもすると人に笑われるのではないかと、私なりに自重したのです。
しかし、正月の三社詣では一年間の健康を占う私の健康のバロメーターと位置付けていましたので、止めるのには納得できずに筑波山登山に変更したのです。
どちらにしても自己満足なのですが。


9.水虫退治(2017/10)
  
 日本人が水虫にかかったのは江戸時代の末期。
諸説あるようですが、かの坂本竜馬が下駄や草履を脱ぎ捨て、写真で見るあのブーツを履き出したのが始まりとか?
小生は若い頃は有りませんでしたが、中年頃に発症したように記憶しています。
特にひどい水虫ではありませんでしたので、そのままにしていました。しかし近頃歳を重ね、あの世にまで水虫菌を持ち込むのは如何なものかと思い(火葬されれば死滅するでしょうからその心配はないかも)、遅ればせながら今年の2月(2017)に近くの診療所で診断を受けました。
自覚症状としては両足の小指と薬指の間が怪しい。その様に先生に申告して診ていただきました。
靴下を抜いで診察。先生曰く「処置室で爪をサンプルとして採取し、顕微鏡検査をします」との仰せ。

どうして爪を? とお聞きすると「両方の足の親指、薬指、小指の爪の色が変色しているでしょ」。
検査の結果は指の間と3本の爪が白癬菌にやられているとの診断。
以来着け薬を風呂上りに塗っています。指の間にはチューブに入った塗り薬。爪には浸透式の水溶薬。この水溶薬にはアルコールが入っていて含浸透するのだそうです。

10月24日診断
半年くらい治療を続けていますが、薬が切れそうなので今日診療所に行きました。
「しばらく診ていないので診察します」との仰せ。診ていただきました。
「いくらか爪が生え変わって来たでしょうか?」との問い。私も「色が良くなったように思います。始めた頃は爪切りで爪を切るとボロボロしていたのが、いくらか変わったように思いますが…」
先生「水虫退治は1年以上かかりますので、もう少し頑張ってください」との仰せ。
載せたくないのですが、当HPを見ていただいている方々でも、水虫でお悩みの方が居るかもしれませんので、参考になればと思いアップします。
写真は治療開始時よりは見栄えが良くなっていると思います。他のブログなどではもっとひどく「どす黒い」のも見受けます。
爪が生え変わるのには1年以上かかるのだそうです。
*ボロボロ:爪の中が菌に侵されスカスカ状態で、爪切りで切ろうとすると硬さを感じずボロボロ崩れる感じ。爪の厚さが数倍になっているように見受ける。爪はタンパク質でできているというので、白癬菌はタンパク質が餌なのかなァ…。

爪がおかしい?と思うようになったのは2〜3年前? それ以前かも知れない?
これは加齢で爪も劣化するのか?と思い、特に病気だとは思っていなかったのです。診断を受けた後にネットで検索すると写真付きで大勢の人の報告が載っていました。「水虫」「爪の水虫」などのキーワードで検索すると写真が沢山出てきます。お悩みの方は是非検索を
かくいう私は水虫による変色だとは思っていませんでした。(無知であったのです)

   
 両の足  右足拡大(爪を見せるために少しサイドから)

ついでに申しますと、私の足は既製靴の型式でです。
靴のサイズはABCDEFGに分かれています。Aは細身で、Gはずんぐりむっくり形。
四国お遍路で靴に足が食われひどく難渋した際に、どの様な靴が良いのかシューシッターに診断していただいたのです。G−25cmが私のサイズ。プラス0.5cmの25.5cm位が良いようです。


8.竹細工2(2017/4/16)
 

   
 縁を巻いたソバ笊 編み上げた10枚のソバ笊 


 頼まれていたソバ笊を10枚編み終えた。
前回の10枚を製作する際に感じたことを礎に幾つかの改良、修正をしたせいもあり大分器量が上がったように思う。
竹細工教室の先生が無謀とも思えるヒゴ扱いを、びっくりしながら見学したことを思い出したのでした。
私のような未熟者はヒゴを折り曲げる際に、ビクビクしなからそーと扱いますが、実は過度の力が入り、逆にヒゴを痛めていたことに気が付いたのです。

