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琉球弧の自立・独立論争誌『うるまネシア』

琉球弧の自立・独立論争誌『うるまネシア』第5号発刊
**特集『特集・沖縄100年、ちょっと豆腐を買いに』**

 新川 明さんインタビュー<私も独立論者だ>
 喜納 昌吉・・・・・特別アピール<地球こそが人類の聖地である>
 真久田 正・・・・・特集にあたって
 目取真 俊・・・・・・気概があるか
 南風盛聖子・・・・・琉球百年の物語
 太田 武二・・・・・・米英の軍事侵略に負けないウマンチュの平和ネット
 宮城 公子・・・・・「大学院大学」への欲望という名のリゾート・バス
 波平 恒男・・・・・喜舎場朝賢と琉球処分
 新城 栄徳・・・・・沖縄主義者・山里永吉
 宮良 長起・・・・・レキオス航空破綻の影響
 内山 幹雄・・・・・国宝『尚寧王の起請文』を暴く
 後田多 敦・・・・・豆腐を買った帰りに
 高良  勉・・・・・たかだか百年
 島袋 陽子・・・・・沖縄独立研究・序説を読んで
 真久田 正・・・・・沖縄独立研究・序説(4)―カジノ、徴兵制、基地と独立について―


21世紀同人会事務局
 沖縄県中頭郡西原町翁長453-3坂田ハイツA-46浦崎方Tel&Fax:098-944-5025
■郵便振替/口座番号:01780-0-81263/名義:21世紀同人会
■銀行口座(琉球銀行・普通口座)本店201-48-088/名義:うるまネシア
購入希望者はshiitada@ryukyu.ne.jp。定価は500円。送料は1部150円。

[コメントを少々]

“「俺には党も綱領もいらないんだ」と宣言したんでね(笑)。”P21

 彼、新川明は〈政治〉を遠ざけた。否、遠ざけざるを得なかった。さらに「祖国復帰」という「挫折」(“もの凄い挫折感を持っている。この挫折感というのはどうしようも救いがない……そういう意味でも今後の運動の展望みたいなものは僕には語れないわけだよ。”P14)故に「思想」に純化せざるを得なかった。だから、このインタビューでの新川明の真骨頂は「わたしも独立論者だ」というところにあるのではなく、透徹した日本−沖縄を巡る状況認識であり、加えて「その(独立の方向性と理念を明確にする)ための叩き台として、さきに出された二つの憲法草案[川満信一仲宗根勇]や玉野井芳郎先生が提示した「沖縄自治憲章」を活用すべきだ。/各々の独立論が放漫な状況で存在してよい、という訳ではない。」と言い切ったところにある。

 「生活世界の植民地化に対する抵抗運動は、もはや物質的再生産の領域で燃え上がるものでもなく、文化的再生産や社会的統合、社会化といった領域で生じてきている」とハーバーマスは述べたそうだが、しかし、否、それ故にこそ「決着」は〈政治〉でしか付けられない。

 そして目取真俊である。彼は新川明よりほぼ30歳年下である。「気概があるのか」と題された彼の小論から哀しいまでの焦燥を感じてしまった。ふと「敵を恐れるな、敵はお前を殺すだけだ。味方を恐れよ、味方はお前を裏切る」という言葉が脳裏を横切った。これはレーニンの文句だったか。もう一つ、やはり新川明の「独立論者はそういった現実の状況[反基地闘争など]については無関心で、50年後、100年後の夢を語っているみたいな括り方はおかしい。」(<座談会>検証・独立論『けーし風17』97.12)という発言を思い出してしまった。
 徐京植は「目取真俊の闘いは、沖縄の闘いそのものがそうであるように、絶望的である。/しかし、ここで思い出しておこう。彼がこの作品に『希望』と名づけていることを。」と『ユリイカ』02.8月号に書き記している。[「希望」−目取真俊が朝日新聞1999.6.26夕刊に掲載した小説のタイトル]

