千代の『初めてのヒマラヤ体験記』                     
  シッキムヒマラヤ・カンチェンジュンガ トレッキング    
      2003・4・19〜5・3  
       
     
       
   4月19日 成田  ニューデリー   
       
    関空(香港経由)から出発の予定が、SARS騒動で前日になって成田(バンコク経由)に変更、飛行機の座席と機体カバーが外れていろんな線が見えている。私にはSARSより、インド航空の古い機体の方が怖かった(*_*;
 無事にインドのデリーに着き、入国検査・・・、私と昔娘Aさんは一番最後に・・何故かって? マスクをしていたからです〜。だって、検査員も全員白衣にマスクですよ〜、なのに・・調子が悪いように見られたみたいなのよ〜、ツアーリーダーの鈴木さんが説明してくれて無事通れました。迎えてくれたのはけたたましいクラクション(日本じゃすぐ殺傷ざたね)とサウナのような暑さでした。 
 
       
    最高級HOTELは快適、飛行場の手荷物検査はものものしい雰囲気で、何度も検査され4時間弱で軍事空港のバグドクラへ。これから世話をしてくれる現地サーダーのスレスさんが出迎えてくれた。空港のレストランで昼食となったが、今回のトレッキングにあたり、何か食べる時は必ずウエットティッシュで手を拭く等、なにかと神経質になっている私を昔娘Aさんが笑う。ここでの不潔な感じに余り食欲がない(うっそ〜)。
 おトイレに行くと、女の人が住み着いている(?)。水が流れないので呼ぶと、タンクに手を入れて流れるようにしてくれるが・・これって、チップがいるって事??
 空港からダージリンまではバスで移動、沿道には、家の中には誰もいないんじゃないかと思われる程、人々が外に出て道路を通る車をみている。道路はトイトレインの線路と平行してついている。
 
       
     
       
   4月21日 ダージリン(2134m) (9時間) ヨクサム(2000m)    
       
 





 早朝カメラを持ってホテルの近辺を歩く。ダージリンの町の向こうにカンチェンジュンガ山群が見えた。ダージリンの町にも朝陽が当たり、とてもフォトジェニック。

 ダージリンは私の大好きな紅茶で有名な英領インド時代の避暑地。こんな高地の斜面にたくさんの家が建っている。遠くから見ると綺麗、でも近くでは、独特の匂いとゴミがいっぱい捨てられて不潔。溝にも、沢という沢にもゴミが流されている。昔のように、野菜や果物の皮なら、肥料にもなるが、現代のゴミはここインドも同じでプラスチックやペットボトルの類が多く、溶けないのに平気で流している。日本でも山へ行くと、いろいろ捨ててあるのを目にするが、それが街全体と思っていただきたい。

 8時15分にホテルを出発。私達が荷物をバスに積み込んでいると、通りかかったインド人の観光客に記念写真を撮るから一緒に入ってと言われた。いつもと反対でなんか変な感じ。
 街中は電線が垂れ下がっていて、助手の方がドアから乗り出して見たり、すれ違いの車の運転手が見てくれたりしながら、おびただしい人々の間を上手に走る。信号がないのでクラクションを鳴らすのだというのが分ってきた。すれ違うバスの屋根まで乗客が乗っている。ここから丸一日かけてトレッキングの出発地ヨクサムへ向かうが、絶壁やら、橋の崩壊での迂回路(降りて歩いた)や、出会い頭の恐怖やら・・・。

 シッキムはかつてヒマラヤの王国であったが現在はインド二十二番目の州で日本人のルーツと言われている。そういえば人々の顔つきも、アジア系になって来ている。
 シッキム州境での厳重な(?)入国審査を終えると、だんだんと空気の綺麗な山間の道となり、段々畑に連なる緑の山々が日本の景色に似ていたりもする。
 16時50分にヨクサムロッジに到着し、明日からの7泊のテント生活に持って行く荷物とロッジに置いておく荷物の整理等で忙しい。