網代底の笊の場合、四隅の数本は最大45度に折り曲げます。その際になまじそーと曲げるということは、必要な角度で曲げていないので、何度も曲げる行為をしてしまいます。そしてヒゴをポッキリ折って、切れてしまうのです。つまり何回も曲げることで疲労劣化をさせてしまっていたのです。
言い方を替えれば「鉄は熱いうちに打て」と似たことかとも思えています。 素早く、大胆に、必要なだけ、一気に曲げることです。


 竹細工1(2017/2/15)

 
 ネマガリダケ使用のソバ笊


 竹細工教室に通い始めて丸6年。
これほど長く続けるつもりは無かったのですが、何とはなしに丸6年を終了します。
昨年後半に友人からソバ笊の注文を受けた。
聞くと手打ちそば店からの注文という。ので、お断りしたのすが「もう受けてしまったから」という。
専門店で使用する笊は私のような素人の製品では店の名に傷がつきます。私のような生半可な趣味人の出る幕では無いのです。
そこで「来年1月の教室の時に試作品を持参し、先生に見ていただきOKが出たら作りましょう」と言って受けました。

その時から先ずは真竹で試作品を作り、ある程度の自信が付いたらネマガリダケを使用して作ろうと。
網代底の笊ですから、真竹で満足な物が出来なければ、とてもとてもネマガリダケでは作れません。自己満足ではいけないのですから。
昨年いっぱいは真竹で作り続けました。
年が明けてからはネマガリダケを使用して試作品作り。
骨になるタテヒゴ、グルグル回すヨコヒゴを作ります。ネマガリダケはその名のとおり根元からグンニャリ曲がった竹です。真竹であれば枝の出ている先端部は使用しなくても数メートルもの十分の長さが採れますが、ネマガリダケは全長2m位ですから先端部まで使用しないとヨコヒゴは短すぎます。

癖竹を騙しだまし慎重に割っていきます。
骨は幅4mm弱、厚さ0.7mm、長さ34cm。ヨコヒゴは幅3mm弱、厚さ0.5mm、長さ1.5m取れれば良。
1月20日。竹細工教室の日。先ずは真竹の笊を診ていただく。「大分良くなったね」の一言を頂いたので「実は先生、ネマガリダケのソバ笊なのですが、ソバ屋さんで使用するというのを友人が受けてきたので試作してみました。診ていただきたいのです。出来が駄目であれば友人には断るからと言ってありますので、正直に評価してください」と恐る恐る伺いを立てました。
先生はしばらく見てから「良いんじゃないの。 これなら料金を頂いても良いですよ」との御言葉。私は「駄目ならお断りしますから」と。先生「大丈夫だよ」との再度のお言葉。
肩の荷が下りた感じです。
仲間の受講生からも「随分きれいな笊ですね」との声も掛けられた。

真竹の笊の方は縁巻を新しい方法に挑戦。蛇の骨格の様な、立体的な複雑な巻方を教わった。タテヒゴを想定して編み残しを長くして持参したのだが、巻いてみるとそれでも長さ不足。帰宅して直ぐに更に長いヒゴを作り教室で教わった所まで新たに編んで次回の教室でその先を教わることとした。
来週17日が竹細工教室です。写真の新縁巻途上の笊を持参して仕上げ方法を教わります。子供の頃から見慣れたスタンダードな笊とは異なりますので楽しみです。

3月29日 今日やっと新しい縁巻が完成した。
ずいぶん時間がかかったが、やっと今日出来上がりました。グルグル巻く縁とは変わりこれはこれで良いと思います。
機会があったら更に技術アップを図りましょう。

   
 新しい縁巻の準備  第1段階
   
第2段階  新縁巻完成 


肝心のネマガリダケのソバ笊は、それ以来今日まで作り続け、やっと仕上がった。
先程友人にメールで仕上がった旨を上の写真添付で連絡。後日郵送することとした。
ソバ屋さんで使用してもらえると良いのだが、何とも言えない状況です。丁度おりしも受験シーズン。私もこれがそば屋さんから合格点をもらえたらいいのですが…???