 そして、やはり付け加えておきたい。「100年は私にとって長い」、と。


琉球弧の自立・独立論争誌『うるまネシア』第4号発刊
**特集『復帰30年、いま、ふたたび琉球政府?』**

平良修氏に聞く <苦悩する少数派の側に立つ論理> 
高良  勉・・・・・特集にあたって
宮良 長起・・・・・新しいアジアの歴史的体験として―「国であって国でない国」の体現―
島袋  純・・・・・人権と自治の砦・琉球立法院
高良  勉・・・・・琉球政府・文部科学相
岸本 真津・・・・・琉球列島暫定政府への道筋
宮城 康博・・・・・囁く者たちの声 Talking in Whispers
金城 朝夫・・・・・やっぱり沖縄は日本から解放されるべき
真喜志好一・・・・・基地建設より農業への回帰を
新城 栄徳・・・・・琉球学の開拓者・末吉麦門冬
新垣  誠・・・・・蛍 火
西山 俊彦・・・・・「うるまネシア」の独立論は「何への独立か」を見つめよう
大城 &吹E・・・・日本植民地国家論(4)
真久田 正・・・・・沖縄独立研究・序説(4)―年金・社会保険・福祉・教育の問題等について―

琉球弧の自立・独立論争誌『うるまネシア』第3号発刊
**ウチナーンチュ大会特集:手紙が先どう、銭や後から**

−世界の同胞へ・第三回世界ウチナーチュ大会に寄せるアピール−

 沖縄県民と世界中からご参集されたウチナンチューのみなさん!わたしたちは「第三回世界ウチナーンチュ大会」が開催されるこの機会に、沖縄の自主・自立・独立を希望し期待する仲間たちがここに存在することを知っていただきたいと思い、このアピールを発信します。
 ご存知のように沖縄には昔から独立を求める人たちが常に存在してきました。明治の琉球処分、昭和の戦争、アメリカ世、日本復帰の時代と歴史が移り変わるたびに独立を求める人々は表社会では浮き沈みしながら、しかし、島の内部では地下水のように連綿と流れ続けてきました。
 わたしたちは、こうした先人達の独立運動の足跡に学びながら、次の時代へむけた新しい自主・自立・独立運動を提唱します。それは奄美大島から与那国島までの琉球弧の島々を対象とし、この地域の人々が固有な文化を継承しつつ世界に例をみない新しいタイプの独立国を武力を一切使わず平和的な方法で創ろうとする試みです。

 わたしたちは、人類とりわけアジアの未来の歴史に、わたしたちが考え得る最も理想的な社会の成立する「地域政府」をこの地でつくってみせようではないかと考えます。そのような目的または理想を達成するためには、暴力や武力が決して役にたたないのは当然です。また、議会制民主主義の多数決原理だけでは根本的な解決にはならないと考えます。わたしたちは革命や武力闘争によって独立を勝ち取るべきだとは考えません。そうしたイデオロギーや政治手法はすでに二〇世紀の遺物にすぎないと思います。これからの時代の独立運動には、新しい思想と自由なやりかたがある筈だと考えます。

 さて、そこでわたしたちはこのような良識と判断力をもち、かつ沖縄的ユーモアのセンスをもつ仲間たちが沖縄にはまだたくさんいるのだということを世界のウチナーンチュたちに知っていただくために、本誌では今回表題のとおり特集をくみました。これは、昔、移民として海外へ出かけたウチナーンチュ達に対し沖縄現地の人たちが合い言葉のように声をかけた「儲けてくーよう」の時代からもじったものです。当時の笑い話の一つで、貧しい沖縄の人たちが海外移民にでかける親類縁者たちに対し「銭ど先どう、手紙はあとから」と言ったという話があります。これには当時の世相を皮肉る沖縄的なユーモアも含まれていますが、一方、今日、経済大国日本の枠組みの中で暮らす現在のわたしたちが世界のウチナーンチュに声をかけるとすれば、「手紙が先どう、銭はあとから」でなければならないだろうのがこの特集の主旨であります。

