第3圃場 面積 3500u
生産品目 アカマツ クロマツ マキ コニファー他
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第3圃場は昭和48年頃、国の水田対策確立事業、いわゆる米余りによる稲作生産調整の一環
として水田埋め立て促進事業の補助を得て植木圃場として誕生した。つまり元は田圃であった。
当時の埋め立て費用は1000u当たり40万円程度と記憶している。この事業のまだ初期段階で
このうち何割が補助されたのかは忘れてしまったが、その後暫らくして1000u当たりの埋め立て
費用は倍の値段に跳ね上がった。補助を受けられるとして多くの農家が競って水田を埋め立て始
めたからであるが土木業者の談合に起因すること大である。この時の補助比率は国、県、自治体
合わせて70%だったと思う。またその何年か後には1000u当たり120万円位まで値上がった。
水田を埋め立てて畑にした農家のうちで、作付作物は野菜、穀類等様々だが植木の苗木を植える
農家がより多かった。オイルショックもあったが、それをも克服して日本経済は更に成長を続けて
いた頃である。今思えば、1970年代のあの頃が一番の絶頂期だった。植木も作る傍から売れて
いった。将来に対する不安は全く無く、このまま順調に世の中は推移する物と疑いもせず日々の
仕事に精を出していた。誠に良き時代であった。
時代は変わる物。今更ながら身に染みて感じるが、凡夫の身には祇園精舎の鐘の音も聞こえず
唯々うたかたの夢をつれずれに弄するのみであった。そして日本経済もバブルへと突き進む。
それはともあれ、我家はこの埋め立てにより米作りを止めた。元々水田は少なかったし耕地整理
事業の折、畑を多く取得したので田圃は2箇所のみでその何れも埋め立てを完了した。
こうして我家は植木専業農家となり現在に至っている。 ( 03/1 記 )
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