いま、福田恆存の 『言論の自由といふ事』 (昭和48年 新潮社)を読んでいますが、羽仁五郎批判である 「一讀三歎 當世書生氣質」 に驚きました。
- 「真理は少数にある」(『諸君!』昭和47年5月号 羽仁五郎/志水速雄)
- 「一讀三歎 當世書生氣質」(『諸君!』昭和47年6月号 福田恆存)
- 「一讀三歎 當世御用學者氣質」(『諸君!』昭和47年7月号 羽仁五郎)
- 「一讀三歎 當世書生氣質 卷の二」(『諸君!』昭和47年8月号 福田恆存)
が福田・羽仁論争(?)の流れなのですが、羽仁といえば、左翼論客の大物だと思っていたのに、その幼稚さ、低レベルさといったら「なんじゃい」としか言いようがない。福田自身も、「一讀三歎 當世書生氣質 卷の二」で、こういう手紙がきたと紹介しています。
自分は最初、志水速雄さんのインタヴューに對する羽仁さんの答辯を讀んだ時には、「腸が煮えくり返るほど」腹が立った、が、その次に私の羽仁氏批判「一讀三歎 當世書生氣質」を讀んで、今度は「別の意味で」腹が立って來た、まるで「幼稚園の生徒に廊下を土足で歩いてはいけませんと言ふ様な分り切つたことを説いて聞かせて、原稿料稼ぎをするのか」と私にまで食つて掛つて來、その揚句「あんな馬鹿者に言論は通用しない、黙つて放つて置け、われわれの手でかたづける」といふ物騒な言葉で結んでありました。
しかし、確かに、論争というより、「幼稚園の生徒に分かりきったことを説いて聞かせて」いるといったほうがピッタリくる。例えば、羽仁先生は 「言論の責任をとることになってくれば、言論の自由なんていうものは保証出来ないんですよ」 などと言い放つのですが、それを補強するために出してくるのが 「言葉は害をなすことはない」 という 「ギリシャ以来の格言」 (笑)。福田さんは、
格言といふのはすべて文脈があるものでせう。だから、他の文脈ではまつたく逆の格言が成立する。たとへば日本の格言の類でも一方で「善は急げ」とあるかと思へば、とたんに「急がばまはれ」「せいては事をし損ずる」とおさへられてしまふ。格言といふのはその當時の情勢からあくまでも半面の真理を持ち出してきてゐるものにすぎないわけで、「言葉は害をなすことはない」といふ格言があるとしても、それが古今東西に普遍的に通用する眞理とはいへません。
と、至極「あたりまえ」なことを切々と説いて聞かせた上、そんな格言聞いたことがないと訝ります。それに対して羽仁先生は 「イギリスの新聞はたえずこの格言を繰り返していますよ」 と答えており、さらには 「ぼくはこのマンチェスタ・ガーディアンを数十年も読んでいて、たえず<言葉は害をなす事は無い>ということをくり返しくり返し教えられたんです」 ときたもんだ。これには、さすがの福田さんも「ギリシャ以来二千数百年全西欧に通用している常識かと思えば、今度は現代イギリスだけのことになり、さらにはイギリスの新聞全体ですらなく、マンチェスタ・ガーディアンだけのことになってしまった。なんじゃそりゃ。」みたいな感じで呆れてましたが、そりゃ呆れますわな。ボケ・ツッコミじゃないんだから。
当時の本 『私の幸福論』福田恆存(ちくま文庫, 640円+税)人間は生まれつき不平等です。それを不幸の言い訳にしてはいけません。この世に生まれた以上、幸福にならねばならぬ責任があるのです。権利ではなく責任です。
と云ふ引用がある。
3月19日(金)Attachment, Detachment
まだシェークスピアの戯曲の翻訳を何冊か読み、女性向けに優しく書かれた『私の幸福論』という文庫本を途中まで読んだだけだが、福田恆存は私が本当に尊敬する、先達の知識人である。この人の認識は本当に鋭い。我々がおぼろげに分かっていることを、丁寧に言葉にしてくれている。『私の幸福論』も、かなり古い本だが、今の若い女性のマジョリティに向けられていないことは確かだ。この優しく丁寧に書かれた本を理解することですら、明晰な洞察力を必要とする。そして、悲しいことにこの種の丁寧な啓蒙はもう今の時代では力をなくしてしまっている。文庫の解説で中野翠さんが書いているように、『94年に亡くなったことで、自分の生まれ育った国の醜態を見せつけられること、そして自分が長年の間、営々として書きつづって来たことがほとんど無効にされたことを思い知らされ』ずに済んだことは本人にとっては幸運だったかもしれない。しかし、我々はこの知識人に死によって『懐かしく大きな『拠り所』を失ってしまった』のである。
その『私の幸福論』所収の『ふたたび恋愛について』というエッセイで、福田恆存は、『恋愛ははなはだ観念的』であるが、しかし、『結合の感情』と『分離(倦き、幻滅)』の二つから成り立っているとしている。恋愛に幻滅はつきものであり、幻滅はむしろ恋愛の出発点である。恋愛を語る時、人は結合(Attachment)のみを強調し、分離(Detachment)を無視するが、刀を鍛える時の冷却水のように、分離(Detachment)なくしては、真の愛情は作り上げられない。結合だけで分離のない恋愛は単なる『いちゃつき』に過ぎず、『澄んだ溶け合い』ではなく、単なる『混じりあい』でしかないのである。愛情の裏には憎悪がある。我々は『それに気づかなければならないし、それを肯定しなければいけない』。この単純な事実に気づかないと、『相手のうちに少しも異質のものを感じず、相手はただもう自分のために造られた存在とまで思い込んでいた有頂天の陶酔境のあとでは、それをすこしでも乱す相手が不倶戴天の敵と思われてくる・・・その幻滅は、とりかえしのつかぬ恋愛の終結を意味する』のである。この状態の行き着いたところが、上述の新聞社会面を賑わす『男女の情愛のもつれ』による凶行である。男の本性は分離(Detachment)の方にあるから、単なる『混じりあい』の果てに、その本性が暴発して、禍々しく働いてしまうのである。