 これからは海外のウチナーンチュと現地に住むわたしたちは、互いに気持ちを通じあい、情報を交換し合い、沖縄の美しい未来を拓いていくためにも、まずは手紙(情報・交流)を先にし、銭の問題(経済問題)はひとまず後回しにしましょうという意味です。もちろん、経済問題をまったく抜きにしようというわけではありません。沖縄の自主・自立・独立にとって経済問題はきわめて重要です。しかし、その議論を深めるためにも、まずはお互い情報交換から先にしましょうと呼びかけたいのであります。これを機会に、多くの世界のウチナーチュが、沖縄の自主・自立・独立について真剣に考え、互いに情報交換をして下さることを期待し、本号の特集アピールとします。

<<目次>>
・アピール文(日本語、英語、中国語、スペイン語)
・宮城弘岩氏へのインタビュー
<寄稿>
・平良勝保・・・・・私的独立考
・相原滋弘・・・・・私が沖縄に望むこと
・宮城康博・・・・・亡命者達の宴
・太田武二・・・・・2009年、平和の花で島々を埋め尽くす
・十貫瀬和生・・・・「世界のウチナーンチュ大会」の成立過程と民族の今後について
・島袋純・・・・・・「自立」ー沖縄自立論にかけているもの
・周明州・・・・・・新大交易の時代を目指して
・宮良長起・・・・・君は再び「カミカゼ」を見たいか
・宮城公子・・・・・「ウチナーンチュ」の溶解と漂流
<連載>
・高良勉・・・・・・自治労の「琉球諸島特別自治制度の構想」を読む
・安里英子・・・・・沖縄戦後自治論「沖縄県議会史」議事録を読む(3)
・大城よしたけ・・・日本植民地国家論(3)
・真久田正・・・・・沖縄独立研究・序説(3)
・後田多敦・・・・・海那小国記(3)

定価<111ページ>500円(送料/一冊150円)
郵便振替口座 01780−0−81263(21世紀同人会)

購入希望の方は号数、冊数、送り先を明記の上、以下へメールをください。
事務局・南風盛または、後田多まで。


[簡単なコメント] 
2001.10.24 今日受け取りました。表紙が良い!「新沖縄文学賞」を受賞した真久田正さんの「波照間・アカハチ生誕の地」。そして、巻頭インタビューが、あの宮城弘岩さん。「沖縄自立解放・独立」へゾクゾクとするような気分で読み切りました。

琉球弧の自立・独立論争誌『うるまネシア』創刊号
 1997年5月に開かれた「沖縄独立の可能性をめぐる激論会」を引き継ぐ21世紀構想研究会から21世紀同人会へ、そしてその同人会によって2000年7月『うるまネシア』は創刊された。以下はその発刊宣言。

 さらば、戦争と暴力と環境破壊と帝国主義、植民地主義、男権中心主義の20世紀よ
 この百年余で、私たちの住む琉球弧は琉球王国という国家を滅ぼされ、植民地化され、戦争と軍事基地の島に変えられてしまった。
 しかし、この百年余はまた、私たち琉球住民が帝国主義と植民地主義に対しくり返し返し、粘り強く抵抗し、変革し、創造していく運動を展開した歳月でもあった。
 私たちは、琉球弧住民の解放と自治・自立・独立を求めて闘い、志半ばで倒れていった多くの祖先、先輩方の苦闘を忘れることはできない。
 私たちは、琉球弧の自治・自立・独立を求め続けた運動の成果を継承し、ここに新しい思想同人誌「うるまネシア」を創刊する。
 思えば、琉球弧の自治・自立・独立を求める運動は不当にも弾圧され、抑圧され、侮蔑されてきた。
 しかし、私たちは琉球弧の自治・自立・独立論が百年余の間に「独立論の系譜」として多くの思想的・理論的成果を蓄積してきていることを知っている。しかも、琉球弧をとりまく国境の内外で。
 私たちは、これらの思想的、理論的成果を点検し、研究し、継承し、さらに新しい地平を目指して創造を重ねていく。そして、琉球弧の自治・自立・独立をめぐる論争を、広く、深く、活発にする文化・思想運動を展開していくつもりだ。
 そのことが人類の未来に貢献するように。
 この同人誌は、そのための広場であり、媒体であり、記録と文化そのものである。願わくば、この同人誌が、国境内外に於いて広く愛読され、多くの読者が同人になり、共にこの文化・思想運動に参加されんことを。我らと子々孫々の新世界のために。


