「基地撤去は経済的にはマイナス」(02.7.26来間講演)をめぐって
G04.1.15井上雅道「沖縄経済と基地問題/来間−丸山論争を考える」
F04.1.15来間泰男「丸山氏からの『再々反論』への返答」
E03.10.28丸山和夫「来間泰男氏の批判に再び答える」
D03.6.24来間泰男「丸山和夫氏への回答」
C03.5.28丸山和夫「来間泰男氏の批判に答える」
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@「来間−(ま)」論争へのコメント(02.12.31)
A02.7.26来間泰男講演「沖縄の振興策をめぐって」
B02.9.28来間泰男「(ま)さん」の批判に答える
G04.1.15井上雅道「沖縄経済と基地問題/来間−丸山論争を考える」
一坪反戦通信 152(2004年1月15日)/沖縄・一坪反戦地主会・関東ブロック
来間−丸山論争を考える(文化研究の視点から)
はじめに
『一坪反戦通信』138号以来、来間泰男氏と丸山和夫氏との間で「基地撤去は沖縄経済にとってプラスかマイナスか」をめぐって論争が続いている。本稿では、二氏の論争を通じて浮かび上がってきた様々な論点を整理しながら、沖縄――そしてこの論争――が置かれた社会的政治文脈を可視化し、反基地運動の現状とこれからを考えたい。
もとより私は経済学の専門家ではなく、1997年以来辺野古を中心にしてフィールドワークを行ないながら沖縄の基地問題を考えてきた、一介の文化人類学徒に過ぎない。にも拘わらず、ここに拙文を寄せて論争に介入させていただくことにしたのは、基地問題が、文化や歴史やアイデンティティをめぐる政治学――それを明らかにすることが近年の文化人類学/文化研究の基本的関心であると密接に連動しており、このような文化の政治学を考察する際にお金の問題を避けて通ることは出来ないと感じているからである。従って本稿の目標も、二氏の議論を専門的な経済学の立場から論評することにではなく、むしろ文化研究の視点から、二氏の論争が提起しているお金が孕む複雑な問題系の困難と可能性を、基地問題と絡めて批判的に提示することに置かれている。
論点1‥量か質か
丸山氏は、基地撤去が沖縄経済にとってプラスであるという持論を展開するにあたり、自身が経済の専門家ではないことを断った上で「『経済』とは、単にカネの動きではなく、人々の「生活の質」をも数量化したものと理解している」(146号14頁)と述べる。来間氏は「立派なご意見で、私のようなちっちゃな経済学者には手に負えない大きな課題であり、質を量で表わすにはどうしたらいいか、私には皆目分からない。」(147号12頁)と応じ、更に「丸山氏がそれ(基地がなくなれば経済的にマイナスであるという来間氏の主張――筆者注)と反対の意見を言うのであれば、なぜ私がそのように主張したかを、その論拠にそって検証すべきではないか。」(147号13頁)と問うた。この問いに呼応する形で書かれた150号における丸山氏の議論は、もっぱら経済学=量の世界という土俵の中で展開されることになった。
このような一連のやりとりを見ていると、二氏が経済の問題を「量」の問題に限定していった様子がよくわかる。それが経済の問題を専門的に論じる時のマナーなのかもしれないが、同時に、まさにそのことにより、経済学の専門家(「量」の問題を考える人)と非専門家(「質」の問題を考える人)との間の豊かな対話の可能性が閉ざされてしまったことにも目を向けたい――そのような対話の可能性の萌芽が、来間氏自身の講演の中にすでにあったにもかかわらず。来間氏は、例えば、区に入る軍用地料の使われ方をめぐり「村の行事が増える。老人会、婦人会、青年会。その行事に金を使う。競技会や演芸会をして、賞金や謝礼金を配る。飲食させる。お土産を持たせる。旅行をさせる。」「軍用地料は、それが高いがために、多くの弊害をもたらしている。」(いずれも138号付録8頁)と述べ、軍用地料という「量」の問題が文化の生産や消費(浪費)という生活の「質」の問題に密接に絡み合っていることを的確に示しているのだ。つまり、丸山氏は生活の質(とりわけ環境)の問題のみを主題化する事で来間氏の議論の要点の一つを見落とし、来間氏は質の問題は自分にはわからないと述べることで自家撞着に陥っている。だが質を伴わない量はなく、また量を伴わない質もない。私たちは、経済学とはいうまでもなく量のみならず質の問題を含んだ話であるということを、「価値」(使用価値と(交換)価値)の問題を通じてすでにマルクスから学んだのではなかったか。
論点2‥短期的ビジョンか長期的ビジョンか
「量」と「質」の対立は、この論争の中で他の様々な二項対立として変奏されている。「短期的ビジョン」(来間氏)か「長期的ビジョン」(丸山氏)かという時間的な枠組みの問題も、その一例である。来間氏は、基地が「返還されたら『経済的にプラスになる』という『幻想』」(147号12頁)を批判するのだが、その論拠となっているのは、数量化しうる様々な短期的指標(軍用地料、基地関連交付金、軍雇用者の賃金など)である。つまり、来間氏は、短期的な時間の枠組みを設定することで「量」の問題を主題化することに成功している。それに対し丸山氏は、「潜在的要因」という数量化をいわば拒む概念を立ち上げることを通じて、数量が支配する時代の外部に長期的な時間の枠組みを設け、そしてその枠組みの中で、基地撤去は沖縄経済にとってプラスであるという議論を展開している。「私がこの間の議論で、『潜在的要因』と何度も繰り返しているのは、逃げ道として使っているわけではない。行政が地主を支え、長期的展望で基地の跡地利用を考えることが不可欠なのだ」(150号10頁)。
こうしてみると、二氏の主張は実は矛盾していないことがわかる。というのも、二氏の議論を総合すると、基地撤去は短期的にはマイナス(そのことを丸山氏も否定してはいない)だが、長期的にはプラスかもしれない(そのことを来間氏も否定してはいない)、という構図が現れるからである。二氏の議論は相互補完的な関係にある。
論点3‥沖縄がこれから進む方向性
にもかかわらず二氏の議論が噛み合わないのは、沖縄がこれから進んでいくべき方向性について根本的な立場の違いがあるからではないかと思われる。来間氏は講演の中で「沖縄県民が、厳しい戦争体験を持ち、平和への願いを内に秘めながらも、基地に反対しない風潮を蔓延させているのは、経済の問題からきている」(138号付録4頁)と述べた上で、今後の沖縄の(とりわけ反基地運動の)方向性について「基地問題は平和の問題であり、経済をからませてその是非を論ずべきではない」(147号13頁)こと、そして基地問題=平和問題と経済問題を峻別した上で「『経済振興策』そのものを批判」(139号5頁)するべきことを説く。このような氏の主張から透けて見えてくるのは、戦争体験に基礎付けられた「原沖縄」救出の切実な願いである。つまり来間氏は、沖縄のあるべき将来を、カネにまみれた現在の沖縄の延長線上には見ていない――そのような展望は「幻想」「詐欺」もしくは「勘違い」(いずれも147号)として氏の所論では否定されることになる。氏は沖縄の未来を、「『金は欲しい』という主張」(139号5頁)とは無縁の沖縄、貧しくはあっても古き良き沖縄、「勤労に基づいて獲得した金」(139号5頁)(どういう種類の勤労が想定されているのかは不明である。氏の専門と関連する農業か)に支えられた沖縄、への回帰の中に見ているように見える。そこでは現在の沖縄は否定はされないまでも、原沖縄によって補完されるべき二義的なものとして現れ、他方原沖縄は、「気概」や「信頼」に支えられた一枚岩的な沖縄の民衆共同体として表現されることになる。氏は述べる。「返還されると経済的にマイナスなのに、そのマイナスを覚悟で返還を要求するという、その気概こそが今求められていることなのである」(147号12頁)。「私は丸山氏より、人間(すなわち沖縄の人間――筆者注)をもう少し信頼したい」(147号13頁)。
それに対し丸山氏は、このような沖縄ナショナリズムを共有していない(あるいはできない)。だから氏の所論――例えば「環境資源は、通常市場価格こそ存在しないが、生活や生産に多大な便益を与えている。『グリーン GNP』は環境上の『富』の増加や減少をも含めた真の経済的な福祉の大きさを表わす指標である」(138号12頁)という書き方――に、古き良き沖縄へのノスタルジーの匂いもない。むしろ丸山氏は、「環境」というグローバルな市民言説を援用しつつ、沖縄のこれからを、古い沖縄への回帰ではなく、沖縄のいまをどう組み換えて行くかという観点で考えているように見える。だからこそ氏は、長期的なビジョンの必要性を訴えるのだ。付け加えれば、両者の立場の違いに、沖縄戦体験の有無を軸にした世代間対立(若い丸山氏と先輩の来間氏)やヤマト(丸山氏)とウチナー(来間氏)の葛藤――これらもまた先に述べた二項対立の一例である――が影を落としていると見ることも可能かもしれない(もちろん的外れかもしれない)。
そして私はと言えば、来間氏の掲げる沖縄民衆論にも、丸山氏の掲げる環境言説にも、それぞれ意義を認めつつも、一定の留保を付けたいと考える者である。そのことを、「大田知事・革新勢力はなぜ負けたのか」という二氏の論争における第4の論点に沿って考えたい。
論点4‥大田知事・革新勢力はなぜ負けたのか
来間氏は、大田知事・革新勢力が稲嶺知事・保守勢力に負けたのは、「私の論で人々を納得させる取り組みがなされていないからなのである」(139号5頁)と述べる。沖縄戦および戦後の歴史的体験によって基礎付けられる沖縄民衆共同体を以て、今なお厳然と存在とする米軍基地とそれを容認するヤマトの暴力(経済振興策)の問題を照射しようとする来間氏の論考に深い共感を覚えつつも、そこに欠けていると感じるのは、復帰後、特に冷戦後の沖縄が遂げている構造的変容のありさまと、それが人々の意識に与える影響の具体的な分析である。豊かさという「他者」が沖縄社会に与えている不可逆的な影響と言い換えてもいい。復帰後の「本土並み」政策(基地押し付けのための沖縄懐柔策)のみならず、経済・文化活動のボーダーレス化(外部世界の資本・商品・生活スタイル・思想・人(例えばアメラジアンや旅行者)の沖縄社会での増殖)、メディアの脱場所化(ケータイやコンピュータの浸透)、沖縄戦や復帰前の沖縄を知らない世代の登場、沖縄ブランドの全国的認知とその商品化などの複合的な理由によって、沖縄社会の流動化・断片化・多様化や歴史感覚の揺らぎが起きているのだが、そういった沖縄の「いま」に対する目配りを感じないのだ。例えば、氏は「沖縄県民が、厳しい戦争体験を持ち、平和への願いを内に秘め」(138号付録4頁)ていると述べるが、戦後生まれが人口の7割以上を、また復帰後に生まれた世代が人口の3分の1以上を、それぞれ占める現状を考えるとそのまま首肯できない。名護や辺野古の問題に限っていえば、今新たに生まれつつある階級格差の問題を考慮することなしに、革新(基地に反対する人々)が善で保守(基地を容認する人々)が悪であるという単純な二項対立をふりかざすこと(138号付録8頁の辺野古やヤンバルに関する記述参照)にあまり意味があるとも思えない。例えば、(1)復帰後北部中産層の経済的自身を取込んで成長した革新勢力(「逆格差論」はそのような自信の政治的・思想的表現である)が現在の不況の中で細っていく一方、中産層からこぼれ落ちた人々の不安や彼らのヤンバルの人間としての誇りや意地を、保守勢力(ひいては日本政府)が公共事業という社会福祉事業で救済しながら回収している状況や、(2)基地に反対する人々の中に多額の軍用地料を得ている人々が含まれている事実、などを見据えることなしにヤンバルの複雑なリアリティに肉迫できるとは思えないのだ。
他方、丸山氏は、「大田が稲嶺に負けたのは、基地撤去が沖縄の『経済』にとってプラスであることを選挙民に納得されることができかったこと」(146号15頁)にあると述べる。そして、プラスであることを選挙民に納得させるために、氏は「環境」を中心とする市民言説をもって沖縄のこれからを語る。私は、資本主義下で数量化できる生産活動のみが労働ではない、という視点につながる氏の論点を一般論としては評価するものだが、沖縄という文脈の中ではこのような行き方にも一定の留保をつけたい。ヤンバルの基地容認派のみらならず反対派の中にも、北部を薪や水や人材の供給地として使い、あるいは振興策(=美味しいところ)取りをし、あるいは人々を「名護ヤンバラー」と呼んで揶揄してきた中南部への、独特の歴史的対抗的感受性が存在する。そういった感受性が、環境や平和や人権といった「一般的」な――と彼等には感じられる――理念の中に解消されていくことへの反発を看過して(氏の所論には全般に、沖縄の「現場感覚」とでもいうべきものが欠けているように感じる)、「環境」の言説――誰も反対することができない、いわば無誤謬な言説――を使うことに危惧を感じるからだ。