サクラ咲く
 3月4日恒例の山仲間の集まりが「愛宕山スカイロッジ」という施設でありました。
そのメンバーにソバ笊の注文をしてきた方も参加しました。過日高崎市のソバ屋さんに納品された結果をお聞きしました。
ソバ屋さんが合格をしてくれたそうです。「これは良い。今後10枚でも20枚でも作って欲しい」との嬉しい回答を聞かせていただきました。
この集まりには参加者に1ッ個づつ持って帰っていただくべく小笊を持参しました。皆さん喜んで持ち帰ってくださいました。


6.今年は(2017/1/1)
 
 2017年の元旦は静かに、スッキリと日の出を仰ぎました。
枕元のラジオのスイッチを入れると正月の番組。
それを寝床で聞きながら「今年はどう生きようか?」といつもの年の初めのようにウツラウツラしてから起き出しました。
身を清めて大神宮様に一年の安寧を祈り、今年もしっかり生きようと誓ったのです。

若い時にはあれもしてみたい、これもしてみたい、といろいろ手を出しましたが、古希も過ぎこの年になると「これからも出来る事に絞って」生きようと考えるようになりました。
昨年したことを上げると
1、竹細工。2、小木工。3、山に係ることを少々。4、少し長い旅。
かなぁ?
その他は家の仕事いろいろ位でありました。
今年はどうかと今考えているのですが、項目的には同じかなぁ

1、竹細工
  昨年後半になり、多少形が出来てきた気がする。理由はある程度集中して取り組んだことが第一。道具の使い方も、目的別に刃物を研ぎ使用し続けて安定したこと。それに編み方をある程度絞り、いろいろな編み方に挑戦しないこと。
そのようにして続けると、一品ごとに反省点が改良され、技術アップにつながっているように感じます。
2、小木工
  5月の大石小屋改築。仲間の大ぜいに助けられて、秋までには何とか仕上げました。そして囲炉裏の縁も出来、小屋らしくなりました。
細かくはまだいくつか課題は残っていますが、雪解けを待ってそれらを進めましょう。
3、山に係ること
  昨年も朝日連峰登山道の草刈をし、登山者の下働きが出来たと思います。多くの仲間も相変わらず参加してくださり助かります。
今年も長旅の前か後にこの事をスケジュールに組み込みましょう。
4、少し長い旅
  昨年北海道を1周しました。今年は東北を1周します。
東北各県を縦横に車を走らせ、出来れば最後は信州伊那谷を目指します。

この様な事を年の初めにボヤーと考えているのです。 

2.ボケ防止に竹細工(2016/1/1)

 若年性ボケという年齢はすでに通過したので、これから加齢とともに心配されるボケについて考えてみたい。
ボケの原因にはいろいろあるようだが、それに対するささやかな抵抗を以前からボヤーと脳芯で考えている。
@ 好き嫌いで偏らない食事と適度な運動が良い。A 指先を良く動かすようにするのが良い。B 大勢の人と会話も良いと言います。独居老人が会話をしないでいるのは良くないとも。
病気が原因で発症するようなボケは自分で防ぐのは難しそうだが、食事や運動、それに頭を使う指先の動かし方、周辺の人達と会話をすることは可能だ。

指先を動かす行為として「竹細工」が結果として良さそうだ。
成田市(栄町)の房総の村のカルチャースクールの竹細工教室に友人を誘い丸5年通っている。
動機は単純で、山に生えているネマガリダケを使った笊や籠を作ってみたいということであった。
現在は「網代編み」という技法に挑戦中です。
この手法でおにぎり入れを作っています。概ね編み上がり、あとは縁巻をすれば完成です。とりあえずタコ糸で仮止めしたのが写真です。
この網代編みに使用する竹ヒゴは厚さ0.3mm、幅3mm、長さ45cmを240本使用して身と蓋が作れます。

