四国のみちと遍路
                                                                  
≪四国のみち≫ 【愛媛root-12(旧三坂峠を下る道)】Part-1
2011年11月22日 ≪三坂峠〜桜休憩所〜丹波〜第46番浄瑠璃寺〜第47番八坂寺(9.5km)≫


 今日は『四国のみち』(四国のみち(しこくのみち)は、四国全域にある歴史・文化指向の国土交通省ルート(約1300km)と、長距離自然歩道構想に基づく自然指向の環境省ルート「四国自然歩道」(約1,600km)からなる遊歩道である。起点はなると公園の孫崎展望台の横に設置されている。終点は徳島県板野郡板野町。以上、Wikipediaより)の奥久谷から三坂峠の遍路道を歩いてみることにした。路は御坂川沿いに、桜集落まで車を利用し、デポする場所を探して・・・が、集落の入り口付近で迂回路の表示とガードマンが案内している。そのガードマンは、奥久谷から三坂峠へと向かう道へと誘導したのだった。

四国のみち(愛媛)PDF版【root12(旧道三坂峠を下る道)】

  
 結局、桜集落への入り口は車では乗り入れないようなので、適当な場所に車をデポした。集落の入り口には遍路道の案内と、“坂本屋”の案内もある。相棒が「お接待しているかも?」と話しかけてきた。また道路脇には常夜灯が建っている。集落入り口の工事中の場所は、道路の半分ぐらいが崩落していて修復作業中だ。

 
 ここで集落の中を通る『四国のみち』は、遍路道だ。既に、11時になっていた。暫らく進むと前方に“坂本屋”の看板が見えて来た。近づくと中から「あっ、お遍路さんが来た。どうぞ、お茶でも飲んで行って。」と言われたが「私達はお遍路さんじゃありません。遊びにきているので・・」と応えたのだが、どうも様子が変・・ NHKのTVクルーが取材に来ていたのだった。結局お茶とみかんを勧められて、休んで行く事となった。

  
 10分余りの休憩を終え、三坂峠へと出発。するとすぐ先でお遍路さんがTVクルーを従えて降りて来た。「あれだけ後を付けられたら嫌じゃなぁ〜」と言いながら、見送った。少し行くと道端の、ここかしこにお地蔵さんが建てられている。相棒が「さっきお接待で頂いたみかんを食べよう」と、祠で休憩とした。小休後、再出発は11時40分だ。ここまではコンクリートの道だが、ここからは山道になる。

  
 路は植林の中に続いている。ケヤキだろうか、立派な木が道端に立っている。開けた場所で振り返ると、いつも三坂峠へ上がる時に使う“奥久谷”からの道路を走っていると見える顕著な形をした岩山が見えて来た。この辺りから路が明るくなったのは、落葉樹が多くなったせいだ。上の方で『ガァ〜』と音がしているのは、チェーンソーの音だろうか?

  
 やがてヘヤピンの落ち葉の個所に立派に黄葉した木(かえで類であろう)があり、その側には記念碑や案内板があった。その標識には“鍋割坂”と命名されていた。もう、12時半になっていたのだが、高度計を見ると600mを越えていたので、峠まで登ってから昼食とすることとした。

 
 ヘヤピンを曲がると、その先に作業中の人が居た。先ほどのチェーンソーの音の主だった。道に被さった木の間伐をしているようで、松山市内が一望できる場所を開いていた様子だった。そのオジサンは「あそこらへんに松山城が見えるんですが、今日は霞んでいてよう判らんね」などと、案内してくれる。また聞きもしないのに、「こちら(久万高原町)に夫婦で帰省して来たので、“まだ若いのでボランティアでもしたらいい”と言われて、道の整備をしている」と、言い「私ももう80歳になるので、引退をする年なんじゃけど・・」と次々に話しかけられるのでした。その間、“チリンチリン”の鈴の音がしてお遍路さんが降りて来た。結局、登りに会ったお遍路さんは二人だけだった。

  
 オジサンに「先を急ぎます」と別れて歩くと、直ぐに三坂峠に躍り出た。その看板には『≪三坂峠≫(標高720m) 伊予と土佐を結ぶ土佐海道にある急峻な峠です。江戸初期に久万の聖人山之内仰西によって拓かれました。明治二十七年に三坂新道(国道33号)ができるまで、この道が松山と久万を結ぶ主要道でした。峠からは松山平野が一望でき、茶屋もあり、久万山馬子や四国遍路をはじめ多くの旅人が行き交ったことが絵図からも分かります』と、四国巡礼名所図會(寛政12年)の図が描かれている。もう、12時45分になっている。坂本屋さんでは、三坂峠まで“一時間ほどで・・”と言われたが、病後の体ゆえ、一時間半は要した。
  
 三坂峠にあった眺望良好のレストラン『あうん』が閉店して久しいようだ。玄関のドア越しに覗くと松山市が一望できた。新三坂道路が開通してもう二年となるのだが、新道が出来る以前から閉店していたのかどうかはっきりとはしない。旧レストランの玄関で20分ほどの昼食休憩のあと引き返すこととした。13時20分だった。


 降りは淡々と歩くのみで、チェーンソーのオジサンにも挨拶だけで先を急いだ。登りの際にも休んだお堂で、コーヒータイムとした。そして、往きに寄った坂本屋には朝方お遍路さんについて降りてきた方のクルーが居た。単独の女性のお遍路さんに会わなかったか?と聞かれたが、やはり絵になるのはそういう人なんだろう。私たちのような歳のペアなどには興味が無いのだ。車は三坂峠に置いているそうだが「どうするの?」には、誰かが取りに戻るとの事だ。「貴方たち若いし、一時間ちょっとで戻れるから、歩いて戻ったら・・」と言ったのだが、迎えの車が来たようだった。工事中の道路の崩落は、自然災害でもなく崩れたそうだ。住宅の被害が無い分だけでも良かったと言える。愛車のデポ場所に戻ったのは14時50分だった。




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