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名護市総合計画・基本構想
1973年6月 名護市
昭和48年6月
名護市長 渡具知 裕


名護市総合計画審議委員
審議員会長 中山盛久名護市議会議員/副会長 金城一馬名護市助役/審議員 山里将晃琉球大学経済学部教授・山城新好琉球大学経済学部教授・福仲 憲琉球大学農学部教授・玉城清吉名護市議会議員・崎浜秀栄名護市議会議員・比嘉清徳名護市議会議員・玉井英次教育長・前田裕継屋部土建社長・比嘉慶一郎名護市商工会長・比嘉繁栄名護市花キ同好会役員・儀部茂男屋部農協長・大兼久栄子名護市婦人会長/専門委員 嘉手納是敏那覇市建築課長・小波蔵政良中央建設コンサルタント社長・伊野波盛仁沖縄水産試験場/事務局 比嘉邦三名護市役所企画室長・岸本建男名護市役所企画室・大城利明名護市役所企画室


* 目 次 *
はじめに
第1章 計画の視点 1.計画の前提 2.逆格差論の立場 3.沖縄の自立経済
第2章 計画の主旨 1.名護のイメージ 2.計画の原則 3.計画のフレーム
第3章 問題と計画のフレーム・ワーク 1.名護市の現況と問題点 2.中核都市への可能性 3.計画のフレーム・ワーク
第4章 産業計画の方向 1.基本的考え方 2.第一次産業振興の方向 3.第二次・第三次産業、振興の方向 4.産業空間配置
第5章 社会計画の方向 1.社会計画の意味 2.公民館活動と「村づくり」 3.「村づくり」から「都市づくり」へ 4.全市域における「都市づくり」へ
第6章 生活環境計画の方向 1.マスタープラン 2.施設配置計画 3.土地利用計画 4.道路交通計画 5.市街地計画
第7章 実現への道 1.緊急課題 2.推進組織
あとがき
<計画作成スタッフ>


はじめに

 現代は地域計画が本質的に問われている時代である。我々が自然の摂理を無視し、自らの生産主義に全てを従属させるようになった幾年月の結論は、今自然界からの熾烈な報復となって現われ、人間は生存の基盤そのものさえ失おうとしている。
 従って、名護市の総合計画を策定するに当っては、本計画が一つの地域計画として全体世界にかかわりをもち、地球上の一画を担当していることの重要な意味を認識すると共に、本市の市民一人一人に、人間として最も恵まれた生活環境を提供してゆくことに、基本的な目標をおくべきであると考える。
 そのためには、目先のはでな開発を優先するのではなく、市民独自の創意と努力によって、将来にわたって誇りうる、快適なまちづくりを成しとげなければならない。多くの都市が道を急ぐあまり、ほかならずも生活環境を破壊していった例に接するにつけ、たとえ遠まわりでも風格が内部からにじみでてくるようなまちにしたいと思うのである。
 従来、この種の計画は経済開発を主とする傾向が強く、とくに長期におよぶ、米軍統治と本土からの隔絶状況におかれていた沖縄においては、「経済大国」への幻想と羨望が底流にあったのであるが、いわゆる経済格差という単純な価値基準の延長上に展開される開発の図式から、本市が学ぶべきものはすでになにもない。
 本構想は、名護市を人間生活の快適な場として創造してゆくための総合計画の第一歩であり、まちづくりに対する思想の表明である。市制まもない若い都市のエネルギーを未来に向けて、確実に結晶させてゆくための基本的な考え方がこの中に盛りこまれている。
 これから市民と共に実現の過程へ踏みだしてゆきたい。
 本構想立案にあたり、一年近い期間苦労していただいた、審議委員、専門委員、計画作成スタッフのみなさまへの深い感謝の意を表するものである。



第1章 計画の視点

 「漁民は全世界の公害撲滅の起爆剤だ。きょうの行動は人類の使命を与えられている。整然と行動してほしい。」これは最近本土で行なわれたある公害反対集会に結集した五千人の漁民に対して、ある漁業協同組合長が訴えた言葉である。なんと重大な決意に満ちた、しかし美しい言葉であろうか。今、日本は確実に変化しつつある。まさに過疎と過密の総決算が、多くの農民や漁民の手によって始められたのである。
 さて、ここではまず基本構想を作成するにあたって、その計画の内容と方向を規定して行くいくつかの基本的な考え方、立場といったものについて考えてみたいと思う。この基本的な立場、思想といったものを明らかにしない計画は、その数値的正確さや、統計量の豊富さのいかんを問わず、いっさいの現実的価値を持ち得ないと考えるからである。特に自治体における計画にとって、この点が最も重要な出発点になることはいうまでもない。