大田知事・革新勢力が負けた理由は、おそらく二氏の所論のどちらにもない――その<間>にある、というのが私の見方である。具体的には次のようなことだ。世界および本土の経済力は時の流れと絡み合いつつ、一方で、復帰以前に存在した沖縄の「民衆」の基盤を掘り崩している。けれども他方で、この外部の経済力を主体的に取り込んでいく時、沖縄は、文化的自己肯定感覚とともに、新しく多様な政治のスタイルも獲得しつつあるように見える。つまり、沖縄県民はもはや抑圧された一枚岩的な「民衆」としてよりは、みしろ多様で自信を持った「市民」として、沖縄社会という複雑なキルトに、その多様な生きざまを、想念を、織り込みつつあるのではないか。「市民」とは、地域共同体の持つ、ある意味で抑圧的な、またある意味では心地良い空間から一定の自律的批判的な距離をもちつつ、なおその共同体に根ざして生きる者の謂いである。つまり、今日沖縄のさまざまな運動の中で謳われる「市民」という言葉は、沖縄の地縁や血縁に基づいた伝統的人間関係を脱した、自由で平等な近代的個人(丸山氏の掲げる環境言説は主に彼らに(だけ)向けられているように見える)という意味合いと、沖縄XX「市」という、かけがえのない場所の歴史の記憶を畳み込んで生きる地域住民(来間氏の標榜する沖縄民衆共同体論は主に彼らに(だけ)向けられているように見える)という意味合いの二つがかけられている、いわば政治的な掛詞なのだ。そういった「市民」――そこには基地や安保に対して態度を明確にしない多数の人々が含まれる――によって生きられる多様な現実に接近する努力が、大田知事・革新勢力・私たちによって充分になされていなかった/いないのではないか、と私は考えている。
おわりに
「市民」の抱える多様な現実への接近は、経済問題が様々な生活社会領域(とそれを考察する学問の諸分野)を横断している、という基本な認識なしにはなしえない。つまり、経済学は、好むと好まざるとにかかわらず、専門家だけにではなく、すべての人に開かれ、生きられているのだ。経済問題をそのような観点から取り上げ、また掘り下げてくださった来間氏と丸山氏に謝意を述べ、またこの論争がより豊かで建設的なものになることを願いながら、本稿を終えたいと思う。(なお、本稿の論述に、雑誌『思想』(岩波書店)2002年1月号掲載の拙稿「グローバル化の中の『沖縄イニシアティブ論争』――記憶、アイデンティティ、基地問題――」と一部重なる所がある事をお断りしておく。)
F04.1.15来間泰男「丸山氏からの『再々反論』への返答」
一坪反戦通信 152(2004年1月15日)/沖縄・一坪反戦地主会・関東ブロック
丸山氏からの「再々反論」への返答
丸山氏は、自らの論証が「大雑把なもの」と認めつつも、なお「基地撤去は金銭的にもプラス」「単純な金の動きでは基地撤去がマイナスとしても、基地の『社会的費用』を勘案した全体で考えた場合、経済的効果はプラスになる」と言い続けている。
また、私が「(今では)『軍用地に取られておいてよかった』というのが圧倒的多数の地主の気持」(傍線丸山)と現実をきびしく指摘したことについて、「そうかどうかははなはだ疑問ではあるが」とつぶやきながらも、「『取られておいてよかった』と考えても自然のことだ」と、私の指摘を受け入れた。そのうえで「しかし、個々の地主の利益と、沖縄県全体の経済的利益とは必ずしも一致しない」と続けている。
私は、軍用地料が高いことを理解してもらうためにこの現実を引き合いに出したのである。地主たちが高い地料に満足しているということは、返還後の土地利用による金銭的収入は、この高い水準を超えることは困難だということであり、この一事を見ても、「基地が撤去されたら経済的にプラスになる」などと楽観することはできないと主張しているのである。丸山氏は今、軍用地料に満足している地主たちの存在に気付いた。なのに、「撤去後プラス」説を譲らない。
そして、「撤去後プラス」は「十年、二十年先、あるいはもっと先だろう」と、言う。丸山氏はいくつかの資料を挙げており、「基地と経済」について、この間いろいろと勉強されたらしい。結構なことである。そして、「撤去後プラス」を簡単に説明できると思ったのに、そうではないことに気付かれたらしい。そして、その「プラス」になる時期を延々と先に延ばすことによって、あくまで「プラス」説を固持しようとされている。
もう、宜しいのではないか。私は今後とも「基地の撤去は経済的にはマイナスだが、それでも基地を撤去させよう。基地の存否問題を経済の問題にするな。平和と人権と自由と人間の尊厳の問題としてのみ考えよう」と言い続ける。丸山氏は「基地の撤去は経済的にプラスだ。だから基地を撤去させよう」と言い続けたらいい。いずれも基地の撤去を目指すという共通点があるのだから、敵対することはない。それぞれでやっていこう。どちらが世論を獲得するかは、そのうち分かるだろう。
2004年1月9日
E03.10.28丸山和夫「来間泰男氏の批判に答える」
一坪反戦通信 150(2003年10月28日)/沖縄・一坪反戦地主会・関東ブロック
基地撤去は「経済」的にマイナスか?/
来間泰男氏の批判に再び答える
再び、来間氏への反論を試みる。しばらく間があいてしまったことを来間氏と読者に深くお詫びする。
さて、来間氏は主要な論点をまとめた部分で、まず次のように書いている(本誌第147号)。
……丸山氏は初めには「基地撤去が経済的にマイナスになる」ことを認めた。そのことに「議論の余地はない」と。しかし、基地が撤去されたら、その経済的マイナスを補う「潜在的要素」があるかといえば、「私[丸山氏]はあると思う」として、一定の論証をした上で、「これでも基地を撤去したら<金銭的にはマイナス>になるのであろうか」と結論を逆転させた。(傍線丸山)
きちんと読んでもらえれば誤解の余地はないはずだが、「結論を逆転させ」てはいない。基地撤去に関するプラス・マイナスを秤にかけるために、論証の前段として、軍用地料・交付金などがなくなるから、その部分は金銭的にマイナスだとした。もちろん結論ではない。次に後段で、プラスとなりうる(潜在的)部分を議論し、差し引きすると基地撤去はプラスという結論を導いたわけである。
その後段部分の論証は、ごく簡単にまとめると、「基地の占有面積(県全体で10%、本島で20%)に比べて、そこから得られる収入は不当に低い(県民総所得の5%)、つまり基地の存在は沖縄の経済にとってマイナス要因である。従って、基地撤去は沖縄経済にとって総計ではプラスになる」という論理であった。
来間氏が「県民所得は土地面積に比例するものではなく、すべての経済活動の結果である」と書くように、右記の論証は大雑把なものだ。それは、一つには、(何度も云うように)、単純な金の動きでは基地撤去がマイナスとしても、基地の「社会的費用」を勘案した全体で考えた場合、経済的効果はプラスになると考えていること。また、土地返還が、即、収入や雇用に繋がらないことは自明であって、それ故、プラスになる潜在的要素ではあるが、やり方を誤れば、マイナスになる可能性も否定できないと考えたこと。さらに、土地の利用形態(山林・農地・都市など)によって、そこから得られる所得は異なるとしても、以下に述べるように、在沖米軍基地の所有形態の特殊性のために結論はあまり変わらないからである。
面積比と所得比は対応しあうものではない。山林の所得獲得力が、農地より低く、ましてや都市的土地利用と比べて大きく落ちることは自明である。したがって、丸山氏の示す数字は、基地の多くが山林に設定されているにもかかわらず、標準よりはるかに高い所得を獲得できている現実を示すものなのである。これは、基地が返還されたらもっと多くの所得を獲得できることを示しているのではなく、その逆である。
として、来間氏は私の論理は間違いだとした。「面積比と所得比は対応しあうものではない」のは確かだ。だから、私の前回の議論では、「潜在的要素」としたのである。所得獲得力において、山林が農地より劣り、都市的利用よりさらに劣ることは自明だろうか。一般的にはそうだろう。しかし、必ずしもそうではない。「基地が返還されたらもっと多くの所得を獲得できることを示しているのではなく、その逆である」かどうか、具体的に検証してみよう。
沖縄の米軍基地の70%近くは北部の山林に設定されている。
と来間氏は書く。これは、在沖米軍基地面積(2.43万ヘクタール)で北部にある米軍基地面積(1.68万ヘクタール)を除したものと思われる(1.68/2.43=69.1%)。正確には、「在沖米軍基地の70%近くが北部に設定されている」、とすべきだろう。北部がすべて山林ではないのだから。
さて、この検証には基地の所有形態を考慮に入れる必要がある。沖縄と本土の米軍基地の大きな違いは所有形態であると言われている。つまり、沖縄の米軍基地は本土に比べて民有地の比率が多いと。確かに、本土の米軍基地はその87%が国有地であり、一方、在沖米軍基地は国有地・民有地・県市町村有地がそれぞれ約三割を占め、民有地の割合が高い。この傾向は中部(76%)、南部(73%)においては顕著である。しかし、これは北部には当てはまらない。北部では民有地の割合は13.5に過ぎない。
「やんばる」地域の米軍基地の大部分を占める北部訓練場は、国頭村と東村にまたがる(計7800ヘクタール、在沖米軍基地の約32%)。東村部分はすべて国有地、国頭村部分も民有地は12.6ヘクタールだ。年間賃貸料は約4.6億円(地主数七十人)。基地従業員はゼロ。両村の基地関連収入を足しても7000万円に満たない。沖縄県全体の基地収入を1831億円(99年)とすると、広大な北部訓練場は、現在、沖縄経済にほとんど寄与していないことがわかる。
名護市・宜野座村に広がるキャンプ・シュワブは民有地が4分の1で、ほとんどは名護市有地である。年間賃貸料は16.8億円。キャンプ・ハンセンは民有地が18%、8割近くは市町村有地である。賃貸料は56.3億円。
金武町(34.7%)、宜野座村(24.6)、恩納村(28.5%)などでは、歳入総額に占める基地関係収入の割合は異常に高いが、沖縄県全体の基地収入、あるいは経済規模を考えると、在沖米軍基地の7割を占めながら北部にある基地の経済的寄与度はきわめて小さいといえる。つまり、北部に関しては(山林が)「標準よりはるかに高い所得を獲得できている現実」があるとしても、それは少数の地主のわずかな土地に対してであって、絶対額としてはきわめて小さい。したがって、沖縄県全体としては、北部にある基地の返還による経済的損失はほとんど無視できるだろう。
沖縄県は、全国に比べて第2次産業の比重が低く、第3次産業の比重が高い(県内総生産の構成比で86.1%、2000年)という特異な産業構造をもつ。なかでも、観光・リゾート産業を中心とするサービス業の構成比は33.9%と全国(24.8%)を大きく上回っている。一方、製造業は構成比5.3%(全国平均=21.6%)。製造業が飛躍的にのびることはほとんど期待できないことから、今後も観光・リゾート産業の比重は上がることはあっても下がることはないと考えられる。そうすると、現在沖縄経済にほとんど寄与していない北部の基地が返還されることは大きな意味を持つ。特に、「やんばる」は(幸いにも)大規模な開発を免れ、天然林が広く残っている。しかも、人跡未踏の急峻な山地というわけではない。最高峰の与那覇岳でも503メートル。里山のようなものだ。ほとんどが国有地であるから、国立公園として、少ない投資で、海・山の融合した魅力的な観光地となりうる。この場合、土地は最も重要な要素であろう。山林であっても、否、良質な山林であるからこそ、現在よりもはるかに高い収益が上がる可能性がある。
次に中部の基地を検証する(南部の基地は在沖米軍基地の1%強だから、ここでは割愛)。中部の基地は在沖米軍基地の約3割を占める。県全体の約3%、本島の約6%。ここから県民所得のほぼ5%(北部・南部の基地はほとんど経済的に寄与していないので、ここでは基地収入としての全部が中部とした)が基地収入として得られる。ほぼ面積に見合った収入といえるかもしれない。しかし、これは嘉手納町(82.8%)、北谷町(56.4%)、宜野湾市(33.1%)など、異常な高率で都市の主要部分が占拠されている代償に見合う数字であろうか。市町村の歳入総額に占める割合(嘉手納町=29.1%、北谷町=13.0%、宜野湾市=6.0%)は面積比から考えると、はるかに少ない。「これ以上のショッピングセンターの立地を許す状況にない」のは理解できるが、「公共施設……の必要面積は限られて」おり「住宅地も供給過剰の時代を迎えている」という部分はそのまま首肯はできない。一人あたりの都市公園面積は全国36位、公民館数42位、博物館数45位、というように必ずしも沖縄県の公共施設が充実しているわけではない。また、一世帯当たりの住宅戸数は1.13戸で、量的な面においては充足しているものの、持ち家比率は54.3%で全国45位、一人あたりの延べ床面積は26平米で全国47位、誘導居住水準以上世帯割合は37.3%で全国45位と質的には劣悪である。土地の返還がすべてを解決するわけではないが、都市部の土地の供給によって、かなりの改善が期待できよう。
土地が接収されて困ったのは、戦後初期の農業中心時代のことである。そのときは困ったのであるが、そのうち軍用地料が引き上げられて事情は変わった。いまや、経済的(金銭的には)にペイするどころか、「軍用地に取られておいてよかった」というのが圧倒的多数の地主の気持なのである。
