のち「國語改革の目附役」を以て自任するやうになる福田氏だが、最初は必ずしも國語改革に反對であつた訣ではない。もちろん、幾つかの文章を讀めば、福田氏が國字改革に好意を持つてゐなかつた事は判る。
大體、昭和二十年代のうちは、一般の文藝家と同樣、「容認」の姿勢を見せてゐた、と言つても良い。基本的に從來の書き方である歴史的假名遣を福田氏は用ゐてゐるが、出版時に妥協して「現代かなづかい」に據る出版も行つてゐる。
けれども、「改革」を調べ、その實態を知るにつれて、福田氏は國語改革への態度を變化させた。昭和三十年前後から、福田氏は國字改革に關して積極的に反對の姿勢を示す。その間、「論爭屋」として挑發的な發言も行つてをり、さうした「流れ」の中で、國字改革反對運動の理論書として『私の國語教室』を發表する事になる。かうした思想の變化は、福田氏の前後の主張で「矛盾」を指摘出來る場面の出現を齎してゐる。けれども、さうした「矛盾」は、理論的な破綻を意味すると捉へるべきでなく、英國的な現實主義に基いた思想の深化と見るべきである。(福田氏の人格的異常とまで極附ける向きもあるが、さう云ふ非難は論外である)
『私の國語教室』は、「運動初期」に出現する典型的な「理論書」であると言へる。あらゆる社會的な「運動」において、耳目を引く努力は必然的に要請される事であり、その爲、「運動」に關する初期の文献は、常に挑發的な内容を含むと言つて良い。マルクスの「共産党宣言」を典型として、事例は幾らでも擧げる事が出來る。野嵜自身、「HTML・ウェブの正常化運動」において、盛に煽つた經驗がある。
「運動」が「運動」として社會的に認められるには、それだけの主張が纏められて存在しなければならない。歴史的に存在が認められる「運動」には常に指導的な理論書――「聖典」と言つても良い――が存在する。
國字改革反對運動もまた「運動」である。と言ふより、從來「運動」として存在すら認められなかつた「壓制」に對する無言の抵抗の意志を、改めて表面化したものである。その「表面化」の最大の立役者となつたのが福田氏である訣だが、「運動」を改めて水面下から日の下へ引出したのには、その理論的指導書たる『私の國語教室』の存在が重大な意義を持つ。或意味、本書一册で國字改革への反對運動が歴史的な運動として成立したとすら言へる。國語問題に關する福田氏の評價をするとしたら、『私の國語教室』と云ふ一册の理論書を世に送つた事が最大の功績である、とすら言つて良い。
『私の國語教室』以後、數年間、福田氏は積極的に表音主義批判・國字改革批判を續ける。それが收まるのは、国語審議会の委員の入換へ・表音主義者の國字改革からの「撤退」がきつかけである。昭和三十年代、福田氏を含んだメンバーによつて國語問題協議會が設立され、國字改革の展開に「待つた」をかけた訣だが、その成果が昭和四十年代に入る頃から出始め、最終的に「当用漢字」「現代かなづかい」の廢止と「常用漢字」「現代仮名遣」への轉換が行はれる訣だが、その過程で福田氏の「敵」たる表音主義者の聲は小さくなり、それにつれて福田氏の「論爭」も無くなつて行く。
しかし、「常用漢字」「現代仮名遣」が國字改革の繼續と既成事實化である事は明かであり、福田氏は依然、國字改革反對の姿勢を崩さなかつた。『私の國語教室』は新潮文庫で増補版が刊行され、それが絶版になると中公文庫から再刊された。のみならず、國語問題協議會のメンバーとともに、福田氏は引續き「日本語」の問題を採上げて行く。
『私の國語教室』以後、福田氏は一貫して著書(單行本)を正字正假名で刊行してをり、その點、妥協してゐない。シェイクスピアの文庫版や『老人と海』の文庫版、或は中村保男氏と共譯で出版した「ブラウン神父」は「現代かなづかい」に基いてゐるが、それらは新潮文庫・創元推理文庫等、「現代文學」については「新字新かなに改める」と出版社で方針が定められてゐる叢書である。『アウトサイダー』『正統とは何か』等についても出版社の意嚮が通つたものと看做すべきであるし、飜譯である點、福田氏の意嚮を通せる著書とは區別する必要がある。
