四国のみちと遍路
                                                              
≪四国のみち≫ 【愛媛root22・歴史の散歩みち~root23水の都の緑のみち】

2015年11月28日
伊曽の橋(メロディー橋)~武丈公園~王至森寺休憩地~秋都庵休憩地~国道11号≫(7.3km)


          
 伊曽の橋(メロディー橋)には12時42分に着いた。この橋の堤防を走る道は国道194号線で、寒風山トンネルへの道であり、田中陽希が降りて来る道でもある。

  
 橋の袂で記念写真を撮り、備え付けてあったバチでメロディーを叩けるので“メロディー橋”と呼ばれている。南岸から北岸へと奏でるのは“ふるさと”だったが、旨く音が出ない所もあった。橋を渡れば、12時51分には武丈公園だ。ず~っと見えていた八堂山には高速道路が貫かれていて、次々と車は八堂山トンネルへと吸い込まれている。

  
 土手の下には西条農業高校があるが、今日は土曜、閑散としている。武丈公園休憩地で一休みして、トイレを借りる。13時3分、さて道は公園をぐるっと廻って北上することとなる。

  
 すぐ先に『危険な交差点』と電柱に貼られていた。昔の道が残された場所は問題が無いのだが、新しく付けられた道と交差すると本来の四国のみちが判らなくなっている箇所にも合う。

   
 13時28分、田圃の端、山沿いへと道が続いていた。13時35分、地蔵庵休憩地に着く。

地蔵庵の由来
地蔵原地蔵庵はその昔、弘法大師が四国巡錫の砌この地にて一夜で地蔵尊を石刻安置されたと伝えられています。
霊験灼にして爾来参詣者が跡を絶づ人々は宇堂を建設し、いつの頃からかこの地を地蔵原と呼ぶようになったとのことです。
法燈が連綿として継承され、今日においても遍路修行者が弘法大師の遺徳を偲び立ち留り堂前にて合掌礼拝して遍路の途に就く習慣が残っています。
宇堂の歴史を察る記録に「奉再造地蔵尊御厨子入佛供養明和八年七月吉日」と記されており、歴史の重さを伺うことができます。星霜移り宇堂の荒廃激しく檀信徒再建を発願し関係者一丸となり、鴛き浄財を似て無魔成満、本日玆に吉祥を卜して落慶法要を厳修。
観れば境内に紫雲棚引き、新緑青みを増して新堂に映え密厳浄土の境界を朗らかにす冀わくは本尊地蔵菩薩の偉業を照覧して普く衆庶に無上の法雨を灌ぎ玉い。更には法燈輝きを増して法運弥よ降昌にして檀信徒家内繁栄福智円満たらしめ給わんことを。
乃至法界 平等利益



 
 四国のみちを歩き始めて、初めて上記の≪四国のみち標識≫が道に埋められているのに遭遇した。この標識が西条市だけのものなのかどうかは解らない。また、こういう標識にした経緯も解りかねる。そして、この標識が現れて以降は例の“歩き遍路シール”は見かけなくなった。

  
 すぐ先、13時47分には王至森寺休憩地を通過。ここら辺りでは道路に埋められた案内標識に従って進む。14時5分、橋を渡って造成地の端の道を行く。この辺りで案内標識を見掛けなくなった。

 
 団地の端っこの道を歩いていると、軽トラのおっさんが寄ってきて「お遍路さん、どちらへ行くの?随分と遍路道と離れているようですが・・」と話し掛けて来た。小生が持っている地図を見せて、「この道を歩いている。次の目的地は“あきつあん”なんですが」と云うと「この地図では判らないじゃろ。裏に書く・・」と、秋都庵(しゅうとあん)の地図と、本来の遍路道である“讃岐街道”への道を教えて貰った。その方は、この近くに仕事で寄ったみたいで、遍路で回っている旨を話して去っていった。14時27分、教えて貰った道を秋都庵を目指す。