しかし、我々はこのような凶行に及ぶ男(女)を嘲笑することができるのであろうか。我々に性の差異はあるのだろうか。それを前提にする秩序さえどこか崩壊してしまっている。男女の性(ジェンダー)を押しつける制度や、一方の性が他方の性を抑圧するのは良くないと私も思うが、ここまで何もかも自壊していると、いわば性的な自由すらも自壊していることにはなるまいか。福田恆存は、分離(Detachment)を男の本性、結合(Attachment)を女の本性とわざと単純化して述べているけれども、私はこの単純化は基本的にはその通りだが、秩序が自由の余地を残すことなくだらしなく自壊している現状では、あまり当てはまりがいいとは思わない。現代の浅薄なフェミニストが怒髪天をついて起こりそうなこの区分は、正しいのだけれども、残念ながら現代の我々の恋愛はそうした鋭い分析が当てはまるほど高度なものではなく、『混じりあい』に近い、幼稚そのものなのである。福田恆存のような素晴らしい知性が虚しくなってしまうほど、現代は醜態をさらけ出している。女性が強い、元気だというよりも、男女の性差がぼやけてしまっていて、単なる『混じり合い』になっており、同質化の中で絶対的な差異を享受する悦びすら、我々は喪失しているだけの話だ。その意味では、女も相対的な性差でしかなく、女としての本当の魅力を失っている時代なのだと言える。
福田恆存さんの「私の国語教室」
戦後のカナモジやローマ字論、漢字制限論の大きな嵐のなかで、漢字擁護の論陣をはったのが、シェイクスピア学者の福田恆存さんです。現在では、中公文庫のなかに「私の国語教室」という本に収められています。
福田さんはこの本の中で、歴史的かなづかいの大切さと漢字の大切さを論じています。
特に、世の中が圧倒的な漢字制限論、カナモジ化の流れの中にあった昭和30年代に書かれた漢字の大切さの議論は40年経った今でもみずみずさを失わない名著です。
この本の中から少し紹介します。
当時、表意主義と表音主義が対立していました。表音主義はカナ文字論者やローマ字論者です。表音主義者の主張する利点とはなにかということで、4つの利点が挙げられています。
- 発音と文字がずれているのは不合理である。文字は読みを表すものであり、事実、世界の趨勢から言ってもそうなりつつある。
- 漢字の習得には時間がかかり、しかも社会における表記法に混乱が生じた。
- そういうものを習得するよりは、算数理科社会などにもっと力をいれるべきである。
- 事務の近代化のためには機械を用いなければならないが、漢字ではいつまでたっても近代化は計れない。
これらの点については、明快な反論があります。
表音主義の犯した過ちは二つあり、
第一はタイプライターという、西洋の表音文字のために発明された、それももう直ぐ前世紀の遺物になってしまうような機械を、まるで近代文明の象徴のように考え、それが永遠に存続してそれ以上のものは発明されぬと思いこんで、それに合うように国語の表記法を変えようなどと愚かな考えを懐いたことである。発明というのはすべて西洋が行い、日本はそれをまねするだけで、日本人が日本の現実に適応した発明をしてもよいのだということに思いおよばなかったのであろう。
第二の過ちは、文字は専ら書くためのものと思いこんで、それが実は読むためのものである事を忘れている事である。
(原文は旧仮名遣い、旧字で書かれています)
と明快に論じています。
ワープロの出現と機械による日本語情報処理の進展を昭和30年代に予言したものといえましょう。
2,芥川の出生に関して。
奥野健男と中村真一郎は対談した<「ユリイカ」(昭和52・3月号)「芥川龍之介と現代」・P、151>の中で、次のように述べている。
奥野 芥川の出生の秘密っていうのはどうなんでしょうね。
中村 いや、ぼくは全然わからない。あなたがそれについての考えを言ってみてください。
奥野 わからないんですけど、福田恆存さんが言っているわけでしょ、女中の子説を。あれは、新原家で生まれて辰の年の辰の月の辰の刻だから、1度捨てて、また拾う、拾いの親なんていうのも出てきますね。そこから実は母の子でない子母の子 にする儀式ではないかという疑問・・当然ですね。それよりも不思議なことは、あのぐらい神経質な人だったら、自分の母親が自分を産んで9カ月で発狂したというんだったら、もっとそれが芥川文学の主要なモチ−フに必然的になるんじゃないか。それが文学的には、モチ−フになっていない。
中村 しかし、ずいぶん恐怖感はあった。