中公文庫『人間・この劇的なるもの』は新字新かなだが、矢張り再刊であり、また文庫であると云ふ事で著者の意嚮よりも出版社の方針が優先されてゐるものと見て良い。もつとも同じ中公文庫でも、『私の國語教室』は正字正假名で印刷されてゐる。この本に關して福田氏は妥協を許さなかつただらうし、國字改革に反對すると云ふ本の趣旨からも表記を新字新かなに改める事は出版社も出來なかつたのだらう。
福田氏は、漢字の字體については「正字體を讀めない世代」が出現してゐる事實を認め、漢字については妥協する事を容認してゐた。が、字體を改める際、從來、常に假名遣も「改めねばならない」と、出版社側が「信じて」ゐたであらう事は推察出來る(かうした「一貫性」は、出版物のデザイナーが常に「拘る」ものだ)。福田氏の一部の再刊書・飜譯書が新字新かなに「されてしまつた」のには、さうした事情が「ある」と考へて良い。
晩年に至るまで主要著書は全て正字正かなで印刷されてゐる。正字正假名での印刷が出版社に容認される場合、福田氏は一切妥協してゐない。特に晩年、新潮文庫等で飜譯書が新字新かなで再刊されるやうになるが、さう云ふ形でしか著譯書を世に問へない状況が出來してゐる現實に應じたもので、福田氏の「現實主義」的な「妥協」と見て良い。運動初期の『私の國語教室』等で「正字正假名でも良い本は賣れる」と言つて出版社や著述家を非難した福田氏の態度と比較して「矛盾」と極附け、人格的異常と非難する向きもあるが、繰返すが、論外である。
「新字をしか讀めない世代」の養成と「新字と新かなとをセットで考へる思考樣式の確立」によつて福田氏を「追込んだ」點で、寧ろ、國字改革の支持者・推進者をこそ非難すべきである。彼等が現實を「變へた」事で、福田氏は「新しい現實」への對應と妥協を強要された訣だが、さう云ふ意味で、福田氏は被害者であり、(餘り言ひたくはないが)「弱者」である。
さう云ふ福田氏を、かつての舌鋒の鋭さを根據に、「非難すべき對象」と認識し、貶めるべき人間と極附け、無闇矢鱈と誹謗中傷してゐる人が最近では出現してゐる。福田氏は早く昭和三十六年に、言論やTV討論の「ショー」的性格を指摘し、「見せ物」としての性格を意識したエンタテインメント的な發言に對する「本氣」の非難の存在を「困つたもの」と指摘してゐるのだが、相變らずその邊の事が分つてゐない人が日本ではゐなくなつてゐないらしい。
以下、福田氏の發言・記事・刊本、その他について取敢ずざつと纏めた。(以下、敬稱略)
わが日本語教育振興会もこの度法人格を獲得し大東亜省及び文部省共管の財団法人となつたのである。福田は日本語教育振興會の改組に際して退職したらしい。以後、福田は太平洋協會アメリカ研究室の研究員となる。倉島長正『國語一〇〇年』
いまはただ、畫家に對して繪具制限案がおこなはれないやうに祈るのみである。
この頃の氏には國語改革がもたらす弊害を甘く考へてゐた節があり、たとへば「そもそも私は今度の成案が國語の傳統を斷ち切り民族的感情の本然の姿をけがすものとは考へてをりません」「『新かなづかい』に國語の民族的感情を破壞するだけの力があらうとはたうてい考へられません」と述べてゐる。と指摘してゐる。
吾々はもつと日本語といふものを大切に扱はなければならぬ、と述べ、國字改革を批判。
昭和三十年十月、雜誌「知性」は「混乱している日本語――この現状をどうする――」なる特集を組んだ。
福田は「『國語改良論』に再考をうながす」を發表。小泉に對する金田一、桑原の反論は殆ど反論の態をなしてゐないと批判。「新字新かなになつて日本語が簡単になつたと云ふ事を示す具體的なデータはない」「『現代かなづかい』が表音式である事は金田一自身が述べた事だ」と指摘した。
他には、以下の記事が掲載された。
どちらかと言ふと「知性」編集部は改革に賛成する立場であつた。
昭和三十年十二月、「知性」は「福田恆存の『国語改良論に再考をうながす』について」なる特集を組み、金田一京助「かなづかい問題について」、桑原武夫「私は答えない」の二つの「反論」を掲載した。
レトリックのあやつりのみと極附ける一方、福田の立場が漸進主義である事には賛成してゐる。
昭和三十一年五月、金田一「福田恆存氏のかなづかい論を笑う」を發表(「中央公論」)。