と来間氏と書く。<「軍用地に取られておいてよかった」というのが圧倒的多数の地主の気持(傍線丸山)>かどうかははなはだ疑問であるが、働かずにある程度の金の入る状況は、多くの人間にとって手放したくないことだろう。土地返還が、即、収入や雇用に繋がらないことは自明である。軍用地料を凌駕するためには、投資や努力も必要となるだろう。もちろん、経済が右肩上がりの状況とはほど遠い現況では、かなりの危険を覚悟する必要もある。だから、若い人ならまだしも、60歳以上の高齢者が6割を占めるという地主が「潜在的」可能性にかけるよりも、現状をある程度認めるというのは容易に理解できる。前述したように、北部訓練場では、民有地の地主70人に対し4.6億円の借地料が払われている。平均したら一人600万円強。毎年山林からこれだけの不労所得が得られるのだから、「取られておいてよかった」と考えても自然のことだ。しかし、個々の地主の利益と、沖縄県全体の経済的利益とは必ずしも一致しない。
丸山氏は、基地契約を拒否する「反戦地主」が激減している現状をどうみているのか。返してもらった方が「潜在的な収入や雇用」が顕在化して、経済的(金銭的)にプラスになるのなら、多くの地主が「反戦地主」になるはずではないか。
と来間氏は問う。「反戦地主」激減の理由は、税金での不利益、血縁・地縁の圧力、細切れ返還などの嫌がらせなどが挙げられようが、それは主要因ではない。<「潜在的な収入や雇用」が顕在化して、経済的(金銭的)にプラス>にもっていくことは、地主個人の努力だけではまず不可能である。一朝一夕にはいかないのだ。基地汚染の除去に金と時間かかる例は、沖縄でもフィリピンでも米本土でも枚挙にいとまはない。たとえ現時点で基地撤去を開始しても、基地のない自立した新生沖縄ができるのは、10年、20年先、あるいはもっと先だろう。私がこの間の議論で、「潜在的要因」と何度も繰り返しているのは、逃げ道として使っているわけではない。行政が地主を支え、長期的展望で基地の跡地利用を考えることが不可欠なのだ。戦後半世紀余、復帰後30年以上、日本政府はもちろん、沖縄県も、基地撤去を本気で視野に入れた行政をしてこなかった。それがない状況では、強固な意志を持つ一握り人々しか「反戦地主」として残り得ないだろう。
許された字数がつきてきた。来間氏の@〜Dについては残念ながら次の機会にまわすことにする。Eで、来間氏は私(丸山)の<経済論は勘違いの論でしかない。その勘違いをもとにして「楽観」されても、展望は開けない>、<なぜ私がそのように主張したかを、その論拠にそって検証すべきではないか>と書かれた。一応、論拠にそって検証したつもりである。「勘違い」かどうか来間氏及び読者の批判を待ちたい。(ま)
統計データは左記を参考にした。
『沖縄の米軍基地』(1998年 沖縄県基地対策室)/『沖縄の米軍及び自衛隊基地(統計資料集)』(1998年 沖縄県基地対策室)/『統計でみる沖縄県のすがた(沖縄県経済の概況 2002年一月版)』(内閣府沖縄総合事務所)/『沖縄の住宅事情』(沖縄県 1998年の統計)
D03.6.24来間泰男「丸山氏への回答」
一坪反戦通信 147(2003年6月28日)/沖縄・一坪反戦地主会・関東ブロック
基地撤去/沖縄経済にプラス?マイナス?/丸山氏への回答
私の「(ま)さんの批判に答える」(02年8月27日、『一坪反戦通信』第139、02年9月28日掲載)に対して、「(ま)さん」こと丸山和夫氏から「反論」が届いた。これにコメントしたい。
主要な論点は、基地が撤去されたら、沖縄経済はプラスになるのかどうかということで、私はマイナスとしたが、丸山氏は「もっとよくなる」という主張である。両者とも基地を撤去させたいとの立場でありながら、経済の実態と将来展望で分かれているのである。以下、やや具体的に論を進めたい。
私は「基地撤去が経済的にマイナスになる」ことを論じて、「(ま)氏はこれを認めないのかどうか」、また「次に、認めるとしても『もっとプラスになる』という要素が提起できるのかどうか」と問いかけた。
これに対して、丸山氏は次のように答えている。「基地撤去によって、軍用地料も基地交付金も軍雇用員の賃金も無くなる。これはカネの動きとしてはマイナスである。議論の余地はない。問題は、基地撤去にこれを補う潜在的要素があるかどうかだ。私はあると思う。カネの動きだけでも」、と。
具体的には3つの点を指摘した。そして「つまり、基地の存在によって、その土地から得られる潜在的な収入や雇用が押さえられている」と結論している。「これでも基地を撤去したら<金銭的にはマイナス>になるのであろうか。もちろん、これに『生活の質』を何らかのかたちで貨幣価値に置き換えることができれば、プラスはさらに増えるだろう」。
つまり、丸山氏は初めには「基地撤去が経済的にマイナスになる」ことを認めた。そのことに「議論の余地はない」と。しかし、基地が撤去されたら、その経済的マイナスを補う「潜在的要素」があるかといえば、「私[丸山氏]はあると思う」として、一定の論証をした上で、「これでも基地を撤去したら<金銭的にはマイナス>になるのであろうか」と結論を逆転させた。つまり、「基地が撤去されても、経済的にマイナスにならない」という。
丸山氏は、その「潜在的要素」を裏づけるものとして、いろいろな数字を挙げている。これらが「面積に比して、基地から得られる収入の割合ははるかに少ない」ことを示しているかどうか。沖縄県の面積に占める基地面積の比は10.4%(丸山氏は数字を示していないが)、なのに「軍関係受取は県民所得の4%、6%を占めているにすぎない」、だから軍関係受取が2倍になるほどの所得獲得の可能性を示している、という論理である。
県民所得は土地面積に比例するものではなく、すべての経済活動の結果である。土地をわずかしか使わないでも大きな所得をあげる企業もあれば、農業のように広い土地を使いながらも小さな所得しかあげることのできない分野もある。山林などはほとんど所得を生まない。これらすべての結果が県民所得として集計される。
丸山氏は、基地は面積比で10%なのに所得比で5%しかないのは、基地が所得獲得を削減しているから、としている。面積比と所得比は対応しあうものではない。沖縄の米軍基地の70%近くは北部の山林に設定されている。山林の所得獲得力が、農地より低く、ましてや都市的土地利用と比べて大きく落ちることは自明である。したがって、丸山氏の示す数字は、基地の多くが山林に設定されているにもかかわらず、標準よりはるかに高い所得を獲得できている現実を示すものなのである。これは、基地が返還されたらもっと多くの所得を獲得できることを示しているのではなく、その逆である。
北部の山林にある基地が撤去されたら、経済的にはほとんど利用ではない。つまり、所得は生まないのである。それが、高い軍用地料を受け取っているという現実が異常なのである。中部には返還後は農地となりそうなところもあるが、農業をしたら、今の高い軍用地料の水準の所得は期待できないのである。これが偽らざる沖縄の現実である。
さらに言おう。都市地域の土地が返還されたら、一般的には商業地域や住宅地域が増加して、経済的にはプラスになることが予想され、期待されよう。しかし、沖縄本島100万の人口という「消費需要」の小ささは、これ以上のショッピングセンターの立地を許す状況にない。公共施設が立地するだろうが、その必要面積は限られている。返還地の多くは、消費するのみの住宅地として使うほかない。その住宅地も供給過剰の時代を迎えている。
土地が接収されて困ったのは、戦後初期の農業中心時代のことである。そのときは困ったのであるが、そのうち軍用地料が引き上げられて事情は変わった。いまや、経済的(金銭的には)にペイするどころか、「軍用地に取られておいてよかった」というのが圧倒的多数の地主の気持なのである。
丸山氏は、基地契約を拒否する「反戦地主」が激減している現状をどうみているのか。返してもらった方が「潜在的な収入や雇用」が顕在化して、経済的(金銭的)にプラスになるのなら、多くの地主が「反戦地主」になるはずではないか。
以上述べたように、返還されると経済的にマイナスなのに、そのマイナスを覚悟で返還を要求するという、その気概こそがいま求められていることなのである。返還されたら「経済的にプラスになる」という「幻想」に頼って行なわれている「反戦」運動なら、長くは続くまい。多くの賛同は得られまい。
以下、本題からは少しずれることも含まれるが、丸山氏の提起したことに答えるとすれば、次のようになる。
@丸山氏は「私としては講演を拝聴して、<そもそも「富」については論じていない>ところに違和感を感じてあの文章を書いた」という。私は「富」とは何かを論じていない。しかし、「富」をひたすら求める風潮には異議を唱えている。
A丸山氏は「沖縄の過去・現在・未来を論じるときに、狭義の『経済』(カネの動き)だけを対象にしてもあまり意味がない。私は(広義の)『経済』とは、単なるカネの動きではなく、人々の『生活の質』をも数量化したものと理解している(門外漢が勝手な定義をしては困ると言われそうだが)」という。立派なご意見で、私のようなちっちゃな経済学者には手に負えない大きな課題であり、質を量で表わすにはどうしたらいいか、私には皆目分からない。
B丸山氏は『広辞苑』から「富」の定義を引用して、「『財』は単なるカネではなく、安心して暮らせるという『生活の質』をも含めたものだ。つまり、単なる狭義の『経済』ではなく、『生活の質』を含めた『広義』の沖縄経済を論じてもらいたかったということである。『富』ではなく、そのまま『経済』を使うべきだったかもしれない。その点は反省している」という。
『広辞苑』には「富」とは「特定の経済主体に属する財の総和。経済財で、貨幣価値を持って[以て−来間]表示される」とあるらしい。ここに、単なるカネではなく、「生活の質をも含めたもの」と書かれているだろうか。財とはカネで表示されるものと言っているのではないか。
かの「編集後記」での自分の発言をその文言に即して述べるのではなく、表現を変え、新しい論点を持ち込んでくるのでは、対応は難しい。
C丸山氏は「大田が稲嶺に負けたのは、基地撤去が沖縄の『経済』にとってプラスであることを選挙民に納得させることができなかったことだ」と考えている、という。「来間氏と大田が、経済振興策への評価など多くの点で異なっていることは理解しているつもりだ」ともいう。 私によれば「基地撤去が沖縄の『経済』にとってプラスである」などと主張することは詐欺なのであり、大田にあらずとも、このようなプラス宣伝は事実に反しているために、県民の認めるところとはなりえない。なお、丸山氏が、私と大田の違いを理解を示してくれたことに感謝する。いわゆる「経済振興策」は、基地の容認と引き換え条件としてあるのであって、大田は今の稲嶺につながる、そのような「経済振興策」獲得路線の定置者であった。
D丸山氏は次のように言う。「来間氏は、<私の意見は少数意見に留まっており、これが多数意見になることがなければ、『革新勢力は保守勢力に負け』続けるだろうし、知事選挙で勝利しても、沖縄を正しい方向に導くことはできないであろう>という。残念ながら氏の意見が多数意見になることはないと私は考える」。
丸山氏がそう言うのは、次の理由からである。「<『金は欲しい』と言い、金を『富』として求める人々の立場を容認する>[これは私が丸山氏に対して言った言葉である]のは、それが悲しいかな人間の現実だと思うからである。だから、<経済的にはマイナス>だったら、それは多数意見にはならないだろうと悲観しているわけである」。
私は丸山氏より、人間をもう少し信頼したい。人間のすべてがカネの亡者ではない。そして、時代の進展とともに、カネよりも、心や自然や環境を大事に思う人々が増えつつある。その方向に期待し、それを助長したい私と、そんな人間が多数になることはないと、「悲観」する丸山氏との、違いが対照的に示されている。
基地撤去は「経済的にはマイナス」である、「マイナスであっても、基地は無くすべきだ」というのが、私の主張であることは、丸山氏も紹介していただいているとおりである。しかも、私は「経済的にはマイナス」であっても、「打撃的なマイナスではない」とも述べている。基地問題は平和の問題であり、経済をからませてその是非を論ずべきではない。この主張が多数意見になる日を夢見ている。
E丸山氏は「しかし、私は、右記のように<基地撤去は経済的にも『ペイする』>と楽観している。だから、多数意見として基地撤去は可能だし、そのことによってのみ沖縄の未来が開けると確信しているからこそ一坪地主になったのだ」という。カネの亡者となっている人間を変えることに「悲観」している丸山氏は、ここでは「独自の経済論」を持ってきて、基地撤去後の沖縄経済を「楽観」している。
すでにみたように、丸山氏の経済論は勘違いの論でしかない。その勘違いをもとにして「楽観」されても、展望は開けないと言わなければならない。
私は、「基地がなくなれば経済的にプラスになる」という論に対して「反対」だと主張した。丸山氏がそれと反対の意見を言うのであれば、なぜ私がそのように主張したかを、その論拠にそって検証すべきではないか。
