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文様あれこれ 「渦 (1)」 渦巻き文様ぐいのみ : 染付の渦巻きいろいろ。薄いので光が通って涼しげです。呉須の青い線も細く手取りも軽く、冷酒などほんのすこし飲みたい時に丁度いいくらい。小さく儚げだけれど立ち姿は蕎麦猪口でおなじみの桶形でしゃっきりしています。 口径 5.4cm 高さ 4.6cm
先日、地面に石蹴り遊びの螺旋が描いてあるのを見た。まだこんな遊びをする子がいるのかと愕いたがひょっとするとおばぁちゃんが孫ににやってみせたのかもしれない。渦巻き型に石を蹴ってゆくのは女の子の遊びだった。石蹴り遊びには長四角を分割した「キーバタン」というのもあって、その方がポピュラーだったような記憶がある。渦巻きの間を中心へ向ってケンケンで小石を蹴って行くのは、子供には悠長過ぎたのかも知れない。それでも途中に足を下ろしてもいい印や踏んではいけない場所などがあって、子供ながらになんとなく人生的な遊びだと感じたものである。 昔の神事が子供遊びに残っていることがあるという。渦巻き型の石蹴り遊びもそういう古い遊びの一つだったのかもしれない。 渦巻き文様の歴史は古い。世界中のどこでもBC3000年ごろの人たちは、石や粘土に渦巻きを描くのに没頭していたかのように見える。 蚊取り線香を眺めて目を回すように渦巻き文様のはじまりを考えると眩暈がしてくる。<かんがえる>とは、<かむかえる>つまり向き合うことだそうだ、うう目が回る。ついでだが<分かる>はつまり<分ける>ので分析的かつ静的な行為であるらしい。 四大文明はそれぞれの好みの渦巻き文様を持っている。 それなら、渦、螺旋のイメージとはなんだろうか。水の渦、炎の渦、全く性質の異なるものに同じように出現する渦巻き・螺旋の形象は古代人ならずとも神秘的だ。夏の浜辺で拾った巻貝の美しい螺旋構造に、魅せられた人は多いだろう。星雲からDNAまで、神の暗号のように螺旋はひそんでいる。 ヒンドゥー教の開闢神話にも壮大な渦がある。悪魔と神々が宇宙蛇をひっぱりあう乳海攪拌の物語である。その渦のなかから不老不死の霊薬が生じる。インドの神々は渦の象徴であふれている。 古代文明の渦巻き文様をもう少し見てみよう。エジプトの第十二王朝のファラオの二重王冠の前頭部には、蝶々の口吻のような渦巻きがレリーフになっているのが面白い。 渦(2)に続く。 2007年5月21日 |
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