1 計画の前提

 はじめにこの基本構想の各論に入る前に、まず本計画の前提となる考え方について簡単に触れておきたい。一般に地域自治体における総合計画や地域計画は、次章でも述べているように、現実の社会的、経済的、空間的諸条件から将来のまとまった姿をいかにして描き出すかということであると考えられる。この考え方自体は正しいのだが、しかし、今沖縄に求められている総合計画や地域計画の課題は、これほど単純なものではないであろう。たとえば、基地が存在することによる現実的諸条件(問題)は、決して将来の計画条件とはなり得ない。反対に、その条件をはっきりと否定し、未来に向って新しい条件を設定すること(価値の転換といってもよい)が、まず第一に求められる手続きであろう。問題は、単に経済的水準が低いとか住宅が不足しているとか、道路整備が遅れているとかいった単純素朴なものでは決してないのである。このことは自明の理であると考えられやすいが、しかし多くの地域計画報告書においては、具体的作業の中でこのことを忘れ“現実を単純に延長した”にすぎないものがきわめて多いのである。
 この基本構想計画では、当然のことながら農林漁業や地場産業の振興を計画課題の第一の基礎条件として設定している。このことが、本計画を他の多くの地域計画報告書と大きく異なったものにしている最大の理由であろう。しかし、このことは社会計画や空間計画を軽視しているからでないことはいうまでもない。これら社会計画や空間計画は、今後引き続いて行なわれるべき、基本計画や実施計画においては、むしろ主導的役割を果すことになるであろう。
 ここで説明のひとつの手がかりとして、必ずしも充分なものではないが、ひとつの図式を用いて進めることにしたい。一般的に、ある地域における将来像を考えるとき、次のような図式が考えられるであろう。たとえば、将来どの程度の人口を、どの程度の所得によって、それらをどのような産業構造の中で考えて行くかといった問題の進め方である。これによれば、もし所得が一定であってよいとするならば、産業規模(生産)の拡大は、そのまま人口の増加となって現われることになり、また産業規模の拡大がむずかしく、所得の増大が必要であるということになれば、必然的に地域人口は減少して行くことになるという、相互に密接な関係を持っているものであることが分るのである。したがって重要なことは、それぞれが単に大きければよいといった事ではなく、これらが、ある地域の文化や社会、環境といったものとの関連の中で、どのようなバランスをとるかという点にある。
 こうした意味からするならば、現在の日本の国土が、どのような深刻な、つまりこのバランスの崩れた状態、矛盾の中にあるかは、左の図[略]で典型的に示されるであろう。
 これは、いうまでもなく地域の文化や社会、環境などの地域の持つ歴史や固有性を無視し、人間の生命や生活といったものを軽視してきた、工業優先の思想や、企業、資本の論理による地域開発の結果に他ならないのである。そしてこうした論理によって、日本の地域開発は、これまで多くの場合、所得増大のみを唯一の至上目的として、その内実=質を問うことなく強行されてきたのである。
 その結果としての深刻な生命、生活、自然破壊の現実を見るならば、沖縄にとって中央=工業優先の行き方が、決して理想ではなく、むしろ否定すべき現実であることが分るのである。この意味からも、今沖縄で一方的に進められようとしている国の新全総や列島改造論を根拠とする開発政策や、県の「長期経済開発計画」、「沖縄振興開発計画」などは、きびしい住民のチェックと批判を受けなければならないものであるといえるだろう。
 本計画では、こうした方法はとっていない。まず必要なことは、所得をやみくもに上昇させて、公害をまき散らすことではなく、失われた山地、平野、川や海をとり返し、そこに正当な生産活動を回復させることであろう。そして“失われた歴史と場所”を回復するという一見能率の悪い、しかし確実な方法によって、その存立基盤を確立しない限り、沖縄もやがて、本土の都市のように、人口過密と所得の急上昇と産業規模の病的肥大という、とどまることを知らない悪循環にまき込まれてしまうことになる。
 しかも、着実に“失われた歴史と場所”を回復しようとする沖縄の“本土復帰”こそが、改めて、沖縄自身の言葉と行動によって、本土に対し、差別と分断の歴史を問い返すことになるであろう。この“失なわれた歴史と場所”は、何よりも第一次産業と地場産業に回復されなければならない。ここでは、こうした農業、畜産業、水産業などの第一次産業や地場産業を、本質的に確立する論理が明らかにされて、はじめて、以後のすべての計画的課題が、明らかになる、という考え方をとっている。このためにまず名護市のおかれた歴史、地理風土的条件の中で、将来のあるべき(またそう努力することによって実現可能性のある)農業、畜産業、水産業の姿について考える(第4章)と同時に、地域の文化、社会、環境などの諸条件のバランスの中に、どのような生活様式、ひいては生活水準(所得水準と人口規模の関係など)が設定されるべきかという、ひとつの到達すべきそして超えられるべき目標の設定(第1章、第2章)が必要な手続きとなってくるのである。しかし、この第一次産業や地場産業だけで、将来の地域の生活に必要なすべてをまかなうことは質・量ともに不可能である。そこで、所得でいえば、目標となる所得から第一次産業によって見込まれる所得を差引いたものを、第二次、第三次産業によってどう分担させるべきなのか。その時の産業構造はどうあるべきなのか。また目標の所得水準から地場産業によって見込まれる所得を差引いたものを、今後どのような新たな産業によって考えるべきなのか、そのあり方はどうなのか、といった課題が導かれるのである(第3章、第4章)。そして、これらの産業構造と人口規模を、どのようなかたちで土地に定着させ、ひとつのバランスのとれた地域環境を作り上げるのかが、次の重要なテーマとなるのである(第6章)。しかし、この生活環境計画、土地利用計画といえども、過大な人口や産業を吸収することのできる魔術ではない。一定の土地、環境は常にそれ自身に固有な利用形態や発展の方向を含んでいるものである。このことを無視して、いたずらに人口を増大させようとしたり、所得の増大のみを計ること(たとえば、農業は土地生産性が低いので、土地生産性の高い工業へ一方的に頼ろうとすることなど)は、本土において、いかに深刻かつ無用の矛盾、混乱を引き起しているかを見るまでもなく、結局のところ自らの生活と尊厳を否定することになるのである。
 また、農業は非近代的産業である、といったこれこそ非科学的な考え方が、地域計画とは工業、第三次産業振興計画であるといった誤解を生みやすい。沖縄においても“キビ、パインなどの農業は土地、労働生産性ともに低いので(なぜそうなったかをきびしく問い返さなければならないのだが)、工業がダメなら観光で行くべきだ”とする意見が多い。
 しかし、これも所得の向上のみを至上目的とした、資本の論理に足許をすくわれた考え方にすぎない。なぜなら、自らのよって立つ基盤をしっかりと確立した上での観光(このことの実現はそう生易しいものではない)でない限り、それは、これまでの本土からの差別と分断をそのまま放置し、更に本土からの“新たな差別”を自ら受け入れてしまうことになるからである。これが、本計画において、工業開発や観光開発を全てに優先する中心課題としてとり上げない基本的理由なのである。