丸山氏に限らず、通常聞きなれた議論とは異なる私の議論に初めて接した多くの人々が、「すぐに納得」ではなく、「まず反発」を感じただろうと私は予想する。しかし、互いに真実を求めていこうではないか。私の議論が基地の撤去運動にマイナスと考えるのか、どうか。沖縄経済のきびしい、か弱い真実にいつまでも目をつむって、「経済発展」の幻想を、いつまで追いかけ続けるのか。
そうであれば、政府は、今後とも次から次へと「経済振興策」を提起して、基地容認者を増やし、沖縄県民を懐柔していくことであろう。
C03.5.28丸山和夫「来間泰男氏の批判に答える」
一坪反戦通信 146(2003年5月28日)/沖縄・一坪反戦地主会・関東ブロック
基地撤去は「経済」的にマイナスか?/
来間泰男氏の批判に答える
私(ま=丸山和夫)の書いた本誌第138号の編集後記について、来間泰男氏からご批判が寄せられた。(第139号に掲載)。再反論を約束しながら延び延びになってしまったことを来間氏と読者にまずお詫びしたい。昨年末に大学を辞めて山暮らしを始めたため、生活に追われてなかなか時間がとれなかった、というのは言い訳にすぎないが、ここに遅ればせながら再反論を試みたいと思う。<>は引用部分。
編集後記の<「富」とは単なる金ではない。(中略)「グリーンGNP」は環境上の「富」の増加や減少をも含めた真の経済的な福祉の大きさを表す指標である>に対して来間氏は<私は「『富』とは金である」と述べただろうか。そもそも「富」については論じていない。私が「経済問題としての基地は、カネを撒くという意味でプラスといわざるをえ」ない、といっているのは、「富」を論じているのではない。おっしゃるとおり「環境」は福祉の指標としては大きな要素であろう。しかし、「経済」というものはカネが増え、カネが動き回れば「発展」するものなのである。つまり、「経済」や「経済発展」というものは、そもそも「善」ではなく、「善悪」併せ呑むシロモノなのである。そのような「経済」にとって、基地がもたらすカネは「プラス」に作用する、と私は言っている。そして、ぜひ読み取ってほしいことは、「経済的にプラス」だから基地を容認しようとは決して言っていないことである。このような私の議論に「『富』とは金である」という主張が含まれているか、再度ご検討願いたい。>と批判された。
氏が<「経済的にプラス」だから基地を容認しようとは決して言っていないこと>は、講演でも著書でも<マイナスであっても基地は無くすべき>と、再三述べられていることだから、そこを誤解しているわけではないことをまず断っておこう。
さて、なるほど、来間氏の講演(第138号に全文掲載)では「富」という言葉は一度も使われていない。<「善悪」併せ呑む>「経済」の話だ。私としては講演を拝聴して、<そもそも「富」については論じていない>ところに違和感を感じてあの文章を書いた。狭義の「経済」は氏の言うように<カネが増え、カネが動き回れば「発展」するもの>なのだろう。しかし、「経済」学がカネの動きを追うだけだったら、良く言っても単なる統計。それではとても、<経済学が、科学の中でもっとも芸術的なものであり、芸術の中でももっとも科学的なものであるといわれる>(『宇沢弘文著作集 新しい経済学を求めて』)ことはないだろう。沖縄の過去・現在・未来を論じるときに、狭義の「経済」(=カネの動き)だけを対象にしてもあまり意味がない。私は(広義の)「経済」とは、単なるカネの動きではなく、人々の「生活の質」をも数量化したものと理解している。(門外漢が勝手な定義をしては困ると言われそうだが)。「富」とは<特定の経済主体に属する財の総和。経済財で、貨幣価値を持って表示される>(『広辞苑』第四版)もの。編集後記の文脈では「特定の経済主体」とは沖縄の人々。「財」は単なるカネではなく、安心して暮らせるという「生活の質」をも含めたものだ。つまり、単なる狭義の「経済」ではなく、「生活の質」を含めた「広義」の沖縄経済を論じてもらいたかったということである。「富」ではなく、そのまま「経済」を使うべきだったかもしれない。その点は反省している。
次に、来間氏は<まずは(ま)氏に納得してもらわねばならないようだ>として、<私は、基地撤去が経済的にマイナスになる要素を挙げた。(ま)氏はこれを認めないのかどうか。軍用地がなくなるのだから軍用地料はなくなる、軍雇用員も解雇される、などのことを認めない人はいないと思うが。次に、認めるとしても「もっとプラスになる」という要素が提起できるのかどうか。私はできないと述べた。(ま)氏はできるのか、それを問いたい>という。基地撤去によって、軍用地料も基地交付金も軍雇用員の賃金も無くなる。これはカネの動きとしてはマイナスである。議論の余地はない。問題は、基地撤去にこれを補う潜在的要素があるかどうかだ。私はあると思う。カネの動きだけでも。
たとえば、市町村の面積に占める米軍基地の割合と基地依存度を見てみよう。土地は生産の基本的要素(生産財)である。この表から読みとれるのは、面積に比して、基地から得られる収入の割合はるかに少ないということだ。県民所得で見ると、総県民所得は95年では2兆7241億円(「日本復帰前後の沖縄経済」来間泰男 翰林日本学研究 第六集)であるが、軍用地料(670億円)と軍雇用者所得(523億円)合わせて1193億円。軍人・軍属消費支出(477億円)を加えても1670億円であるから、「軍関係受取」は県民所得の4%、6%を占めているにすぎない。さらに、軍雇用者の割合は全就業者数のわずか2%だ。つまり、基地の存在によって、その土地から得られる潜在的な収入や雇用が押さえられていることになる。これでも基地を撤去したら<金銭的にはマイナス>になるのであろうか。もちろん、これに「生活の質」を何らかのかたちで貨幣価値に置き換えることができれば、プラスはさらに増えるだろう。
大田が稲嶺に負けたのは、基地撤去が沖縄の「経済」にとってプラスであることを選挙民に納得させることができなかったことだと私は考えている。大田のこの点は、来間氏の<経済的にはマイナスであっても基地は無くすべき>と、選挙民にとっては相似だから例としてあげたのである。来間氏と大田が、経済振興策への評価など多くの点で異なっていることは理解しているつもりだ。
来間氏は、<私の意見は少数意見に留まっており、これが多数意見になることがなければ、「革新勢力は保守勢力に負け」続けるだろうし、知事選挙で勝利しても、沖縄を正しい方向に導くことはできないであろう>という。残念ながら氏の意見が多数意見になることはないと私は考える。私が<「金は欲しい」と言い、金を「富」として求める人々の立場を容認する>のは、それが悲しいかな人間の現実だと思うからである。だから、<経済的にはマイナス>だったら、それは多数意見にはならないだろうと悲観しているわけである。
しかし、わたしは、右記のように<基地撤去は経済的にも『ペイする』>と楽観している。だから、多数意見として基地撤去は可能だし、そのことによってのみ沖縄の未来が開けると確信しているからこそ一坪地主になったのだ。(ま=丸山和夫)
軍用地面積 基地関連収入
嘉手納町 82.8 29.1
金武町 59.6 34.7
北谷町 56.4 13.0
宜野座村 51.5 24.6
読谷村 46.9 11.3
基地所在市町村計 19.0 5.0
全県 10.7 4.0
市町村面積に占める米軍基地の割合と、歳入総額に占める基地関連収入の割合。単位は%
出典:『沖縄の米軍基地』沖縄県総務部知事公室基地対策室1998年
@「来間−(ま)」論争へのコメント
「基地撤去は経済的にはマイナス」をめぐって
来間さんの論点は明快である。沖縄経済の現実を前提にする限り、基地依存も日本依存も否定しがたいことから出発する。後者はともかく(この点は、来間さん自身が自立論に否定的であるがゆえに日本依存をことさら問題にしてはいない。「他府県並みに」というところであろうか。)、前者については「基地撤去は経済的にはマイナス」と言い切っている。この点が、(ま)さんの批判を買うことになった。来間さんは「軍事基地は絶対悪であるから無くすべき」ということを強調し、「経済的にはマイナスだが、基地は撤去すべき」という形で持論を展開し、いわば「基地問題」と「経済問題」を切り離すことを力説している。
これに対して、(ま)さんは、来間さんが「経済」という表現でいわば「銭金ゼニカネ」の話をしている時に、「『富』とは単なる金ではない。」という言い方で論点をずらしているように思われた。もちろん(ま)さんの論点が大切であることは重々承知の上で、しかし、それは来間さんも先刻ご承知のことであろう。だから、問題は、そのような「富」を持ち出した(ま)さんが、しかし「基地はいや、でも金は欲しい。それはしかたがないことだ。基地撤去は経済的にも『ペイする』ことを示さなければ、人々の総意に基づく基地撤去は不可能だ。」と語ることによって、銭金に問題を解消(元の木阿弥?)してしまったような読まれた方をしたことだろう。そして「経済学者にはそれが求められている。」と付け加えているが、だからこそ、来間さんの逆鱗に触れたようだ。それ故、来間さんは「そもそも大田こそ『基地カード』を振りかざして「経済振興策」を取り込もうとしていたのであり、その限りでは、稲嶺の場合と同一なのである。/『革新勢力が保守勢力に負けたのは』、私の論が間違っているからではなく、私の論では『人々を納得させることはできない』からでもなく、私の論で人々を納得させる取り組みがなされていないからなのである。つまり、私の意見は少数意見に留まっており、これが多数意見になることがなければ、『革新勢力は保守勢力に負け』続けるだろうし、知事選挙で勝利しても、沖縄を正しい方向に導くことはできないであろう。」と反批判を展開したのである。
私はここで沖縄の論壇を賑わせた「沖縄イニシァティブ」を想起した。
圧倒的多数の沖縄人が日本帰属を選び、そして30年後の現在「復帰は良かった」とする層が各種世論調査で70〜80%も占める(もっとも、逆に20〜30%もの沖縄人達が否定的であるという!)現実。更に、95年少女性暴力事件に端を発した「復帰後最大の島ぐるみ闘争」の終息からの「チルダイ」状況、そして稲嶺県政登場と全島総「保守」(=買弁)化。
強大な米軍と日本政府を前になすすべを失ってしまったかのような沖縄/沖縄人のアイデンティティにとって、否それ以上に、そうした現実と状況を前に沖縄/沖縄人の自尊心を逆手にとる形で「沖縄イニシアティブ」は登場した。彼らは、沖縄/沖縄人に向かって日本政府のアジアに向けた尖兵になることを強要・教唆したが、それこそ「胸を張ってあらゆる援助を受け入れよ、日本の一員として我が沖縄は基地を容認することでイニシァティブを発揮する。」という「買弁化」を開き直った宣言であった。
「絶対悪としての基地」を拒絶する来間さんとは正反対に位置していると思われる「沖縄イニシアティブ」論であるが、「基地は経済的にはプラス」とあからさまに言うことのできない、ねじれた感傷が「沖縄イニシァティブ」の根底にある、そして「絶対悪としての基地」を容認するためには、「基地はプラス」という「大義名分」が欲しかったのではないか、と思うのは読み過ぎか。比嘉良彦さんの「沖縄イニシアティブ」に対する「サイレント・マジョリティ」という言い方も、そうしてみると腑に落ちる。
軍用地主の絶対多数を組織している土地連への痛烈な批判を展開する来間さん(『沖縄経済の幻想と現実』1998日本経済評論社)は沖縄では圧倒的少数派であろう。反戦地主会の人たちも「土地連」への批判はつねに差し控えている。(参照・新崎盛暉『新版・沖縄反戦地主』1995高文研等)ここでは、FTZをめぐっての論敵である宮城弘岩さんが、「高すぎる軍用地料」があらゆる意味で沖縄を蝕んでいることにおいて、来間さんとほぼ同一の論調であることを付け加えておこう。(宮城弘岩『沖縄自由貿易論』1998琉球出版社)
もう一つ。ここで並べて論じるのはどうかと思われるが「居酒屋独立論」の時に触れられた問題も、私には看過できない問題である、と思われた。それは、高率補助に首までどっぷりと浸かりながら、居酒屋でのみ『沖縄独立』の怪気炎をあげる「居酒屋独立論批判」である。来間さんは基地依存を問題にしたが、新崎さんは補助金依存を問題にした。しかし、これは同根であろう。「復帰措置」としての「償い(金)」は、今や過重な基地負担の「償い(金)」と変化している。その点では西銘県政時の「格差是正」とは隔世の感がある。来間さんが前掲書で解き明かしているように、もはや「格差」は問題となりえない。沖縄の所得の低さも失業率の高さも、決して過疎化せず人口が増え続ける沖縄の現実が示しているように、住み良さ、暮らし良さ、日本との異質な社会・文化・生活故だけではなく、不労所得の「金回りの良さ」に依存している側面を見逃してはならないだろう。(しかし新崎さんは「高すぎる軍用地代」については言及してはいない。やはり来間さんの言うように、この問題は「タブー」なのであろうか。)
こうして、いわば沖縄の側から新たな「イモハダシ論」の展開が問われている局面にさしかかった、とも言える。「復帰闘争」の大昂揚を迎えつつある1968年、当時のアンガー高等弁務官が「基地撤去はイモとハダシに戻ること」と発言したことに対して「たとえイモハダシの生活に戻ろうとも基地撤去を勝ち取ろう」という声が湧き起こったが、来間さんは当時の想いを現在と重ね合わせているのだろうか。
