12.ネットで傷ついた人へ・ネットで傷つけた人へ
7.(9)2年目くんの大転換:第一幕で、2ちゃんねるについて書いています。その流れで、2年目くんと関係のないことを書きました。 コミュニケーションがこのサイトの重要なテーマですが、コミュニケーションの失敗のひとつの形について書いています。 人と触れ合うということはとても難しいことです。場合によっては、とてもつらく、悲しいことなのかもしれません。 だからこそ言葉が通じた時、とても感動するんだと思います。 Eメールでの生徒さん、bccのみなさんを始め、ブログ、ツイッターその他ネットでコミュニケーションをとって下さった方々、本当にありがとうございました。 |
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以下、番外です。特定の人達に向けた話なので、しばらく読んでピンとこない方は、スルーして下さい。 |
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§「リアルタイムで電車男のような話に出会いたい」「言葉の達人たちに出会いたい」、そう思い一生懸命様々なスレッドを探し回りました。相当な時間をかけたつもりでしたが、無駄でした。§ |
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§そこにあったものは、大量の言葉、文字の渦です。§ |
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§誰が言い出したか分からないほど、無数に転々と引用され尽くした意見。§ |
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§文脈にお構いなく発せられる、型にハマった言い回し。§ |
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§私には理解できない単語の羅列。§ |
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§ 素晴らしいものではありますが、同じものを、あちこちでみかける「アス※キー☆アート」。 § |
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§ 言葉の洪水、文字の大海で遭難している感じでした。 § |
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§ 一つの素晴らしい作品の背景には、私には理解できない膨大な言葉の海が控えていることが分かりました。達人たちを見つけだすことは、太平洋で小さな小舟を探すのと同じ。とても難しいこと、というよりまず不可能なこと、なんだ、と悟りました。 § |
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§ 山が素晴らしく高いということは、それだけ広大な裾野が必要だということです。広大な裾野には、一々、良い悪いの価値判断を下すことがバカげて思えるほど、膨大で、多様な言葉が溢れています。 § |
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§ 私は、多様性の中で素晴らしいものが育まれるのだと思っています。 § |
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§ 反面、多様なものの中には、私たちの理解できないもの、人を傷つけるものがたくさん交ざっているのかもしれません。 § |
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§ 多様性とどのように付き合っていくのか。難しい課題だと思います。 § |
7:16
AM Jul 26th mobile web |
§ 人を傷つける言葉など、言わなければいいのに。書かなければいいのに。それでも書くのは、書く人にとって、それがコミュニケーションの方法だからです。みんなコミュニケーションしたいんです。 § |
7:17
AM Jul 26th mobile web |
§ 何らかの方法で自己表現し、多くの人に伝えることができる人は、そこだけ取り出してみれば、とても恵まれた人だと言えます。一方、自分を表す方法が、不器用な一定の様式しか取れない人もいます。 § |
7:19
AM Jul 26th mobile web |
§ その様式が人を傷つけるものだと、なんとなく分かっていながら、自分の選んだ様式を、器用に変えることができないんだと思います。 § |
7:21
AM Jul 26th mobile web |
§ 人を傷つけるのもコミュニケーションだなんて、悲しいけれど。そう考えるとき、むしろ傷つける人の方が可哀想にも思えるけれど。そうまでしても人と繋がっていたい、一人では生きられない。 § |
1:49
AM Jul 27th mobile web |
§ 理解できない言葉の洪水の後ろに、部屋の隅でうずくまって、しくしく泣いている子供の姿が見えるようで。でも洪水が遮って手を差し伸べることもできないので、せつなくなります。 § |
1:51
AM Jul 27th mobile web |
§ 子供は聞いてくれる人がいると思わなければ、声をだして泣いたりしません。泣き声は他人に向けたメッセージです。理解できない言葉の洪水は、泣き声です。 § |
1:54
AM Jul 27th mobile web |
§ だからといって、傷つけられる側の人に我慢しろとか、理解しろ、というのは間違っています。 § |
1:59
AM Jul 27th mobile web |
§ 不器用なコミュニケーションが存在することを事実として見つめるだけで十分です。良いとか、悪いとか、価値判断するような話ではないと思います。 § |
2:09
AM Jul 27th mobile web |
§ すべての人とコミュニケーションをとる必要はありません。そもそも、そんなこと不可能です。言葉の刃(やいば)に対して、刃で反撃することや、盾で受け止めることは、その人とコミュニケーションをとることです。 § |
2:27
AM Jul 27th mobile web |
§ スルーすることやその場を立ち去ることは、コミュニケーションを拒絶することです。どちらにするかは、あなたの自由です。 § |
2:37
AM Jul 27th mobile web |
§ 短く表現された言葉の刃から(泣き声から)、その人の心の内を汲み取ることは難しいことです。その難しいことをしてくれる誰かは、きっと、いつか、その人の周りに現れます。 § |
2:39
AM Jul 27th mobile web |
§ 泣き声で何を望んでいるか分かるお母さんのような人は、きっとその人の前に現れます。でも、それはあなたではありません。その役割を担うのはあなたではありません。 § |
2:50
AM Jul 27th mobile web |
§ 曲がりなりにもコミュニケーションをとろうとしている人ですから、放っておけない気もしますが。でもそれは、越権行為です。 § |
3:04
AM Jul 27th mobile web |
§ その人は命がけで言葉の刃を振りかざしているのかもしれません。あなたには、その人の人生を背負い込む覚悟はないはずです(当たり前です)。 § |
3:06
AM Jul 27th mobile web |
§ だから、放っておくしかないんです。 § |
3:07
AM Jul 27th mobile web |
§ 寂しい感じもしますが、大人になるしかありません。 § |
11:03
PM Jul 27th mobile webから |
ごめんなさい。もうちょっと続きます。 |
11:04
PM Jul 27th mobile web |
§ 良い悪いの価値判断をしなければならない義理はありません。「人間てこういうもんなんだ」。割り切るのは難しいかもしれませんが、事実を見つめるだけで良いんだと思います。刃を持って反撃する必要も、盾で受け止めて衝撃をこらえる必要もありません。 § |
11:06
PM Jul 27th mobile web |
§ まして自分の表現を狭くする必要もないと思います。せっかく多くの人が受け入れてくれているんですから。受け入れてくれている多くの人とは、コミュニケーションが成立しているんです。素晴らしいことだと思います。 § |
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§ 成立しているコミュニケーションを失うのは、多くの人との暖かいコミュニティを失うのは、とても残念なことだと思います。 § |
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§ それを失わせるような権利は、その人にはありません。 § |
11:29 PM Jul 27th mobile web |
§ 表現を邪魔する権利もなければ、それに応える義務もない。権利とか義務とか関係ない自由な世界に私たちはいるのだと思います。 § |
11:31
PM Jul 27th mobile web |
§ この自由な世界を誰に対しても誇れる世界にするには、権利とか義務ではなく、マナーが必要なんだと思います。 § |
11:32
PM Jul 27th mobile web |
§ でも、マナーは強制できません。マナーが文化として定着するまでは、苦しいかも知れませんが、痛みとともに歩むしかないんだと思います。 § |
11:48
PM Jul 27th mobile web |
道を歩いていていきなり唾を吐きかけられることはないのに、ネットではそれが起こる。マナーが確立しているかどうかの違いだと思います。 |
11:49
PM Jul 27th mobile web |
それ以上でも以下でもない。唾を吐きかけられることで、すべてを否定することも、反対に、唾を吐きかけることを賞賛することも、違うと思う。 |
11:50
PM Jul 27th mobile web |
おしまい。 |
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アップロード日 2010.11.14