四国のみちと遍路
                                                              
2015年4月24日【愛媛環2(旧へんろみち・柏坂越えのみち)】

≪旧へんろみち・柏坂越えのみち≫【柏(国道56号)〜柳水大師堂・柏坂休憩地(案内板)〜茶堂休憩地〜大門(国道56号)】

 今日の計画は、柏から柏坂越えの遍路道で津島町・大門までの歩きであるが、愛車の駐車場所を柏の停留所横(つまり、内海支所前)が可能なことが判明した(・・・昨日、愛南町へ向かう途中に偶然見付けていたのだった)ので、開始地点と終了地点がバス停で踏破できることとなった。

          

 その支所には『柏坂越えのみち』案内所がある。上記パンフレットは内海中学校の生徒達が作っている手作りの案内パンフだった。こういう情報は出発前に入手しておけば良かったのだが、帰路に入手したのだった。

 
 昨日の疲れは、一晩寝れば温泉と生ビールですっかりと回復したようだ。朝食時間は7時に予約していた。テーブルに準備されていた食事は、10名余りの業者さんと思われる若者達が食事中で、残りの私達二人と10名余りの一般客がいたようだ。食事を終えたら精算をした後、ホテルを出た。料金は“遍路料金”で、随分と安上がりだった。そして昨日同様、ホテル前のコンビニで昼食などを調達して柏へ向けて出発である。しばらく宇和島方面へと走り、8時25分に愛車をデポした。身支度を整えて、今日も四国のみち“柏坂越えのみち”へと出発だ。

 
 この辺りはお寺に向けての避難の案内がある。これは海から近いので大地震に伴う津波による対策であろうことが容易に推測される。避難場所は、高台にあるお寺となっているのである。

 
 集落の外れに差し掛かると自転車のおっちゃんが「お遍路さん」と呼びかけて来た。「その向こうから山道に入るといぃ」と云い。「私の母親が茶堂の出だ」「柏坂越えの遍路さんは、日に7〜8名だ」とかいろいろ話し掛けてくる。そして、おじさんと別れて民家脇を山道へと入ったのは8時40分だった。

 
 ガラガラの山道は九十九折れだ。いくらも行かない内に相棒が遅れ始めた。暫らくで、後ろから相棒とは違って荒い息遣いが聞こえた。振り返ると、頑丈そうな男女のお遍路さんがすごい勢いで追い付いてきた。9時5分だった。その後からも二人のオジサン遍路がハァ〜ハァ〜と荒い息をはずませながら上がって来た。

 
 山道に入ってから“野口雨情の句”が何個も掛けられている。また、灌木に覆われているものの道の脇にはどこまでも石垣が積まれていた。また、炭焼き窯のあとも見受けられた。そんな景色の中、柳水大師の案内がある祠に着いた。丁度、先ほど追い越して行った二人のオジサンと入れ違いとなった。裏側の湧水で喉を潤したのは9時40分で、ここに柏坂休憩所があった。

≪柳水≫
 むかし柏本街道のこの地に四国遍路の弘法大師が
立ち寄られ、王冠の旅人の渇きをいやすため柳の杖
をつき立てたところ、甘露の水が湧き出てきたので、
柳水と云うようになったとのことで、そのお杖が根付
いて一本の柳が代々育っています。
 また柏には、大師がお顔を剃られたと伝えられて
いる「剃りの川」の井戸と、腰をかけられた石も
法性寺とその附近に現存しています。


 
 歩き遍路の人たちは寡黙である。勿論、一人で歩いているので喋る必要もないのである。
 突然、前方が明るくなった9時58分。すぐ先に舗装道路が横切っていてダンプカーが行き交っている。先ほどからヘリコプターが飛び交うような音が聞こえていたのはダンプの音だったのだ。直ぐ先にあった清水大師へ別れは10時17分に通過した。
 
  
 この道には案内標識がここかしこにある。また、整備も行き届いていて歩きよい。

          
 10時半に海が見渡せる場所に着いた。ここが“つわな奥展望台”だった。勿論、小休止である。

 
 古の道は深くえぐれているが、道端には山草が覆っている。11時頃、山道が林道らしき道と合わさったが、すぐ先でまた山道へと別れていた。

 
 茶堂大師を通りかかると、どこかから人の話し声がする。すぐ先で道端にあるお墓の掃除をしていたオバサンが話しかけてきた。「昨日は何処へ泊まったの?」との挨拶である。通り掛かったお遍路さんとしか生の人間と話すことがないんだろうと推測できる集落である。この方が先ほどの話し声の主だったのだ。そして、朝方話しかけて来たおじさんの母親がこの辺りの出身との事だったのだ。

 
 多くが廃屋となった今も、民家横のエビネは綺麗に咲いていた。茶堂大師は静かに佇んでいた。私達は、すぐ先で昼食休憩である。時は11時33分だった。

 
 この辺りでは勾配も緩くなって来た。もう里が近いはずだ。11時57分に橋を渡ったが、すぐ先でガードレール付きの橋があった。その橋の正面に“へんろ椿”の看板があった。我々は時間に余裕はあるのだが、今の時期、寄っても仕方がない。

 
 この小川は小祝川と云うらしい。集落が現れると、もう田植えの準備をしている。この辺りでは国道まで1km余りとの標識なので、決して山間部の僻地では無い。そしてぐーっと開けて来ると、田圃には稲が植えられていた。ここで、後ろからお遍路さんが追い付いてきたのが12時25分だった。

 
 国道が見えて来た、集落の道とは違って車の往来が激しい。大きな建物がある、泰山という銘柄の酒を造っている造り酒屋でしょうか?そして国道のバス停には12時37分に着いた。バスは10分ほど前に行ったばかりで、次のバスが来るまでは一時間ほどあった。

 
 バス停の近くに案内があるお寺で、コーヒータイムで時間潰しである。13時32分のバスは8分遅れで到着した。
乗車時間は15分余りだった。


≪四国のみちの標識など≫
   
   
   
   
   
 


【宇和島バス(大門〜柏) \480×2人】
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