2001年2月、第2号<特集・次の一手>が発行された。定価500円。以下はその目次。
  特集に当たって・・大城よし武
  目取真俊・・・執拗さと頑固さ
  松島清美・・・武器に頼らない誠実さと無条件の愛
  宮城康博・・・次の一手のために考えるいくつかの事柄
  宮城公子・・・「神話」への視線
  宮良長起・・・鉄軌道と市町村合併
  宇根悦子・・・沖縄独自のカリキュラムを作ろう
  比嘉byron・・りぅちゅう琉球、うちなぁ沖縄名一考
  昌真文・・・二十一世紀になったら
  岸本真津・・・沖縄の座標軸に立つ
  川満信一・・・「ホームレス」の背景
  南風盛聖子・・泣き方のこと
  喜納昌吉・・種
  真久田正・・・沖縄独立研究・序説―自立・独立・国家の定義―
  大城よし武・・・日本植民地国家論(2)
  春名尚子・・インディジニアスピープルであるということ−既成概念からの独立論−
  高良勉・・・・未来のうるまネシアへ
  後田多敦・・・琉球人の再定義--海邦小国記A--
  安里英子・・・沖縄の戦後自治論序説-『沖縄県議会史』議事録を読む(2)

[簡単なコメント] 
 待ちに待った(本当は、創刊号だけでお仕舞いかとも思っていたのだ。)第二号だが、読書感想文すら仲々書けなかった。そうこうするうちにもう三ヶ月も経つ。
 なんでもいい、印象批評でしかないが書いてみよう。
 第二号は「特集 琉球弧・つぎの一手」である。冒頭、目取真俊は「執拗さと頑固さ」と題して「現実を直視することからしか始まらない」ことを結びの言葉としたが、それを受けるかのように宮城康博は"居酒屋であろうと何処であろうと独立を語る精神を失した「現実主義者」たちと、戯けたイニシアティブを言う「現実主義者」たち"を「超える」と書き、それは「保守革新を超える」ことでもあると続ける。そして岸本真津は"保守とか革新とか…で、政治を色分けるのはもうやめにしないか"と書き始め、"古い座標軸で区分けされ分断されたまま"の"「自立・独立」派は、「自立・独立」の一点を通して自らの座標軸の中で手を結ぶことだ。"と結論づける。
 高良勉は"私(たち)の運動はいまだ思想・文化運動という形態をとっている。しかし、それは必ずや「自治・自立・自決・独立」を求める政治/経済運動とリンクして行くであろう。"と語り、後田多敦は"琉球弧の新しい政治社会である海邦小国"に思いをめぐらしている。
 そして「沖縄独立研究・序説」というタイトルで真久田正が「祭り主義」「祈り主義」で独立のイメージを、それこそ「現実」的に語ってくれた。その中に"ともかく沖縄に住んで沖縄の独立に賛同し互いに運命を共にしていこうとする住民(Peoples)なら人種、民族、宗教、文化は一切問わない"という一節を見いだした。うーん、「運命を共する」か、「移住すれば良い」ってモンじゃないんだな。ふと姿勢を正しました。

後田多 敦「琉球人の再定義」(「海邦小国記A」:うるまネシア第二号2001.02.25発行)

……つまり琉球人とは、琉球国の国民の名称であり、琉球国をつくった人々のことだった。しかし、近代において琉球国を失った琉球人は「さまよえる民族」「滅びゆく民族」「日本人へ同化されるべき民族」となった。

……簡単に歴史をなぞってみても、少なくとも過去の琉球人は、八重山、宮古、沖縄、奄美という異なった歴史を体験した四つのグループから成り立っていることが分かる。
明治政府の「琉球処分」によって、琉球国の統治機構は変質、解体させられ、日本人への同化政策を通して琉球人は琉球人意識や記憶を消えされていく。