2 逆格差論の立場

 ここで改めていうまでもなく、日本は特に昭和30年代後半の池田内閣による「所得倍増計画」いらい一貫して強い工業開発政策を押し進めてきた。そしてその地域的課題と称して「旧・新全総開発計画」などを地方に押し付け、さらに「日本列島改造論」を基礎とする「国土総合開発法」へと展開されつつある。しかし、こうした一貫した工業、都市優先政策の結果が、本土においてもいかに深刻なものになっているか、またこれらに対する国民の批判もいかにきびしいものになっているかという点についても多言を要しないであろう。これは決して自然的現象などではなく、明らかに意図的、計画的に進められたものであった。それでは、こうした諸政策、計画を与えてきた論理、考え方とは、どのようなものであったのか。さまざまなものが考えられるのであるが、中でも最も重要な役割を果してきたものが、いわゆる“所得格差論”であり“地域繁栄論”であったといえるだろう。つまり、工業と農業の間に、中央と地方の間に大きな所得の格差が存在するので、農業をやめて工業を盛んにすることによって地方を中央の水準に近づけていこうという福祉論的な装いをこらした経済学的論理であった。
 そもそも、工業と農業はすべてを同一の尺度で比較することが困難であるにもかかわらず、また多くの経済学者の批判にもかかわらず、こうした考え方は、あたかも“国民的常識”であるかの如き色彩を帯びて流布され、ほとんどの計画に経済学的呪縛=致命的な誤りを与えることになったのである。いわゆる商業ジャーナリズムの論調も、多くの場合こうした考え方に対する批判的視点を欠いたものが多い。そしてこの“所得格差論”の多くは、統計的数値の持つ社会的、現実的意味に対する配慮を全く欠いたまま、いまだに多くの地域開発計画の根幹をなしている。しかし、具体的な計画に入る前に、どうしてもこの“常識”について疑ってみる必要があるといえるだろう。所得とは何か、格差とは何か、中央と地方とは何か、そして本来、社会的に要請される計画の論拠が、経済学的にのみ一方的に設定されることは正しいことなのか、といった点について充分考えてみなければならないといえるであろう。
 名護市総合計画は、いうまでもなく地域自治体としての名護市が中心となって行う計画である。したがってこの計画は、未来の経済的(物量的)バラ色の可能性(幻想)ではなく、本質的に現実の社会的必要性に立脚して行なわれなければならないものであろう。さて農業に関していえば、所得格差論によって、常に経営規模拡大、自立農家育成という個別農家政策(貧農切り捨て)が百年一日の如く語られ、地方でいえば常に工業開発、観光開発(農林漁業軽視)が語られてきた。しかし今ではすでにこうした現実を見ない農政や、公害をまき散す工業政策、地域資源を破壊する観光政策などは、その所得格差論とともに現実的に破綻してしまったといえるであろう。この意味からすれば、“あなた方は貧しいのです”という所得格差論の本質とは、実は農村から都市への安価な工業労働力転出論であり、中央から地方への産業公害輸出論であり、地方自然資源破壊論であったと見ることができよう。そして本土などにおいても、自立農家はいっこうに増加しないばかりか、農地の流動も極めて少なく、反対に百姓総兼業というかたちで、多くの農民は、農村において、自分の生きる場所において、その生活を守ろうとしているのである。そればかりか、たとえば経済的に日本一貧しいといわれてきた(しかしこれも事実ではないのだが)鹿児島県において、志布志湾の大規模工業開発計画に反対する多くの農民、漁民たちは、敢然と“オレたちは貧乏ではない、開発しなければならないのは県の計画立案者たちの頭である”と言い放ち、“漁場は漁師のものであるが、美しい松の並ぶ浜は、みんなのものである”という信念で団結しているのである。また火力発電所建設に反対する北海道伊達町の住民たちは、その反対訴訟の法廷で、“裁判長、ただ見るだけの視察ではなく、様々の産物(ホタテ貝、ワカメ、ジャガイモ、アスパラガスなど)を舌で味わって下さい。そしてこれほど美しい伊達の海や土地をなぜ公害で汚さなければならないのか考えてみて下さい”と訴えたのである。こうした事例は今や日本中で枚挙にいとまがない。彼等のこの言葉を支える自信はいったいどこからくるのであろうか。単なる妄信にすぎないのだろうか。しかし、妄信で開発計画を拒否しつづけることは不可能であろう。おそらく、これは自信というよりは、自らの生活、社会、地域といったものに対する深い信頼、愛情といったものではないだろうか。愛情という表現が甘ければ、 執念、執着といってもよいであろう。当然のことながら、こうした自信の前に、所得格差論は有効性を持ち得ないのである。ここで格差論の多くは、押し付けがましい福祉論や、時には強圧的な公共福祉論(土地収用法などによる)と姿を変えて現れることは周知の事実であるが、ここでは詳しく触れない。
