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浦和南ロータリークラブ誕生のめばえは昭和50年8月浦和西ロータリークラブが発足した時点で次は南クラブだと云う言葉で始まっており、そして昭和52年3月頃から浦和市南部の地元有志の間でロータリークラブ創立の気運が盛り上がりました。浦和ロータリークラブ綿貫会長は早速その旨相原ガバナーへ報告した結果同年8月特別代表に逸見正夫様が、そして、拡大補佐に 鈴木政義様がそれぞれ任命された。 そこで地元発起人清宮一郎氏を中心として山口地区拡大委員長、酒井第一分区代理及び浦和4クラブの会長幹事の方々の絶大なご協力とご助言により着々準備を進め昭和53年3月27日に浦和ロータリークラブをスポンサーとしチャーターメンバー22名を以って創立総会を埼玉銀行南浦和支店で挙行し5月26日には国際ロータリーより正式加盟が認められました 当クラブはロータリーの経験者は殆どおりませんが「無から温かい交友を作り大いに発展しよう」を合言葉とし発足した。
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創立総会
国際ロータリー加盟承認
認証状伝達式
と き
ところ
創立クラブテーマ
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昭和53年3月27日
昭和53年5月26日
257地区63番目のクラブ
昭和53年12月3日(日)
小松原女子高等学校体育館
「無から温かい交友を作り大いに発展しよう」 |
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クラブの地域内に歴史に埋もれた世界的遺構の見沼通船掘りがある。今より約260年前(徳川八代将軍吉宗公西暦1719)見沼を干拓し代用水路を利根川より引き(今日東京圏の命の水の武蔵水路の元圦である)荒川の支流を結び高低差の中に閘門式運河を造り関東平野の南北をl結び江戸と物資の交流、政治の安定に大きく貢献した。同じ構想の有名なパナマ運河より180年も前に発明実現させて居た先人の英知の「見沼通船掘遺構」である。 バナーはそれを図案化し、象徴としたものである。 |
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年 度 |
年 代 |
会 長 |
初年度 |
1977-1978 |
清宮一郎 |
第2年度 |
1978-1979 |
清宮一郎 |
第3年度 |
1979-1980 |
細井平治 |
第4年度 |
1980-1981 |
中村昇三 |
第5年度 |
1981-1982 |
桶本佳一 |
第6年度 |
1982-1983 |
二宮周三 |
第7年度 |
1983-1984 |
清水秀則 |
第8年度 |
1984-1985 |
金子 業 |
第9年度 |
1985-1986 |
星野一郎 |
第10年度 |
1986-1987 |
倉林 巖 |
第11年度 |
1987-1988 |
田辺芳一 |
第12年度 |
1988-1989 |
茅野猛朗 |
第13年度 |
1989-1990 |
佐藤一郎 |
第14年度 |
1990-1991 |
有井利行 |
第15年度 |
1991-1992 |
北井昌年 |
第16年度 |
1992-1993 |
塩川通正 |
第17年度 |
1993-1994 |
岡村武勇 |
第18年度 |
1994-1995 |
新井芳夫 |
第19年度 |
1995-1996 |
大谷晃通 |
第20年度 |
1996-1997 |
佐伯鋼兵 |
第21年度 |
1997-1998 |
塚原 隆 |
第22年度 |
1998-1999 |
小黒正一 |
第23年度 |
1999-2000 |
大広保夫 |
第24年度 |
2000-2001 |
清宮義正 |
第25年度 |
2001-2002 |
野宏治 |
第26年度 |
2002-2003 |
遠藤正明 |
第27年度 |
2003-2004 |
立林一男 |
第28年度 |
2004-2005 |
野島照雄 |
第29年度 |
2005-2006 |
浜田邑侑 |
第30年度 |
2006-2007 |
柚木政俊 |
第31年度 |
2007-2008 |
饗庭英彦 |
第32年度 |
2008-2009 |
黒澤和夫 |
第33年度 |
2009-2010 |
佐藤 齊 |
第34年度 |
2010-2011 |
小林隆敏 |
第35年度 |
2011-2012 |
大広保夫 |
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第36年度 |
2012-2013 |
遠藤正明 |
第37年度 |
2013-2014 |
成海和正 |
第38年度 |
2014-2015 |
佐藤志郎 |
第39年度 |
2015-2016 |
小滝敏郎 |
第40年度 |
2016-2017 |
黒澤和夫 |
第41年度 |
2017-2018 |
秋本勇次 |
第42年度 |
2018-2019 |
齊藤建吾 |
第43年度 |
2019-2020 |
野並伸行 |
第44年度 |
2020-2021 |
石川俊彦 |
第45年度 |
2021-2022 |
山杢敏之 |
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