奥野 恐怖感はあるけど、あんまり書いていないでしょう。書くこともできないほどの恐怖、宿命感を抱いていたら、彼なら、本当にノイロ−ゼに早くからなってると思うけど、大体あのお母さんがどういう病気だったかもわからない。梅毒性の早発性痴呆なのか分裂病なのか躁鬱病なのか、てんかんなのかそこいらもちょっとわからない。そして彼が『大導寺信輔の半生』なんかでいちばん重要に言っていることは、自分が母の乳でなく牛乳で育ったということのコンプレックスばっかりがあるでしょう。牛の乳で育って自分は母の乳を知らなかったって、それを繰り返し書いているでしょう。・・・・・・・。
「「名著」の解読学」 谷沢永一/中川八洋共著 徳間書店 1600円
谷沢さんと中川さんの対談が実現しました。実に面白い本です。
この本では「名著」として10冊を取り上げていますが、中川さんは
>”名著”とは逆の、国家を破壊的な解体に導く(ルソーと丸山眞男の)
>「稀代の悪所」二冊を強引に含めることを谷沢先生が寛恕して下さった。
と書いております。
谷沢さんが選んだ本は
「共産主義的人間」林達夫、「平和論にたいする疑問」福田恆存、「フランクリン自伝」B・フランクリン、「蜂の寓話」B・マンドヴィル。
中川さんが選んだ本は
「現代政治の思想と行動」丸山眞男、「武士道」新渡戸稲造、「文化防衛論」三島由紀夫、「人間不平等起原論」J・J・ルソー、「隷従への道」F・A・フォン・ハイエク、「フランス革命の省察」E・バーク。
これらの本を軸に対談は進められますが、これ以外の本や人物の話も出てきます。丸山眞男批判なんか、歯に衣着せず、徹底的にやりますね。
このように考えてくると、戦後日本の平和思想は、一見、国や国際社会の安全保障を真剣に考えているようで、実は、やはりそれらに対する深い無関心が生み出した思想のように思えてくるのである。では、このような無関心はなぜ生まれたのか。いうまでもなく、戦後の日本が「アメリカの核の傘」、日米安保の下で、国際政治や国際軍事の事柄について真剣に取り組む必要を感じない状態に置かれ続けてきたからである。このようにして国際政治の風圧を免れることができた日本を、福田恆存はかつて「国際政治のエアー・ポケット」という言葉で形容したが、この「エアー・ポケット」のなかのまどろみこそが、安全保障に対するわたしたちの深い無関心をもたらしたことになる。
私は、あえて申し上げたいのですが、社会主義ほどイデオロギッシュで極端ではなかったにせよ、「外形のみの改革」にとらわれるという病理の点では、自由主義も同断でしょう。
かつて福田恆存氏は、「近代文明の最大關心事は世俗的な安全保障の確立といふ一語に盡きる」(『福田恆存全集』第七巻、文藝春秋)と喝破しましたが、適切な要約であり形容だと思います。自由主義社会の二枚看板である「自由」と「民主主義」、それに日本の場合「平和」や「人権」を加えてもいいと思いますが、それらは、なべて「世俗的な安全保障の確立といふ一語」に集約されていくといってよい。
もとより、「外形」も大切であります。とくに日本のように、それら諸々の近代的価値を欧米から直輸入し、ことごとく消化不良をおこし、いっこうに治癒のきざしが見えないようなところでは、人間の尊厳を脅かすものとの間断なき闘争を欠かすことはできません。そうでなくては、牧口常三郎初代会長が「卑屈にして脆弱な日本の精神土壌」と述べたような、“長いものには巻かれろ”式の、弊風は改まらないからであります。
北の狼氏が NC4のA BOARDで,「日本人の規範」と言う主題に沿って投稿した論考を本編に掲載しております──との事。「耻ぢの文化」(「ユダヤ」「ルース・ベネディクト『菊と刀』 」「恥の分析とベネディクト批判 」)、「『場所(公)』と『プロテスタンティズム(個)』」(「プロテスタンティズム」「WASP」「日本人の規範」)。『日本への遺言』から福田さんの「文化の定義」が引用されてゐる。
読後、爽快感を感じる作品だ。
要約すれば、格闘した末にしとめた大魚を鮫にすべて食われてしまう老人の話だ。
解説にもあるが、ヘミングウェイは徹底して客観的に描写している。
それなのに、というか、だからこそ引き込まれるのだ。
老人が見たもの、感じたことがそのまま描写されている。
それはまるで、老人自らの体に取り付けられたカメラを通した映画のようだ。
そう、実に映像的な作品だ。
最後の最後まで救いがないところがリアルである。
読後、非常に爽快感を感じました。
一言でいってしまえば、格闘した末にしとめた大魚を鮫にすべて食われてしまう老人の話、ただそれだけです。
ヘミングウェイは徹底して客観的にそれを描写しています。天気や海の様子、大魚とのスリリングな格闘、高揚とした気分から一転して突き落とされることになる鮫との格闘。それなのに、というか、だからこそ話に引き込まれるのです。
老人が見たもの、感じたことがそのまま描写されていて、まるで老人自らの体に取り付けられたカメラを通した映画のよう。そう、実に映像的な作品です。