 沖縄県においても、とくに復帰後この所得格差が大きな問題となっている。そして鹿児島より低いといわれる対全国平均比で、約55〜60%という沖縄の所得水準値は、県の「長期経済開発計画」や「沖縄振興開発計画」における工業、観光優先政策すなわち、農漁民無視の開発計画の格差論的根拠となったといえるであろう。しかし、これは明らかに県民の生活実体や生活要求と矛盾するものであると言わざるを得ない。なぜなら、たしかに復帰後、県民の日常生活の中で所得の差は大きな問題となり話題となっている。しかし、県民のこの生活実感を通した所得格差への問題意識は、所得格差論的発想などではなく、何ら本質的な施策や見通しを具体化させずに、復帰を急いだことに対するきびしい批判と考えなければならないものであろう。こうした県民の批判と生活要求の本質を認識しない沖縄開発論は、北部開発の起動力と称する「海洋博」においてすでに明らかな農漁業破壊の実態を見るまでもなく、自立経済の確立どころか、ついに沖縄を本土の“従属地”としてしか見ない本土流の所得格差論をのり超えることはできないのである。
 しかし反面、沖縄においては戦争による多大な人的、物的被害と、それに引き続く基地の存在によって経済的のみならず、生活環境や公共施設、道路などの社会資本や、保健・医療・教育・福祉などの社会サービスなどの点においても、本土に比較して多くの格差、立ち遅れが見られることも事実である。この事実を見ない沖縄論も意味を持ち得ないことはいうまでもないが、しかし、こうした社会資本、社会サービスの立遅れと所得格差論は、直接的関係にはないのである。最近よく“高度成長、高福祉”ということが言われている。つまり、工業の高度成長が続かない限り、高度の福祉はあり得ないという考え方であり、所得格差論の変形である。しかし、工業によって物資やお金を増やさない限り、福祉や社会サービスを向上させることができないという考え方は、相変らず農漁業等を軽視した“工業の論理”であり“企業の論理”である。なぜなら、たとえば、立派な冷蔵庫は月賦で買ったが、その中に入れるおいしい果物は高くて買うことができない。デラックスな自動車は増えたが、交通事故は激増し子供たちは遊び場を失った。お金を払う遊ぶ施設は立派になったが、お金のいらない美しい野や山、川や海はなくなってしまったという現実がすでに明らかになっているからである。全国各地の公害地の現実は、このことを最も鋭く示すものであることはいうまでもない。
 所得格差論や高成長高福祉論を持ち出すまでもなく、一般的に、公共投資や企業投資によって物量的に生活環境を整えることが、社会資本の充実であり、社会サービスの向上につながるものと考えられがちである。しかし、これも農業や漁業、農村や漁村の役割を正しく見ない考え方なのである。私達はかつて、農村や漁村が、都市に対して果してきたいくつかの重要な役割を知っている。たとえば、今都市で大きな社会問題となっているし尿処理について考えてみよう。かつて都市住民のし尿は、農村へ還元され農業生産へ直接役立ってきた。つまり農業生産が、都市のし尿処理のための社会資本的役割を果してきたのである。しかし、農業軽視の政策による化学肥料の一方的投入(このこと自体が、多くの農民の健康を破壊してきたのだが)によって、不要となったし尿は、「海洋投棄」という原始的な方法によって処理されることになり、それがまた沿岸漁業に多大の被害を与えることになったのである。また、かつて都市住民は、病気にかかったとき農村にある自分の「ふるさと」で、静かに長い間療養することが可能であった。これも都市の社会サービスの一部を農村が分担していたのである。しかし、老人と子供だけという過疎の農村はこうした力をほとんど失いかけている。都市から農漁村への“観光”も、こうした社会サービスの一端であることはいうまでもない。
 ここにあげたのはほんの一例にすぎないのだが、こうした農漁村の役割は、そこに正しい農業、漁業生産が保証されている限りにおいて、果すことのできた役割りであったのである。
 こうした農漁村があってこそはじめて都市の役割も正しく発揮されるものであることを認識しなければならない。この都市と農村の正しい関係を見ない開発論は、計画者の良心的努力とは裏腹に、相変らず農村、漁村を破壊する結果になることをはっきりと認識しなければならないだろう。
 今、多くの農業、漁業(またはこれらが本来可能な)地域の将来にとって必要なことは、経済的格差だけを見ることではなく、それをふまえた上で、むしろ地域住民の生命や生活、文化を支えてきた美しい自然、豊かな生産のもつ、都市への逆・格差をはっきりと認識し、それを基本とした豊かな生活を、自立的に建設して行くことではないだろうか。その時はじめて、都市も息を吹き返すことになるであろう。
 まさに、農村漁業は地場産業の正しい発展は、人類の使命と言うべきであろう。