来間さんは前掲書の中で「カラいばりで『基地が撤去されたら経済的にもっとよくなる』というのはよすべきだろうと思う。苦しいシレンを受けることになるが、それでも基地を撤去させようというべきである。」とも。そしてこれは、「居酒屋独立論」論争時に新川明さんが語った「血を流す覚悟」(注)と共鳴している。
来間さんは「基地撤去は経済的にマイナス」と断言し、さらに「基地がなくなれば経済的にプラスになるという主張もある。これにも私は反対する」としている。もちろん、前述の宮城弘岩さんの「(自立)経済」の最大の阻害要因たる軍事基地撤去による「FTZ・一国二制度・自立経済」論の提起(宮城さんも「基地撤去」とは相対的に区別されたものとしての「自立経済発展」の展望・方針を模索しているが。)も傾聴に値するし、松嶋泰勝さんの「内発的発展と海洋ネットワーク」も、その雄大な構想力の魅力にあふれている。がしかし、未だ「夢」や「希望」の段階の域を出ておらず、その限りでは、来間さんとかみあうまでには到っていないようも思われる。[「かみ合うわけはないではないか。そもそも来間さんは『併合主義者』なのだから……」という手厳しい批判を受けたことを付記しておきます。03.2.16」]
(ま)さんは「基地はいや、でも金は欲しい。それはしかたがないことだ。」と言ってしまったが、私には、それでは問題を曖昧にし遠ざけるようにしか思えない。ましてや「(お金は欲しい、でも)基地はいや。」というのは「高潔な人」だけのものではないはずある。(ま)さんが語るように、銭金ではない「富」をめぐる問題に踏み込むことは、銭金ではなく基地ゆえにますます貧しくなること(基地ゆえのマイナス面)を明らかにすること以外にない。その意味では「金は欲しい」ということに対する検証と批判ヌキに「仕方がない」と済ませてはならないと思われる。そうしなければ、(ま)さんの強調する「富」にたどり着くことは困難であろう。それは基地問題だけではなく、環境問題など多くの現代社会の歪み・病弊が我々に教えてくれていることでもある。ましてや、来間さんが舌鋒鋭く批判した土地連(個々の契約地主の生活や実態を別にすれば)は、決して「擁護」してはならないのではないだろうか。反基地闘争の昂揚が軍用地代を高騰させているというようなアイロニー、そしてそれに引きずられる形で全般的な土地騰貴などは、ほんのささやかな例にすぎない。
公共事業にすがりつく土建産業は決して製造業ではないが、沖縄における起業傾向が公共事業を当てにすることで、基地存続だけでなく、(日本政府による買収金にも似た)公共事業依存を前提にしてしまっていることなど、基地依存・日本依存を骨がらみにしている。
来間さんとは視角を異にするが、圧倒的勝利とされた稲嶺再選は「革新分裂」が主たる理由などではない。革新統一が出来たとしても惨敗を免れえなかったろうし、逆にそうであるが故に、分裂を惹起したのである。別のところで指摘しておいたが、声高に「日本の国家像の共同事業者に/批判者は帰属問題の態度表明を」(大城常夫)と語り、日本に従属すること、日本人として生きること抜きに「沖縄の未来」はないかの如く振る舞う、「沖縄イニシアティブ」の諸君との対質が求められている。少なくとも太田県政は、様々な毀誉褒貶に包まれたが−−その毀貶部分を一身に背負った「吉元政矩」の評判の悪さには辟易されられたが−−、その「自立志向」の一端をかいま見せたことは確かであろう。
(注)新川明「血を流すというのは、今の生活レベルをどれだけ落とせるかの話です。血を流さないままで今のおいしい生活のままでさらにおいしい独立を夢みるなんてこんなムシのいいことは話にならない。独立の決意とか決断とかは、自ら血を流せるか否かの決意、決断のことなのです。」(「<座談会>検証・独立論」『けーし風No.17』97.12)これは当然にも基地撤去に対しても当てはまる。
(2002.12.31)
A02.7.26来間泰男講演「沖縄の振興策をめぐって」
2002年7月28日一坪反戦通信 No.138 付録資料
一坪関東ブロック学習会・第5回 「沖縄の振興策をめぐって」
2002年7月26日 中野商工会館
講師・来間泰男氏(沖縄国際大学教授)
来間です。資料を三つ(注)用意しました。今日のために特別に用意したものではないですが、いずれも最近書いたものです。ひとつは、「やんばるの経済と『振興策』」というものですが、これはヘリ基地反対協で講演したときのメモを文章の形にしたものです。これについては今日はふれません。『翰林日本学研究』というのは、韓国に引っ越して事務所がソウルに移りましたが、翰林大学校の日本学研究所の機関誌です。このメンバーが那覇に調査に来まして、特集の2ということで、向こうの研究者が5人、こちらは僕と最後にのっています吾錫畢──彼はうちの大学の先生です──の二人が地元から参加して、調査に協力して文書を出したということです。
この「日本復帰前後の沖縄経済」というのは韓国の人に入門的に沖縄経済の話をするにはこういう組立が良いかなということで書いたのですけど、実はこれは2度目の発表でして、元は『家庭科教育』という雑誌に書いた文章ですが、今回は、そこにあるようにたくさんの注を付けました。いろいろといちいち説明すると煩わしいという方もおりますし、一応は筋を読んだ上で、細かくほんとにこうなのか、これは何を根拠に言っているのかということを、後で点検した方がわかりいいという人もいるでしょうから、僕としてははじめてこういうスタイルを取ってみました。本文だけを読んでも、むしろ頭が整理しやすいのではないかと思います。これも、沖縄経済入門としては、巧く構成したつもりでいるんですけど、ちょっとだけふれましょう。
1は「復帰前・アメリカ軍の占領下」としてまず、@「基地経済」と書いてあります。そしてその占領下においてもAでは「基地経済」というのは動揺していたと。つまり、「基地経済」では沖縄の経済は持ちこたえられなくなっていたという話を書き、そこに、日米の政府援助が入ってくることによって、実は、占領下の後半期は、「基地経済」プラス「財政依存経済」だったんだと書いてあります。そして、「2 1972年の日本復帰」で、@「行財政の体制の変化」がどういうものだったかというものを整理して書いてあります。そして、Aで、「転換した人々の暮らし」として、何が世の中変わったのかを書いてあります。そして、「3 復帰後・日本の行政体制下」に入ったということで、そこでの@「人口の動向」、A「産業の動向」、B「暮らしの動向」、それからC「基地との関わりの変化」というものを説明してあります。これには資料も若干ついていますので、そういう筋道でたどれば理解出来ると思います。
今日は、『地理教育』に書いたものをお話ししたいと思っています。地理教育研究会というのは、僕は別につきあいはないのですけど、実は明後日沖縄で全国大会があります。それの予稿として、原稿を請求されました。向こうで“「常識」を見直す”という言葉を入れてきましたので、それに沿って書いたわけです。これに沿って話を進めたいと思います。
まず、沖縄経済の現状ですが、沖縄経済というと、一人あたり県民所得が全国最低、失業率は全国最高だと、こういう言い方がなされるわけです。まあ、それは嘘ではないのですけど、それが大問題だとは僕は全然思っていません。まず、一人あたり県民所得が全国最低というけども、まあ、それでもいいじゃないかと。差はありますけど、段差を持っての差ではない。もちろん全国平均という数字を取りますと、平均以上の県が23でしょうか。平均だからほぼ半分で別れるんですけど、その中で東京などは突出してまして、とても高い水準です。県民所得というのは、ご承知のように個人の賃金所得だけではないわけです。会社の所得が入っているわけです。しかも、東京に本社があって全国に支店をめぐらしているところも、所得は東京で計上されますから、どうしても高くなる。突出して高くなる。例えば沖縄の場合だと、本土系の企業が沖縄に支店を持っていても東京で計上されます。沖縄の場合には、沖縄独自の企業と我々の賃金というものが基本的にはカウントされるわけです。最低ではあるですけど、鹿児島・宮崎あたりと比べてもそれほど大きな格差があるわけではない。それをいちいち問題にしなくてもいいのではないか。復帰前は、はっきりと数字的な根拠に基づく議論ではなかったんですけど、所得は2割低いとか、それから物価は3割高いとか、いろいろな言い方がされました。そういうのは生活実感としてあったんです。しかし、復帰したら、これはもう一つになった。並べてみると沖縄はまだ最低なんですけど、しかし、その格差はなくなったというのが実態です。そういう意味で、一人あたり県民所得が全国最低ということを問題にする必要は僕はないと思う。
それと、県別の人口をみますと、減少に入っているところがたくさんある。おそらく半分以上ある。しかし、沖縄は増え続けている。今度の選挙区割りの改正で、沖縄は一人議員が増えることになりました。それはまさに人口増加地域ですから、それを反映する形になるわけです。ついでに言いますと、人口は、沖縄は全国の人口の1%です。この1%は、かなり前から1%ですが、四捨五入して1%なんです。ですけど、10年ほど前でしょうか、四捨五入しなくても1.0何%の水準になりました。今完全に1%です。たとえば、青森とか人口が減少している。その中で一人あたりの県民所得を計算すれば、所得の総額が変わらなくても、小さくなりますから、一人あたり県民所得というのはあがっていくわけです。
沖縄は、人口も増え、総額も増えながら、しかし、一人あたりにするとなかなか追いつかない。こういう状況ですから、経済の活気という点から言っても、沖縄の方が活気がある。しかも、イギリス・フランスと比べても、沖縄の水準は高い。一人あたりでいうと。そういうことを問題だという認識はおかしい。で、ほんとにそこが問題ならば、東京に来た途端に、いちいち物価が高いだとか、自分の所得に比べたらこの支出は重たいなというようなことを感じるはずなんですが、そういうことはありません。もちろん統計上、東京の物価は沖縄に比べて1割以上、2割くらい高いとは思いますが、所得はそれに対応しているのでしょうし、我々が全国何処を旅行しても、沖縄は所得が低くて、物価とバランスが取れなくて、というようなことは全然思いません。これは庶民的な感覚からいって、そうだと思います。
ただ、一人あたり県民所得が最低だというのは、行政のレベルからいうと、一つの宣伝材料なんです。いろいろ政府に要求するときに、最低なんだから何とかしてくれ、という根拠付けに使われている。だから、昼間は県の職員も、「一人あたり県民所得が全国最低だからな」というのですけど、夜一緒に飲んでいたら、「あれは建前、政府の人を相手にしてですよ」という話をするのです。だから、これは問題ではない。
失業率は全国最高だということですが、これも理解の仕方は難しいのです。ここに書いてあるように、就業者数の拡大テンポが極めて高い。復帰後30年間で60%も増えました。こういうところは他の県にはないと思います。いちいち計算はしていませんけど。就業者が6割増えた。これはとても大きな数字だと思います。その間に人口も増えている。そうすると、その間にでてくる失業者というのが、数の上では数千人のレベルですが、増える。そうすると率としては高くなる。
人口の増加率が高いために、就業者の増加率が高くても追いつかないという状態ででてきたのが、沖縄の失業率。高いのはいいことではないのですけど、しかし、失業率の統計というのは信頼性の問題もあると思いますし、あまりこれを大きな問題とは言いたくない。企業が倒産して、失業者が生まれるというのが全国的な状況ですけど、沖縄ではそういう形の失業はこれまでない。最近、ダイエーの各店舗が全部引き上げるということで、千人以上解雇されるという話が出ています。先週の話ですが、煙草会社の沖縄の工場が閉鎖するということで、何百人かが解雇されるという話は出ている。これまでのところはそういう問題はあまり無くて、失業率が高いというのは、やはり、適当な職場がない、企業が弱い、一応就職した形になっていても、安定した職場ではないという問題がありますから、これは、失業率の問題として扱うのも一つですが、企業の力量の問題という局面で扱っても良いのではないかと思います。
沖縄経済が死んだということを、この二つのことを材料に議論するわけですが、僕はこの二つはあまり重要ではないと思っているということがあります。それを政治の所為にするとか、基地があるから沖縄経済がなかなか変わらないという言い方が多いわけですが、僕はそれは違うと思っています。政治の所為にするということで言えば、稲嶺知事がこの前の知事選挙で勝った知事選挙で言いますと、大田知事の下で「県政不況」といって失業率が何%になったと、これが大田知事の責任だ、という宣伝をしたわけですけど、じゃあ、稲嶺知事になったら失業率が下がったかというとそんなことはないわけで、こういうものを、政治の力で急にどうこうするということは、できる話ではない。知事が替われば失業率が下げられるというなら、ほんとに経済というのはやさしいものですが、そういうものではではないわけで、そういうことを県政、あるいは政治レベルで扱うのはおかしいと思います。
