四国のみちと遍路
                                                              
2015年3月24日【環9(久万郷の山寺に通じるへんろみち)】
 先週は久万の町からの遍路道を歩いたのだが、今回は、その久万の町に通じる山越えのみちを歩く計画である。

 今日のみちは、遍路道としては、突合(つきあわせ)で左折して田渡(たど)川をさかのぼり、旧小田町臼杵(うすき)の倉谷、浮船(うきふね)、本成(ほんなる)、上畦々(かみうねうね)を経て下坂場峠(しもさかばのとう)を越え宮成(みやなる)に出て鴇田峠(ひわだのとう)を越え久万町に至るみちだ。この内子を経て久万高原町へ辿る遍路道は真弓峠(まゆみのとう)・農祖峠(のうそのとう)を越えて久万町方面に至る遍路道と、国道を辿る道の3ルートが利用されているようだ。

 
 私達は遍路道を辿るのが目的では無い。あくまでも“四国のみち”に指定された遍路道を辿っているので、機会があれば遍路路も辿る・・・程度に留める。さて、宮成にて適当な道路脇の空き地へ車を停めて出発は9時25分だ。遍路道と四国のみちの案内標識を辿ると直ぐに石造りの道標に導かれる。

 
 舗装された町道を10分ほど歩くと直ぐに屋根つきのベンチがあった。そして、由良野と呼ばれる集落には9時55分に着いた。そこは別荘地みたいな佇まいの家並があった。そこで小休止。

 
 由良野の最終集落を過ぎると本格的に山へと分け入るようだ。10分ほどで町道が横切る場所に着く。ここらでは標識が上下にあり皿が嶺あたりの登山道とは違って丁寧に整備されている。

 
 10時20分にだんじり岩と呼ぶ場所についた。

【だんじり岩】の標識には、
『この十畳敷程度ある大きな岩は、その昔弘法大師が四国八十八か所巡錫の時あまりの空腹と疲労のため自分の修行の足りなさに腹を立てこの岩の上で「だんじり(じだんだ)」を踏んでガマンされたそうです。
その時踏んだ「だんじり」の足跡が岩に残っており、それ以来誰言うとなくこの岩を「だんじり岩」と呼ぶようになったそうです』
 との言い伝えがかかれていた。

 
 10時半薄暗い林の中の鴇田峠(ひわだ)に着く。ここでは10分ほどの小休止である。

峠の標識には
『この峠は標高約800mに位置し(久万町役場は約500m)古くは二名(にみょう)地区を結ぶ主街道として賑わった所で昭和30年頃まではこの場所に茶屋があり行き交う人々が一休みしたそうです。「鴇田峠」の名称は一説には弘法大師が八十八か所開基の折り大洲からずっと雨続きでこの峠でやっと晴れ「日和だ」と言われたのが訛って「鴇田(ひわだ)」となったと伝えられています』
 とある。しかし、この「鴇」の字は朱鷺(とき)のことなのでその昔、朱鷺もこの辺りに生息していたと思わせる地名でもある。

 
 降り始めると間もなく、車のエンジン音が聞こえた。直ぐ下の砂利道をトラックが通り過ぎた。そして暫らくでトイレに着く。ここのトイレは水が出なかった。みちは直ぐに町道と交わったりしながら続いていた。

 
 みち脇の桧の大木にお地蔵さんが祀られていた。11時だった。ここで暫らくの撮影タイムである。相棒は写真集を出し、それを期に開いた写真展以来、写欲をなくしている。それで、先日来“白黒フィルム”で撮影しているのだ。さて新たなテーマが見つかるのかどうかの旅でもある。山から抜けると久万の町が見渡せた。

 
 田園の中に続く路を暫らく降りるとみちは集落に混じってしまって、国道33号には11時35分に出合った。そして、町内の“ひなまつりディスプレイ”を眺めながら昼食の場所を探した。結局、適当な休憩場所を探せないままにバス停での昼食だった。

  
 帰路に予定していたのはバスだったが、朝方の集落行きの時間は13時40分発なので、2時間の時間潰しが必要なのだ。2時間の歩きと、2時間の時間潰し・・・なんと効率の悪いスケジュールなのか?

 結局、道の駅でトイレ休憩やコーヒータイムと時間潰し。乗車時間30分。一人600円の運賃。


 今回の計画段階でバス便を調べたのだが、どちらからも(久万営業所・宮成停留所とも)午後の二便しかないのです。仕方なく、二名・宮成集落に愛車をデポしての行程を選ばざるを得ませんでした。峠越えのみちの所要時間は二時間程度でしたが、道の状況も不明なので実際にはどのくらいかかるのかが判らないのでバス利用としたのです。
 私たちが参考にしているネット情報は“歩き遍路ブログ”のみであるので、ここらへんは情報不足です。今回の“歩き”の経験から、もう一つの遍路道の“農祖峠”を利用しての一周ルートの踏破が可能でした。

≪余談≫
 バスの営業所には下のパネルが掲げられていました。相棒と『こんなんある〜?』と顔を見合わせたのは『死体』の持ち込みだった。そして、『なんでフィルムやセルロイドがいかんの〜』だった。


        

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