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沖縄近代史研究、道半ば 新崎 盛暉 「順序が逆じゃないか」。数時間前まではこの世にいたはずの君の寝顔を見ながら、衝きあげてきた想いでことばも出なかった。君にぼくの追悼文を書いてもらうはずではなかったのか。 ぼくが君の幾つかの文章に接して君に関心を持ち始めたのがいつであったのか、君との直接的付き合いが何処から始まったのか、記憶は定かではない。 『玉野井芳郎著作集第3巻』の編者を任されて、解説文の代わりに座談会を思いつき、ぼくの家に、君たちを呼び集めた時のこと、『けーし風』を立ち上げた時のこと、いろいろな出来事が、錯綜した記憶の中に渦巻いている。 君のこれまでの仕事を集大成したものの一つが、『沖縄戦、米軍占領史を学びなおす 記憶をいかに継承するか』であることに異論はないだろう。この本は、まさに時代の要請によって書かれている。この本が出てから数カ月後に成田龍一『「戦争経験」の戦後史』が出て、結構話題になったのもそれ故であろう。戦争体験者が全人口の2割を切ったと言われる現在、戦争経験を持たない世代が戦争について考えることの意味、戦争経験を共有することの可能性、を根底から問い直す必要に迫られている。 だが、沖縄現代史の独自性は、戦争体験にとどまるものではない。沖縄戦に引き続く米軍占領史、そして今なお、沖縄は日米両国の軍事的拠点にされている。沖縄現代史は、戦争体験と直接的に分かちがたく結びついている。それをトータルにとらえることが不可欠なのだ。この本で分析されているのは1940年代後半から60年代にかけてであるが、君が辺野古に座り込む人たちの具体的プロフィールを聞き書きで描き出そうとした「けーし風」の仕事もそこに繋がるのだろう。 君は病床にありながらこの本をまとめた。そのころ君は、「療養にだけ専念していると気が滅入るので、気力が回復したときは、出版社の依頼もあるので、本をまとめる作業をしています」と手紙をくれた。ついでに「先生ももう若くはないのだから、恵子さんの言うことをよく聞いて、身体を大切にしてください」などとぼくに余計な説教までしていた。 君の仕事は、もちろん現代史にとどまるものではない。『沖縄戦、・・・』に続く著書は『<近代沖縄>の知識人 島袋全発の軌跡』であった。次には「比嘉春潮」を取り上げる予定だったとも聞く。 道半ばということで言えば、沖縄大学の教員としてもこれからやってもらわなければならないことは山ほどあったし、同僚たちも残念なことだろう。 だが、詮無い繰言ばかり並べていても仕方がない。後は、君の周辺のさまざまな分野の同世代、あるいはそれに続く世代が君の仕事を引き継ぎ、乗り越えていくことを君と一緒に期待しような、屋嘉比君。(沖縄大学名誉教授) ★屋嘉比収(やかび・おさむ)氏は9月30年死去、53歳。 |
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「琉球新報」2010年10月2日 | |
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沖縄 直視し続けた思索 崎山 多美 9月30日の午後10時すぎ、長い闘病の苦しみから解放され、安らかな表情を浮かべた屋嘉比さんと、嘉手納のご自宅で対面した。すっかり痩せ細ってはいたが、生前の人柄そのままの穏やかなお顔であった。53歳。逝くにはあまりにも早い。くやしさと悲しみを友人たちは堪えた。 その3週間前、仲里効さん、我部聖さん、私と3人で、長いよもやまの「語らい」をしたときには、私の雑駁な言葉にさりげなく異議を差し挟むほどの思索の明晰さと表情の豊かさをみせていて、次に会うときには話の展開ができればと期待もしていた直後の、訃報であった。病の再発から、大学の仕事と執筆とさまざまな講演やシンポジウムを精力的にこなしながらの闘病生活を、友人の一人として観てきた。 観ている分だけ、励ましにならない言葉を掛けるだけの対応しかできなかった無念が、私にはある。 沖縄の現実から片時も目を離さず思索と表現を続けた屋嘉比さんの、それこそ命を賭けた仕事の意味については、それぞれの立場の方がこれからいろんな場所で語ることになるだろう。私は、屋嘉比収という沖縄近代思想の研究者に、思い入れ深く期待を掛けてきた個人的な思いを、記憶の場面をつないで想い起こしておこうと思う。 屋嘉比さんに初めて会ったのは、確か、あれは、1996年に那覇市で開かれた「沖縄文学フォーラム」の席で。いわゆる沖縄ブームのさなかに行われたそのシンポジウムの会場から抜け出したホテルのロビーで、窓際のソファに大きな体を沈み込ませ外を眺める人を見た。横顔にものうげな印象があった沖縄を憂えているような。その人が屋嘉比収であると知ったのは別の席でのことだったが、そのときの横顔の印象は、ある時期から、似たような憂いの印象を私に残していた、私の敬愛する二人の人物とつながっていった。私が密かに名づけている、沖縄の「まっとうな思想家」の系譜の三人目に、屋嘉比収は位置する。先のお二人は、仲宗根政善、岡本恵徳、である。敢えて、まっとうな、という形容をしたのは、言葉を身体化させることのできた数少ない思想家、という意味である。屋嘉比さんは「思想にとっての態度」という言い方でそれを意識化した。教育をないがしろにし、成果をあげることだけに精力を傾け、沖縄の困難な現実を研究のアリバイ作りにするような人たちへの批判が、その言葉にはこめられていると私は思っている。記憶に残る三人の横顔に感じた憂いの色は、そのまっとうさの表れだと。 私たちは、最後のまっとうな思想家を失った。その痛手は計り知れないが、彼の残した有形無形の仕事はこれから「学び直す」ことができる。通夜の席で奥様がおっしゃった。今ごろ彼は岡本先生と楽しくお話をしていると思いますよ。私もそう思う。合掌。(小説家) |
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「沖縄タイムス」2010年10月3日 |