日本政府は何をやったかと考えますと、30年間で、8兆円近くと書いてありますが、──7兆円近くかな──、ただ、これは開発庁サイドの予算の規模ですから、本当は防衛施設庁の予算を加えないといけないと思いますから、そういう意味では8兆円は越すと思います。そういうすごい財政資金が投入されたわけです。金額としては少ないというよりは多すぎるかもしれない。多すぎると言っていいかというと、問題は何に支出したかということになるわけで、これは公共事業なんですね。まあ、国の支出というのは公共事業に出すのが基本なんですが、あとは、県の財政を通して流す形があります。これはこの8兆円には入っていません。
国が行った公共事業というのは、「道路、下水道・環境整備等、港湾・漁港・空港、農業農村整備、」――土地改良ですね――、こういうものは、じゃあ無駄な支出だったといえるかと、これはなかなか難しいわけで、整備すべき道路もあるわけですし、やりすぎの道路もある。橋も、かけて良かったと思う橋と、ここまで金を使うかというようなものといろいろあるのです。ですから、まとめて国が金を出しすぎたから問題だという言い方は難しい。一つ一つを吟味して、論評すべき課題だと思います。
日本政府は基本的に言って産業基盤の整備をやった。ただそれだけではないのです。生活基盤の整備もやったんです。学校の校舎、体育館、プール、運動場の建設とか本当に良くやりました。それから、県立病院の整備・拡大、こういう事もやりましたし、福祉施設もたくさんできました。だから、産業基盤の整備だけで、生活基盤の整備をやらなかったという言い方もできない。みんなやったんです。そこでなお問題が、何処にあるかと考えると、僕は、経済の問題というのは国の責任とは思わないんです。国がやるべき事は、産業基盤・生活基盤の整備という経済というよりはもっと別の分野です。道路を造り、港湾を整備して、橋を架ける。これは国の仕事。だけど、それを利用して企業活動をするのは民間の仕事。企業の仕事です。ところが、わが沖縄県の産業界はそれをやりきれなかった。その力量がなかった。弱い、そこに問題があると思っています。ですから、政治の責任論に僕の議論はならない。それについても、後で話ができるかと思います。
もう一つはアメリカ軍基地が沖縄の経済発展を阻害している、これがきちんと言えたらもうわかりやすい構図ですよね。だけど、それが言えない。沖縄経済が発展しないのは基地があるからだ、基地のセイだと言えたらいいなと思いますが、これが言えないというのが現実です。
この50頁の「2.アメリカ軍基地の現状」というところでは、面積がどうとかが書いてありますが、これはもう皆さんご承知の所で、省略しますが、一つは軍用地料という問題ですね。軍用地料というのは民有地があるから――民有地というか私有地――、があるからですね。民有地の中には、県有地、市町村有地も入ります。そういうものがあるから軍用地料が発生したわけです。
安保条約の体制というのは、基本的には国有地を米軍に提供するという制度なんです。したがって、本土では、日本政府が米軍に基地を提供するときには、提供する前に私有地を買収して国有地にした上で提供するという形になっているわけです。もちろんそれがうまくいかずに、私有地を強制的に使っているという例はないわけではないのですが、これはごく少ない。沖縄ではそれが基本。そこに問題があるわけです。
まず、総論的には基地がなかなか返還されないというのが問題なんですが、復帰後500haぐらいは返還されている。復帰の時点とその後ですね。ですから、それをめぐる跡地利用の問題というのが、あるということです。それから、基地で働く人は七千人まで減ったんですが、最近8500人もいるんです。これは何で増えたんだと思ったらですね、日本政府が例の「思いやり予算」で給料を払ってくれるんですね。そして、アメリカ軍に予算を割り当てるわけです。そうすると、この予算だったらもっと雇えると、増やしています。まあ、そういう新しい現象もあります。
在沖アメリカ軍人数が25000人ほどいまして、軍属家族を含めると5万近くいるわけです。県人口を133万人とすれば、4%弱くらいの割合になります。この人たちは基地の中に住んでますから、基地の中に小学校から大学まであります。教会があるし、スポーツ施設がありますし、もちろん床屋とか日常生活に必要な施設・商店がありますから買い物もできます。そこから一歩も出なくても暮らしができる。基地の中には大きな街があるわけで、彼らは日常的には外にはでません。外にでたら、──復帰前は1ドル360円でしたけど──、今は1ドル120円を割って、110円くらいになっています。とても円が高くなって、彼らは外にでてドルを使うことができない。彼らの所得では、とても日本の街で買い物をしたり飲んだりはできない。そういうレベルになっている。だから外にはなかなか出られない。たまに外に出た人が、たまに事故を起こすということがある。まあ、そういう暮らしをしているわけです。しかも、基地の中は免税ですから、暮らしは相当楽にできる。
犯罪の問題ですが、もちろん犯罪・事故は絶えません。2・3日前にも新しい事件が起きました。実弾が畑に飛んできたわけですね。農家の方の2メートル近くに飛んできたというのです。沖縄というところは事件事故が絶えないという印象を皆さんはお持ちでしょう。けれども、復帰後は数字がどんどん落ちているんです。事件・事故の数は減っている。これは何故かというと、基本的には地位協定というのは、今、沖縄では不満だと言って改正しろと要求を出しているんですけど。県をあげてそう言っているんですけど。地位協定というのは復帰前にはなかったんです。沖縄には適用されていなかった。安保条約もなかった。安保条約とは別の体制の、いわばサンフランシスコ条約に基づく支配だったわけですから。アメリカが沖縄を日本に返還するときに、安保条約が適用される事は彼らにとっては、避けたいことだったわけです。沖縄だけは今まで通りに治外法権でやりたかった。だけど、体制としてそれは認められずに、いわゆる本土並みという言葉で表現されたように、安保条約と地位協定が沖縄に適用された。そうすると、今まで通りに暮らすことはアメリカ軍人にとってできなくなった。そういう追い込まれた形が、犯罪の減少につながっている。もちろん犯罪というのは一つでも問題ですから、数が少なければいいわけではないのですから、それはそれとして問題として扱うべきですけど、数は減っているということは頭に入れておいた方がいいと思います。数字的なことは、皆さん、沖縄に行かれることがあったら、これ(『沖縄の米軍及び自衛隊基地』)を県庁でもらったらよろしいと思います。基地対策室に行けばすぐくれますから。毎年出ています。この中には経済関係の統計がいろいろありますけど、最後の方には、火災とか犯罪のこととかそういう数字も復帰後ずっと通して出ていますから、これはいろいろ参考になると思います。
さて、51頁の「3.基地と経済」ですが、“さて、経済問題にかかわらせて基地問題を考えよう。沖縄県民が、厳しい戦争体験を持ち、平和への願いを内に秘めながらも、基地に反対しない風潮を蔓延させているのは、経済の問題から来ている。基地は「平和の障害物」であり被害を与えるが、その一方で、さまざまなカネをまき散らすからである。
最大の問題は軍用地料である。それは多くて、かつ単価が高すぎる。多いのは面積が大きいからであるが、それだけでなく単価の高さによって増幅されている。そして、物価が上がらず、地価が下がっている中で、ひとり上昇を続けている。もちろん、地主が基地に反対しないようにし向けているのである。”
今日は皆さんにご用意できませんでしたけれど、3月18日に沖縄タイムスに、軍用地料について書きました。鈴木宗男が軍用地料の引き上げにも関与しているという情報が内部告発の形ででたんですね。決定的な資料ではありませんけれども、「今年の軍用地料は、鈴木宗男先生と調整して決めた」と内部文書に書いてあったんですね。これを各政党に配ったようですけど、僕のところにも廻ってきました。週刊誌の取材の人も僕にこっそりと見せてくれたりしていましたが、僕は別のルートでも手に入れたんです。いつも僕が言っていることですけれども、軍用地の引き上げというのが問題だというのをこの際書いておくべしと思って沖縄タイムスに持ち込んだのがこれです。
軍用地料は、普通年率5%くらいあがると言われています。細かくいうと最近は2%とか、上昇率が落ちたりしているようですけど、しかし、物価の上昇はもう止まって、99年以降は下落している。地価はどうかというと、地価にもいろいろな統計がありますが、ほぼ9年か10年連続して下落している。そういうなかで、軍用地料だけが、7%、5%、3%、2%と(率は減少しているが)あがっていく。この矛盾をどう説明するかというと、やはり政治家が動いているのではないか、ということを僕は書いたのです。実は三月の国会で参考人として呼ばれたときに、委員会でこれを配りました。これを受けて、民主党の議員が、「物価と地価が下がっているのに、軍用地料だけが上がっているのはどうしてか」と質問したら、防衛施設庁の答えは「軍用地料の上昇率は落ちています」というものでした。その後もこの議員は追求しているようですけれども、まあ、そういうことで、鈴木宗男が間に立って、防衛施設庁に働きかけて、理屈に合わない上げ方を要請した事が明らかになってきたわけです。
まず、数字をそこに書いておきましたが、51頁の右側ですね。“軍用地料の総額は、復帰前年が31億円、復帰の72年が126億円で、この時に4倍になった。年度移行のため、両年とも10.5ヶ月分である。”
──これはどういう事かというと、沖縄は会計年度はアメリカ式の年度でした。つまり、西暦で表現すると、1972年度は、1971年の7月から72年の6月までなんですね。ところが、6月になる前に、5月15日に復帰したもんだから、1972年度は72年の5月14日で終わった。15日から日本の年度に変わりまして、昭和47年度になった。72年度と昭和47年度は同じではないかと思う方もいると思いますが、沖縄にとっては全然別のものなんです。昭和47年度は5月15日に始まって翌年の3月に終わったわけです。それで両者はそれぞれ10.5か月。つまり、復帰が5月15日になったというのは、こういう意味があったかもしれない。これについては、何故か明確に書いたものはないのですけど、日本政府は4月1日返還を要求し、アメリカは7月1日返還を主張して、その中間を取ったという表現が多いのですけど、単なるそういうことではなくて、会計年度の問題があったと思います。ともかくその10.5か月同士の比較で、こうなっている。4倍と書いてあるんですけど、このときには協力謝金などのいろいろな名目の金が出ていまして、実質6倍になったというのが、土地連などの表現にあります。それほど一気に軍用地料を引き上げた。“翌73年は182億円、その後の継続的な上昇の結果、00年度の当初予算で826億円である。”
──今は850億円くらいでしょうか。“18年間”
──これ、18年ではなく28年です。28年間で“約6倍になった。この額は、農業粗生産額953億円の87%、経費を除いた農業生産所得489億円の1.7倍にあたる。沖縄は「農業県」であるよりは、はるかに「軍用地料県」なのである。
単価は地目によって異なるが、山林でも農地並みの高さというように、割高になっている。そして、嘉手納以南の地域では、宅地が宅地なのは当然として、その他のすべての地目までも「宅地見込み」とされる。復帰前に山林・原野として地料を受け取っていた土地も、復帰後は都市近辺だから宅地に準するとされたために、いきなり100倍になったところもあるわけである。”──つまり、元もと宅地であったところは、1点何倍にしかなってにしかなっていません。しかし、農地だったところがいきなり宅地として評価されればいきなり5倍・6倍・7倍になります。しかも、農地も田圃だと例えば5等級に分けて、田圃の1等級はどれだけ、というふうに分けられています。畑だと10等級くらいに分けられています。そして原野があります。山林もあります。そういうところは軍用地でも非常に安い軍用地料しかもらっていなかったわけです。ところが、復帰したらこれがみんな宅地の評価になった。そうすると地目によっては100倍になったところもあります。
“この軍用地を受け取る地主約3万人いる”――農家はどうかというと、販売農家という統計が最近あります。いわゆる農家の中で、自給的農家と販売農家を分けるんですね。自給的農家を含めれば約3万人くらいですけど、販売農家というのは1万2500しかいない。“一人あたりでは275万円となる。月20万円となる。月20万円以上の「不労所得」を受け取る「地主階級」が分厚く存在している。”――「地主階級」とわざわざ言っている。“とはいえ、彼らは好き好んで基地に提供したわけではない。強制的に収用されたのである。だから、戦後の20年ほどはさまざまな辛酸をなめさせられたであろう。これには同情に値する。
しかしながら、歴史はそこに止まってはいなかった。1959年”
