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文様あれこれ 「渦 (1)

渦巻き文様ぐいのみ : 染付の渦巻きいろいろ。薄いので光が通って涼しげです。呉須の青い線も細く手取りも軽く、冷酒などほんのすこし飲みたい時に丁度いいくらい。小さく儚げだけれど立ち姿は蕎麦猪口でおなじみの桶形でしゃっきりしています。 口径 5.4cm 高さ 4.6cm

 

 先日、地面に石蹴り遊びの螺旋が描いてあるのを見た。まだこんな遊びをする子がいるのかと愕いたがひょっとするとおばぁちゃんが孫ににやってみせたのかもしれない。渦巻き型に石を蹴ってゆくのは女の子の遊びだった。石蹴り遊びには長四角を分割した「キーバタン」というのもあって、その方がポピュラーだったような記憶がある。渦巻きの間を中心へ向ってケンケンで小石を蹴って行くのは、子供には悠長過ぎたのかも知れない。それでも途中に足を下ろしてもいい印や踏んではいけない場所などがあって、子供ながらになんとなく人生的な遊びだと感じたものである。
 或るとき十九世紀の「天路暦程」の挿絵(版画)に、おなじ右回りの渦巻きの道をみて、微笑ましかった。挿絵には人生の泥沼や虚栄の市場を抜ける巡歴の行程が事細かに描きこまれていた。中心は死の河に取り巻かれた天上の都市で、それが上がりというわけ。
 石蹴り遊びでは、一人が小石を中心まで蹴り終えると次の子が今度は中心から外へケンケンで蹴って戻るのだったと思う。線の上に小石が乗ったり線を踏んでしまったりしたら負けだった。

 昔の神事が子供遊びに残っていることがあるという。渦巻き型の石蹴り遊びもそういう古い遊びの一つだったのかもしれない。

 渦巻き文様の歴史は古い。世界中のどこでもBC3000年ごろの人たちは、石や粘土に渦巻きを描くのに没頭していたかのように見える。

 蚊取り線香を眺めて目を回すように渦巻き文様のはじまりを考えると眩暈がしてくる。<かんがえる>とは、<かむかえる>つまり向き合うことだそうだ、うう目が回る。ついでだが<分かる>はつまり<分ける>ので分析的かつ静的な行為であるらしい。

 四大文明はそれぞれの好みの渦巻き文様を持っている。
 メソポタミアの粘土板に表現された腸状迷宮の呪術的迫力は圧倒的なので、渦文様の発祥はこの腸ではないかと考える向きもあるらしい。が、私はそれは考え方が逆ではないかと思う。むしろ渦のイメージが先にあって、それが生き物(人間も含む)の内部にも見出されることが古代の人々には印象が強く、そこに神秘的照応を感じたのだろう。
 大宇宙(マクロコスモス)とミクロコスモスとのあいだに照応を感じること、中沢新一の言葉を借りれば「対照性」をみだすのは古代の人の得意技だった。
 メソポタミアの粘土の腸はおそらくそのひび割れ方などで腸占いにつかわれたのだろう。腸占いは中国にも、また他の文化にも見られる。もちろんほんものの腸を始めは使っていたのだろう。粘土に写すことでワンランク”文化的”になったといえるだろうか。

 それはひっくりかえせば自然の中に人体を見ることでもある。シュール・レアリストのマックス・エルンストの「フランスの庭」に描かれた、風景と女性の肢体の渾然とした世界など、現代の私達の感覚にも訴えてくるなにかがある。しかし、また、専制君主時代のヨーロッパのように、「国家とは王の肉体そのものだ」というような、人迷惑な思想にもつながったりするけれども。

 それなら、渦、螺旋のイメージとはなんだろうか。水の渦、炎の渦、全く性質の異なるものに同じように出現する渦巻き・螺旋の形象は古代人ならずとも神秘的だ。夏の浜辺で拾った巻貝の美しい螺旋構造に、魅せられた人は多いだろう。星雲からDNAまで、神の暗号のように螺旋はひそんでいる。

 ヒンドゥー教の開闢神話にも壮大な渦がある。悪魔と神々が宇宙蛇をひっぱりあう乳海攪拌の物語である。その渦のなかから不老不死の霊薬が生じる。インドの神々は渦の象徴であふれている。
 卍はヴィシュヌ神の旋毛の徴だったが、のちに仏陀の胸や手足の裏にも移った。
ヨガでも脊椎にそって存在するの霊的な力のスポット(チャクラ)を力の循環する渦ととらえている。チャクラとはサンスクリット語の車輪の意味だそうだ。真上から見た蓮の花の形にも似ているので、しばしば両者のイメージは混ざり合う。
 渦または螺旋は対立する二つの力の相関関係をあらわしている。どちらが始まりとも終わりともつかづ、無間に回転を続ける対立する力。渦巻き文様は、神々と悪魔、陰と陽、そして死と再生の、力動的統一の象徴となった。

 古代文明の渦巻き文様をもう少し見てみよう。エジプトの第十二王朝のファラオの二重王冠の前頭部には、蝶々の口吻のような渦巻きがレリーフになっているのが面白い。
 仏像の眉間の白毫も普段は白い毛が螺旋状に巻き込まれていて、時にそれを光のように伸ばすのだそうだが、このファラオの冠の図像が遥かにヘレニズムを経て仏像の形に影響を与えたのではないかと想像すると楽しい。

 渦(2)に続く

2007年5月21日

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