ヒゴ作りは口剥ぎ(枌(ヘギ))が良い。(竹辺に分けるという漢字は無いのかなぁ?)
普通ヒゴを作る時には鉈を使用して加工していきます。
私の技術では0.4mm厚までは鉈で加工できますが、それ以上薄いヒゴは至難の業です。
そこで岩手県二戸郡一戸町鳥越地区のヒゴ作りをUチューブで拝見しました。
鉈も使用していますが、口と指で極薄く剥いでいくのです。ヘグと言うのが一般用語のようです。
私は知らなかったのですが、ネットでヘグで検索すると木曽上松町で黒部(ヒノキの一種か?)を鋸で挽くのではなく、鉈で小口を開け、木の繊維に沿って足と手で板に割る作業が有りますが、これを枌ぐと言うのだそうです。
これは縄文時代からの技術?かも知れません。凄い技術です。
竹も基本的にはこの技術です。
竹を割ったような性格」と言うように、竹の繊維は元から先まで通っているのです。この性質を利用して歯で片一方を咥え、もう片方を指で引っ張り、手加減しながら裂いていくのです。
その後膝の上に防護布(厚手の帆布又はなめし革)を敷き、鉈の刃を立てて扱く(しごく)と鉋のように薄く削れて0.3mm厚のヒゴが作れるのです。
私の技術では鉈で割るよりも歩留まりが良いのです。
余談ですが、大きな丸太を大鋸で厚く挽くのを「木を割る」と言いますが、鋸を使う以前は楔を打ち縦割りにして板材を作った名残の呼び名かも知れません。

 
 製作中のおにぎり入れ(縁は仮止め)

角楢小屋改築その後(2016/1/1)

 角楢小屋の改築は平成8年(1996年)。
角楢小屋に足繁く通うようになったのはその10年くらい前からか。
昭和60年前後の頃だと記憶している。
イワナを釣りたいという友人と同行したのでした。私自身が初めて小屋に行ったのは、その15年くらい前の昭和47年(1972・5)のゴールデンウィーク。

小屋の内部は土の上に根太を並べ板を置いただけだったようで、既に腐ってほとんど土間の状態であった。
それでも屋根が有るのでテントよりも安易に使用できて便利でした。が、中の炉で焚火をすると、燃えが悪く煙くて煙くてどうしようもなかった。帰宅すると衣類が燻製状態でどうにもならなかった。
平成5年ごろだったと思うが、余りにも老朽化が進んだので、所有者の伊藤さんに相談して小屋の改築をすることになったのでした。
改築後既に20年になりました。

改築直後には「この様な構造では冬の豪雪で潰れてしまう」と言われましたが、20年間何とか健在であります。
そろそろある程度手を入れれば更に20年くらいは持ちそうである。

4.大石小屋の改築(2016/1/1)

 今年は大石小屋の改築を計画しています。
この小屋は地元の猟友会などで維持管理していたのですが、登山道管理人の初男さんが管理をお願いされたようです。
初男さんは「今のままでは使い勝手が悪いので手を入れたい」というので、今年のゴールデンウィーク頃から作業を始める予定です。
築後かなり経過しているので、始まればあそこもここも直さねばと言う所が有りそうですが、最小限の工事で済ませようかと協議中です。
近々仲間が集うので、その折この件を話しご協力を仰いでみましょう。
20年前の体力は無いし、気力も大分薄れていますから、なるべく多くの協力者が欲しいところです。

思い返せば20年はあっと言う間のように思います。
もう20年も経ってしまったか?というのが実感です。
角楢小屋でお会いした人々も多く、年年歳歳入れ代わり立ち代わり新しい来客者を迎えています。
宿泊者は釣り人が多く、登山者が泊まるのは前泊者が多く、下山者は小屋まで下ると後1時間で大石駐車場に着くので、最後の気力を振り絞って下がっていきます。

大石小屋を改築後どの様に使用するか分かりませんが、おそらく今までのように施錠して初男さんがきっちり管理されるのでしょう。
駐車所から1〜2分で到着しますから無施錠では不用心です。善人ぞろいの来客者ばかりとはいかないでしょうから、やはり施錠するのが無難でしょう。
使用したい人は初男さんに鍵を開けていただき、使用後は責任を持ってお返しをすることが良いでしょう。
角楢小屋改築から丁度20年。奇しくも大石小屋を改築するとは想像していませんでした。これも縁なのでしょうか。
大石小屋は登山届提出場所にトイレも季節限定でありますが有るので、女性利用者にも角楢小屋よりも使い易くなります。
追々小屋周辺を整備して、小ざっぱりとした環境にしましょう。あの一帯は長いニョロニョロも多く生息していますので、草茫々では彼らの住処になってしまいます。


(1)大石小屋改築

 4月、5月の連休を利用して工事を実施しました。
工事の内容は大石小屋改築工事の蘭をご覧ください。
この工事をして気が付いたことがいくつかあります。
◎ 内部の全荷物を一旦外に出しました。
 中には色々な物が詰まっていました。
ガス釜一式。アルミ製大鍋2個。飯炊き用の羽釜は何と3個も。
アルミの鍋類は全て錆が凄く、そのままでは健康に心配が有るんで家に持ち帰り錆び落としをしました。また蓋の無いものには新しく蓋を作りました。
次回行く折に返却しましょう。用心に残してきた鍋と交換します。