金田一京助、福田が子息・春彦と高校時代の同級生である事を知つて、それまでの慇懃な態度を改め、居丈高な調子に書き方を變へる。ただ、先にも私の文辭にまで介入して苦言をたまわるから、えらい大家だろうと謹んで敬意を表したが、聞けばまだ私の倅ほどの人だそうな。
云々。
金田一は、
言語は不斷に成長するから、千年も經てば、無理が出來て、不便・不利、國語教育の苦勞もやりきれるものではない。どうか、これからの日本には現代語音に基づく新かなづかいがあつて然るべきだ。ぜひ、そうあつてほしい
と俗論を打ち、福田が
さて私は歴史的かなづかひが現状のまゝで、合理的であるといふのではありません。絶對に變へるなともいひません。
云々と述べてゐるのを採上げて、
……これでは私は全くえん罪じやないか。歴史的かなづかいの不合理を認めるというし、新しいかなづかいをも認めるというのである。私の意見そのものじやないか。
と述べる。
金田一は以下のやうに述べて文章を終へてゐる。
……では約束通り「卑怯な人」に自分で甘んじたわけね。
もし卑怯者になるがイヤなら、男らしく、白状したまえ。
- 「假名遣論」の根本精神には反對ではありません。ただ現代かなづかいの例外の説明がゴタゴタして、わからないから、いやになつちやつて、いやがらせや、憎まれ口を叩いた。自分も、名作を殘したいから、文體や表記法には一方ならず關心を持つて、文部省案も全部、かなりに研究したが、殘念ながら從えないんだ。
その邊が、實際の眞相ではないんですか。如何。
金田一は、「表記は表音的であるべきである」「表音的に改める事が表記の合理化である」と主張し、「表記の合理化」と云ふ「現代かなづかい」の「根本精神」に福田も反對出來る訣がないと極附けてゐる。
金田一君、君は、かつて、こう言った。文字は言葉を寫す約束的符號と思っていたが、その一つ一つの裏に永い國民生活の血のりがついている。根が生えていると。あの頃の心持を、この際福田氏などの熱意にふれるにつけても、なるほどと、いま一度思い出すべきではないか。
私は金田一さんの根本精神、假名遣改革の根本的前提であるところの一種の合理主義、便宜主義、その言語解釋に看取せられる機械論的偏向、言語道具説には全然反對である。
國語は國語學者の獨占物ではない。民族全體の財産である。日本語をこうすべきだ、ああすべきだというのは、殊に言語に關心を持つ國民のする仕事である。國語學者は國民がその仕事をより容易になしうるために、いわば地ならしをしてくれるべきものである。材料を提供してくれるものである。と述べる。
論戦の終結を宣言する。(言葉の救はれ――福田恆存論: 言葉の救はれ――宿命の國語220)金田一と大久保は二人とも後に「言語政策を話し合う会」の會員となる(昭和三十三年一月三十日に第一囘の準備會、四月十日に發會式を行なつてゐる)。
昭和三十一年七、八月、福田「金田一老のかなづかひ論を憐む」を發表(「知性」)。
金田一の「煽り」に福田は態度を硬化させ、後年、さんざん厭がらせの惡態をつかせてもらつた
、と述べてゐる位だが、實際に讀んで見ると「憐れむ」で福田は別に非道い事を言つてゐる訣ではない。
福田は、
老(金田一の事)は冒頭で「若しも私のかなづかい改訂論の精神に間違いがあるというのなら、事、專門の問題である。どこまでもお相手になって、トコトンまで論爭しよう」と書いてゐますが、本質的な問題のわからぬ人に「精神」などといふものがあるものですか。老の「かなづかい改訂論」に「精神」などといふものはどこにも見いだせない。
私は終始そのことをいひつづけてきたのです。それに老は氣づかず、(福田の)「攻撃の鉾先が、少しも、私の本據を突かずに、私の字の使い方や、活用のまちがい、当用漢字にあるとか、ないとか、音訓整理にそむくとか、合わぬとか、細かいところばかりを衝いて、少しも私の根本精神、相對立するゆえんのかなづかいの本質については考えても見ない人のようだ」と書いてゐます。ところが、その「細かい所」は、私のばあひ、けつして揚げ足とりではなく、「現代かなづかい」成立不能といふ本質論に通じてゐるのです。