3 沖縄の自立経済

 前節において多くの地域開発が、きわめて意図的な工業優先の思想や資本の論理に従属したものであることを、沖縄というひとつの地域における生活の実体を見ることによって、その本質をきびしく批判した。これはいわば方法論の批判であって、更にその歴史批判を充分に行うことによってはじめて、自立経済への具体的展望が開かれるであろう。ここでは、こうした側面から、その計画への具体的手がかりについて論を進めていきたい。
 現在、沖縄の開発、あるいはその未来をめぐる論議は、“自立経済”というそれ自身では何物をも意味しない空虚なコトバによって、一切の現実認識と歴史批判を抹消し、未来のあれかこれかといった安易な選択主義に陥っているといえるだろう。沖縄では今たしかに、生活、社会、地域、経済といった各方面で、多くの深刻な問題が表われ、またそれらの解決もきわめて困難なものになっていることも事実である。しかし、その困難さが、安易な“経済実力主義”や空虚な“自立経済主義”に陥らせ、その内実を問うことはないとするならば、これ以上の悲劇はないといわなければならないだろう。こうした内実を伴わない空虚な“自立経済主義”は至るところで見られるのだが、今ここでそのひとつについて充分検討してみる必要があるだろう。以下少し長文になるが、「沖縄振興開発計画」に示された前文=計画作成の意義について引用してみよう。
 “戦後長期にわたりわが国の施政権外に置かれた沖縄は、昭和47年5月15日をもって本土に復帰し、新生沖縄県としてわが国発展の一翼を担うことになった。この間、沖縄は、県民のたゆまぬ努力と創意工夫によって目覚ましい復興発展を遂げてきたが、か烈な戦禍による県民十余万の尊い犠牲と県土の破壊に加えて、長年にわたる本土との隔絶により、経済社会等各分野で本土との間に著しい格差を生ずるに至っている。
 これら格差を早急に是正し、自立的発展を可能とする基礎条件を整備し、沖縄の力が我国経済社会の中で望ましい位置を占めるようつとめることは長年の沖縄県民の労苦と犠牲に報いる国の責務である。”
 この「振興開発計画」の各論について検討することは極めて重要な意味を持つのであるが、同時に莫大な作業を必要とするものであるため、ここでは、この計画に示されたいくつかの基本的な立場、思想といったものについて批判、検討を行ってみたいと思う。
 この計画作成の意義という前文は、なんと空虚なものであることか。そしてまた何を語ろうとしているのか。なぜ、沖縄が長い間国の施政権外に置かれたのか。そして経済社会等各分野での本土との著しい格差を生じさせた真の原因は何であったのか。こうした最も本質的な問題に一切のメスを入れることなく、いったい国家の沖縄に対する責務が明らかになるのであろうか。このことは、この前文の文章としてのごく初歩的な誤りを示すだけでなく、計画の本質を明らかにする象徴的な前文であることを示しているのである。
 また、この計画の作成主体は誰であり、計画の目標は誰のものであるのか。こうしたあいまい、というよりは巧妙にボカされた計画の論理は、ついに“……自立的発展を可能とする基礎条件を整備し、……することは国の責務である”という主客の転倒となって表れるのである。自立的発展の基盤とは、言葉の正しい意味において、第一に地域住民の責務でなければならないのである。米軍基地を守るため沖縄を本土から分断することが、国の責務であり、今またこの基地を残したまま、工業や観光によって経済的実力をつけることも国の責務であるというのだろうか。
 こうした県民の歴史批判と生活要求を無視した、政府に従属した「長期経済開発計画」や「振興開発計画」を貫ぬく基本思想は、本土復帰に伴う経済、社会変動を沖縄県の工業基地化、観光地化によって切り抜けようとするものであり、資本の論理に屈服した県民無視の開発思想であるといわざるを得ないものである。そして、そこに示された内容は、すでに述べたごとく楽観主義的所得格差論によって“学理的”に正当化され、一方的に未来の経済学的可能性のみに頼っているのである。ここに示された最大の具体的問題は、現在、本土において根底的にその本質が問われているところの、経済高度成長政策の後追いにすぎないという点であり(たとえば、長期経済開発計画では、年14%という高成長率によってその経済学的楽観主義が貫かれている)、そのことによって不可避的に引き起されるところの深刻な社会変動に対して何ら有効な対策、配慮がなされていないという点につきるのである。本土においてすでに明らかなごとく、こうした工業優先の高度成長は確実に農林漁業や住民の生活環境を破滅に導くものであり、この現実を無視し、その社会的配慮を欠くことは、農漁民切り捨ての本質を自ら暴露するものである。
 すでに環境庁の審議会ですらが、年率8.4%の成長を昭和60年までつづけるならば、環境汚染量は確実に3倍以上になると警告しているのである。沖縄における年率14%という成長率(工業に至っては22%!)が、土地面積の少ない、人口密度が日本一という沖縄において、住民の生活環境や社会生活、あるいは農林漁業を破壊しないという確実な保証は、理論的にも政策的にも本土の現実においても全くないのである。かつて、公害はあってもいい、生活環境は破壊されてもいいと言った政治家や計画書が存在したであろうか。にもかかわらず、日本列島は深刻なまでに汚染され尽しているのである。たとえば県の計画に示された農業の振興や計画目標を見ても、統計数値は整序されてはいるが、現実の農業社会に対する分析、配慮を全く欠いており、農業戸数の将来に至っては、主要指標の中にたったひとつ40,000戸と示されているだけである。しかもその内容、構成については全く触れられていない。後で触れるが、本土においても現代日本の農業と農業社会の現実は、百姓総兼業といわれる兼業農家によって支えられているのであり、このことの将来を抜きにして農業を語ることは、農業計画としての意味を全く持ち得ないことになるのである。