床板の一部があげ床式になっていて、床下からは食器類が一山出てきました。
又入り口横の薪の中からは、薪割や錆びた鋸が。
薪は腐食が進み燃料としてはイマイチ燃えない薪でした。早急にこの薪は燃料として消費して、もっと元気な薪を少々ストックしましょう。

着工するまでは「果たして安請け合いしてまとまるだろうか?」と一抹の不安はあったのですが、いざ始めてみると参加者のご協力の下、総合力で何とかなりました。
内部のゴミ(荷物)出しには辟易しました。何しろひどい埃なのです。マスクをしても沢水で顔を洗うと、鼻の中は真っ黒。
内部がまとまってくると「実施してよかった}と安堵しました。
これからまた末永く使用してもらえることでしょう。

あらためて今回ご協力をしてくださった方々に心よりお礼を申し上げます。

歳のことを考えると、これから先あと何年この様な遊びができるか分かりませんが、楽しんでした仕事(道楽)が人から喜ばれるというのは実にいい気持ちなのです。
他人には笑われますが、道楽で集めた道具がこのように役に立つことも良い気持ちです。
鋸や鉋、鑿やその他電動ではない道具類。それに各種の砥石も。
電気の無い山奥で有ればこそ役に立った道具。いざという時の用心に小さな発電機を用意しましたが、基本的にすべて手作業でやりました。
電動工具は便利ですが、慣れない人が大勢集まる今回のような作業では、電動工具は凶器と化す場合が多いにあります。刃物は全て注意して取り扱わねば怪我の元ですが、昔式では指や足を切るくらいの怪我で済みます。電動工具ではあっという間に指が落ちたりしてしまう凶器にも変わりますから。
今回今のところは怪我をする人も無くて安堵の胸をなでおろしています。

(2)炉縁

 小屋の囲炉裏に炉縁を作ろうという話になりました。
というよりも私が改築なった小屋を見ていて、囲炉裏にはやっぱり炉縁が良いよねぇ!!
と言いだしっぺです。
帰宅後、既に10年以上自然乾燥をしている欅材を引っ張り出しました。
埃だらけを水洗いして、幅30cmに割ってみたら、それまでは平面であった材があっという間に3cmくらいの弓なりに変形してしまいました。
そこで、もう1枚の材を引っ張り出し、同じく30cmに割ってみました。
今度は大丈夫でした。

それを15cmの幅に挽き揃えて、早速加工に入りました。
作業すること1週間。
やっと今日できました。
あとは塗装(汚れ防止塗装)を残すのみとなりました。
これは小屋に持ち込んでからでも出来る作業ですから、塗装して持ち込むかどうかは今後考えてやりましょう。

 
 白木の炉縁



5.旅(2016/8)    (16北海道(16東北)
    
 6月下旬から7月中旬まで旅をした。
北海道をゆっくり周ってみたいとかねがね考えていた。
今年それを実行しました。
特別の目的があった訳ではありませんが、時間をあまり気にせずにする旅ということに憧れていたのかもしれません。
昨年来ネットで興味のある項目を拾い読みしていました。

スタイルは今までの延長線で、車中泊やテント泊。食材を手に入れたらそれを適当に調理して食べる。気が向けばそこに長逗留も良いだろう。
キャンプ場がどれくらい有るか分からなかったので調べてみた。
大凡町村単位で有りそうだ。それに道の駅もかなりある。
車中泊やテント泊には十分である。時には民宿や宿屋も良いだろう。風呂も温泉や日帰り温泉施設が各地にある。洗濯はどうだろう?
天気が良ければ朝のうちに洗濯をして、乾燥するまで読書やボケーも良いだろう。
心配といえば健康かも。こればかりは何とも言えない。今のところ持病というほどの物は無い。目が老化現象で老眼や乱視、それに緑内障の気があり目薬を毎日欠かせない。だから出発前に一月ほど分の点眼薬を眼医者から頂いておこう。

出発が近づくころにはネット情報もあまり見なくなった。