……ハムレットの独白に"to be,or not to be ..."という句があります。 『世に在る、世に在らぬ』(坪内逍遥)、『このままでいいのか、いけないのか』(小田島雄志)と言う訳がなされているのですが、福田恆存は『生か死か』という訳を与えています。これはテーマそのものです。となると、続いての台詞『それが疑問だ…』の線にそった題材を語るということになりますが、それは英文学者にふさわしく、生物学を学んできた者の出る幕でないのは自明です。……
- 「存(ながら)ふか、存へぬか?それが疑問ぢゃ」(坪内逍遥)
- 「世に在る、世に在らぬ、それが疑問じゃ」(坪内逍遥)
- 「生か、死か、それが疑問だ」(福田恆存)
- 「やる、やらぬ、それが問題だ」(小津次郎)
- 「このままでいいのか、いけないのか、それが問題だ」(小田島雄志)
- 「生きてとどまるか、消えてなくなるか、それが問題だ」(松岡和子)
Scene7 アリマス、アリマセン、アレワナンデスカ。
川上音二郎がなぜ独白をカットしたかについては、よくわかっていない。当時は独白という演技術が日本になかったからだという説明が行われているが、そうとばかりもいいきれまい。その理由について、私にはおおよその見当がついているが、いつか論文に書こうと思うのでここでは内緒ということにしておく。
ところで、たしかに独白の演技は難しいが、それ以前に日本語に翻訳すること自体が至難の業だ。そこで独白の翻訳の話をしてACT4の筆をおくことにする。
例の第3独白の冒頭 "To be, or not to be, that is the Question:" についていうと、カットされる前の川上一座の台本は「第一、生きて居るか、死なうかといふ事を考へる。」となっていた。
坪内逍遥訳では「世に在る、世に在らぬ、それが疑問じゃ」とさすがにぐっとせりふらしくなる。福田恆存は「生か、死か、それが疑問だ」、木下順二は「生き続ける、生き続けない、それがむずかしいところだ」と、このへんまでは生き死にをストレートに表現している。
これに異論を唱えたのが小田島雄志で、その訳「このままでいいのか、いけないのか、それが問題だ」はかなりの説得力をもって受け入れられたようだ。そして最近の松岡和子訳はもとにもどって「生きてとどまるか、消えてなくなるか、それが問題だ」となる。
どれが適当か、私にはよくわからない。どうでもいいようにも思う。実際の舞台がどういったスタイルをとるかにも関係するだろうし。
それに、もっとすごい訳が他にあるのだ。
アリマス、アリマセン、アレワナンデスカ。
明治7年にイギリスの通信員ワーグマンが雑誌に載せたもので、これが本邦初訳ということになっている。日本語の無知が生んだ見事な逐語訳だが、バービカンであの翻案『ハムレット』を観たあとの私には、なぜか無視できない力強さを感じる訳である。
cf. D.H.ロレンス『アポカリプス論』
「われわれは生きて肉体のうちにあり、いきいきした実体からなるコスモス(大宇宙)の一部であるという歓びに陶酔すべきではないか。眼が私の身体の一部であるように、私もまた太陽の一部である。」D.H.Lawrence, Apocalypse日本語訳は福田恆存『現代人は愛しうるか』(筑摩書房)を参照。但し絶版なので図書館か古書店で探して下さい。
『現代人は愛しうるか』は中公文庫に入つてゐます。『福田恆存飜譯全集』第三卷(文藝春秋)でも讀めます。
【79】色彩としての神
最近、クオリア[qualia:質感]という言葉を知って、D.H.ロレンスが古代ギリシャ人のいうテオス(神)について述べた言葉を思い出しました。(『現代人は愛しうるか』福田恆存訳,中公文庫)
ロレンスは、<ある瞬間、なにかがこころを打ってきたとする、そうすればそれがなんでも神となるのだ>と書いています。たとえば咽の渇きそれ自身が神であり、<水に咽をうるおし、甘美な、なんともいえぬ快感に渇きが医されたならば、今度はそれが神となる>。そして<水に触れてそのつめたい感触にめざめたとするなら、その時こそまた別の神が、《つめたいもの》としてそこに現象する>というのです。
<だが、これは決して単なる質ではない、厳存する実体であり、殆ど生きものと言ってもいい。それこそたしかに一箇のテオス、つめたいものなのである。が、つぎの瞬間、乾いた唇のうえにふとたゆたうものがある。それは《しめり》だ、それもまた神である。初期の科学者や哲学者にとっては、この《つめたいもの》《しめったもの》《あたたかいもの》《かわいたもの》などはすべてそれ自身充分な実在物であり、したがって神々であり、テオイ[神々]であった。>
私の勘違いでなければロレンスがいうテオス(神)とはクオリア(質感)のことであり、そうであるならば、たとえば赤の赤らしさが赤のクオリアと表現されるように、色彩とは神の存在様式なのではないか。
翻って、近代の科学的・機械論的世界観は、そのような人間の原初の「問い」に対する「回答」などそしらぬ顔で、むしろ「回答」を拒否することをよしとすることによって成り立ってきた、そういう種類の世界観、コスモロジーであります。したがって、それは反世界観、アンチコスモスの性格を本来的に有しており、近代が「世界観なき時代」と称されるゆえんもここにあります。
そのことに気づかず、否、気づこうとせず、知識を知恵と、快楽を幸福と錯覚しながら、近代化の道をひた走ってきたあげく、人間は、現今の「マックワールド」にあって単なる「消費者」へ矮小化され「商品」の奴隷にまで成り下がってしまう始末であります。アイデンティティーの亀裂が深まるのも当然でしょう。