 現在、なぜ沖縄において自立経済が語られなければならないのか。それは、本土との所得格差是正のため工業生産力をつけて、日本における沖縄の経済的比重を増すためではない。それは沖縄に対する日本の差別政策の長い歴史、とりわけ戦後の米国支配に典型的に見られるような、沖縄分断によって自らの講和を実現した本土に対するきびしい批判と、“失われた時間と空間”を回復しようとする県民の切実な要求を実現するための具体的手段として語られるものでなければならないのである。沖縄はしかし、こうした歴史的状況の中にありながら、高度な文化と豊かな生活を守り育ててきた。そして、その歴史的、現実的基礎は、“島”としての地理的、風土的特質によって支えられたさまざまな生産活動にあったことはいうまでもない。そして、特に戦後の沖縄の歴史は、この正当な生産活動を阻害され、その生産手段を奪われてきたところにその本質を有するのである。つまり、米軍基地による農地の接収、生活環境や山林、海洋の破壊によって、生産手段のみならず正当な発展のための基幹労働力すら失ない、農林漁業の絶対的な低迷、低下に甘んじなければならなかったのである。従って、いわゆる基地依存経済、社会の本質とは、この正当な農林漁業の生産活動が圧倒的に阻害され、その発展の道を閉ざされてきたことにあるのであって、よくいわれるような、相対的地位低下といったなまやさしい問題ではなく、また経済社会の異民族支配といった外見的現象だけで語れるほど単純なものではないのである。つまり、相対的地位低下が少し高くなったところで、異民族支配が同民族支配に転化したところで問題の本質は変らないのである。この戦後の課程は、経済的には基地収入と日・米のドル補助、キビ・パインなどの特恵関税によって外的に支えられてきた輸入超多過の消費型経済であった。
 従って沖縄における自立経済とは、こうした外からの差別と分断を断ち切り、自らの内在的可能性という内発的条件を整えることによって、安定した地域社会生活の内容を伴った、輸出入バランスのとれた生産経済を確立することなのである。あえていうならば、基地依存経済の脱却とは、あれかこれかといった他の“金もうけ”の手段をさがすことではなく、農林漁業や地場産業の本質的育成、振興という正当な“金もうけ”を達成することによってのみ本質的に可能となるのである。沖縄における経済開発の戦略を、工業と観光に求めようとする発想が多く見られるが、上述した観点に立つならば、自立経済育成の戦略を工業化や観光地化に求めることは幻想であり、論理的に矛盾したものであるということができるのである。なぜなら、戦略とは、あらゆる外的状況の変動、変化に対して、以後の自らのすべての行動を矛盾なく秩序だてていく一貫した方法論のことであり、そもそも外的状況としての工業化や観光地化は、戦術的課題とはなり得ても、戦略とは絶対になり得ないものだからである。沖縄を世界の海洋開発の拠点にしようという発想や、海洋博に対する過度の期待といったものも、ほとんどこうした論理的な誤りを犯しているのである。
 沖縄における自立経済社会建設の戦略的課題は、その農林漁業や地場産業を正しく発展させることにある。そして、この農林漁業、地場産業こそが、社会の安定的移行と経済的発展という困難な課題を、“島”という気候、地理、風土の特殊条件の中で最も効果的に行うことができるものなのである。これが名護市総合計画にも求められる最も基本的結論のひとつである。
 更に、以上のような立場を実行に移す具体的手法として、ここで“積み上げ方式”を提案してみたい。これは、つまり農林漁業+地場産業の発展と、それを基礎とする安定した社会への移行を“内部充実”と考え、一定の工業化や観光地化などの外的状況に対応する計画条件を“特殊条件”として、内部充実の基礎の上に社会的に有効な限りで積み上げていこうという方法のことである。現在、沖縄において、特殊条件のいかんにかかわらず、最小限手をつけなければならない緊急な課題は山積しているのであり、こうした自らの地域内部の内的発展の条件を整えない限り、沖縄における本島と離島間の、中南部と北部間の、北部市街地と周辺農村部間の格差、差別は絶対に解消されることはないのではないだろうか。すなわち、地域自治体における計画作業とは、すべての格差、差別に対する理性的人間的闘いでなければならないといえよう。
 しかし、農林漁業や地場産業の育成とは、きわめて困難に満ちた課題であることはいうまでもない。本土においても、すべての農業地域は、例外なくこの困難な立場におかれており、しかもそこから脱却しようとする道を必死でさぐり続けていることも事実である。この現実から逃避しようとするものはともかく、そこに留まろうとする限り、この困難な現実を出発点とするより他はないであろう。
 そのためにも、正当な生産活動と社会生活を阻害してきた、山地、平野、河海を問わず存在する基地の完全撤去を勝ち取り、国、県などによる充分な行財政的援助を断固要求し、それを基礎として住民自身による作業が出発しなければならない。そしてこれを現実的に裏付けるために、例えば復帰に伴う各種援助金、補助金の大半は、この農林漁業育成と社会生活のための基盤整備、確立にふり向けられなければならない。「振興開発計画」別表によると、目標年次までの全体の公共投資のうち、農林漁業の振興開発のためには、たった13%ていど、2,200億円が投じられるにすぎないのである。しかし、この農林漁業への公共投資は、少くとも30%以上のものに書き改められなければならないであろう。
 また、「沖縄振興開発計画」に示された '80年における第一次産業生産所得比4.9%という目標も、全くその戦略的展望を誤ったものといわざるを得ないものである。これも少くとも15%以上のものに書き改められなければならないものである。
 このように、県の諸計画に示された主要指標は極めてあいまいかつ戦略的選択を誤ったものになっている。たとえば、'80年における県民の所得水準80%、人口103万人、などといった指標は、努力目標としてならともかくとして、現実的にはきわめて幻想に近いものであるといわざるを得ない。たとえば、観光によって、第三次産業人口の増加を計り、ひいては人口増加に結びつけていこうという考え方は、理論的にも、現実的にも不可能に近いものである。日本の代表的“観光地”熱海の人口は、たった5万人にすぎないのである。しかも、農漁業地帯の急激な観光地化は、本土においても明らかなように、確実に環境破壊と社会生活の不安を生み出すものである。“沖縄を東洋のハワイへ”という発想は、単なる語呂合わせであって、無責任かつ悪質な宣伝にすぎないものである。
 しかし、県民に“清く貧しく美しく”を強いることは、沖縄に“仙人部落”をつくることであり、許されない。ここに地域開発の一環として、一定の工業化(その地域社会への定着を前提として)や観光地化(自力観光態勢の確立を前提として)を戦術的に重要視することの現実的根拠が存在するのであって、“積み上げ方式”もこうした現実的要求に答えるものであるといえるのである。
 さて、以上のような戦略的課題の中から、次のような一般的作業仮説を前提として、当面の計画作業を行うことが有効であろうと考えられるのである。

