琉球人の再定義
後田多 敦
「海邦小国記A」より

……つまり琉球人とは、琉球国の国民の名称であり、琉球国をつくった人々のことだった。しかし、近代において琉球国を失った琉球人は「さまよえる民族」「滅びゆく民族」「日本人へ同化されるべき民族」となった。

……簡単に歴史をなぞってみても、少なくとも過去の琉球人は、八重山、宮古、沖縄、奄美という異なった歴史を体験した四つのグループから成り立っていることが分かる。
明治政府の「琉球処分」によって、琉球国の統治機構は変質、解体させられ、日本人への同化政策を通して琉球人は琉球人意識や記憶を消えされていく。

 一つは、天皇につながる価値を受け入れ、自らの文化や価値を否定し日本人に同化すること。この選択肢を撰ぶことで、日本人の一員となり生きてゆくことができる。しかし、この選択は自らの歴史や文化を否定すること、琉球人意識を忘れ去ることに結びつく。教育などがそれに利用され、沖縄の教師や指導者たちが同化を推進する役割を担った。もう一つの選択肢は、自らの社会が培った価値で生きることであった。日本人への同化を拒否し、自らの社会や風土が育んだ文化を生きてゆく道である。つまり、琉球人として生きるということ。しかし、このことは日本社会にとって許容できない選択だった。この選択には差別や排斥という問題がつきまとうことになる。
 琉球人として生きようとする者は、差別され不利益をこうむる。その不利益から逃れようとすると、琉球人であることを締め、日本人として生きていく以外に道はなかった。そのいずれを選択したとしても、その先には困難が待っている。

 ここで、一九七二年の「日本復帰」を前にした「復帰運動」を思い起こしてほしい。これは戦前の日本人への同化教育によって育てられ、「日本人」となった琉球人たちが指導した運動だった。指導者たちの背景には、日本を「祖国」と呼び琉球人も日本人だと考える思想、「日琉同祖論」があった。しかし、多くの琉球人たちが実際のところ、どう考えていたのかは改めて検証する必要あるだろう。米軍統冶下の米軍への反感、抵抗の一つの形が「祖国」を志向した指導者たちによって、「同化主義運動」へとからめとられていった。
 「復帰運動」は「琉球人による日本主義」の運動だった。これは戦前の同化政策に系譜を持つところの、沖縄側からの「同化主義運動」であり、琉球人の「琉球民族主義運動」ではなかった。しかし、戦前も戦後においても琉球人は日本人ではなかった。同化政策の成果としての「琉球人を否定する志向」は、その反面で強い「日本人願望」をもたらした。それは「倒錯した心情」「ドレイの心情」とでも表現すればいいのか。かつては強制された日本人への同化を、自ら積極的に行うという、逆立ちした世界が繰り広げられた。

 しかし、脈々と受け継がれる琉球人意識や沖縄人意識などを考えると、琉球人は現在でもまた、日本社会に併合された異質な民であり、マイノリティとして生きる「在日」であることは否定できない事実だといっていい。それゆえに、琉球弧の島々が抱えている課題を解決するために、在日琉球人たちの中から、独立を目指して失われた国家や、さらに豊かな政治社会を夢見る主張が出てくる理由が存在している。

……現代の琉球人たちは日本社会における異質なマイノリティとして存在し続け、日本人とは異質なものとして扱われてきた。そして、逆にそのことが新しい琉球人を生み出し続ける場をつくっている。近代以前に起原を持つ琉球人は、近代の歴史によって生み出された新しいグループを含みつつ、現在においても共通の時空を生きている。

 日本政府の同化政策や、沖縄側からの同化主義運動の果てに、琉球人たちが失ったものは何だった。言葉やその背後にある文化、豊かさの基準、生きる目的、島の暮らしに感じていた価値意識。生命の起源でもある水をもたらすカー(井泉)や、海への思いなどなど。そして、身につけたものは、拝金主義や依存主義、自分化の卑下という姿勢などであり、簡単に言えば、自立を忘れた精神であった。琉球人は在日を生きることで、主体性や気概を失ったのではないだろうか。

 琉球文化の豊饒さは、小さい島々で主体的に生きようとし続けた琉球人たちの努力が生み育んだ結果である。「琉球人の自覚」のためは、自分化を卑下し続けた近代の歴史と、自立を忘れて生きる在日琉球人の現在を知ること、さらには小さな島々から世界の人々と対等に関わり、主体的に生きようとしてきた過去の琉球人の精神に学ぶことから始める必要がある。
 琉球弧の新しい政治社会である海邦小国は、琉球人たちを中心としながらも多数な人々で形成される。小さな島会社のなかで、多数を構成する琉球人たちが琉球人であることを自覚するようになったとき、多様な海邦小国民は豊かに共在することが可能となり、人類の歴史の表舞台に登場することができるはずだ。このことが、海邦小国をする維持する力となるのである。

うるまネシア第二号(2001.02.25発行)より

modoru