ゆえに、D・H・ロレンスは『アポカリプス論』の中で、コスモロジーの再興を訴えてやまないのであります。
「吾々の欲することは、虚偽の非有機的な結合を、殊に金銭と相つらなる結合を打毀し、コスモス、日輪、大地との結合、人類、国民、家族との生きた有機的な結合をふたたびこの世に打樹てることにある。まづ日輪と共に始めよ、さうすればほかのことは徐々に、徐々に継起してくるであらう」(『福田恆存翻訳全集』第三巻、文藝春秋)と。
ロレンスが、このような警世の叫びをあげてから七十星霜になりますが、まるで今日の事態を予見していたかのような切迫感をもって迫ってきます。卓越した予見とは、そういうものかもしれません。
北岡
……
ともかくいろんな問題が、解決できる問題が、仮設の問題が残っておりますが、人間というのはともかく絶対矛盾を持ってる生き物である。つまり、二律背反してるといいますか、これは福田恆存氏が大学紛争のときに、「人間とは二律背反を持ってる生き物であるということを諸君はわかってほしい」ということを学生に言うたことがあります。
それと同じように、ボランティアの方々の、公的ボランティアは別として、私的にボランティアで来られた方で一番われわれが苦労した調整は、自分の正義と善意のもとにおいて、正義と絶対をよしとして、それ以外耳を貸さないというふうな形を取られたときに非常に往生した。非常に強迫的になってしまっておるということで、どうしようということで、このカウンセリングは非常に困りました。
しかし、いずれにしても応援に行くとき、あるいは応援を受けるとき、両者ともに矛盾した考えを持ちながらからまってるということで、その辺の調整能力が非常にいるんじゃないかなというふうに感じました。
REVIEWorREVILE「龍を撫でた男」 THEガジラ
シアタートラム(4/3-22)
精神科医が段々内部崩壊していく様を描いた話で1952年に発表された作品。
良い夫で良いお医者さまから一転して無邪気な子どものようになっちゃう様はさすがです。佐藤オリエと伊藤孝雄は素晴らしい。際立ってました。今回、照明がきれいでした。シアタートラムであれだけのセットを作って奥行きを表現するのは大変かと。はじめ、鳥かごの鳥は本物かと思っちゃった。徹夜明けで芝居は観に行くものじゃないですねぇ…。
作品について
オスカー・ワイルドの同名の小説の舞台化。原題は“The Picture of Dorian Gray”。福田恆存訳の文庫本が新潮社から出版されています。
舞台は19世紀末のロンドン。美貌の青年ドリアン(紫吹淳)が,自分の肖像画を描いてくれている画家バジル(久城彬)のアトリエでヘンリー卿(湖月わたる)に出会い,快楽主義的な生活に魅せられていきます。
そして,自分はいつまでも若く美しく,そのかわり肖像画の方が年老いてゆくなら…と願います。
女優シビル(月影瞳)に恋したドリアンは彼女を賛美しますが,恋に酔ったシビルが惨めな舞台を演じるのを見たとたん,彼女に失望してしまいます。ドリアンの恋を失ったシビルは,自ら命を絶ってしまいました。
その時,本当に肖像画が醜く年老いているのに気づきます。さすがに驚いたドリアンですが,肖像画を誰にも見られないように隠し,享楽主義の生活を送ります。肖像画の秘密を知ったバジルさえも殺してしまいます。
やがてドリアンはヘティ(月影瞳・二役)という,シビルにそっくりな,汚れを知らない娘と出会い,過去の生活を後悔し,清算しようと,肖像画をナイフで突き刺します。 悲鳴が聞こえ,召し使いたちが駆けつけると,そこには描かれた時のままの美しい肖像画があり,ナイフで刺された老人が死んでいました。指輪を調べると,それはまさにドリアンだったのです。
芸術院会員で劇作家・演出家としても知られた評論家の福田恆存(ふくだ・つねあり)氏が、二十日午後一時八分、肺炎のため死去した。八十二歳だった。葬儀・告別式の日程は未定。自宅は神奈川県大磯町山王五一三。喪主は妻、敦江(あつえ)さん。 東京・本郷生まれ。東大英文科時代からシェイクスピア演劇に興味を持ち、同人誌「演劇評論」に参加した。戦中から戦後にかけ横光利一、芥川竜之介などの作家論を展開した。
戦後は次第に社会的現象に視野を広げ、昭和二十九年のいわゆる“平和論論争”で、進歩的知識人を「現実を無視した理想主義」として鋭く批判、一躍“時の人”に。同時に「近代の宿命」「一匹と九十九匹と」「芸術とは何か」「人間不在の防衛論」など、政治と文学、演劇の境界に立った評論を次々に発表。国語問題や憲法論、防衛問題へも積極的に関与し、保守の論客として一貫した姿勢を通した。
「社会評論は自分の本当の仕事ではない。演劇に一番力を入れたい」と宣言したのは昭和三十八年、五十歳のとき。同年、現代演劇協会を設立し、協会付属の劇団「雲」(現在は「昴」)を主宰。戦後社会を風刺した「龍を撫でた男」(第四回読売文学賞)、「総統いまだ死せず」(日本文学大賞)など多くの戯曲を発表、演出家としても活躍した。
