2002年7月14日:アムステルダムまるかじり(2日め)


 旅行初日の夜で時差ぼけのせいと、繁華街の中心にあるホテルで外では明け方まで大声で騒ぐ連中がいて、なかなか熟睡とまではいかなかったが、体調はそれなりに目が覚めた。ホテルでの朝食を済ませたのち、街歩きへと出かけた。

まずは市内交通の1日券と、その日のコンサートがあればそのチケットを入手しにインフォメーションセンター(VVV)(アムステルダム中央駅のプラットフォーム1番線内にある)へと向かった。ところが、朝9時にもかかわらず長蛇の列。かなり時間をロスすることを覚悟していたが、係員が目的を尋ねてまわり、列のほとんどがホテル探しの列で、チケット系は別の窓口ですぐ対応できた。窓口で今日のコンサートがあるか、メジャーな劇場について問い合わせたが、いっぱいだとかいって入手できず(そこで劇場へ直接行く作戦に切り替える)、トラムや地下鉄で使える1日乗車券(5.2ユーロ)だけを購入した。

最初の目的地はゴッホ美術館で、中央駅前からトラム(2番?)に乗る。乗車券を最初に使うので、ここで改札機でスタンプを押した。約10分強で着いたが進行方向と逆向きの席でカーブがきついのでちょっとグロッキーになってしまった(-_-;)。停留所名のアナウンスはあるにはあるが、慣れない地名なので聞き取るにはちょっとつらい。ひとつ手前の停留所は国立博物館前なので、それを過ぎたら次で降りる(途中左手に美術館が見える)と思えばよい。

ゴッホ美術館は10時開館で10分くらい前に着いたが、こちらもすでに長蛇の列(#VVVなどで入場券を買っておけば、専用の入口からすんなり入れるらしい)。とはいってもそれなりに大きい美術館で開けば数分で入場でき、混んで見ずらいということはなかった。大きいカバンとかリュックとかを持ってると入口で預けるように言われる。

 ゴッホの作品で有名な馬鈴薯を食べる人々ひまわりなどを鑑賞することができた。彼自身心の病にかかり、幻聴に苦しみ、自分の耳を切り落とした自画像もある。初期の作品は、暗いタッチで貧しい農民たちを描いた作品が多かったが、フランスのアルルでの作品は風景画が多く、明るいタッチで描かれたものが多い。サンレミのセント・ポール精神病院に入院中の作品は、木や花などがよく描かれている。ゴッホは日本の浮世絵にとても興味を持ち、安藤広重の絵を模写したり、桜や梅の木をこよなく愛した。
 ゴッホは37歳にして自らピストルで命をたつ。弟テオにおくった手紙には「ぼくは敗者だ・・・」と書かれている。半年後、ゴッホの最大の理解者だった弟テオも亡くなり、テオの妻がゴッホの絵をオランダに持ち帰り、作品が世に広く知られるようになった。

美術館を出ると、周囲一帯が芝生の広場(ミュージアム広場)になっていて、日曜を楽しむアムステルダム市民をたくさん見ることができた。近隣には「国立博物館」や市立の近代美術館と、世界有数の音響が優れたコンサートホールコンセルトヘボーがあり、文化的なエリアである。この日の夜、ここのコンサートを見ることができた(詳しくは別ページ観劇でカンゲキに)。昼食は国立博物館そばのオープンテラスのカフェでサンドイッチだった。

昼食後はオランダの街中で古き良き原風景のひとつだと思っているマヘレのはね橋へと向かう。国立博物館の前から博物館を背に右手方向に走るトラム(7番?)に乗り乗車時間は5分程度、車窓からも橋を確認できる。橋の周辺にはベンチもあるので、ちょっと一休みもできる。日曜日だからか、運河には家族かグループかで船上パーティのようなのを開いてるのを何度か見かけた。
マヘレ橋のたもとまで行く途中の運河沿いにはカレー劇場があり、この日はある意味日本ではおそらく見ることのできない「サーカス」が行われており、貴重な経験ができたと思っている(こちらも詳細は別ページ観劇でカンゲキに)。
サーカス観劇後は、最寄から地下鉄に乗って途中下車し、市庁舎とオペラハウスが一体となった建物などを見ながら中央駅まで戻り、夕方再びコンセルトヘボーへ向かいコンサートを楽しんだ。

「オランダ・ベルギー・ドイツの旅」トップページ