四国のみちと遍路
                                                              
≪四国のみち≫ 【愛媛支2・四国カルストルート】

2015年11月7日
≪光明寺〜大谷≫

          
≪Part3≫
 さて、本来Part2で終わる筈だったルートなのだが、そうは問屋が卸さなかったのだ。前回、農免日野浦農道へ出てしまった箇所の直ぐ側にあった水路を辿ってみることとした。

   
 水路の脇の道は雑草が刈り取られていた。暫く行くと、地上1.5mぐらいの高さでケーブルが水路を横切っていた。どこの業者がこんな施工工事をしたんだろうか。それは、某・大手携帯通信会社の設備だった。そのケーブルは、神社の参道さえも横切っていた。鳥居の下の石段も形無しだ。

  
 神社から暫くは水路は流れていた。やがて水路脇の道は不確かとなって、先日、帰路に辿り始めた民家の下に着いた。結局、この間に四国のみちの案内標に出合わないという事は、この水路の道は四国のみちじゃないんじゃないか。もう一度、最後の標識を確認した。

  
 標識が指す方向は、私たちが辿った水路より上の方だがそこにある獣道は、狸程度の大きさしか通らないもので、人間の通行は適わない。たかが数百メートルの道探しに、何日も掛かるとは思っても居なかったが、『みちは消滅した』との結論でいかがなものか。