K2・バルトロ氷河トレッキング 25日間  
   2004・8・20〜9・13  
     
   9月4日 ゴレ2(4400m)   ウルドカス(4050m)  【12日目】  
     
       
     
 



 朝の計測は 79/94 
 朝目覚めてテントからでると、また“えもいわれぬ景色”になっている。毎朝隣のテントの昔乙女さん夫婦に「えもいわれぬ景色よ! 写さないの〜」と声を掛けるものだから「気ぜわしいわ〜」と言われたので本気にして、今朝は声を掛けないでいると「寂しい〜」(笑)そうだ。
周りどこをみても綺麗で、ガッシャーブルム方面も朝焼けしているけど昨日の撮影で満足したので
パイユピーク・カテドラル方面の朝焼け、マッシャーブルム(7805m)を撮影した。

 私達より3日後の8/23出発<K2・バルトロとガッシャーブルムBC29日間>の食事テントの横を通ると、朝食の真っ最中だった。と言う事は、私達より1時間遅く出発しているんだ・・。いつも、朝食の時が撮影に最適の時間でシャッターチャンスを逃してきたのに・・。亀の歩みで特別遅いから・・・((+_+))・・・

往路では、それ程の回数でもなかったのに、復路になるとちょっとした登り降りでもパーソナルポーターに手を引かれている。
 
       
 


 16:5にウルドカスに着いた。
撮り残した花を撮りに丘へ行ったけど、
まだ5日しか経ってないのに花は終わっていた。


夜の計測は 78/96 

           
 
     
     
     
   9月5日 ウルドカス(4050m)  リリゴ(3900m)  【13日目】  
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 朝の計測は 71/91
 今朝は靄っていたので撮影はやめてゆっくり準備をして外に出ると・・、朝焼けが綺麗だった。
 ウルドカスは最後の緑地帯でキャンプ地が整備されている。NPOのトイレも設置されていてゴミ箱もあるけど、ゴレ2でポーター達が穴を掘ってなにやら埋めているのを目撃した私は鈴木さんに「何か埋めてましたけどゴミですかね?」と聞くと「そうですか、それしか考えられませんねぇ」との事だった。草等の餌がないので何でもほとんど人力で運んでいるので、こんな所のゴミ箱のゴミは結局埋める事になるのだろう。

いつも通り7:0に出発、途中で元気なイタリア隊30名とすれ違う。
陽気なイタリア人のおじさん(自分の絵葉書を作っていてサインしてくれた)と記念撮影。

 10:25にコブルツェに到着。何と言うこと事だろう! 池が無くなっている。堰き止めていた氷が融けて水が抜けてしまったそうで(あの映り込みの写真はもう撮れないんだ!)遠回りしなくてもいいとの事だったけど、道が崩れてダメだった。往路と同じ道を戻る。
落石地帯を足早に通り過ぎ休んでいると、日本人のパーティ4人、人気(?)のツアーリーダー,、後藤眞理さんのパーティ6名、写真家の内田良平さんのパーティ8名が次々にやって来た。

 珍しく予定より早く14:10にリリゴに着いた。(やればできるじゃん)
崩れてきたらひとたまりもないような裏山の空き地にテントが張られる。ポーター達にはツアー会社から小麦粉とケロシンストーブ・燃料を用意するそうで、着いたらすぐに小麦粉で
チャパティ・ナンを作り始める。
夕景は目の前の
トランゴタワー(6239m)、グレートトランゴ(5866m)を撮った。
夜の計測は 80/89
 
     
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    星も撮りたいとトレッキングに来るまでに本を読んだり写真教室の先生や先輩に聞いて来たのに、ずっと天気がよくないし、月も出たりするので・・、1回でもチャレンジして帰ろうと“テントと山”をバルブで撮る事にした。
F4.5でバルブ撮影10分 テントが明るすぎるかな〜と鈴木さんがテントにいたので相談すると、15分、20分も撮ってみたらとアドバイスを受けて試してみた。そして出来てビックリ、バルブ撮影20分のフィルムにテントが明るすぎるものの、丁度北極星を中心に星が回っているのが撮れていた。 (^。^)
 