 一つは、天皇につながる価値を受け入れ、自らの文化や価値を否定し日本人に同化すること。この選択肢を撰ぶことで、日本人の一員となり生きてゆくことができる。しかし、この選択は自らの歴史や文化を否定すること、琉球人意識を忘れ去ることに結びつく。教育などがそれに利用され、沖縄の教師や指導者たちが同化を推進する役割を担った。もう一つの選択肢は、自らの社会が培った価値で生きることであった。日本人への同化を拒否し、自らの社会や風土が育んだ文化を生きてゆく道である。つまり、琉球人として生きるということ。しかし、このことは日本社会にとって許容できない選択だった。この選択には差別や排斥という問題がつきまとうことになる。
 琉球人として生きようとする者は、差別され不利益をこうむる。その不利益から逃れようとすると、琉球人であることを締め、日本人として生きていく以外に道はなかった。そのいずれを選択したとしても、その先には困難が待っている。

 ここで、一九七二年の「日本復帰」を前にした「復帰運動」を思い起こしてほしい。これは戦前の日本人への同化教育によって育てられ、「日本人」となった琉球人たちが指導した運動だった。指導者たちの背景には、日本を「祖国」と呼び琉球人も日本人だと考える思想、「日琉同祖論」があった。しかし、多くの琉球人たちが実際のところ、どう考えていたのかは改めて検証する必要あるだろう。米軍統冶下の米軍への反感、抵抗の一つの形が「祖国」を志向した指導者たちによって、「同化主義運動」へとからめとられていった。
 「復帰運動」は「琉球人による日本主義」の運動だった。これは戦前の同化政策に系譜を持つところの、沖縄側からの「同化主義運動」であり、琉球人の「琉球民族主義運動」ではなかった。しかし、戦前も戦後においても琉球人は日本人ではなかった。同化政策の成果としての「琉球人を否定する志向」は、その反面で強い「日本人願望」をもたらした。それは「倒錯した心情」「ドレイの心情」とでも表現すればいいのか。かつては強制された日本人への同化を、自ら積極的に行うという、逆立ちした世界が繰り広げられた。

 しかし、脈々と受け継がれる琉球人意識や沖縄人意識などを考えると、琉球人は現在でもまた、日本社会に併合された異質な民であり、マイノリティとして生きる「在日」であることは否定できない事実だといっていい。それゆえに、琉球弧の島々が抱えている課題を解決するために、在日琉球人たちの中から、独立を目指して失われた国家や、さらに豊かな政治社会を夢見る主張が出てくる理由が存在している。

……現代の琉球人たちは日本社会における異質なマイノリティとして存在し続け、日本人とは異質なものとして扱われてきた。そして、逆にそのことが新しい琉球人を生み出し続ける場をつくっている。近代以前に起原を持つ琉球人は、近代の歴史によって生み出された新しいグループを含みつつ、現在においても共通の時空を生きている。

 日本政府の同化政策や、沖縄側からの同化主義運動の果てに、琉球人たちが失ったものは何だった。言葉やその背後にある文化、豊かさの基準、生きる目的、島の暮らしに感じていた価値意識。生命の起源でもある水をもたらすカー(井泉)や、海への思いなどなど。そして、身につけたものは、拝金主義や依存主義、自分化の卑下という姿勢などであり、簡単に言えば、自立を忘れた精神であった。琉球人は在日を生きることで、主体性や気概を失ったのではないだろうか。

 琉球文化の豊饒さは、小さい島々で主体的に生きようとし続けた琉球人たちの努力が生み育んだ結果である。「琉球人の自覚」のためは、自分化を卑下し続けた近代の歴史と、自立を忘れて生きる在日琉球人の現在を知ること、さらには小さな島々から世界の人々と対等に関わり、主体的に生きようとしてきた過去の琉球人の精神に学ぶことから始める必要がある。
 琉球弧の新しい政治社会である海邦小国は、琉球人たちを中心としながらも多数な人々で形成される。小さな島会社のなかで、多数を構成する琉球人たちが琉球人であることを自覚するようになったとき、多様な海邦小国民は豊かに共在することが可能となり、人類の歴史の表舞台に登場することができるはずだ。このことが、海邦小国をする維持する力となるのである。


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