四国のみちと遍路
                                                              
≪四国のみち≫ 【愛媛root20・四国一番の難所横峰寺へのみち〜root21・第61番香園寺へのみち】

2015年5月21日
≪大頭〜湯波休憩所〜古坊休憩地〜第60番横峰寺≫(part1)
≪第60番横峰寺〜香園寺奥の院〜大谷池〜第61番香園寺〜第62番宝寿寺〜近藤篤山旧邸≫(part2)


≪Part2≫

  
 12時に寺を出て、四国のみちと遍路道の案内通りに辿る。先日は駐車場へと登り返した分岐を、今日は遍路道への砂利道を進む。暫らく下ると自転車を押した若者と出会った。その先で車道と合わさったが、遍路道の入り口には鎖が掛かっていた。そして林道を少しで、香園寺へと遍路道があるが、林道の先の方で人影がちらっと見えた。この人影が後で話題となった事柄だったとは、この時点では知る由も無い。私達は12時25分、香園寺への遍路道へと入る。

 
 すぐ先で、眼下に高縄山系へと続く山並みが望まれる。暫らく下ると道端で食事中のハイカーに会った。70歳前後のペアのようだった。12時45分、鉄塔が現れた。朝方のみちとは違って、みちは尾根を辿っていた。そして、右へ左へと随分と鉄塔巡視路が分岐していた。また、鉄塔は2ルートが並んでいるようだった。

 
 13時15分、先行していたお遍路さんが休んでいたので小休止。都会の人は判らないようだったので、植林の林の事や、間伐などについての話をした。暫らくすると、岡山のお遍路さんが到着した。「一寸、寄り道」と言いながら、「横峰寺の林道からの入る道が判らなくて10分ほど迷った。お寺に電話して聞いたが、往復20分のロスだった」と言う。その内、先ほど休んでいたハイカーが降りて来た。この先で指導標の示す道は二手に分かれていた。我々が行く四国のみちの案内は真っ直ぐだ。右へは遍路道の案内で、そのどちらも行先は香園寺なのだ。

 
 今度も二人のお遍路さんが次々に出発だ。我々も、続いて出発である。13時37分全伐の場所。切株の辺りを良く見ると、切株の横に新しく桧の苗が植えられていた。また、ここからの展望は、来し方の左に瓶ヶ森、右手には石鎚方面が望める。

 
 13時53分、休憩所の東屋がありここでコーヒータイムとした。展望所、上城、下城など地図にない地名の案内がある。相棒が道端に生えているワラビを採りながら降りるようになった。この辺りから、木に名札が掛かっているようになって、公園の雰囲気だ。そして、通行止めのロープが張られていたりもする。

  
 暫らく降りると、山草が逆光に綺麗に映えていた。14時35分、舗装道路へ出た。道路のどん詰まりには広い駐車場所がある。15分ほど歩くと香園寺・奥の院だった。ここは、札所では無いのでお遍路さんが必ず立ち寄る場所とはなっていない。しかし、私達が巡っている四国の道のルートでは、立ち寄らなくてはならない。

 
 山から降りて来たので、裏口から入って行ったのだが、お寺の奥にある滝と不動明王が緑に映えていた。また、傍らには、水行の為の更衣小屋も設けられていた。脇仏は制多迦(せいたか)童子と金伽羅(こんがら)童子ということだった。14時57分、奥の院を出発。少し降りたところに東屋があり、記念写真を撮るだけで休憩はパスした。

  
 昼ごろに横峰寺を出発していたので、余裕があると思っていたのだが、ここまでで、随分と時間が押してきていたのである。15時10分、大谷池沿いへと行く。路は高速道路下で右手へと遍路道への案内があり、そちらへと曲がるがふと手元の地図を確認すると、四国のみちは真っ直ぐを示していたのだった。何も考えずに曲がった後、気が付くが引き返すほどの間違いでは無いので、そのまま進んだ。

  
 15時28分、裏側から香園寺の駐車場へと着いた。まずはトイレを借りたのだった。さて、本堂へ向かおうとすると車から出て来た奥さんが「歩き遍路の方に“お接待”したいのですが・・・」と小封筒を差し出したのだった。初めての経験だったが、こういう事は辞退しない方が良いかも?と、相棒と二人、“お接待”して頂いたのだ。お返しに私たちの“収め札”をお渡しした。さて、ここの本堂は鉄筋造りで大師堂は無くて、弘法大師は本堂の中に祀られていた。靴を脱いでお参りするのだが、これぐらいの寄り道は構わない。20分余りのお参りで香園寺を出て、15時58分、宝寿寺へと向かう。

 
 さて、街中に続く案内に従って歩くだけだ。途中、橋の上からは石鎚が望めた。すぐ先のバス停ではお遍路さんが待っていた。バス停を通り過ぎて国道11号線を歩いて行くと、先ほどのバス停から新居浜行のバスが通り過ぎて行った。

 
 16時12分、宝寿寺へ着いた。香園寺で後から来た派手な格好のペアがもうすでに参拝していた。やはり、車利用の参拝者はスピードが違う。香園寺からは10分ほどの歩きで近藤篤山旧邸へ着く。ここは、先ほどの白滝奥の院と同様、お遍路とは直接の関係は無い。香園寺・奥の院と同様、四国のみちのルートというだけなのだ。しかし、ここはもう閉まっていた。開館時間を過ぎていたのだった。16時32分だった。


 
 帰路はバス便を予定していたが、最寄りのバス便を調べていなかったので、近くのバス停を探すのだが見当たらない、通りがかったオバサンに聞くも分からないようだったので、結局、宝寿寺までの間に通り過ぎた停留所へと歩いた。この停留所は以前は瀬戸内バスの営業所があったと記憶していたが、現在はコンビニになっていたのだ。停留所に着いたのは16時50分だった。目的の停留所への路線バスの時刻には随分と待ち時間がある。しかし、新居浜から松山の特急便が17時13分に来るようだった。

 暫らく、小松総合支所前の待合所で待つことにした。このバス便は、瀬戸内バスと伊予鉄バスの共同運行だったが、次のバスは伊予鉄バスだったのだ。バスは時間通りに到着した。乗り込むと、次の停車案内が目的の大頭だった。さすが特急は早い。歩くと一時間ほど掛かると踏んでいたのだが、5分の乗車時間で降車だ。朝方、駐車をお願いしたコンビニへお礼を述べ、購入したソフトクリームを食べ終えると今日の行程は終了なのだった。

【指導標や標識など】

   

   

   

≪伊予鉄バス(新居浜〜松山【特急】、小松総合支所前〜大頭) 一人=¥240≫

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