「廣辭苑」は民主主義を「人民が權力を所有し、權力を自ら行使する立場」と定義してゐる。が、この定義では民主主義の何たるかはたうてい理解出來ない。多數の「人民が權力を所有」するなどといふ事はあり得ないし、不特定多數が「自ら」事をなす事も無い。知的に怠惰ならざる日本人なら必ずさう考へる。私が所持する最も大部の國語辭典は「日本國語大辭典」だが、それには「政治の原理や形態についてだけでなく、社會集團の諸活動のあり方や人間の生活態度についてもいふ」と記されてゐる。産經の特派員は「民主的」といふ言葉を「社會集團の諸活動のあり方」もしくはクリントンの「生活態度について」用ゐた譯だが、それは誤用であつて、「オックスフォード英語辭典」にもさういふ定義は載つてゐない。「廣辭苑」よりも小型の「ロングマン現代英語辭典」も引いたが、そこには「選出された人民の代表による統治」と簡潔かつ適切に定義されてあつて、やはり「人間の生活態度について」も用ゐるなどとは記されてゐなかつた。辭書は須く「保守的」であるべきで、輕々に流行語や誤用を輯録すべきではない。嘘を吐いたり、親友を裏切つたり、若い女と「不適切な關係」に陷つたりするのは道徳的な問題であつて、それと民主主義なる政治的な問題との間には何の關係も無い。北朝鮮は民主主義國ではないが、孝子もゐれば女誑しもゐるに決つてゐる。
和語においては見出しの次に歴史的かなづかひを示してゐる。
―を忘らすな(萬葉集)であるのは好ましい。
左翼學者として掲載されてゐるのは27名。