と述べる。
金田一が音韻論を展開し、それに據つて「現代かなづかい」を擁護しようとした事について、福田は、以下の諸點を指摘した。即ち、「現代かなづかい」が表音主義と表語主義のダブルスタンダードに陷つてゐる爲、音韻論だけでは「現代かなづかい」を擁護した事にならない事。「現代かなづかい」にはそもそも「根本精神」と呼べるやうなものが存在しない事。その一方で、歴史的假名遣には「語に忠實であらうとする」合理的な精神がある事。
福田は以下のやうに文章を纏めてゐる。
金田一さん、結論はかうです。表音式に徹するか、「歴史的かなづかひ」か、そのどちらかにしか道はありません。「現代語音にもとずく」は、どう考へてもごまかしとしか思はれないのです。それともう一つ、あなたから今さら音韻論の講義を聽きたくはありません。私が數囘にわたつて指摘した「現代かなづかい」の矛盾について、まづお答へいただきたい。また私に習つて、論敵から指摘された自分の誤を訂正していただきたい。論爭はそれから先の話にしませう。
福田は、「表記の合理化」に賛成するが、その「合理化」は、「表音化」を徹底するか、或は、既存の歴史的かなづかひの合理性を徹底するか、の、どちらかでしか實現し得ない、と述べ、「現代かなづかい」はさうした徹底を囘避してゐるから少しも合理的でない、と指摘してゐる。
なほ、同誌九月號卷末「すくらっぷ」欄に據れば、毎日新聞が福田の表音式に徹するか、歴史的かなづかいにもどるか、どちらかだ
と云ふ「結論」を採上げて、これがこの論客の戦法らしい
、なぜこの種の論法がまだ生命を保っているか、これは検討の必要がある。
と論評してゐたさうである。何うしてこの種の論法
が生命を保
つてゐては行けないのか、全く解らない。
自分は「現代仮名遣」を用ゐない、歴史的假名遣を用ゐるが、新聞に載る文章では「現代仮名遣」に改められる事を容認する、と言ふのは、假名遣自體としては歴史的假名遣の方が正しいが、論理的には筋が通らないにせよ「現代仮名遣」で育つた讀者が大多數である新聞に於いては「現代仮名遣」の方が「正義」である、と云ふ「釋明」(渡部晋太郎『国語国字の根本問題』)。單行本化の際、「きのふけふ」に改題、正字正かなに。
私の文章は今の若い人になじみの無い正かなづかひで書かれてゐる。なぜ私が現代かなづかひを用ひないか、それは最後の「せりふの美学・力学」(二)に説いた事とも関聯があるが、詳しくは『私の国語教室』(新潮文庫)を是非読んで戴きたい。――を載せてゐる。
なほ、本書の仮名遣ひは、歴史的仮名遣ひ、即ち正統仮名遣ひによつた。それは伝統を重んずる保守的立場によるものであり、しかも語義、語法の点で合理的であるからでもある。と述べてゐる。十一月、PHP研究所より『文化なき文化國家』を出版。「あとがき」で、
本書の假名遣ひが正假名遣ひ(歴史的假名遣ひ)によつてゐる事について、讀者の中には反撥を懐く人もあらうかと思ふので、一言、辯じておく。と述べ、簡單に國字問題の出現した理由や「改革」の問題點を説明してゐる。
國語問題に關する福田氏の考へは以下の通り。福田恆存評論集第7卷後書
……。しかし、世間一般が考へてゐるのとは反對に、漢字問題よりは假名遣問題の方が重大である。なぜなら、第一に、漢字制限や音訓整理の方は始めから無理があり、現にその制限は破られつつあるからである。第二に、假名遣の表音化は國語の語義、語法、文法の根幹を破壞するからである。……。明治以來、日本の近代化の過程において、僅かに吾々の手に殘された日本固有のものと言へば、日本の自然と歴史と、そしてこの國語しか無いのである。
「全集」第四卷の「覺書」は次の言葉で終つてゐる。
かうして幾多の先學の血の滲むやうな苦心努力によつて守られてきた正統表記が、戰後倉皇の間、人々の關心が衣食のことにかかづらひ、他を顧みる余裕のない隙に乘じて、慌しく覆されてしまつた。まことに取返しのつかぬ痛恨事である。しかも一方では相も變らず傳統だの文化だのといふお題目を竝べ立てる、その依つて立つべき「言葉」を蔑ろにしておきながら、何が傳統、何が文化であらう。なるほど、戰に敗れるといふのはかういふことだつたのか。