     
     
     
   9月6日 リリゴ(3900m)  パイユ(3450m)  【14日目】  
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 朝の計測は 77/93 
前の山が朝陽に映えてもう少しで良くなるのに食事の時間。パイユピーク(6610m)方面を撮って氷河を横切ってパイユに戻る。
ロバの集団が通り過ぎる。リリゴに山積みになっていたケロシン(燃料)の箱を回収に行っているとの事だった。
だんだん暑くなってきたので沢の水でバンダナを濡らして首に巻いてもすぐ乾いてしまう。沢の水も透明になって来てポーター達が水を飲んでいる。(白濁している氷河の水も平気で飲む)

 12:0にパイユに着いた。午後は洗濯をしたり、サインをして貰ったり、パキスタンの歌を教えて貰ったりして過ごした。
それにしても、私達の頭の悪さはどうした事だろう。(笑) インド映画<RAJA  HINDUSTANI>の挿入歌でパルデシという歌を、ずっと教えて貰って来たのに全然覚えられない。 ^_^;
日本語に同じ発音の言葉がないからかな〜?

夜はお別れパーティを開いてくれた。約束していたので下手な踊りを踊った。結局、阿波踊りになるけどね♪

夜の計測は 77/92
 
     
     
     
   9月7日 パイユ(3450m)  ジョラ(3000m)  【15日目】  
     
   朝・夜の計測は今日からなし 
 コンコルディアからずっといい天気が続いている、とりわけ今日は雲ひとつない快晴。山もピンク色に染まっている。
ところが、写真を撮る熱意もここで萎えてしまった。あまりにも素晴らしい景色を見てしまったのでこれくらいではもう満足出来ない。


  渡渉の所は、往路では昼過ぎだったので氷河が融けて水流が多く、さかのぼって渡った。今回は朝早いので水流が前より少なくさかのぼらなくてもよい、それでも激流である事に変わりはなく、岩や石で足場を作ってくれてみんなで手をとってくれ
安全に渡らせてくれた
私のパーソナルポーターのアビットさんが大岩を転がした時はビックリしたわ〜! 力持ち〜!

行きとはうって変わって早いペース、何故〜? と思っていると、ちょっと登りになるとダウン・・ 鈴木さんに聞くとペースをあげていますとの事。もう帰るだけだからねぇ。

15:50にジョラに着いた。
 
     
     
     
   9月8日 ジョラ(3000m)  アスコーレ(3000m)  【16日目】  
     
     
     
    いよいよトレッキング最終日。
ジョラには7月に登頂後遭難した3人の遺体(ベースキャンプまでは下ろしているそうだ)を回収に行くスペイン隊のパーティが来ていた。

 Nさんは、2〜3日前から何も食べられない(鈴木さんがいろいろ気を配っている)がダブルストックで自力で歩いておられる。参加する前にサポーターとストックとどちらを購入するか迷われたそうで、結局ダブルストックにして訓練して来られたとの事。パイユで高所順応のトレッキングに行った時も参加されお元気だったのに体調を崩された。
最後まで頑張られてほんとうに感動した。

今日も雲ひとつない快晴。日本だと昼頃から雲が湧いてくるが・・。

ブルメンドッグと言う蘭の花が咲いていた。(一箇所のみ)

日陰がないので暑い〜。

ラトック山群のビヤントブラックを右手に見てなつかしのコラホンに10:20に着いた。晴れるとこんなに違う景色かと思った。山頂の靄が晴れるのを待って写したバラー方面もこう全部見えては魅力が半減。
懐かしい
アスコーレが見えてきて15:32に着いた。お世話になったパーソナルポーターのアビットさんにチップを渡す。よくあの重いカメラバックを運んでくれた。感謝 <(_ _)>

鈴木さんが入れてくれた日本茶がおいしかった。(^・^)
最後のテント泊、明日はシャワーが浴びれる〜と嬉しい反面、楽しく歩いて来たパーソナルポーター達ともお別れと思うと名残おしい。