 内部充実のための1980年における仮説目標(沖縄全域)
 ○対本土所得水準     約60%〜70%(80%)
 ○県総人口        85〜90万人(103万人)
 ○第一次産業就業人口比  約20% (14.6%)  ( )内は、県の「長計」数値

 いうまでもなくこの仮説目標は、到達すべき目標を示すものではなく、当面の作業のための出発点となるものにすぎないのであり、今後当然修正されていくことになるであろう。この仮説目標の原則は、当然名護市総合計画においても適用されることになる。いうまでもなく、自治体における計画作業は、将来のとうていできもしない事柄を並べたててバラ色の未来として文字や言葉だけの辻つまを合わせるといったアクロバットは厳に否定されなければならないのであり、それは、将来確実に把み得る富の蓄積を慎重に計ることによって灰色の現実を確実に導いて行くものでなければならないものである。
 ここに示された仮説目標の内容は、こうした自治体における計画の現実的根拠に沿うものであり、ひとつの“超えるべき目標”を示すものでもあるといえるのである。



第2章 計画の主旨

新しい城づくりへ!!(市の課題)
川を美しく!!  (集落の課題)


1 名護のイメージ

 昔、人々は城から、川をつたいながら平野へと移り住んだ。
 今、人々は平野から、川を守りながら新しい城を求めて山へ登る。


2 計画の原則

 1 美しい自然を守ること(自然保護の原則)
  1)名護市は、沖縄本島の中でも、美しい平野、山、川、海を持った地域であり、この自然は確実に保護される。
  2)これは単に景観や観光の問題ではなく、生活環境、生産環境、生態環境の上でも最も重要な原則である。
  3)計画、開発に当っては、この生活・生産・生態のバランスが優先される。
 2 生活・生産基盤の確立(基護確立の原則)
  1)不足している生活施設、生活環境の整備、充実は急務である。
  2)農、畜、漁業などの第一次産業を本質的に確立し、その上に立って地場産業の育成や自力観光の態勢がつくられる。
  3)こうした、生活、生産の基盤を確立してはじめて、名護市は北部地域の中核都市の役割を果たすことができる。
 3 市の将来を市民の手で握ること(住民自治の原則)
  1)住民の創意、願望、提案、批判は、もっとも基本的な要件である。
  2)性急な、形式的近代化を避けるためにも、こうした住民の意志を結集し得る組織、手段が準備される。
  3)外部大資本などの開発計画は、市条例の設置、住民協定、住民組織などによって、厳重にチェックされる。
 4 計画とは……自治体における計画とは、現実のあらゆる差別、格差に対する未来への理性的、人間的闘いである。