──復帰前です。1956年をピークとして島ぐるみの土地闘争がありまして、みんな軍用地料が安くすぎると言って怒ったんですね。で、その結果アメリカも譲歩して、地料を上げることにしました。結果が59年に決まったんです“1959年に地料水準が引き上げられ、立場の逆転が始まった。軍用地料のあるものは喜び、ない者はある者をうらやむようになっていった。そして先ほど述べた、復帰のときの大幅値上げがきた。一気に四倍になり、その時から今日まで、更に6倍に上昇した。
当初は、県民の多くが軍用地主に同情していた。県民の生活苦を象徴するような存在であった。だから50年代に「島ぐるみ土地闘争」が燃え上がった。ところが、しだいに状況は変化してきて、地主は軍用地料の高さに満足し、今日では基地の返還には反対だと公言するようになった。彼らの生活の実態も豪華な住宅に住み、豪華な家具や車を備え、豪遊する姿が見え始めた。もはや同情の対象にすべきでないのである。
このように言うと、軍用地主らの会である土地連は、大半の地主は100万円前後であって、生活費に使っているだけだと弁解する。入ってきた金を生活費に使うのは当然であって、問題は生活の中身と水準にある。通常の月給取りの元に毎年100万円もの「追加収入」があることを想定してみるといい。その大変さが自覚されていない。
とはいえ、それは地主が進んで求めた結果でないということも事実である。他人の収入をうらやみ、使い方をなじるのはよしたほうがいいかもしれない。
ところが、このような実態が、地主でない県民一般にもマイナスの影響を与えているのである。それは地価水準の上昇である。沖縄の地価は高い。一人あたりの県民所得が47位であるというのに、地価は14位である。
軍用地料の次に問題になるのは、自治体に対する基地関連交付金などである。県や市町村は、「基地があるから」を理由に国に迫り、国は「基地が維持できるなら」と、その要請に応える。その額はどんどん増額され、県内でも「基地のない市町村のことも考えてほしい」という声が上がっている。
ここで追加すると、サミットの時にオリオンビールが記念ボトル――缶――を出しました。沖縄の地図がここにありまして、ここに輪をあって、7つですか、サミット参加国の輪があって、沖縄の地図があった。これを見て「あー、沖縄が沈んでいく姿だな」と話したんですがね。そうしたら南部の──ちょっと有力な人ですけど──この人が、「あー、やっぱり南部が沈んでいる」というのですよね。北部だけ浮き上がって、ちょうど真ん中に輪があるもんですから、南部が沈んでいるように見える。ある人は、農林大臣が来て名護でパーティをやったときに、何で南部の市町村長が行く必要があるのかって言って出席を断ったそうですけど、そういう感じに県内でも見られているんです。そういう意見が出るような状況です。「基地のない市町村のことも考えてくれ」と。こういう言い方が出ているんですね。
“自治体財政の基地依存度は、次のとおりである。金武町33.1%、恩納村31.6%、宜野座村22.6%、嘉手納町25.6%絶対額で多い方をあげると、名護市37億円、沖縄市31億円、金武町30億円、恩納村25億円、嘉手納町21億円などとなる。”
──宜野座高校が甲子園に出場して一勝しました。二十一世紀枠という特別枠で出場したんですね。で、宜野座村は今度その球場を阪神タイガースのキャンプ地に提供するんです。もう決まりました。行ってみたらわかりますけど、立派な球場です。あの宜野座村にこんな立派な球場があるか。本当にビックリするような球場です。この立派な球場だけでなくて他にも球場があるわけですけど、宜野座高校があそこまで行けたのは、やはりこういう施設のおかげだなと僕は思っています。これは軍用地料のおかげなんです。ついでに言いますと、宜野座高校は宜野座一村の高校でありません。金武町からも来ます。そして、名護でいうと旧久志、あの地域まとめて宜野座校区なんです。NHKのアナウンサーが宜野座村というあの小さな村でこれだけのチームを育てたみたいな言い方をするのは間違っている。
“軍雇用員の問題もある。復帰後7千人まで減少していたが、最近は8500人に増加している。これは、その賃金を「思いやり」と称して、日本政府が肩代わりしているため、アメリカ軍が潤沢に使うようになったためという。2000年度末には、「予算が残っているから」と、雇用員の駆け込み募集があって問題化した。このほか、漁業補償が19億円もある。
これらによって、「基地の返還は求めず、カネを求める」、「基地被害には抗議するが、基地の返還は決して求めない」というと沖縄のあり方、近年特に目立ってきた沖縄の卑屈なあり方がででくるのである。その文脈の中で日本政府に強くあたる場面がある。「地位協定を見直せ」「移転先の基地は15年の使用期限を設けよ」という。しかし。「基地には協力して、カネは出してもらう」という基本姿勢に立っているので、政府から見て少しも痛くない。”
基地の代償としての「経済振興策」。今日のテーマは経済振興策ですが、“いまの政府は、沖縄県からの要求は、それがカネで解決のつくことであれば、すべてを受け入れる態度を取っている。その中には理屈では説明がつかないものも少なからず含まれている。行政の原理からは容認できないもの、他の府県との公平性を欠くことになるものなどもある。そのような要求があったとき、行政官は”──いわゆる官僚です。“一応問題点を指摘するが”─―「そう言ったってこれはね」と言うんですね。“それでも沖縄側が粘れば、背景に政治家があって結局は容認する。”
──だから政治家が官僚を押さえるべきだというのが最近の風潮ですが、僕は全然そうは思っていないんで、官僚の方がまだ話が通じるんですよね。官僚のレベルから見て、これはちょっとどうだろうという話も政治家を入れると通ってしまう。特に沖縄の問題はすべて政治で動くことが問題だと思います。“このことは、沖縄にとっても決していいことではない。政治家の「活躍」の場が広がり、見返りに票はもらえるし、献金を受け取れる。そのことは、国レベルだけではなく、県・市町村のレベルでも言える。
普天間基地の移転先とされる本島北部地区に対する「北部振興策」が、一昨年決まった。向こう10年間、年に100億円を提供するという。地元は、それが「基地容認」と引き替えだと知りつつ、それには触れずに受け入れた。ところが地元からは有効な提案が出てこない。”──その100億円をどう使うかということですよ。“それでも、そのことは政府の責任はならず、提案できない地元が悪いということになる。復帰後すでに過大な投資がなされてきた、その上に積み上げる投資だから、アイデアはそうそう出でこないのである。”――架けるべき所にはもうみんな橋を架けちゃった。残るのは伊江島ぐらいだ。そこまで架けるか、という話になりますね。道路はどうですか。やんばるに行った方がおられると思いますが、何でこんな所に道路を造ったかと思うようなところがたくさんあります。そこまでやっているわけですから。そうすると、あと100億円やるから何かアイデアを出せと言われても、出し切れない。何を要求していいかわからない。
“02年4月から、旧法を衣替えして「沖縄振興特別措置法」がスタートした。その理念も内容も、上に述べた状況の延長線上にしかない。したがって、政府は「こんなことが本当に必要なのか、有効性があるのか」と問われれば、「沖縄県の要望に沿いました」というだけなのである。
例えば、「特別自由貿易地域」は旧法にもあったし、すでに動いているものであるが、想定されたように企業はよって来ず、広大な敷地が空いたままである。また空港の免税売店制度も旧法にあったが、これを空港外にも認めることになった。しかし、空港の免税売店は復帰当初とは異なって、しだいに利用者が減っていって、ついに撤退し閉店したばかりである。もっとも、アメリカの会社が入るというので、そのための工事をしているところであるが、会社がかわれば成功するというものでもあるまい。”
──これはもう工事が終わって開店しています。アメリカのduty-free
shopの代理店が入ってきます。今日も見てきましたけれども、まあ、客は来ないんじゃないかなと思いますね。昔は免税店があれば、ウイスキーなども値段を吟味せずに買うというようなこともありましたけれど、今はそういうことはありません。我々が外国に行って免税店を見ても、ウイスキーなどを買おうとはしません。国内で結構安い価格で買えますから。化粧品だとハンドバックの類で免税店の魅力があるんでしょうかね。今まで沖縄で戻し税というのがありましたけれど、一ヶ月くらい前の新聞に、グラフで示して、もう戻し税の役割は終わったというのがありました。実績はほとんどゼロです。そういう時代に免税売店を作る必要はないと思います。しかも、免税売店は、宜野湾市のコンベンションセンターのあたりにも作るそうですよ。あんな所に誰が買いにいくのだろうと思いますけど。
最後のページですが、“また、金融業務特区、情報通信産業区、産業高度化地域などを設けるというが、そのいずれに成算があるというのか。このようなことは、単なる税制優遇措置で立地するかどうかが決まるものではなく、沖縄の現実からくる何らかの必然性のうえに立っていなければならないはずである。
このように、政府自体が成算ありと思っていないことが、沖縄県の要請だからと制度化されていく。この構図では、どう転んでも政府には責任がなく、政府は基地容認という回答を取り付けることで満足することになる。"──金融特区を造ると名護市がいい、沖縄県が支援して国にのませた。
これについても、ヘリ基地反対協で話してくれといわれて話してきましたけれど、その時に一生懸命勉強してみたんですけれど、これは一言でいえば、「やくざ金融」だと。──講演の場ではそんな言葉は使わなかったんですけれども──。つまり、世界中を見回して、何処が金利が高いか、今はもうコンピュータで瞬時にわかります。何処が金利が高いか、金利の高いところにぱっと金を動かす。そして、もう一つは税金がいかに安いかですよね。この両方を見ながら、大量の金をあっちに動かしたり、こっちに動かしたりする。それの手伝いをする組織。だからそれは、キーを叩くだけでできる仕事なんです。たくさんの人が必要なわけではないのです。しかし、国はそれに20人以上の雇用がないと認めないとやったんです。名護市なんかは反対した。何で20人なんて制限を設けるのか、と。4、5人でもやらせてくれという意味です。確かに4、5人でできる仕事です。だけど、これは雇用を拡大するために提案されているわけだから、──金融制度を変えようという提案ではなくて──、名護市の雇用を増やすために提案されているのだから、雇用のないようなものを認めてもしょうがないというのが政府の言い分です。
もう一つは、税を下げるといっても、先進国としての日本は国際的な約束事がありますから、下げられる限度というものがある。これは今の自由貿易地域にも適用されていて、もうこれ以上下げたら税金逃れだと、非難される。──発展途上国の場合には、まあ、大目に見ようということはありますよ──。だけど先進国の日本で、そういう税金を下げるということを公然とやったら、とても国際社会では認められない。そのぎりぎりのところで国は線を引いたわけです、今度の場合も。そしたら、国際的に見たらこの金融特区は魅力がないのではないか。もう少し税金を下げてくれとか、人数の制限をおろしてくれ、とか言っているのですけど、それは名護市や沖縄県の要求の方がおかしいと僕は思います。国はこういう制度は認めたくないわけです。国際金融制度を乱すようなことを日本政府は率先してはやりたくないわけです。ただ、沖縄が要求して頑張るもんだから、一応、かたちは認めたことにするが、実際はできないようにする。このようなことが今回の金融特区の制度だと、僕は思っています。
税制優遇措置というのは、税金を払っている企業にとっては意味がある。だけど、日本の企業の中には税金を払ってない企業がたくさんある。自由貿易地域だとか産業高度化地域などといったところに企業が立地して、いろいろ条件はありますが、それを満たせば税金を安くしますよ、といったときに、そこで企業として経営が成り立つならば、税金をまけてもらうのは意味があります。だけど、成り立つかどうかというレベルで、企業は敬遠しているわけです。自由貿易地域に来ないわけです。そこで、経営が成り立つということならば、税金の優遇は意味がある。しかし、経営が成り立つかどうかの見通しが成り立たないから、企業は来ない。だから、そこに税制優遇措置を設けても、企業は来るわけがない。
“5、再び、基地と経済
復帰後の8兆円にも及ぶ国の財政投資は、産業基盤・生活基盤の整備には役立ったが、その下で産業はあまり育たなかった。近年出てきた基地容認の代償としての「経済振興策」も、同じ路線上にあるので、結果に変わりは出ない。そして、新しい制度としてもてはやされている特別自由貿易地域や金融特区には実効性がない。
これらのことを含めて、やはりすべて基地が問題なのではないかと考えるのも自然な成り行きかもしれない。しかし、これも当たらないのである。
製造業や農漁業が発展しないのは基地の所為ではない。地価が高いことの影響は受けている"
――これは基地の所為です。“土地が足りないからではない。"
──農地はもう余り現象です。"基地の事故や騒音のためでもない"──工業が成り立たないのは騒音があるというわけではない。“基地は街づくりをゆがめているとはいえるが、経済的には所得をもたらしているものであって、マイナスには作用していない。