また、個人全訳の現代語版「シェイクスピア全集・全十五巻」(第十九回読売文学賞)を刊行。D・H・ロレンスやT・S・エリオットの作品も平易かつ陰影の深い翻訳で紹介した。
五十年に及ぶ幅広い活動をまとめた「福田恆存全集」(文芸春秋刊)、昨年完結した「福田恆存翻訳全集」(同)などがある。
ここ数年は体調を崩して療養生活を続け、先月末から神奈川県内の病院に入院していた。
94/11/21 東京朝刊 社会面 03段
そればかりか、祝賀会の席上別れた妻の祝辞が代読されたことだの、そのことにたいする日本人とカナダ人の反応だの、あの評論家の福田恆存を質問責めにして怒らせてしまったことだの、個人的なエピソードまでがふんだんに挿入されている。著者の「言行録」になっているのだ。
地中海の町アレクサンドリアの港の海底から、二千年前、プトレマイオス朝最後の女王クレオパトラがアントニーと恋を語らった王宮跡が見つかった事に關聯して『アントニーとクレオパトラ』を紹介。
「海燕」八月号が「小説世界の国家像」をテーマに、文学と国家論の特集を組んでいる。そこで「ラディカルな保守主義者」西部邁が、若手批評家富岡幸一郎を相手に熱弁をふるっている。
西部が数年前、東大教授を辞職し、自腹を切ってオピニオン誌「発言者」を創刊、言論界ではたしつつある功績を否定するものではない。しかし「海燕」での西部の発言は、こと文学者や小説に関するかぎり、あまりにも単純素朴すぎるのではないか、と申し上げたい。
小子に言わせれば、ここ数年、多くの論客が馬脚をあらわした中で、西部の社会的発言のみが群を抜いてリアルでありえた理由・根拠は、実は「言葉」と「自意識」(自己欺瞞)にこだわる西部的な文学精神にあった。西部的な文学精神とは言うまでもなく、「ラディカルな保守主義」のことだ。ところが実は、この西部の保守主義の源流は、文芸評論家で劇作家、そして戦後「保守反動」の論客、福田恆存の思考と行動にあった。つまり西部は社会科学者には珍しく「文学のわかる男」だったはずなのだ。
無論、福田恆存の例を振り返るまでもなく、文学者の発言こそが日本の言論の歴史を支えてきた。経済学者や社会学者の発言が、いかに場当たり的で信用できない空理空論であったことか。元東大教授の西部はよく知っているはずだ。
ところが西部は「海燕」でこんなことを言っている。文学者は単純なヒューマニスムや世界市民の信奉者である。文学者は自意識と心理分析に閉じこもっている。文学者は人格的に子供っぽい……と。
そもそも文学者をこういう単純な、否定的イメージでしか了解できないところに論客・西部邁の限界がある、と言わざるをえない。たしかにそんな文学者もたくさんいるだろう。しかしそれは文学者の最低の鞍部にすぎない。
文学者を敬え、とは言わない。ただ、文学者を見くびるなかれ!
(嵐)
きたる十一月三日、日本国憲法が公布されてから満五十年になる。まだ“新憲法”と呼ばれることもあるが、現存する世界の憲法の中では十何番目かに古いと言われるこの憲法にも、ようやく本格的な見直しの機運が広がりつつある。
もちろん、護憲論も根強く残ってはいるけれども、文章の面からこの憲法を擁護する人は滅多にいない。その数少ない一人が作家の丸谷才一氏。
今も結構売れている丸谷氏の『文章読本』は、「達意」という点に関して明治憲法と現憲法を引き合いにしながら、現憲法は決して名文ではないが、「筆者のいはんとするところを表現してずいぶん明確であり、曖昧さが乏しい。誤解の余地がすくない」と褒(ほ)め、明治憲法に較べれば「遥かに優れてゐる」という。
一方、故福田恆存氏は「現行憲法に権威が無い原因の一つは、その悪文にあります。悪文といふよりは死文といふべく……」と現憲法の文章を頭からこきおろし、それに比して明治憲法の起草者の「情熱には頭が下ります」と讃える。
世代は少し違うものの、文章については殊(こと)の外(ほか)うるさい二人の著名な文学者の間に生じた正反対の評価−−どちらが説得力ある見方なのか。たとえば……
清水義範氏のパスティーシュ小説の傑作『騙(だま)し絵日本国憲法』は、現憲法の前文の一節「日本国民は……政府の行為によつて再び戦争の惨禍が起ることのないやうにすることを決意し……」を俎上(そじょう)に載せ、文意の曖昧さを辛辣に衝いている。
「戦争の惨禍を起こさないと決意し」なら「論理構造はちゃんとしている」が、原文では「戦争の惨禍」が主語になっているため、「戦争の惨禍」が「自然に起きてしまう」ことの「ないようにすること」を日本国民が「決意する」という趣旨になり、それでは「頭がごちゃごちゃ」になってしまう、と。
これはほんの一例。現憲法の文章上の欠陥は、明らかな誤訳を含めてほかにもある。それでも丸谷氏は「曖昧さが乏しい」と弁護し続けるのか。それとも、明治憲法に何か怨念でもあるのか。
(諦)
かつて論壇や文壇では《保守》とは侮蔑と嫌悪の対象であり、《自称保守派》として生きていくことは至難の業であった。当然、公私にわたって屈辱的な待遇を覚悟しなければならなかった。だから《自称保守派》として生きのびてきた思想家や文学者はきわめて少ない。田中美知太郎や小林秀雄、三島由紀夫、福田恆存などがどのように戦前、戦後を生きてきたかを見れば明らかであろう。