 
 暫く見掛けなかった標識に出合った。その示す先に秋都庵が見えた。14時32分、境内の木製のベンチで小休止。

  
 5分ほどの休憩後、再出発だ。田圃の中、コンクリの道は不自然に続いていた。相棒に「この道はおかしい。あっちの田圃の端を辿る道じゃなかろうか」と話し掛けると「そしたら、戻って確かめたら?ちがっとったら、又、戻ったら良い」との応えで少し戻ると道は細いが続いていた。相棒が「こんな道、誰でもは判らんよね。今までいろんな四国のみちを歩いて来たからこそ判ったんよね」と云うのである。

  
 旧街道の遍路道に出合ったのは14時54分、すぐ先の11号線にあるバス停≪オレンジハイツ入口≫を探さないと・・。今までの道と違って、車がビュンビュン通る11号線へ出てバス停を探す。相棒が向こうに見えるのがバス停じゃない・・。急いでバス停で発車時刻を確認すると、14時56分だ。小生の時計も丁度、14時56分だった。ここのところ、たびたびバスを利用している経験上、電車と違ってバスは遅れてやって来る・・と気長に待つこと10分。予想通り、遅れてやって来たバスの車中の人となった。


≪帰路≫
  
 バスは15時18分にJR西条駅前に着いた。小生の計画では、ここから特急バスに乗り換えて、朝方、車をデポした≪小松総合支社前≫へと戻る・・との予定である。1番乗り場で特急バスの時刻表を探すが見当たらない。続いて、先ほど降りた2番乗り場の時刻表を探すと、15時28分発のバスが該当するようだが、果たして、小松総合支社前で停車するのかが判らない。同じ時刻表を確認していたオバサンが「運転手さんに尋ねたら良いね」と進言してくれた。

 
 バスはやはり5分ほど遅れてやって来た。乗車時間25分ほどで、今朝、愛車をデポしたバス停まで戻って来た。結果論だが、全て旨く事は運んだ。朝方寄ったコンビニでコーヒーを購入して、バスの待合所で疲れを癒したのだった。自宅までの愛車での帰路は、外食の寄り道としたのだった。


【指導標や標識など】

   

   

  

   

   

  
 昼休みにチェックを入れた“陽希君”の行方が気になる。相棒の予想どおりに、東赤石に登頂後、西赤石~西山~大坂屋敷越え~ちち山越え~笹ヶ峰というコースを採ったのかどうかは不明だ。相棒がチェックした時には、大永山トンネルの上辺りだった(後日facebookをチェックすると、東赤石からすでに下山して笹ヶ峰に向かっています、と書かれている)。しかし、相棒の予想の丸山荘泊を覆して、笹ヶ峰から吉居登山口へ下山し、下津池から国道194号線を西条市内まで歩き、国道11号線沿いのビジネスホテルまで歩く(走る?)という・・・とても人間業とは思えない体力だ。さすが、プロレーサーと歓心するのみである。いくら山好きの素人の自称登山家(?)が「どこそこからどこそこまで縦走した」と威張っても適う筈が無い。勿論彼のような山行形態と、小生の山との向かい方とは随分と異なる山行形態ではある事は“いわずもごな”である。

【後日談】

《“日本二百名山一筆書き”サイトの“陽希の日記”からの抜粋》
『当初は東赤石山から法皇山脈を縦走して、笹ヶ峰を登る予定だったが、少ない積雪とはいえ、雪の中での縦走は時間がかかる上に、リスクも増える。
距離は長くなるが、確実性の高いルートに変更した。
東赤石山は往復、笹ヶ峰までは舗装路を走り、西条市に抜ける峠のトンネルから稜線に登り、そこから笹ヶ峰までは縦走して、予定の下山口に下りることにした。』

と、当初予定していたのは、相棒の予想どおりのコースだったようだ。それが、前日の思わぬ降雪によって変更されたのが真相だった。


交通費など
小松総合支所前・有料駐車場 =¥500
せとうちバス(中萩・西条行{科学博物館経由}、オレンジハイツ入口~西条駅前) 一人=¥330
        (新居浜~松山【特急】、西条駅前~小松総合支所前) 一人=¥430