軍事基地は、戦争につながる装置であるから、「絶対悪」というべきであろう。そして、日常的にも危険を抱えさせられている。無くすべきである。
だが、このことと経済問題とは別なのだ。基地がない方がいいというのは、経済問題からきていることではない。経済問題としての基地は、カネを撒くという意味でプラスといわざるをえず、基地の撤去は経済的にはマイナスなのである。マイナスであっても基地は無くすべきだと主張したい。
そのマイナス面は、先に見たことの裏返しだから、くり返しを避けることはできないが、簡単にまとめておこう。まず軍用地料の826億円が無くなる。自治体の受け取っている交付金が無くなる。9億円の漁業補償金が無くなる。8500人の軍雇用員が職を失う。それでも、基地は返還させようというのが私の立場である。
軍用地料はなくなるが、その代替利用によって全額といかなくても、ある程度(半分くらい)は新しい収入源が得られよう。そこには雇用の増加も期待できる。地主たちは、これまでの異常な収入に頼った生活から、勤労に基づく健全な生活に転換すればいい。自治体は、これまでの異常な特別収入に頼った運営から、通常の慎ましやかな運営に戻ればいい。漁業者は漁業を再開すればいい。軍雇用者は、以上の結果生まれてくる新しい健全な仕事に従事すればいい。
基地が返還されれば経済的にはマイナスなのだが、打撃的なマイナスではないのである。だから、これらを理由に基地の返還要求をちゅうちょしたり、反対するのは許されない。
反対に、基地がなくなれば経済的にプラスになるという主張もある。これにも私は反対する。基地の跡地利用では現在の軍用地料を上回る収入は発生しない。それほどまでに地料は高くなりすぎている。沖縄にはこれ以上のショッピングセンターは作るべきではない。
ただ、いびつな街が是正され、不労所得が排除され、平和で健全な生活の場が拡大することは期待できるし、経済的にはマイナスであり、産業を興すことは困難であっても、それに立ち向かうしかあるまい。だから、基地は撤去させたいのである。”
時間ですが、もう一つ付け加えておきます。『やんばるの経済と「振興策」』の57ページ。「軍事基地とカネのばらまき」というタイトルがあって、市町村有地が多いという話です。表が三つありまして、その下に、“軍用地は、地料をもたらす。これはアメリカ軍ではなく、日本政府が支払う。
県有地や市町村有地であれば、その自治体に「財産収入」として入っていくし、特に問題はなさそうである。ただ、それの多い自治体は財政が豊かである。基地に関連した交付金も受けている。そこで、豪華な庁舎や諸施設を建てている。甲子園に出場した宜野座高校のある宜野座村の野球場は、プロにも通用するような立派なものである。
表で示したのは、市や村に入ってくる軍用地料が、それが元々字有地であったという認識によって、字(行政区)に配分されているということである。これを分収金という。配分割合は5対5が基本であるが、若干の変動を認めているところもある。
その金額は、宜野座村では4つの区で7億円、一つの区で1億5千万円から2億円もある。名護市では分収金総額で5億4千万円、区有地で6千万円の、合計6億円である。これは辺野古、久志(どちらも1億5千万円)を含む旧久志村を中心に分布している。
区に入ってくるお金はどのように使われているか。区は町村とは異なって、そもそもなすべき仕事がほとんどない。使いようがない。祭祀や奨学金の提供くらいである。ところが、そこに年間億を超える金が入ってくる。区の戸数は100戸前後である。
まず公民館という名の立派な建物を建てる。そこに職員を置き、給料を払う。公務員並みである。体育館や図書館を造るところもある。もちろん、祭祀は活発になり、奨学金は増額され対象は拡大される。村の行事が増える。老人会、婦人会、青年会、その行事に金を使う。競技会や演芸会をして、賞金や謝礼金を配る。飲食させる。お土産を持たせる。旅行をさせる。PTA会費、水道料、電気料、肥料代、農薬代の補助をする。区民専用のバスを持って運営する。
それでも使いきれない。個人の軍用地料もある。これももとをただせば、字有地を分割したものがある。”――辺野古は、字有地を分割して個人有地にしたそうです。“このような実態は、人々の正常な感覚を麻痺させていくであろう。他所に出ては生活することができないであろう。
軍用地料は、それが高いがために、多くの弊害をもたらしている。勤労意欲が減退する、生活が投機的になる、高価な家具や車を買う、遊興に散財する、などである。それは個人の収入の使い方であるから、他人がとやかく言うことではないかもしれない。”──あとはまた同じような話になりますので、やめましょう。
で、下から4行目、“そのなかでも、この字有地の軍用地料のもたらしている常識はずれの経済生活は、人々を堕落の道に追い込みつつあるといっていい。ここに、軍用地料のもたらす問題点が集約的に現れているというべきである。
辺野古の人々は、1950年代後半の「島ぐるみ土地闘争」の最中に、県民の意思に反して、率先して基地を受け入れた。そして、その周辺には「バー街」が生まれ、その後消えていった。彼らに代表される、やんばるの一定地域の人々は、基地からもたらされるカネにまみれて暮らしてきた。軍用地がカネをもたらすことに頼り、軍用地の設定を歓迎してきた。今また、近くに普天間の代替施設が来ることを容認しようとしている。
「北部振興策」は、このような沖縄のゆがんだ側面を助長し、「基地に依存した生活」を作り出しながら、軍事目的を追求しようとしているのである。"――以上です。
(講演の全体を編集部の責任でまとめた。“"は資料からの引用部分)
※参考文献:『沖縄経済の幻想と現実』来間泰男著 日本経済評論社1998年ISBN4−8188-0982-9
[注]やんばるの経済と「振興策」:歴史と実践22(沖縄歴史教育者協議会)52-59(2001)/日本復帰前後の沖縄経済:翰林日本学研究6(翰林大学校翰林科学院日本学研究所)271-281(2001)/沖縄──「常識」を見直す視点・地理教育31(地理教育研究会)49-55(2002)
B02.9.28来間泰男「(ま)さん」の批判に答える
一坪反戦通信 139(2002年9月28日)/沖縄・一坪反戦地主会・関東ブロック
「(ま)さん」の批判に答える―2002年8月27日 来間泰男
『一坪反戦通信』(Vol1.138,2002年7月28日一坪反戦地主会関東ブロック発行)に、私への批判が載っている。書き手は「編集後記」の「(ま)」氏である。
関東ブロックの学習会では来間泰男氏をお招きして沖縄の経済についてわかりやすく解説していただいた(付録に講演全文を掲載)。「軍事基地は絶対悪であるから無くすべき」という。まことにしかり。しかし、「経済問題としての基地は、カネを撤くという意味でプラスといわざるをえず、基地の撤去は経済的にはマイナスなのである。マイナスであっても基地は無くすべき」という。そうだろうか。「富」とは単なる金ではない。環境資源は、通常市場価格こそ存在しないが、生活や生産に多大な便益を与えている。「グリーンGNP」は環境上の「富」の増加や減少をも含めた真の経済的な福祉の大きさを表す指標である。「経済的にはマイナスであっても基地は無くすべき」では、人々を納得させることはできないだろう。大田が稲嶺にあっさりと負けたことでもわかる。残念ながら、一般の人々は反戦地主のように高潔ではない。基地はいや、でも金は欲しい。それはしかたがないことだ。基地撤去は経済的にも「ペイする」ことを示さなければ、人々の総意に基づく基地撤去は不可能だ。経済学者にはそれが求められている。「土地は万年。金は一時」(阿波根昌鴻、2頁参照) (ま)
そこに見えるように、私の講演記録は「付録資料」として掲載されている。若干の誤植があるが、致し方もあるまい。
この「編集後記」の「そうだろうか」以下を検討させていただく。
「『富』とは単なる金ではない。環境資源は、通常市場価格こそ存在しないが、生活や生産に多大な便益を与えている。『グリーンGNP』は環境上の『富』の増加や減少をも含めた真の経済的な福祉の大きさを表す指標である」とある。
私は「『富』とは金である」と述べただろうか。そもそも「富」については論じていない。私が「経済問題としての基地は、カネを撤くという意味でプラスといわざるをえ」ない、といっているのは、「富」を論じているのではない。おっしゃるとおり「環境」は福祉の指標としては大きな要素であろう。しかし、「経済」というものはカネが増え、カネが動き回れば「発展」するものなのである。つまり、「経済」や「経済発展」というものは、そもそも「善」ではなく、「善悪」併せ呑むシロモノなのである。そのような「経済」にとって、基地がもたらすカネは「プラス」に作用する、と私は言っている。そして、ぜひ読みとってほしいことは、「経済的にプラス」だから基地を容認しようとは決して言っていないことである。このような私の議論に「『富』とは金である」という主張が含まれているか、再度ご検討願いたい。
次に、(ま)氏は「『経済的にはマイナスであっても基地は無くすべき』では、人々を納得させることはできないだろう。大田が稲嶺にあっさりと負けたことでもわかる。残念ながら、一般の人々は反戦地主のように高潔ではない。基地はいや、でも金は欲しい。それはしかたがないことだ」と述べている。私は「基地がなくなれば経済的にプラスになるという主張もある。これにも私は反対する」と述べた。(ま)氏は、この「プラスになるという主張」に同調しているようだ。それでは「人々を納得させることはできない」というが、(ま)氏自身が納得していないのであり、まずは(ま)氏に納得してもらわねばならないようだ。
私は、基地撤去が経済的にマイナスになる要素を挙げた。(ま)氏はこれを認めないのかどうか。軍用地がなくなるのだから軍用地料はなくなる、軍雇用員も解雇される、などのことを認めない人はいないと思うが。次に、認めるとしても、「もっとプラスになる」という要素が提起できるのかどうか。私はできないと述べた。(ま)氏はできるのか、それを問いたい。
大田が稲嶺に負けたのは、私の論では「人々を納得させることはできない」ことの証拠となるのか。大田は私の論とはずいぶんかけ離れていた。この言を「革新勢力が保守勢力に負けたのは」と読み替えていえば、「革新勢力」が「経済振興策」を批判できず、それに引きづられていて「基地撤去」だけで闘うから負けるのだ、と言いたい。「経済振興策」そのものを批判しないで、それはいいことであるかのように受けとめて、基地問題を論じるようでは、沖縄に展望はこない。そもそも大田こそ「基地カード」を振りかざして「経済振興策」を取り込もうとしていたのであり、その限りでは、稲嶺の場合と同一なのである。
「革新勢力が保守勢力に負けたのは」、私の論が間違っているからではなく、私の論では「人々を納得させることはできない」からでもなく、私の論で人々を納得させる取り組みがなされていないからなのである。つまり、私の意見は少数意見に留まっており、これが多数意見になることがなければ、「革新勢力は保守勢力に負け」続けるだろうし、知事選挙で勝利しても、沖縄を正しい方向に導くことはできないであろう。
(ま)氏は、多くの人々の立場を「基地はいや、でも金は欲しい」と描いて、「それはしかたがないことだ」と容認している。@「『富』とは単なる金ではない」と、私を批判した論理と、「金は欲しい」と言い、金を「富」として求める人々の立場を容認する論理とは、どのように調和しているのだろうか。A私は金を求めてはいない。私は人々に対して金を求めてはだめだ(勤労に基づいて獲得した金は別である)、と呼びかけているのであって、「金は欲しい」という主張を批判する。決して容認しない。Bこのような「世論」が主流である間は、世の中は絶望的なのであり、私はこれを批判する。しかし(ま)氏は「それはしかたがないことだ」と容認しているその延長線上に、どのような展望を持っているのだろうか。
(ま)氏の答はこうである。「基地撤去は経済的にも『ペイする』ことを示さなければ、人々の総意に基づく基地撤去は不可能だ。経済学者にはそれが求められている」と。「経済学者」(ここでは私)に対して「基地撤去は経済的にも『ペイする』ことを示」すよう求めているのである。私は「それはできない」と述べた。それができなくても「人々の総意に基づく基地撤去は不可能」ではなく「可能だ」と思っている。(ま)氏のように、「基地はいや、でも金は欲しい。それはしかたがないことだ」といっては、基地のばら撤くカネに翻弄されて、しかも「経済振興」も実現せず(私はそれを求めないが)、基地はいつまでも残り続けることになろう。
私の論は、現在はまだ少数意見だが、(ま)氏を含む「心ある人」に受け入れられ、いずれ多数意見になる日を待っている。
編集部注
本誌前号(第一三八号)の編集後記に対して、来間泰男氏からご意見をいただきましたので、掲載いたします(原文横書き)。編集部では、この件に関しまして読者の皆様のご意見を募集中。なお、「(ま)」は関東ブロック運営委員の丸山和夫です。
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