▼サッカーへの熱狂によって人びとは何かを共有したかったのである。では何を。亡くなった評論家・福田恆存氏流にいうと、それは「過去の共有」だったのではないか。「歴史とは共有された過去であり、歴史教育とは同じ過去の共有を課することである」(『日本への遺書』)。
「メタフィジカル・パンチ」(池田晶子著/文芸春秋・1500円)
過去から現在に至る、著名な言論人の文章を主として取り上げてある。ソクラテスさん、宮本顕治さん、福田恆存さん、と続いて、お医者さん、学者さん、などを含んで、最後に世界人類の皆さんで終わる。……。
発揮される思索の力、剛球の時評・時論集
「言葉によって断定する事は一つの行動である。行動すれば間違ひを犯す。間違へばその責任を取らねばならない。それを恐れる為に言葉に行動性を持たせぬ様にしてゐるだけの事なら、そこに生じる情緒、詠歎はいづれも偽りの感傷に過ぎない」──
コラムニストと称して時評的な文章も書き始めて以来、私は評論家・福田恆存のこの言葉をトゲのように感じ続けてきた。うまく判断できず、漠然と雰囲気だけの文章を書いてしまった時、この言葉が胸を刺す。
「身捨つるほどの祖国はありや」は言うまでもなく寺山修司の有名な歌の引用だ。著者は一九六二年生まれだそうだから、年に似合わぬ古風で気負ったタイトルだが、中身はけっして負けていない。剛球の時評集である。「行動性」を持った時論集である。同じように関心を持ったものの、私が曖昧(あいまい)にしか書けなかったことを、この著者はリスクを負ってハッキリと書いている。
……
評者・中野翠(コラムニスト)
◇同志社創設の新島襄はここで1890年47歳の生涯を閉じた。戦後は高田保、大岡昇平、福田恆存なども住んだ。中里恒子「時雨の記」には壬生孝之助がこの古い町に思い人堀川多江を尋ねる描写がある。
「チャタレー夫人の恋人」押収(1950)
1950年の4月から5月にかけて,小山書店からD.H.ロレンス作の小説「チャタレー夫人の恋人」の上下巻が刊行された。この物語は,戦争で下半身不随になった夫を持つ貴族の夫人と,森番との大胆な性描写のため,イギリスでも長く部分的にしか出版されなかった作品だ。日本では小説家で詩人,評論家でもある伊藤整氏が翻訳して出版されたが,1950年の今日,最高検察庁は風紀上問題であるとして,この本の押収を指令した。
今日の基準からすれば,それほど過激な描写があるわけではないのだが,なにしろ1850年といえば,この年封切られた日本映画「また逢う日まで」でのガラス越しのキスを,人々がうっとりと見つめていた時代だ。「チャタレー夫人」は7月8日にはわいせつ文書として発禁となり,9月13日には,翻訳を行った伊藤氏と小山書店社長とが,わいせつ文書頒布容疑で起訴され,翌年の1951年から裁判が開始される。これがいわゆる「チャタレー裁判」と呼ばれるもので,政府が言論・出版の自由に干渉した事件として世間の注目を集めた。
文芸家協会,日本ペンクラブは表現の自由を守るべく,中村健蔵氏,福田恆存氏を特別弁護人として立て,作品の芸術性を主張する。しかし,東京地裁は1952年,販売と広告に問題があったとして小山社長を有罪とし,東京高裁は同年の12月,わいせつ文書だとして小山社長,伊藤氏の双方に罰金10万円を課す。さらに最高裁が1957年,上告を棄却し罰金刑の判決を下したことにより,被告側の有罪が確定された。
文:中野恵美子,ZDNet/Japan
堀幸雄『右翼辞典』(三嶺書房)より
一九六一年(昭和三六)二月一日夜九時一五分ごろ中央公論社社長嶋中鵬二宅に元大日本愛国党員××××(一七)が訪れ、応接間に上りこみ、家事手伝い丸山かね(五○)から嶋中社長が不在だと告げられると奥の四畳半へ行き、着替え中の雅子夫人(三五)の左腕や胸などを刃物で突刺して瀕死の重傷を負わせ、止めようとした丸山かねの心臓を刺して殺した。××は翌二日朝七時一五分、浅草署山谷マンモス交番に自首した。小森の両親は長崎市に住み、父××は長崎地検諌早支部の副検事だった。
……
結局、事件は福田恒存(ママ)、田中清玄、畑時夫(民論社代表)、進藤二郎(大阪朝日新聞編集局長)と嶋中社長の話合いで解決したが、その条件は中央公論社の編集方針を“中正に戻す”ことだった。こうして右翼の介入、右翼の調停によって『中央公論』の言論は抑圧され、それだけでなく「菊のタブー」が再現された。『中央公論』の右傾化は、その後、編集長が粕谷一希に替り、六三年九月号から林房雄の「大東亜戦争肯定論」が連載されたことに示される。またこのあと中央公論社は「思想の科学事件」を起し、マスメディア全体に自主規制を強める契機となった。
※掘幸雄氏は「戦後の左翼勢力」に属する比較的単純素朴な人なので、『右翼辞典』では複雑多様なものを「右翼」としてひとまとめにしてしまっているところがある。上記事件に関しても、福田恆存氏や粕谷一希氏などの関係者には当然いろいろな言い分があったはずである。……
西尾幹二『自由の恐怖』(文藝春秋)より