3 計画のフレーム

3−1 計画とは何か
 計画とは、“個人や一定の集団が、ある目的の実現のために必要と思われる手段、条件、方法などを総合的に整えることである”ということができる。これは明らかに、意志的、意図的行為であって、単に統計資料の分析やその予測だけで実現されるほど、生やさしいものではない。特に、この総合計画などの場合、矛盾に満ちたしかし確実な地域の現実と、新しいしかし不確実な地域の未来とを、どのような人間的願望の中で結びつけて行くのかという、きわめて意志的なしかも集団的な作業なのである。別に表現するならば、“計画とは、未来の不確実性をできるだけ確定的なものに変換して行く作業である ”ということもできるのである。
 しかし、この“確定性”は“可能性”と同じものではないのであって、これらを混同することは許されない。なぜなら、バラ色の可能性だけで作業を進めて行った場合、もしそれが何らかの理由によって不可能となった時、一般に後もどりすることができないからである。これが、計画にフィードバック(後もどり)機能が必要となる理由であろう。
 つまりフィードバックとは、“非能率さ”や“非科学性”を意味するものではなく、未来の“不確実さ”に対する科学的、形式的認識能力の限界を超えたところで、計画に人間的、集団的意味を与えるための方法なのである。しかし、計画の全体に渡ってフィードバック機能を持たせることは、一般的に不可能に近いものである。これが、先にも述べたように、この計画において“積み上げ方式”を提案した理由でもある。
 ○名護市総合計画は、地域自治体としての名護市を中心として行う集団的計画である。
 ○故に、この計画は、未来のバラ色の可能性ではなく、本質的に現実の必要性に立脚するものである。
 ○すなわち、自治体における計画作業とは、すべての格差、差別に対する理性的、人間的闘いである。
 ○この基本構想は、そのためのひとつの素材を提供するものである。

3−2 計画のフレーム
 ここでは、具体的に計画作業をコントロールするための統一的な考え方すなわちフレームについて述べてみたい。前章において“積み上げ方式”が示されたが、これを図示したものが、次の図である。ここでは、作業内容を大きく次のように分けている。
 ○内部充実のための作業……未来がどうあったとしても、ひとつの地域自治体として最小限度必要と思われる仕事(必要性のための仕事)
  農林、畜産、水産業や地場産業などの本質的育成
  生活環境水準(シビルミニマム)などの達成
 ○特殊条件への対応作業……内部充実を基礎として、多くの可能性の中から新しい地域発展の方向を附加していく仕事(可能性のための仕事)
  工業導入やその地域定着の誘導
  研究、教育機能の地域分担能力などを高める計画など
 以上、“積み上げ方式”の意味について述べてきたが、この大きなフレームはさらにいくつかの個別的課題によって成り立っている。ここにそれらを整理してみると、およそ次の3つの課題に大別されよう。

総合計画
社会計画的課題……現実の社会が、人間的、地域的願望の中で、どのようなかたちで発展して行くのか。
経済計画的課題……地域における生産や流通の諸活動が、風土や地域的関係の中でどう発展するのか。
空間計画的課題……これらの人間諸活動が、自然(土地)との係り合いの中で、どのように定着して行くのか。

 こうした計画の個別的課題とその戦略についてまとめたものが次の図であり、いわば“計画地理”とでも呼ぶべきフレームである。これによって、個々の計画作業が、どのような意味や、位置にあるのかを判断することが可能となるのである。
【名護市総合計画のフレーム(計画の全体と個別課題)・図−略】

3−3 空間フレームの設定
 多くの計画書をみると、与えられた課題は総合計画的性格を持ちながら、経済的諸計画が中心となり、社会計画や空間計画は全くないか、あっても経済計画へ従属したものとして考えられているものが多い。あるいは経済的力(金や物量)によって、強引に社会や空間をつくり上げて行こうという姿勢である。しかし、これが大きな誤りであることは、最近の環境問題をとり上げるまでもなく、明白である。公害で知られた四日市市の計画書は、多くの計画者やデザイナーによって心血を注いで作成され、美しい設計と美しい文句で飾られていたにもかかわらず、なぜ、あのような環境になってしまったのであろうか。いうまでもなく、大企業優先、経済優先思想の結果に他ならないのである。こうした環境で、たとえ何億円投じて福祉施設や病院を建てたところで、健康な身体や楽しい生活は戻ってこない。社会、空間といえども、経済と無関係でないことはいうまでもないが、それぞれ個有の意味と課題を持っていることを認めなければならないだろう。
 社会計画については別章で触れているので、ここでは空間計画をコントロールする背景ともいうべき空間のフレームについて、その基本的考え方を示してみたい。地域住民の生活のあらゆる課程は、何らかのかたちで常に空間的位置を占めており、広い意味での生活諸活動の空間的(土地利用的)バランスすなわち地域機能の安定は、計画にとって極めて重要な課題となるのである。ここでは、自然の人工化の程度によって、全自然から微自然までの5段階に分け、更にその人工化の内容を、大きく労働、居住、余暇という人間活動と自然独自の活動とに分けて、それらの相互関係について一般的にまとめたものが右図である。実際には、これらが複雑に入り込んだかたちで存在している場合が多いが、こうしたフレームを用いることによって、様々な空間(生活環境)計画の意味や位置を知ることが可能となるであろう。
 このフレームはまた、人間の科学技術が万能ではなく、自然には大きな独自な活動があることを認める、ということを意味するのである。沖縄においても、農民や漁民の長い歴史は、このことを余すところなく示しているのではないだろうか。
【空間フレーム(自然と人間活動の関係)・図−略】




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