昨年急逝された福田恆存氏は、自分は「大東亜戦争否定論の否定論者」だという名文句を吐いたことがある。あの戦争を肯定するとか、否定するとか、そういうことはことごとくおこがましい限りだという意味である。肯定するも否定するもない、人はあの戦争を運命として受け止め、生きたのである。そのむかし小林秀雄が、戦争の終わった時点で反省論者がいっぱい現れ出たので、「利口なやつはたんと反省するがいいさ。俺は反省なんかしないよ」と言ってのけたという名台詞と、どこか一脈つながっている。
しかし利口な人間は後を絶たない。かつて林房雄の『大東亜戦争肯定論』は中央公論に連載されたのだが、この本は中央公論社からは出版されなかった。中央公論誌の元編集長でもあった評論家粕谷一希氏が、当時福田恆存氏のところへやってきた。
私は現場にいたわけではなく、福田氏からの単なるまた聴きだが、粕谷氏が「福田先生、林房雄氏と先生とは同じだと世間では誤解していますよ。ここで自分は林房雄とは違うという評論を一本お書きになって身の証(あかし)を立てたほうがお得ではありませんか」と語ったそうだ。
そのとき福田氏は烈火のごとく怒った。「私に踏み絵をさせる気か。私が他の思想家と違うか否かは、読者が決めることだ。私の言っていることが林房雄と違うことは、分る者にはいつかは必ず分る」
粕谷氏はあるいは事実は少し別だというかもしれない。私自身は福田氏の怒りのまだ冷めやらぬ時代にこれを聞いて、「踏み絵」以下の言葉づかいまではっきり覚えているが、福田氏の真意はつまりはこうだ。編集者は職業柄、対立し合っている執筆者とつき合わねばならぬことがある。自分が評価していない人の本も出さねばならぬときがある。しかし、思想の商人になってはならない。思想の商人とは執筆者を操る人間のことだ。執筆者を操っているつもりで、彼は何ものかに、つまりは世間の風潮に、社会の「空気」に操られている。……
薄められたニヒリズムの戦後日本に、古典主義的精神で臨んだ戦後の代表的保守派知識人・福田恆存の「精神の核」を浮き彫りにし、現下日本の根源的問題を考察する本格評論。中村星湖賞受賞。
[読み下し]
金烏、西舎に臨い 鼓聲、短命を催す 泉路、賓主無く 此の夕 家を離りて向う
懐風藻
[作者] 大津皇子 ( おおつのみこ )
[読み下し]
神風の 伊勢の国にも あらましを なにしか来けむ 君もあらなくに
[万葉集] 巻2−163
[作者] 大来皇女 ( おおくのひめみこ )
[所在] 吉備春日神社
[筆者] 福田 恆存 ( ふくだ つねあり )
記紀万葉歌碑の建立についても參照の事。
彫刻の森美術館が来年、創立30年になるという。そのまた2年ほど前のある日である。ニッポン放送の鹿内信隆社長(彫刻の森美術館初代館長)に呼び出されてのことである。その時は、井上武吉という彫刻家を知ってるかという問いへの私の答えは知りません、であった。実は彫刻の森という野外美術館を創立したいので、その設計を頼みたい考えがあるというのが理由である。その井上武吉の作品が九段の靖国神社の外苑にあるので、それを見てきて返事をして呉というのであった。その彫刻というのが無名戦士のための記念碑「慰霊の泉」なのである。それは地面を掘り下げての空間に構造されていて、そこに湧出させている泉が、それを求める戦死者の霊のための水であった=写真下。
……
その頃、未知の評論家、故福田恆存さんから「知る事と行ふ事」の署名本の寄贈を受けて、初めて推察出来たのは、鹿内信隆―福田恆存―井上武吉―私―土方定一というせんになったのである。
[千石英世]
- 小島信夫『抱擁家族』
- 福田恆存『人間・この劇的なるもの』
- 谷川俊太郎『鳥羽』
シェイクスピアハンドブック
福田恆存 監修 B6変 768頁 3,505円
中村 光夫
作品で語られる文芸評論家・小林秀雄氏、小説家・川端康成氏との思い出、「りんどう」の女主人の語る文学青年中村氏、「鎌倉アカデミア」のフランス語講師としての中村氏など長い鎌倉ぐらしの中の氏が描かれます。
また、劇作家・福田恆存氏と対談で旧交を温めます。
(文芸評論家 昭和60年度制作 27分)
1996.11. 坪内祐三. いまこそ問う福田恆存か 丸山眞男か (諸君 1996.11, p.134-143)
(2) ストリートワイズ 坪内祐三・著 晶文社 定価2300円 1997年4月刊 4-7949-6301-7
著者の坪内さんが素敵な兄さんなので,本もおすすめ。評論家をしている兄さんですが,福田恆存さんとの出合いの話にはじまり,本のはなし,月の輪書林のはなし,いろいろある。私は内容よりも,人柄をすごく感じさせるいい本だと思っています。じ〜んとくるハナシもありました。
(ほったさとこ)
- にほんご
- 【日本語】
- 日本民族の用いている言語。
- [歴]外地の日本語教師のために発行していた雑誌。1941(昭和16)から発行し第6号まで日語文化協会が、日本語教育振興会が発行元を引き継ぎ、1944(昭和19)まで刊行。編集者兼発行者は福田恆存(ツネアリ)、1944(昭和19)の第4巻第7号からは長沼直兄(ナオエ)に替わる。
1995年3月号
福田恆存氏追悼
福田恆存先生を惜しむ(中村保男)
「福田シェイクスピア」の遺したもの(安西徹雄)
女子大時代に福田恆存の奥さんと知り合いになり、福田恆存に原稿を送ったそうです。それがきっかけで福田恆存から同人雑誌に入ることを勧められます。それで彼女は丹羽文雄の『文学者』に入ります。